クラレンス・ホワイト"Old but New"

#63 クラレンス・ホワイト " Old but New "


既に「イサト・とおく」の#3~7、#16 に何度も登場している

僕のベスト・フェイバリット・ギタリストであるクラレンス・ホワイトの話しを再度書いてみたい。

というのは今年(2003年)になって、またまたクラレンス関係のCDが数枚リリースされたのだ。

それもすべて初CD化ということで、#16 で紹介した " 33Acoustic Guitar Instrumentals "

というアルバム以来ということになる。

一枚はClarence White " TUFF & STRINGY/SESSION 1966~68 " で

イギリスのBig Beat Recordsというレーベルからリリースされた。

内容はアルバム・タイトルが示しているように、クラレンスがケンタッキー・カーネルズから

ザ・バーズに参加するまでの空白の時代、つまりスタジオ・セッションをやりながら活動していた

1966年~68年の約2年間の言わばドキュメントCDなのだ。

それでも数曲は彼のソロ名義になっているので、当時のプロデューサーであるGary Paxtonが

クラレンスをソロ・アーティストとしてデビューさせたかったのだろう。

以前からクラレンス・マニアには良く知られていた, Bakersfield International Records から

1967年~68年にかけてリリースされた2枚のシングル盤がそれである。

1967年にリリースされたのは " TUFF AND STRINGY/TANGO FOR A SAD MOOD " というシングル盤で、

TANGO・・・という楽曲やプレイなどはプロデューサーの指示なんだろうけど、

何となくムード・ミュージックという感じがする。

でもそれなりにクラレンスのプレイになっているのが面白い。

もう一枚の1968年にリリースされたシングル盤は " RIFF-RAFF/GRANDMA FUNDERBUNK'S MUSIC BOX " で、

GRANDMA・・・はカーネルズ時代にクラレンスの十八番であった

フラット・ピッキングの名曲 " JULIUS FINKBINE'S RAG " がベースになっている。

(このJILIUS・・・がDoc Watson のプレイで有名な " BEAUMONT RAG " をベースにしていることは、

昔からクラレンス・フリークにはよく知られていた)

この1968年頃というのはレコーディング技術が格段に進歩している頃なので、

この GRANDMA・・・をよく聴くとギターがダブルで録音されていたり、

控えめなパーカッション(多分ジーン・パースンズだろう)やベースがフィーチュアされていて、

それまでのブルーグラス・ミュージックで聞けるようなギター・サウンドとは

一味違った新しいサウンド・メイクがなされている。

そして35年後の2003年に最新のデジタル・マスタリングによって蘇ったというか、

よりクリアーになったそのサウンドは、プロデューサーのGary Paxtonやクラレンスも

思いもつかなかったような斬新なものである。

それにしても1968年と言えばクラレンスはまだ弱冠24才なので、彼の凄さを改めて再認識した。

先に彼のソロ・シングルについて書いてみたが、

このアルバムには他にもクラレンスをメインにフィーチュアした楽曲が数曲収められている。

" HONG KONG HILLBILLY " という変わったタイトルのインストゥルメンタルが1曲目に入っていて、

何とこれはBakersfield International Records のスタジオ・バンドであったザ・リーズンズや、

後にザ・バーズでもプレイしてした " NASHVILLE WEST " そのもの

(原曲といった方が良いかもしれない)であった。

ただこの当時は彼のトレード・マークとも言えるストリング・ベンダーはまだ使用してなくて、

それでもプレイの随所にそれっぽいフレーズを聴くことが出来る。

つまり、既に彼は指を使ったベンディングで、スティール・リックっぽいサウンドのフレーズを

弾いていたのだ。

(因に1969年2月にリリースされたザ・バーズの " DR. BYRDS & MR. HYDE " というアルバムでは

ストリング・ベンダーが殆ど全曲で使われているので、1968年の " SWEETHEART OF THE RODEO "

のレコーディング以降にこのベンディング・システムが出来上がったのだろう)

もう一枚 The Gosdin Brothers " SOUNDS OF GOODBY " というアルバムが

同じイギリスのBig Beat Recordsからリリースされた。

このオリジナル・アルバムは1968年にメジャーのキャピトル・レコードからリリースされており、

当時ゴスディン兄弟とアーティスト契約していたGary Paxtonが、

キャピトル・レコードとのアルバム契約を結び、

彼らがBakersfield International初のメジャー・アーティストとなった。

勿論レコーディングにはBakersfield International専属のミュージシャン達がバック・アップを務め、

クラレンスもメンバーであったザ・リーズンズ(後のナッシュビル・ウエスト)がその中心となっている。

また今回の初CD化にあたり、オリジナル盤の11曲に加え、何と13曲のデモ音源やインディーズ音源が

ボーナス・トラックとして付け加えられている。

そのデモ音源の中には当時ザ・バーズのメンバーだったクリス・ヒルマンがプロデュースしたものもあり、

サウンドがザ・バーズそのものなんでついにんまりしてしまった。

この1968年という年はクラレンスにとって大きな転換期で、

以前からクラレンスのギター・プレイに注目していたクリス・ヒルマンが、

ザ・バーズの6枚目のアルバムのレコーディングにサポート・ギタリストとして声をかけたのだ。

そのレコーディングは1968年の3月からナッシュビルで行われ、同年の8月にリリースされた。

 その アルバム " SWEETHEART OF THE RODEO " は、ザ・バーズというロック・グループが

初めてカントリー・ミュージックとの融合を図ったアルバムとして現在でも評価されている。

この " SWEETHERT OF THE RODEO " も最近になって再編集され、2枚組みアルバムとしてリリースされた。

それもオリジナル音源に加えて、沢山のデモ、アウト・テイク、リハーサル・バージョン、

アディショナル・マスター・テイクといったボーナス・トラックが追加された

上記の2枚のアルバムに通じるような

ドキュメント・アルバムとなっている。

ここでもクラレンスの素晴らしいプレイを聴くことが出来るが、

メジャー・レコーディングの凄さみたいなものもこのリ・マスターCDから伝わってくる。

彼のテレキャスターのサウンドがこれまでのものと違って聞こえる。

やはりファースト・クラスのスタジオで、ファースト・クラスのエンジニアがサウンド・メイクした結果、

このような最高の仕上がりになったのだろう。

これって実際にスタジオでプレイしたクラレンスが一番感じていたはずだ。

その結果1968年の秋頃にクラレンスは正式にザ・バーズのメンバーとして迎えられた。

ただその時点でクラレンスの良き理解者であったクリス・ヒルマンとドラムスのケビン・ケリーが

グループから抜けてしまい、オリジナル・メンバーはロジャー・マッギンだけになってしまった。

このあたりのザ・バーズのかかえていた色んな問題は、以前のイサト・とおく#3~7で述べている。

たとえリハーサル音源だろうがデモ音源だろうが構わない。

僕にとってはクラレンスがプレイしているだけで納得してしまう。

この類い稀な不世出のギタリストは、ギターという楽器を如何に自分の分身として

プレイしなければならないのか、ということを数々のレコードやCDを通して僕に教えてくれた。

いや、今も教えてくれている。

ありがとうクラレンス!!

 

 

2004.1.5

中川イサト