フィンガー・スタイル・ギター・コンテスト   in 台湾 2003

#64 フィンガー・スタイル・ギター・コンテスト in 台湾 2003 


昨年の12月12日から岸部眞明君と一緒に4泊5日のスケジュールで台湾に行ってきた。

今回は台南で初めて行われるギター・コンテストに、審査員とゲスト・プレイヤーとして招待されたのと、

台中でのジャック・ストッツエム、アンディ・マッキーとのジョイント・コンサートに参加する為である。

12日の午後に台北経由で高雄国際空港に着き、

チアウェイ君の新しいパートナーであるマーク君がゲートで待っていてくれた。

僕はマーク君に会うのは初めてだったので、その場で簡単な挨拶を交わし、

そのまま僕と岸部君は彼の運転する車で台南に向かった。

(それにしてもマーク君の英語はチアウェイ君より発音が良いので解りやすい)

当初はホテルに直行する予定だったのが、突然チアウェイ君から携帯に連絡が入り、

もし疲れていなければ今夜、嘉義の大学で行われるジャック・ストッツェムと

アンディ・マッキーのコンサートでゲストとして演奏して欲しいと言ってきた。

僕は平気だったけど、とりあえず岸部君は台湾が初めてなので如何なものか尋ねてみた。

でも岸部君もOKということになり、台南のインター・チェンジでジャック、アンディ、

チアウェイ君達と合流することになったのである。

ジャックとは2003年5月のヨーロッパ・ツアーで一緒だったので、

そんなに久しぶりという感じはしなかった。

また、岸部君もジャックとは以前から面識があるのでとても気さくな良い感じである。

アンディについてはCDで既に彼の楽曲やギター・プレイは知っていた。

その事を話すと、どうして自分のCDを知っているのかと不思議に思われたようだ。

彼にしたら、プロとして活動を初めてまだそんなに経っていないのに何故って思ったのだろう。

今はインターネットのおかげで世界中のあらゆる情報が直ぐにキャッチ出来る。

僕はそれこそ世界中のギタリスト達の情報などを毎日のようにチェックしている。

そんな訳でアンディのことも以前から知っていたのだ。

そのアンディなのだが、年令を聞くと24歳だというので驚いた。

ギター・ミュージックの世代はいつの間にか変わってきている。

日本でも最近は中学生くらいからアコースティック・ギターを弾いているようだが、

世界的にそうなのかも知れない。

さて、台南から嘉義までは約一時間くらいで到着し、早速コンサート会場である

国立大学の講議用の大ホールに向かう。

この大学は二年前のコンサート・ツアーで来たことがありとても懐かしかった。

P.A.のセッティングも終わり、各自のサウンド・チェックを行う。

僕はアンディのサウンド・チェックに興味があったので、客席から様子を見ることにしたのだが、

何と驚いたことに彼はハープ・ギターを持参していた。

通常の6弦ギターにハープ・パートのドローン弦が6本ついている。

嘗てマイケル・ヘッジスが使って一躍有名になったDyerの

ハープ・ギターのコピー・モデルのようだ。

(ただしマイケルのDyerはドローン弦が5本である)

彼はそのハープ・ギターをStephen Bennettから譲り受けたと言っていた。

さて肝心のプレイだが、奏法的にはマイケルのプレイがベースになっているが、

右手の使い方を見ていると独自のアイデアも少し感じられる。

随所にタッピングを組み込んだ複雑なプレイを器用にこなすあたりは、

今後の展開がとても楽しみになってきた。

日本で一部の病的なギター・オタク達が、

アンディの事をマイケル・ヘッジスと比較して小馬鹿にしているようだが、

当のアンディはもっと前向きに自身のスタイルを模索している。

そんな純粋にギター・ミュージックに取り組んでいる姿勢がひしひしと感じられるので、

自分のスタイルを確立するのにはそんなに時間は掛からないように思う。

それにしても小柄(僕とあまり変わらない身長)な彼が、大きなハープ・ギターを抱えた姿は異様である。

一方のジャックはいつもながらの安定したサウンドとプレイで、あっという間に

サウンド・チェックが終わってしまった。

僕や岸部君も、開場時間がせまってきたので、簡単なサウンド・チェックだけでOK

ということになり、バック・ステージで待機することになった。

開演前にステージ袖のカーテン越しに客席を覗いてみて驚いた。

何と今夜は400人近くのオーディエンスが集まってくれたそうだ。

ここ台湾では着実にアコースティック・ギターやギター・ミュージックが定着している。

これもフアン・チアウェイ君の日頃の努力の賜物だと思う。

今回は台湾が初めての岸部君が、はたしてどんなステージをやってくれるのか、非常に楽しみであった。

彼は元々が喜怒哀楽を表面に出さないタイプなので、この日も緊張しているのか、

落ち着いているのか僕には判らなかった。

でも適度な英語のMCを交え、初めてにしては堂々としたオン・ステージだったんじゃあないだろうか。

若いオーディエンスの反応も良かったようで、コンサート後のCD即売会では、

特別にプレスされた岸部君のベスト盤が飛ぶように売れていた。

という訳で台湾初日のハプニング・コンサートは大盛況の中、無事に終了した。

翌日は台南市内の大学でフィンガー・ピッキング・コンテストが行われた。

チアウェイ君に聞いたところによると60名近くの応募があったそうだ。

それも少年の部、青年の部、大人の部というように、三部に分けられている。

僕達は簡単な朝食を宿舎で済ませ、そのまま会場に向かった。

何しろ長時間のコンテストなので、今夜のコンサートのサウンド・チェックを先に

やっておかなければならない。

会場には既にコンテストの参加者がちらほら集まっている。

審査員は僕達4人ともう一人、台湾でのフィンガー・スタイル・ギターの先駆者である

リンさんを加えた5人だ。(彼はチアウェイ君の師匠でもある)

驚いたのは審査員席が客席の最前列に用意されていた。

昔は日本でのコンテストも審査員席が最前列だったように記憶しているが、

近年はプレイヤーのプレッシャーを少しでもなくす為に別室で審査が行われる場合が多い。

いよいよ、お昼前から少年の部のコンテストがスタートした。

見た感じでは小学校の5~6年生くらいの少年達が、普通サイズのギターを手にして登場し、

演奏前には必ず客席に向かって一礼していたのが凄く印象に残っている。

その中で数人の少年達のギター・プレイに驚かされた。

運指の滑らかさや、ピッキングの力強さが安定していて、そのバランスのとれたプレイは大人顔負けである。

多分、良い先生について習っているんだろうけど将来が楽しみだ。

後で判ったことだけど、この少年の部で優勝した子供の父親はこの大学の教授だそうで、

我が子がギターを勉強するにあたり全面バック・アップしているそうだ。

クラシック・ギターならまだしも、まだまだ未知の世界であるスティール・ストリングス・ギターに対して、

親が何のこだわりもなく理解するなんて日本じゃあ考えられないことだ。

あとは各部門で何人かの女性が参加していたのも目立っていた。

三部門とも各20名近くの参加者がプレイするので、各部門の間に約20~30分の休憩が挟まれている。

その間に僕と岸部君は喫煙の為に外へ出て休憩していた。

たまたまその時に演奏が終わった参加者達と出会い、ここでも岸部君はサインを求められていたので、

台湾でも彼のギター・ミュージックは受け入れられると思う。

このコンテストについてはチアウェイ君が数年前から考えていたもので、

幾つかの問題点があったにせよ、初めて取り組んだ割には上手くいったのではないだろうか。

いつもながら彼のバイタリティには恐れ入る。

そのうち日本でのモーリス・フィンガー・ピッキング・コンテストとリンク出来れば、

同じアジア圏でのギター・ミュージックの展開がもっと面白くなるように思っている。

今やギター・ミュージックはアメリカ、ヨーロッパだけのものではない。

自分達の国の伝統音楽や、同じエリアの音楽を、共有できる時代になってきたように思う。

2004年の4月には再度、僕、岸部君、Andy Mckee、この三人のコンサート・ツアーが予定されているし、

新しいコンピレーション・アルバムが台湾でリリースされる。

また岸部君の初期の2枚のアルバムを編集した楽譜、VCD付きのCDと、

" Bloom " が同じく楽譜とVCD付きでこのツアー前にリリースされる予定だ。

また4月のツアー・レポートを書いてみたい。



2004. 2.19

中川イサト