僕にとっての二十世紀

(1947~2000)その11

#3 僕にとっての二十世紀(1047~2000)その11


'0 0年に入ってからちょっとした出来事があった。

あの"五つの赤い風船"が新しいメンバーで再結成される事になったのである。

でも当初は自分の中で戸惑いがあったことは確かで、

自分のソロ活動はどうなるんだろうと考えてみたりもした。


ところが頭の中でもう一人の僕が違う事を考え出したのである。

つまり'69年の秋に風船を抜けてからも、外から風船の活動を見ていて、絶えず気にはなっていた。

震終的には,72年の8月に解散するのだが、

この僕が抜けてからの三年の空白を埋めたいと思ったのである。

それは決着と言ってもいいかも知れない。


幸いなことに個々の活動を大切にしながら、気楽にやろうということで話がまとまった。

かと言ってレコーディングやオン・ステージは本気だし、

今の時代に通用するサウンド・メイキングを心がけているつもりだ。

このところ、嘗てのバンドのリユニオンが盛んに行われているが、

中には時代性が感じられないものも見受けられる。

僕は今の"五つの赤い風船"としてやるんだから、

それこそ懐かしいだけで終わりたくないと思っているし、

リスナーの人達にも、このあたりのことを解って欲しい。

もちろん昔の曲も取りあげるけど、二十数年前のサウンドに拘って欲しくないのだ。


この新しい風船のアルバムが二月にリリースされ、大きなコンサー卜も何度か行われた。

当初はぎこちなかったアンサンプルも、コンサー卜をやる度にまとまってきたように思う。

そして僕自身が何よりも昔と違うのは、レコーディングやコンサー卜を楽しんでいることだ。

こんなことは嘗ての風船時代にはなかった。

これはステージでの西岡さんを見ていても同じ様なことを感じる。

ヴィブラフォンをプレイしている西岡さんは、本当に楽しそうだ。

五十歳を越えて楽しく音楽活動ができるなんて、とても幸せなことだと思うようになった。


4月にはカナダのドン・ロスというギタリストを招騰し、

一緒に全国をツアーして回った。

その大きな身体からリズミックなハギレのいいギター・ミュージックが奏でられ、新たなる刺激を受けた。

それにしても欧米には、何と個性的なミュージシャンの多いことか。

日本には残念ながら・・・。

5月には、南ドイツのエデンコーベンというワイン・ヴィレッジで行われた

エイジアン・ミュージック・フヱスティパルに招待された。

ロシア、インド、インドネシアといった国々から多くのミュージシャンが参加し、

2日間に渡って素敵なギター・ミュージックが奏でられた。

コンサー卜の合間には会場の回りにある庭で、オーディエンスを交えての食事会が開かれ、

ワインやビールを飲みながらの楽しい一時を過ごすことができた。

又、この時に出逢った、パリからやって来たパラワンという若いギタリストがとても印象に残っている。

最近よくプレイしている"バリ"という曲は、彼やパリ島をイメージして作った曲だ。


ドイツから帰国してすぐに、マーティン・ギターのコンペンションにデモンストレイターとして出演し、

アーテイスト・リレイション担当のディック・ボーグ氏と知り合う。

彼は仙台、東京、大阪でのコンサートを聴き、

僕の楽曲やギター・プレイをとても気に入ってくれたのである。

この時の出逢いが2001年の1月にロスアンゼルスで行われたNAMMショー

(全米最大の楽器フヱア)でのコンサート出演に結びついたのだと思う。


6月にはウディ・マンに招待され、ニューヨークのコロンピア大学で行われた

インターナショナル・ギター・セミナーにゲスト参加する。

ただセミナーそのものは見ていて楽しかったけど、

ボトル・ネック・ギターを含めたブルース・ギターだけを、

一週間ずっと聴かされ続けたのには正直いってまいった。

そしてウディ・マンの人間性に対して、以前に書いたステファン・グロスマンと同じようなものを感じ、

今後、彼とは少し距離を置くことにした。

まあ欧米のアーティストといっても色んな奴がおるということですな!


1 2月に大阪の扇町にあるスタッフというライブ・レストランで、

久しぶりに有山じゅんじ、金森幸介とライブを行った。

このライブの少し前に福島にあるヒポポタマスというライブ・バーでリハーサルをやったのだが、

昔と変わらない、良い意味でのアバウトさが何となく懐かしかった。

それにしても有山もええ感じに歳をとったなあ。

トコちゃんを大事にしたってや。


この"僕にとっての二十世紀"は当初数回で終わるつもりだったのだが、

タイトルが悪かったのか、とうとう11回も連載してしまった。

でも実際はもっと面白おかしい話があったように思うけど、今ではその多くを忘れてしまっている。

(スケールの大きいタイトルにしては、ちっぽけな話で終わり申し訳ありませんでした。)


この連載に限らず、"イサト・とおく"全般に言えることだが、

僕の物事に対する捉え方というのは、色でたとえるなら白か黒しかなくて、

決して鼠色という色は存在しないのです。

良い物は良い、悪い物は悪い。

だからよく関西でいう"まあええやん”というような中途半端な考え方は、

関西人なのにしたくないのです。

だから"イサト・とおく"でも時々きびしい表現が出てきますが、

自分のアイデンティティというものをハッキりしたいからそのような表現になるのです。

何事も中途半端はいけません。

やるんなら徹底的にやりましょう。

なんせ人生は一回しかないのですから。

さあ二十一世紀も頑張るぞ!



2001.6.10

中川イサ卜