クラレンス・ホワイトというギタリスト

その

#6 クラレンス・ホワイトというギタリスト その4


1970年の月に初めてのライブ・アルバムをリリースする。

”アンタイトルド”というタイトルが付けられたこの二枚組のレコードは、

一枚がライブでもう一枚がスタジオ・レコーディングという、少し変則的な組み合わせのアルバムである。

ライブ・レコーティングは’70年の初頭から始められたのだが、

前年の秋頃にジョン・ヨークがメンバーから外され、

新メンバーとしてスキップ・バッテンというベテランのミュージシャンが加わっていた。

ニューヨークのクイーンズカレッジとフェルト・フォーラムでのコンサートがレコーディングされ、

この時期のザ・バーズの素晴らしいライブ・パフォーマンスを余すところなく伝えてくれている。

特にクラレンスのストリング・ベンダー・ギターは、他のロック・ギタリストとはひと味違った、

誰も真似の出来ない独自のギター・スタイルを確立したと言っても良いだろう。

ある時はメローなフレーズを、又ある時は16ビートのリズムに乗っかり、

それもオフ・ビートを上手く使った火の出るようなフレーズを目いっぱい聴かせてくれる。

そして忘れてはいけないのがジーン・パーソンズのドラミングだ。

クラレンスが自由奔放にプレイ出来るのは、彼のギター・プレイを最も良く理解しているジーンが

バックアップしているからこそ出来るように思う。

それ位、二人のコンビネーションは決まっている。


スタジオ・レコーディングは同年の5月~6月にかけてロスアンゼルスで行われた。

かなりの数の楽曲がレコーディングされたようだが、

最終的に9がアルバム用に選ばれた。

クラレンスはそのうちの2曲でリード・ヴォーカルをとっていて、

ローウェル・ジョージ作の”トラック・ストップ・ガール”とレッドベリー作の”テイク・ア・ウィッフ”という曲である。

でも何か聴いていてしっくりこないのだ。

他の7曲もそうだけど、この時のスタジオ・セッションは、

何となくメンバー同士があまりコミュニケイトできていないんじゃないだろうか。

ライブ・サイドに比べると何かパワーもないように感じる。

前作であれだけ素晴らしい、ギター・バンドのお手本のようなアンサンブルを聴かせてくれたのに

非常に残念である。


90年の春頃に”ローリング・ストーン”誌のインタビューでロジャー・マッギンが

いみじくも当時のザ・バーズの状況について答えている。

「’68年にクリス・ヒルマンがバーズを抜けてから、オリジナル・メンバーは自分一人になってしまった。

 その時の自分にはザ・バーズというブランド名と、どうなるか解からない未来がのしかかって来た。

 でもここで放り出すことは気がすすまなかった。

 でももっと早くにバーズから脱出して、何か別の事をやるべきだったと思うよ。

 別のバンドを結成するとか、ソロ活動をするとか、そう言ったことをもっと早くにね。

 ザバーズを長く続けさせ過ぎたと本気で思っているよ。」

つまり、当時のロジャー・マッギン自身が精神的に不安定だったということだ。

ましてや彼はザ・バーズのバンド・リーダーなのだ。

バンド・リーダーがこのような状態で良い作品など出来るわけがないと思う。

それでは何の為にクラレンスやジーン達がバーズに入って来たのかわからない。

確かに初期のバーズと中期以降バーズは、とりあげる楽曲も音楽的にも違いすぎる。

はたしてロジャー・マッギンは中期以降のバーズというグループで何をやろうと思ったのだろうか。

せっかく”バラッド・オブ・イージー・ライダー”で新しい何かが芽生え始めたというのに。

30年が経った今となってはどうにもならない話である。

ただクラレンスやジーンが30年前に夢中になって取り組んでいた音楽が、

レコードやCDとして残されている。

それらは僕達にとっては大いなる遺産だと思う。