著作  (単著・共著・翻訳・遺稿集)

目次


はしがき


第Ⅰ部 法の支配


第1章 法の支配を支えるもの

 はじめに 背景的関心とその法学的変奏

 1・1 法の支配に対する根底的な懐疑とそれへの応答

 1・2 客観主義再考

 1・3 形式主義再考

 1・4 法の支配とリベラル・リーガリズム、そしてリベラリズム

 おわりに 法の支配の意味を問うことの意味


第2章 グローバル化は法概念の改訂を求めているか?

 2・1 はじめに:グローバル化と社会規範の多元性

 2・2 社会規範の多元性とは何か

 2・3 課題と処方

 2・4 ガヴァナンスの可能性と課題

 2・5 〝法〟多元主義が提起する問い

 2・6 法の資格要件の再検証

 2・7 小括


第Ⅱ部 遵法責務


第3章 制度のなかで生きるとはどのような経験か――公共的正当化論の再考に向けて

 3・1 制度の空洞化

 3・2 ふたつのルール像と権威の非対象性

 3・3 空洞化からの出口


第4章 遵法責務論への道

 4・1 はじめに――本稿の関心と射程

 4・2 遵法責務論の問いとその消滅?

 4・3 問いの再生

 4・4 疑法論から法主体性論へ


第5章 遵法責務論再考

 5・1 はじめに

 5・2 関心と視覚

 5・3 論争の概略


第6章 統治者だけの国家とアイロニーのない遵法責務論――[書評]横濱竜也『遵法責務論』(弘文堂、二〇一六年)

 6・1 論証の性格と考察の射程

 6・2 責務の内容と道徳観

 6・3 統治権限・責務の配分と敬譲論の役割

 6・4 おわりに


索 引

那須耕介『法、政策、そして政治

勁草書房   2023.9.7

                                                           目次


刊行に寄せて[田中成明]

序文[浅野有紀]


第Ⅰ部 法、政策、そして政治


第1章 法の支配の両義性について――複眼的な法的思考のために

 1・1 はじめに――言説母胎としての「法の支配」

 1・2 法の支配をめぐる諸見解

 1・3 言説母胎としての法の支配

 1・4 おわりに――葛藤の受容


第2章 政治的思考という祖型――政策的思考はどこから出てくるのか

 2・1 設問と訓練

 2・2 政策過程へのふたつのまなざし

 2・3 原型としての政治的思考

 2・4 政策的思考と法的思考

 2・5 「革命」の狂気とその受け皿


第3章 市民社会とその非政治的基盤について――市民の自由と公民の徳

 3・1 はじめに

 3・2 市民性と市民社会

 3・3 市民的自由から公民的徳性へ


第4章 サヴァイヴィング・ファミリィズ

 4・1 「家族」と「親密圏」のあいだ

 4・2 サヴァイヴィング・ファミリィズ

 4・3 法制度、家族政策への含意


第Ⅱ部 自由と規則のはざまで


第5章 自由と市場の正義

 5・1 はじめに

 5・2 局所的知識のネットワークとしての市場――ハイエク

 5・3 自己所有権の公理系――ノージック

 5・4 課題と可能性


第6章 環境ガバナンスの政治的条件について――民主的な環境ガバナンスにおける専門家の役割を求めて

 6・1 〝不協和〟を手がかりに

 6・2 与件と課題

 6・3 「環境倫理学」再考

 6・4 環境ガバナンスの諸原則と専門家の役割

 6・5 政治原理としての「環境倫理」の可能性


第7章 「法と道徳」を教える――あるすれ違いについてのおぼえがき

 7・1 はじめに

 7・2 学問分野・実践領域の概念的区別

 7・3 道徳の内面性、法の外面性

 7・4 パターナリズム、モラリズム

 7・5 法的思考の理論と合法性の概念

 7・6 モラリズムの相対化

 7・7 「政治道徳」とはなにか

 7・8 おわりに


第8章 可謬性と統治の統治――サンスティーン思想の変容と一貫性について

 8・1 はじめに

 8・2 サンスティーンの思想とその変遷

 8・3 今後の検討に向けて


第9章 リバタリアン・パターナリズムとその十年

 9・1 十年後のリバタリアン・パターナリズム

 9・2 リバタリアン・パターナリズム論おさらい

 9・3 論争

 9・4 考察

 9・5 おわりに: 抗いがたい魅力と潜在的代償


第10章 公教育と機会の平等――現代正義論に対する厚生経済学の影響の一側面

 10・1 平等論への接近:センの洞察から

 10・2 機会の平等と厚生の平等:運平等主義とリベラルな自己抑制

 10・3 公教育における機会の平等

 10・4 小括:規範理論と社会科学の役割


後記[佐野 亘]

那須耕介略歴

那須耕介主要著作目録

初出一覧

索引

民主主義(デモクラシー)って、疲れませんか?

わかってるようで、わかってないこと。

2021年の春、私どもは、那須さんが「法哲学」を通して考えてきたことの集大成をなすような1冊の本をまとめたいので、連続講義を行なってもらえないかと提案しました。那須さんは、しばしの熟考を経て、これまで大事に作ってきた講義ノートをもとに、3つのテーマを選んで連続講義を行なうことにしようと、決心を伝えてくれました。それが本書『社会と自分のあいだの難関』に収録する「自由な表現」「正義」「法」をめぐる3つの論考です。那須さんの要望で、歴史学者の藤原辰史さんにも加わっていただき(第2講・第3講)、作家の黒川創が司会をつとめました。


本書のおもな内容

第1講 傷つける言葉、自由な表現  「開かれた社会」とその疲れをめぐって

第2講 過渡期にある社会を生きる 取り返しのつかないこと、いなかったことにできない人たち

第3講「おかしな法」とのつきあいかた 遵法責務/市民的不服従と民主制    

那須耕介さんのこと 黒川創


本の詳細


もう一つの小さなものさしを いつも手元にしのばせておきたい

余計なこと、みにくさ、へり、根拠のない楽観… 法哲学という学問の世界に身を置きながら、「余白」に宿る可能性を希求しつづけた人が、余命のなかで静かな熱とともに残した随筆15篇。

昨夏に惜しまれつつも逝去した著者による、「京都新聞」での約2年間の寄稿をまとめた随筆集。


目次


家の中の余白

「能力」は本人のものか?

ありあわせの能力

もう一つのゴールデン・スランバー

つたなさの方へ

謝らない人

「忘れたこと」はどこに行ったか?

羨望と嫉妬

鞠と甕

悪筆

やらないではいられない、余計なこと

こける技術

黒めがね、マスクそして内心の自由

傘はいらない

大学の「へり」で

「『難民』がバーリンの著述の隠されたキーワードである」と鶴見俊輔さんは述べる。ラトヴィアのリガで生まれ、ロシア革命のなかをイギリスに逃れて『自由論』の著者となった思想史家アイザイア・バーリン。いま、とても重要そうでありながら、正体もつかみにくいこの人物のおもしろさを、俊英の法哲学者、那須耕介さんが追っていきます。──寄稿・鶴見俊輔「バーリンについての読書会」。

1960年代はじめ、街育ちの30代の女性が、たった一人、身寄りもない北海道のはてへと旅立った。そして働きはじめる。海辺の町での海産物加工、農家での住み込み、観光地での店番。彼女がそこで選びなおした「生き方」とは? 戦後まもない日本でアナキズム運動に身を投じ、また、無名の市井のひとりとして自分をつきつめて生きてきた茅辺(かやべ)かのう、80余年の人生。気鋭の法哲学者・那須耕介が、その軌跡を追う。

憲法って、首相らの意向次第で、こんなに簡単に骨抜きにできるものなの!? ??と、びっくりするやら、ガッカリさせられるやらの当今。とはいえ、事がここに至るには、私たち市民社会の側の「責任」も、やはり考えないわけにはいかないだろうと思います。人間の文明史から見て、「憲法」とは何に拠って立っているものなのか? 異論が互いにかみ合い、より良い社会をめざす仕組みとして「憲法」が機能するには、どういう視野と努力が必要か? やっぱり、平和がいい。戦争で死ぬのも、殺すのも、若い世代をそこに捲き込むのも、いや。そのためには、これからの憲法のありかたを、どんなふうに考えればいいのだろう? ──地元・京都大学の法哲学者、那須さんを囲んで、私たちも考えてみました。

翻訳

南北戦争は連邦存続と奴隷解放のために戦われたと理解されがちだが、実際はイデオロギー対立の殺し合いによる解消という側面が強い。62万の戦死者を出して維持された連邦、民主主義とは、一体何だったのか。
この反省に立脚し、現代に至る米国精神の礎石を築いた若き哲学者たちがいた。後の合州国最高裁判事オリヴァー・ウェンデル・ホウムズ、心理学者ウィリアム・ジェイムズ、論理学者チャールズ・サンダース・パース、教育学者ジョン・デューイである。ときに反目した彼らの思想は次の一点で一致していた。すなわち「思想は決してイデオロギーに転化してはならない」。
彼らは米国の近代化に大きな役割を果たしただけでなく、教育、民主主義、自由、正義、寛容についての米国人の考えを変えた。その思想「プラグマティズム」胚胎の場が「メタフィジカル・クラブ」——形而上学批判の意味を込めて命名され、彼らが集った議論集会であった。本書は、歴史上に一瞬あらわれたこの幻のような集会を象徴的中心として、米国100年の精神史を見事に描き切っている。米国研究の要として名高い、現代の古典である。

フランシス・パークマン賞(Society of American Historians)、ピューリツァー賞歴史部門受賞。『ニューヨーク・タイムズ』紙ベストセラー。

憲法解釈の理論も民主主義の概念も、よりよい統治のための道具にすぎない。そして凶器にもなりうる道具だと知る者だけが、使いこなす術を手にするだろう。『インターネットは民主主義の敵か』『実践行動経済学』の著者が、多極化する現代社会における憲法像を示す。「ナッジ」や「リバタリアン・パターナリズム」論の出発点がここに!


目次


第1章 熟議のトラブル?―-集団が極端化する理由[早瀬勝明訳]

第2章 共和主義の復活を越えて[大森秀臣訳]

第3章 司法ミニマリズムを越えて[米村幸太郎訳]

第4章 第二階の卓越主義[那須耕介訳]

第5章 第二階の決定[松尾陽訳]

編者解説

原注

索引

訳者略歴


著者略歴

キャス・サンスティーン Cass R.Sunstein

1954年生まれ.ハーバード大学ロースクール教授.専門・憲法学,行政法,環境法,法哲学.1978年ハーバード大学ロースール修了.連邦最高裁判所で最高裁判事補佐官を務めた他,マサチューセッツ州最高裁判所,米国司法省等に勤務.1981年よりシカゴ大学,2008年から現職.2009年,行政管理予算庁の情報・規制問題室長に就任.著作として,『インターネットは民主主義の敵か』(石川幸憲訳,毎日新聞社,2003年),『実践行動経済学』(遠藤真美訳,日経BP社,2009年)など.


エドナ・ウルマン=マルガリート Edna Ullmann-Margalit

1946年―2010年.ヘブライ大学教授.専門・哲学.著作として,The Emergence of Norms(Oxford,1977)

貧困、病気、さらには紛争地に赴いた記者の行為に至るまで、あらゆることに言われるようになった自己責任。人々の直感に訴え正論のようにも響くため、根拠が曖昧なまま濫用されてきた。

本書はこのような自己責任論について、社会の構築と運営という広範で現実的な目的に即して、それが何を誤り、損なっているのかを精緻な分析によって示した、おそらく初めての本である。

自己責任の流行は欧米でも同じだ。それは哲学や社会学における静かな変容とともに始まり、1980年代初頭の保守革命の主要素となった。自己責任論が広く有権者の支持を得ると、意外にも左派政党がこれに追随する。本書はまず、政治における自己責任論の興隆を跡づけ、それが社会保障制度に弱者のあら探しを強いてきた過程を検討する。次に「責任」「選択」「運」をめぐる哲学者の議論をふまえて、被害者に鞭打つ行為をやめさせたい善意の責任否定論が、皮肉にも自己責任論と同じ論理を前提にしていると指摘する。じつはこの前提には、信じられているほどの根拠はない。そしてどちらの議論も的を外していることを明らかにしていく。責任とは懲罰的なものではなく、肯定的なものでありうるのだ。

福祉国家の本来の目的とは何だったか。自己責任論が覆い隠してきたこの原点への顧慮を喚起し、自己責任の時代から離脱するための基盤となる一冊。


目次


序——自己責任の台頭
第1章 責任の時代の起源
第2章 責任の時代の福祉国家
第3章 責任の否定
第4章 責任に価値を認める理由
第5章 ある肯定的な責任像
結語——自己責任の時代を越えて
謝辞

訳者解説
原注
索引

解説・エッセイなど

 エッセイ「 宮崎駿の「飛ぶこと」ー「ベルリン天使の詩」と「魔女の宅急便」」

『朝日シネマ 』No.71,  1994.4.  1頁. 所収

エッセイ「強制力に抵抗し人々が助けあって生きる作法    鶴見俊輔「方法としてのアナキズム」」

田中ひかる編『アナキズムを読む』皓星社 2021.11. 22頁.所収