ドイツ・ツアー日記
1999年
1999年
1999年のドイツ・ツアー日記が、紙ベースで残っていました。
各地での楽しそうな様子が伝わってきます。
表記は中川イサトが書いたそのままにしています。
途中で終わってしまっているのが残念ですが、お楽しみください。
11.17
今日はドイツ中部にあるトロイスドルフという町でコンサートが行われる。
ケルンの少し南東にある小さな町だ。
昨日は丸一日のんびり出来たので、なんとなく身体が快調である。
午後の2時過ぎにオスナブルックを出発し、5時前にはトロイスドルフに到着した。
会場は多目的ホールというか、大小いくつかの部屋で構成されている変わった建物で、
そのうちの中ぐらいの部屋が今夜のコンサート会場になる。
サウンド・チェックが6時半頃に終わったので、皆で揃って食事に出かける事になった。
たまたま町の繁華街を歩いているとエリックがターキッシュ・レストランを見つけ、
そこで今夜の夕食はトルコ料理という事に決まった。
僕は今までトルコ料理というものを食べた事がなかったのだけれど、
これがなかなか美味しいのである。
僕の注文したのは鶏のカバブ料理で、香辛料タップリのその味は思ったほど辛くなく、
インドのタンドリー・チキンとはまた違った初めて味わう料理であった。
ピーターはラム肉のカバブ料理を注文し、
いつもの事ながらビールを飲みながら黙々と食べていた、
エリックはヨーグルト・ソースのかかった不思議な料理を注文し、
これはいけると絶賛していたけれど、僕の見た感じだとあんまり美味しそうには見えなかった。
ところで可哀想なのはトーマスで、彼はベジタリアンなので肉料理が全く駄目なのである。
しかたがないのでパンとサラダだけを食べていた。
けど本人は平気というか、あまり食べ物に関しては気にしていないようで、
いつもメニューを見て肉や卵の入っていない料理を食べていた。
11.18
今日は朝から雪がちらついていて、この数日では一番寒いように思う。
出発が午後の2時過ぎなので少し散歩したり、ホテルの部屋でくつろいだりして時間をつぶす。
そうこうしているうちにキュニー君が車で迎えに来てくれ、各自の荷物を車に積み込み、
今日のライブが行なわれる北ドイツのブレーメンに向かう。
オスナブルックからは車で約2時間の移動なので気分的には楽である。
そして相変わらず車の中ではエリックのジョークに大笑いしながら、
皆が移動時間をそれなりに楽しんでいた。
5時前にはブレーメンに到着し、さっそく今夜のライブが行われる”Kioto”という多目的スペースに向かう。
このKiotoというスペースはクンスト・イン・オスタトゥアと言って、
色んなアート関係の人達が古い建物を共同で借り、
フロアーごとに自分の工房や店を開いたりしているとてもユニークなスペースである。
この建物の二階にライブ・スポットがあるんだけど、
店内は一昔前に日本でもよく見かけた壁からテーブルから全て黒塗りといった懐かしい雰囲気なのだ。
僕は2年前のコンサート・ツアーでもこの店に来たことがあり、
オーナーもその時と同じ女性であった。
挨拶をすると彼女も僕のことを憶えていてくれたので、何だかとても嬉しくなってしまった。
彼女の話によるとこのライブ・スポットは20年前にオープンしたそうだ。
ただ最近はこのビルの建っているエリアでは若者達の間でドラッグが蔓延していて、
あまり環境はよくないと言う。
そう言えば移動の車からそれらしい雰囲気のグロウン・ショップを何軒か見かけた。
でも僕はこのブレーメンという街が好きで、住んでいる人達に他の街にはないパワーというかバイタリティーを感じる。
そして前回のツアーでも見かけたが、
この店には少し歳のいったいかにもと言った顔つきのボディ・ガードがスタッフとして働いていて、
オーナーやミュージシャンの警護をしているという。
内心このオッサンと喧嘩したら絶対に負けると思ってしまった。
だからライブの内容によってはかなり危険な時があるのかも知れない。
ライブはいつもと同じ8時にスタートした。
トーマスから始まり、エリック、そして休憩をはさんで僕とピーターといったいつものプログラムだ。
僕としてはホール内が暗くて、照明もダークな色合いに設定されていたので、
少しばかり演奏がやりにくかった。
と言うのは、この1~2年老眼が以前より進んでいるようで、
ステージの明るさによってはギターのフィンガー・ボードが見にくいのである。
でもこればっかりはどうしようもないので、少しだけテンポを遅くするとかして、
何とかこなしているというのが現状である。
ライブの終わったのが11時過ぎで、くつろく間もなく機材を片づけ、そして車に積み込む。
何しろ今夜はオスナブルックに戻らなくてはならないのだ。
11時半にブレーメンを出発し、真夜中のアウトバーンを時速180㎞ぐらいでぶっ飛ばしてオスナブルックに向かった。
キュニー君のドライビング・テクニックはたいしたものだ。
僕は助手席に座っていたので、走行車線から追い越し車線に入る時のタイミングなど手に取るように解る。
そして深夜の1時過ぎに、我々を乗せた車は無事オスナブルックに到着した。
今夜は移動の疲れもあるので、全員がすぐ寝る事にする。
See you tomorrow morning!
11.19
今日は中西部にあるハーデグセンという小さな村でコンサートが行われる。
午後の2時過ぎにオスナブルックを出発したのだけど、途中から雪が降りだし、
アウトバーンから見える牧場とか丘陵に少しずつ雪が積もっている。
ハーデグセンには6時過ぎに到着した。
今夜のコンサートにはこの村の集会所のような所で行われる。
主催者に尋ねるとこの建物は1300年ぐらい前に作られたそうで、
石造りのいかにも歴史を感じるような素晴らしい建造物だ、
日本だとこういった建物は重要文化財とかに指定されるのだろうけど、
現在も活用しているところが凄いと思う。
こういったところでも、日本と欧米の文化というものに対する考え方というか、
捉え方の違いが解って面白い。
この主催者の人達は、ピーターの古くからの友人達で、
2年前のツアーの時もノルトハイムという町で僕達のコンサートを主催してくれた。
彼らも僕のことをよく憶えてくれていて、今夜のコンサートを楽しみにしていたそうだ。
国は違えど、音楽で何かが伝わるというのはとても素晴らしい事だ。
サウンド・チェックが終わってから少し時間があったので、
スタッフを含めた全員で軽い食事会が始まった。
ドイツ語は全く解からないけど、ピーターがときどき英語で伝えてくれるので、
なかなか楽しい一時を過ごす事ができた。
それにしても相変わらずエリックはアメリカン・ジョークで皆を笑わせている。
コンサートは8時にスタート。
でも今夜は開演前にピーターに、何かプレゼントの授与式が行われた。
ドイツ語なので話の内容は解らなかったけど、
これはどうやら古い友人達が年に一度だけピーターを中心にした手作りのギター・コンサートを開催してきて、
いつも素晴らしい演奏を披露してくれるピーターに感謝しているという事らしい。
多分、ほとんどのスタッフが40代後半の世代だと思うんだけど、
イヴェンター絡みじゃないアット・ホームな雰囲気が会場内に漂っていて、
スタッフもオーディエンスも皆がコンサートを楽しんでいるのが解る。
だからミュージシャンも最高の演奏が出来るんだ。
そして一部のトーマスの演奏がスタートする直前にカリーナがやって来た。
ハノーファーでの仕事が終わってから急いで来たという。
どおりで今夜のトーマスはリラックスしている。
一部のトーマスもエリックも、そして二部の僕とピーターも、会場の雰囲気に身をまかせて、
とてもゆったりとした演奏ができた。
物販のCDもよく売れていたようなので、オーディエンスも今夜のコンサートを存分に楽しんだにちがいない。
11時過ぎにコンサートが終了し、楽器や機材を持って会場の外へ出たのだが、
なんと辺り一面に雪が積もっていた。
今夜は山の中腹にあるペンションに泊まるらしいけど、キュニー君、安全運転たのんまっせ。
Take care of your driving!
11.20
昨夜は雪が降り続いていたらしく、朝になると僕達の泊まっているペンションのある一体は雪景色に変わっていた。
さて、今日はハーデグセンから中部にあるデュイスブルグという町へ移動する。
途中の山道はスリップに注意しながら、キュニー君もかなり慎重にハンドルを握っていた。
そしてアウトバーンに入ると綺麗に除雪されていたので皆もホッとした。
途中のDB(ドイツ国鉄)の駅でカリーナを降ろす。
彼女は仕事があるそうなのでハノーファーに戻らなければならないのだ。
トーマスがちょっとばかり淋しそうな顔をしていた。
デュイスブルグという町は製鉄の町だそうで、日本だと一昔前の九州の八幡とか、
宮城県の釜石のような町だろう。
有名なクルップ製鉄所はこの町にある。
ただ製鉄の歴史そのものはデュイスブルグの方がはるかに古いようだ。
そして約4時間の車移動で3時間過ぎにデュイスブルグに到着し、
そのままコンサート会場に直行した。
市内にあるレストランの奥の部屋を借りて今夜のコンサートが行われるようで、
サウンド・チェックをした感じだと音の響きはそんなに悪くない。
ツアーも後半になってくると、機材を含めたセッティングの各自の分担が良く解ってきて、
キュニー君は物販、トーマスとピーターはPA、
そして僕とエリックはピーターのレーベルのカタログを各座席に並べるといった、なかなかのチーム・ワークである。
けどこのような手作りに近いようなコンサート・ツアーが、
より良いミュージシャン・シップやフレンド・シップが生まれるという事を、今改めて実感している。
この歳になって何となく20代のような感覚でツアーが出来るなんて、たまらなく楽しい。
今夜も8時過ぎにコンサートがスタートした。
各自のオン・ステージは日を増すごとに良くなっている。
全くギター・スタイルの違う4人が同じステージで演奏していて、それでいて違和感がないのだ。
オーディエンスも次々に出てくるビックリ箱のようなギター・ミュージックをリラックスして楽しんでいる。
僕も自分の楽曲のイントロ部分を即興で演奏したり、オン・ステージで気分的に余裕が出てきた。
これは2年前のツアーでは考えられない事だ。
11時過ぎにコンサートが終わったのだが、ホテルがこの会場の近くだったので、
メンバーだけでちょっと一杯飲もうという事になった。
とりあえずビールで乾杯したけど、仕事が終わった事もあり格別に上手いビールであった。
それにしてもドイツのビールは上手い。
常温で飲むんだけど日本のビールとは全く味が違う。
さあコンサートもあと3か所を残すだけになってしまった。
連日ハードはスケジュールだったけど、中身の濃い充実したツアーだったので、あまり疲れを感じない。
Prost!(乾杯)
11.21
今朝は9時過ぎにホテル内のカフェで朝食をとる。
窓から外を眺めてみると、町行く人が皆一様に身体を丸め、口から白いものを吐きながら歩いているのが見える。
このぶんだと外はかなり寒そうだ。
今日は久しぶりの長距離移動で、シュバイヤーという町まで約5時間の長旅だ。
このシュバイヤーは中南部にある古い町で、ライン川に沿ってフランクフルトから少し北に上がったところにある。
移動の途中、アウトバーンのレストランで休憩がてら昼食をとり、
それから又、数時間アウトバーンを走り続け、やっと3時過ぎにシュバイヤーに到着した。
とりあえずホテルのチェック・インを先に済ませ、2時間程フリー・タイムという事になった。
ところがエリックがとんでもないものを見つけてしまった。
何とホテルのすぐ横が”テクニック・ミュージアム”という航空機や自動車や機関車の博物館だったのだ。
何しろ僕もエリックも航空機が好きなので、
そこでピーターに許しをもらって1時間程エリックと2人でミュージアム見物に行くことになった。
これがなかなか楽しい1時間で、第一次大戦の頃に実際に飛んでいたドイツのバイ・プレーン(複葉機)を見つけたエリックは、
子供のような笑顔で黙々と写真を撮り続けていた。
不思議なオヤジである。
そう言っている僕もユンカース Ju52 という空冷トリプル・エンジンの有名な飛行機を見つけ、
同じように写真を撮りまくっているのだから何とも言いようがない。
とりあえず2人にとっては最高の気分転換になったのは間違いない。
そして5時過ぎにシュバイヤーの市内にあるコンサート会場に向かう。
今夜も古い教会がコンサート会場だ。
主催者は地元のセミ・プロのイベンターで、ピーターに紹介してもらったけどなかなかいい感じの人であった。
サウンド・チェック終了後にピーターが季刊で出版している”アコースティック・ギター”という
ギター雑誌の取材と写真撮影が行われ、その後、皆でイタリアン・レストランへ食事に行くことになった。
各自ピザやスパゲティをオーダーし、コンサート前の腹ごしらえをする。
トーマスは相変わらず野菜だけのピザを食べていた。
開演の8時少し前に会場に戻ったのだが、何と500~600人収容の会場が
立ち見も出る位オーディエンスで溢れているではないか。
主催者の力によるところが大きいのだろうけど、それにしても大したものだ。
口には出さないけど、皆の目が今夜は頑張らなければというように輝いていた。
地下の12畳位の部屋がミュージシャンの控え室になっていて、
個々に出番前のコンセントレーションが出来るようになっている。
そして僕がタバコを吸ってくつろいでいると、ピーターが近づいてきて、
何とタバコを一本くれないかと言って来たではないか。
普段はタバコを吸わない彼がこういった行動に出ると言うことは、
かなりプレッシャーがかかっているようだ。
そして黙々とフィンガー・トレイニングをしていた。
※日記はここで終わっていました。この後、本番はどうだったんでしょうね。
また、コンサートの後、皆でどんなことを語り合ったんでしょう。とても気になります。
もしも、続きが発掘されたら追記していきます。