クラレンス・ホワイトというギタリスト
その3
#5 クラレンス・ホワイトというギタリスト その3
1968年の8月にザ・バーズがそれまでのフォーク・ロック・サウンドに終わりを告げ、
カントリー・ミュージックとロック・ミュージックを融合させたようなサウンドのアルバム
”スウィート・ハート・オブ・ザ・ロデオ”をリリースした。
もちろんクラレンスがレコーディング・セッションに参加したのは言うまでもない。
それもストリング・ベンダー・ギターを手にして。
’68年の初頭にボブ・ディランがナッシュビル録音のアルバム”ジョン・ウエズリー・ハーディング”をリリースし、
以来多くのアーティスト達がカントリー・サウンドを取り入れたアルバムを作るようになる。
ザ・バーズはデビュー以来ボブ・ディランの作品を多く取りあげてきたので、
”スウィート・ハート・オブ・ザ・ロデオ”のレコーディングをナッシュビルで行ったのは
偶然とは言えない気がする。
つまりボブ・ディランを意識していたと言うことだ。
そしてこの時、ザ・バーズのオリジナル・メンバーはロジャー・マッギンとクリス・ヒルマンの二人だけで、
新しいメンバーとしてグラム・パーソンズが参加していた。
グラム・パーソンズは、いち早く新しいカントリー・ミュージックに取り組んでいたシンガー・ソング・ライターで、
インターナショナル・サブマリン・バンドというグループのリーダーで、
当時はボストンを拠点にして活動していた。
そして他のメンバーはクラレンスを含むセッション・マンだけであった。
当初は五人いたメンバーも、このレコーディングの時はロジャー・マッギンとクリス・ヒルマン、
グラム・パーソンズの三人だけになってしまっていたのだ。
以前から音楽性の違いでもめ事の絶えなかったグループだったので、
これは仕方のないことなのだろう。
そしてザ・バーズがヨーロッパ・ツアーをしている最中に、
何と新メンバーのグラム・パーソンズが脱退してしまった。
アメリカに戻ったロジャー・マッギンは急きょ新しいメンバーを探さなくてはならなくなり、
そこで白羽の矢があたったのがクラレンス・ホワイトであった。
この時のラインナップは、ロジャー・マッギン、クリス・ヒルマン、クラレンス・ホワイト、
ケビン・ケリーといった顔ぶれである。
そして暫くはこのメンバーで活動していたのだが、
同年9月に今度はクリス・ヒルマンとケビン・ケリーの二人がバーズを離れる事になった。
この’68年のザ・バーズは一体どうなっていたのだろう。
それでもロジャー・マッギンはバーズを解散しなかったのだ。
次にお声がかかったのがクラレンスの親友であるジーン・パースンズと、ジョニー・リヴァースや
ママス・アンド・パパスのバッキング・ミュージシャンをやっていたジョン・ヨークである。
1969年の2月に上記のラインナップで”ドクター・バーズ・アンド・ミスター・ハイド”
というタイトルのアルバムがリリースされた。
少しばかりオーバー・プロデュースぎみのアルバムだが、
クラレンスのベンダー・ギターがある曲ではハードなディストーション・サウンドで、
又ある曲ではお得意のカントリー・タッチで、まるで水を得た魚の如く飛び回っていて面白い。
(前作の”スウィート・ハート・オブ・ザ・ロデオ”では、まだストリング・ベンダー・ギターに馴染んでいないようで、
少しばかりギター・プレイがぎこちない気がしたのだが、
或いはまだベンディング・ディバイスを装着していなかったのかも知れない。)
一曲だけ”ナッシュビル・ウエスト”というタイトルのインストゥルメンタルが収録されているが、
これは嘗てジーン・パーソンズと共に在籍していた自分達のバンドへのレクイエムなのかもしれない。
(ナッシュビル・ウエスト時代に既にライブではこの曲を演奏していた。)
しかしこのアルバムは数多いバーズのアルバムのなかで最もセールスの良くないアルバムになってしまった。
そして同年の10月には早くも次のアルバム”バラッド・オブ・イージー・ライダー”がリリースされた。
前作の”ドクター・バーズ・アンド・ミスター・ハイド”はボブ・ジョンストンのプロデュースによって作られ、
当時流行っていたサイケデリック・サウンドを取り入れたスペイシーなサウンドに仕上がっていた。
しかしバンド・サウンドとしては今一まとまりに欠けているような気がする。
でもニュー・ラインナップでの初めてのアルバムなのでこれは仕方のないことだろう。
その後リハーサルやツアーを行った結果、バンドとしてのまとまりも良くなり、
特にジョン・ヨークのベースとジーン・パーソンズのドラムスとのコンビネーションがとても良くなった。
これは"バラッド・オブ・イージー・ライダー”を初めて聴いたときの印象である。
プロデューサーには初期のバーズのプロデューサーだったテリー・メルチャーを再び迎え、
乾いたアコースティック・フォーク・サウンドと言うか、
それまでのバーズにはなかった新しいバンド。サウンドのアルバムに仕上げている。
たまたまピーター・フォンダとデニス・ホッパーが制作した”イージー・ライダー”という映画の
サウンド・トラックとしてタイトル曲が使われ、前作よりは評価されている。
このアルバムでのクラレンスは、テリー・メルチャーのアイデアで
レズリー・マシーンを通したギター・サウンドにチャレンジしていて、
これまでにないストリング・ベンダー・サウンドを聴かせてくれる。
”イッツ・オーバー・ナウ・ベイビー・ブルー”や”ファイド”でのプレイがそれなのだが、
クラレンスにしか出来ない素晴らしいギター・プレイだ。
そして”オイル・イン・マイ・ランプ”という曲で初めてリード・ヴォーカルもとっていて、
その哀愁を帯びた唄声が仲々良いのである。
このアルバムのもう一つの特徴として、
バーズ・サウンドに欠かす事の出来ないロジャー・マッギンの12弦ギターが全くフィーチュアされていないのである。
これは後になって解った事なのだが、
このアルバムのレコーディング時にロジャーは別の仕事をしていて、
ヴォーカル・ダビングの日以外はほとんどスタジオに来なかったそうだ。
(ラスト曲の”アームストロング・アルドリン・アンド・コリンズ”だけはロジャー一人で多重録音したそうだ。)
と言うことはアルバムで聴くことの出来るギターは、クラレンス一人でオーヴァー・ダビングした事になる。
まあそれだけクラレンスのギター・プレイが信頼されていたと言うことになるのだろうけど、
何か腑に落ちない。
でも僕はこのアルバムが好きである。
1997年にこのレコーディングでのアウト・テイクやオミットされた音源が発見され、
ボーナス・トラックとしてこれらの7曲が加えられ再発売された。
その中にはクラレンスとジーン・パーソンズの共作による”ビルド・イット・アップ”という
インストゥルメンタルも含まれていて、
個人的にはオリジナル盤のリリース時に入れて欲しかった気がするが、
アルバムのトータル性という点では入らない方が良かったのかも知れない。
又この年のクラレンスは数多くのスタジオ・セッションも行い、
リンダ・ロンスタット、エバリー・ブラザーズ、アーロ・ガスリー、ジョー・コッカー、ランディ・ニューマン、
フレディ・ウエラー、ザ・モンキーズと言ったアーティスト達のレコーディングに参加している。