特別編 ロスアンゼルス・リポート
#23 特別編 ロスアンゼルス・リポート
1月の17日から6日聞の日程で口スアンゼルスのアナハイムという町に行って来た。
実はそのアナハイムでウインター・NAMMショウという全米で最大の楽器フェアがこの期間に行われ、
そのフェアに出展しているマーティン・ギター社の依頼で2日間のコンサートに出演することになったのである。
1 7日の朝9時過ぎに口スアンゼルス空港に着いた僕と吉川忠英氏は、
シャトル・パスに乗り、宿舎のアナハイム・マリオット・ホテルに向かうことにした。
約40分程でホテルに到着したのだけど、何とホテルのすぐ横がコンペンション・センターで、
今回のNAMMショウが行われる会場だったので驚いてしまった。
チェック・インを済ませた僕達は少し部屋でくつろぎ、会場の様子を見に行くことにしたのだが、
ショウの前日ということもあり楽器メーカーのスタッフだけが忙しそうに動き回っていた。
とても大きな会場ではあったが、マーティン社のブースはすぐに見つけることができ、
今回のコンサートの段取りをしてくれたアーティスト・リレイション担当のディック・ボーグ氏と再会する事ができた。
彼に話を聞くと、今夜中に全てのブースのセッティングを終えなければならないらしい。
マーティン社のブースは既に全てのギターのセッティグを終え、後は細かなデコレーションを残すだけとなっていた。
今回発表されるギターの中に、何とあのクラレンス・ホワイトのDー18シグネイチュア・モデルが展示されていたので、
さっそく弾かせていただいたのだが、これが何とも言えないぐらい素晴らしいギターであった。
トップ材はアディロンダック・スブルースでサイド/バックが厳選されたキルテッド・マホガニーが使われ、
ヘッドのマーティン・口ゴもオールド・スタイルのゴールド・デカール・口ゴが貼られている。
そして19フレットと20フレットの間には、クラレンスのシグネィチュアがパールのインレイで入れられている。
ディックもクラレンス・フリークとして有名で、
このシグネイチュア・モデルには並々ならぬ精力を注いだという。
又このギターがディスプレイされている壁面には、ケンタッキー・カーネルズ時代のクラレンスの大きな写真が飾られていて、
ディックのクラレンスに対する懇いがヒシヒシと伝わってくる。
20~30分程の雑談を交わした後、僕と忠英氏は早めにホテルに戻ることにした。
それにしてもこの時期、ロスアンゼルスの夜はとても寒い。
その後ホテルのレストランで夕食を済ませ、少し早めに寝ることにした。
1月18日、いよいよ今日からNAMMショウが始まる。
昨夜はジェット・ラグのせいで真夜中の4時頃に目が覚め、その後は仲々寝付けなかった。
10時過ぎにロビーと同じフロアーにあるスターバックスで軽い朝食をとり、
忠英氏と二人で会場に行ってみることにした。
二人の胸には自分のネームの入った、マーティン社のイグジビターのバッジがぶらさがっていて、
これがあると何処の出入り口だろうが自由に出入りできる。
とても光栄なことだ。
1 1時だというのに、既に会場内は世界中からやって来たディーラーで一杯である。
早速マーティン社のブースに行ってみたが、さすがというか人で溢れかえっていた。
ディックや他のマーティン社のスタッフと挨拶を済ませ、
忠英氏とは分かれて知り合いのミュージシャンを探しに会場内を歩いてみることにした。
そしてフィッシュマンというピック・アップ・メーカーのブースで、
ベルギーのギタリスト、ジャック・ストッツエムと奥さんのギャビーに会うことができた。
彼はこの3月に来日して一緒にツアーを行うので、事前にメールで会う約束をしていた。
2年振りの再会であったけど、いつも会っているようなフレンドリーな応対をしてくれたので、
内心ホッとしたのである。
彼や後で再会するエド・ガーハードは、本当に心の優しい素敵なミュージシャンだ。
ここで今回のNAMMショウで出逢ったミュージシャンを列記しておく。
(中には以前から交流のあるミュージシャンもいれば、初めて出逢ったミュージシャンもいる。)
ジャック・ストッツエム、エド・ガーハード、ピーター・フィンガ一、
フランコ・モローネ、ウディ・マン、ボブ・ブロズマン、ビリー・マクラグリン、
ピエール・ペンスーザン、トッド・ハラウェル、ハーピー・リード、クリス・プロクタ一、
パット・カートレイ、ミュリエル・アンダースン、ジェフ・ビーバー、ハッピー・トラウム、アーティ・トラウム、
ジーン・パースンズ、メリディアン・グリーン、ジョン・セイフアス、ジェイミー・フインドレイ、
ダン・クレアリ一、アントニオ・フォルチオーネ、パオ口・ジオルダーノ、マーティン・シンプスン、
卜ニー・レピン、マール・ハガード、マイケル・マンリング
以上のミュージシャン達と4日間に出逢った。
もちろん以前からつき合いのあるジャック、エド、ピータ一、ハッピー&アーティ、ジーン&メリディアン
とは毎日のように顔を会わせ、色んな話をする事ができたので、
より強いフレンドシップができたと確信している。
ビジネスだけで付き合うようなミュージシャンとは今後付き合いたくないし、
日本に来て貰って一緒にツアーをやりたいとは思わない。
又、連日のように多くのミュージシャンのデモンストレーション・プレイを聴いたのだが、
最もデモ演に力を入れていたのがテイラー・ギターのブースで、
展示室とは別に小さなコンサート・ホールが用意されていた。
おまけにPAシステムや照明まで仕込んであり、完壁なライブ・パフォーマンスが行えるようになっているのだ。
これを見た時にアメリカに於けるテイラー・ギターの躍進ぶりが納得できた。
そして何とテイラー・ギターのエンドーサーの多いこと。
まあ他のブースの作りや、全体の雰囲気も含めて、日本の楽器フェアーの10数年先を行っている気がする。
僕と忠英氏のコンサートは、1 8日がアナハイムから車で約1時間の所にあるヨーパ・リンダと言う町で行われた。
会場となったのは、かのリチヤード・ニクソンの生誕を記念して作られた、
ザ・ニクソン・ライブラリー&センターである。
この日はマーティン社が世界中のディーラーを招待してのディナー・パーティと僕達のコンサートといった内容で、
素晴らしい食事の後、9時頃から40分位のタイム・スケジュールでプレイした。
皆アルコールが入っているせいもあるけど、大いに盛り上がってくれ、
中でもディックが一番喜んでくれたのが印象に残った。
そしてこの日テーブルについた全員に素敵なプレゼントが用意されていて、
何と手作りのプリ・ウオー・D-28ヘリンボーンのミニチュア・ギターがミニチュアのギター・ケースに入れられて皆に贈られたのだ。
僕も一台いただいたが、今回のコンサートのとても良い記念になった。
1 9日はこのツアーのメイン・コンサートである"アコースティック・カフェ"が、
アナハイムの近くにあるディズニー・パラダイス・ピエール・ホテル内の
パシフィック・ボールルームという会場を借りて行われた。
僕と忠英氏の他に若手のアーテイストが4組ほど出演していて、
皆カラーが違うというか、色んなタイプの音楽を楽しめる内容となっている。
又この日はエド・ガーハード、ケリ一、ジーン・パースンズ、メリディアン・グリーンといった友人達が
僕達のプレイを聴きにきてくれ、僕としてはもうそれだけで十分であった。
特にジーン・パースンズはかのザ・パーズでクラレンス・ホワイトと共にプレイしてきたミュージシャンで、
僕にとってはクラレンスと同じく憧れの人なのだ。
その本人が今夜の会場に来てくれているのだ。
それもGジャンにテンガロン・ハットという、よく見慣れた姿で。
歳をとったといえ、僕の中でのジーンは当時のままなのである。
ありがとうジーン!!
僕達の出番は8時40分からで、オープニングは”Bali ” という僕の作品を忠英氏とのデュオでプレイした。
その後はソロとデュオで交互にプレイし、約40分のオン・ステージを無事に終えることが出来た。
終わってからバック・ステージにエド、ジーン、メリディアンが来てくれ、暫し僕達の音楽についての話が弾んだ。
プー松岡氏の話によると、僕がレインボウ・チェイサーをプレイしている時に、
何とジーンがメロディをハミングしていたそうだ。
彼のハーモニー・ワークはパーズ時代からずば抜けていて、その暖かいヴォーカルといい、
誰にも真似の出来ないぐらい素晴らしいものなのだ。
その彼が僕の曲のメロディを口ずさんでくれたという、何という出来事なんだろう。
いつの日かジーン&メリディアンと共演したいと思っている。
アメリカでの演奏は初体験であったが、ヨーロッパとは違った雰囲気がしてとても勉強になった。
又アメリカという国に来れるかどうか判らないけど、再び来れるようなことがあれば、
友人のミュージシャン達とより親交を深めたいし、より良いオン・ステージをやりたいと思う。
僅か6日間の滞在であったが、2年前のNAMMショウに来た時よりも大きな収穫があったので、
僕としては大満足であった。
又、今年はこれまでとは違った年になりそうなので、とても楽しみである。
2001.1.25
中川イサト