1)「情けは人の為ならず」
このことわざを「安易に人に情けをかけてはいけない」と誤って解釈する人もいるようすが、本来の意味はそうではありません。本当の意味は、「人にかけた情けは、巡り巡っていつか自分に戻ってくる」というものです。しかし、それは理想論に過ぎず、「風が吹けば桶屋が儲かる」というような無理なこじつけだと感じる方も少なくないかもしれません。ところが5-6歳の保育園児の行動観察からこのことわざを科学的に明らかにした下記の研究成果があるというから驚きです。
PLOS Oneという英文国際科学雑誌に「Preschool Children’s Behavioral Tendency toward Social Indirect Reciprocity(就学時前児童の社会的間接互恵性への行動傾向)」と題した論文が大阪大学大学院人間科学研究科から発表されています。人間科学的要素の測定に人間の主観が入り込む余地は否めませんが、厳しい審査のある国際科学誌に受理されていることから研究方法論の妥当性は国際的に認められています。
研究によると、「園児Aが園児Bに親切にしている様子を見た園児Cが、園児Aに対して親切にする」といった行動が明確に確認されました。つまり、直接お返しされなくても、親切な行動が他の子どもに良い印象を与え、その結果として思わぬところから親切が返ってくる、というわけです。また、親切にした園児を先生が褒める行動は敢えて控えることで、園児の自発的な行動を評価しているそうです。
この研究では、園児Aの行動がクラス全体の親切な行動の増加につながったかどうかまでは検証されていませんが、他の園児に影響を与えた可能性は高いと考えられます。善意が善意を生むという世界は決して理想の話ではなく人の心の底に宿った本能のようです。その本能の扉を開く切掛は他者への少しの思いやりなのかもしれません。
2)「社会的拘束から解放されたアリは幸せなのか」
ある日、バスの車窓に右へ左へと動く小さな点が目に留まりました。よく見ると、それは一匹のアリでした。どこからバスに乗り込んだのだろうと不思議に思うと同時に、このアリは無事にバスを降りられるのかと心配になりました。仮に降りられたとしても、乗車した場所で降りることは奇跡に近く、巣穴に戻るのはほぼ不可能でしょう。
帰る場所を失ったアリを気の毒に思いながら考えているうちに、ふと「このアリは束縛から解放された、幸福な存在なのかもしれない」と思いました。もう餌を巣に持ち帰る必要も、子アリの世話をする必要もありません。自分の食べたいものを自由に食べて暮らせるとすれば、むしろ「おめでとう」と祝福すべきではないか、と。
しかし自然界は厳しく、集団で暮らすからこそ外敵から身を守れるという現実があります。自由を得た代償としてリスクを背負うことになり、自由と束縛はトレードオフの関係にあるようです。ところが、たとえ外敵のリスクを排除したとしても、自由なアリが必ずしも幸せとは限らないことが研究で示されています。
研究報告(Science誌, 2015年)
論文表題:“Social isolation causes mortality by disrupting energy homeostasis in ants”
(社会的孤立はエネルギー恒常性を乱し、アリの死亡を引き起こす)
著者:Atsushi Koto, Daniel Mersch, Brian Hollis, Laurent Keller
掲載誌:Science, 2015年7月10日, Vol. 348, Issue 6239, pp. 1360–1363
主な結果
寿命の短縮
孤立させたアリは平均で6日以内に死亡。一方、コロニー内で飼育した個体は20日以上生存した。
代謝異常
孤立したアリでは脂質代謝が乱れ、エネルギーを急速に消耗。空腹ではないのに脂肪を使い果たして死亡するパターンを示した。
行動の変化
孤立直後から活動量が激減し、探索行動なども減少。他個体と接触すると正常な活動に戻る場合もあった。
人間社会への示唆
アリは人間よりはるかに単純な生物ですが、同じく「社会的動物」です。この研究は、社会的動物が孤立した際に無意識の生物学的反応が起こることを明らかにしました。これは人間社会にとっても示唆に富みます。
過度なストレスが健康を害するのは周知の事実ですが、適度なストレスは健康維持に欠かせません。社会の拘束から解き放たれることは多くの人にとって魅力的な夢かもしれませんが、その中で本当に幸せに生きることは、決して容易ではないようです。