Peter Finger/Isato Nakagawa

in Taiwan その3

#1 Peter Finger/Isato Nakagawa in Taiwan その3


今夜のコンサートは6時30分から始まるので、ピーターと僕達はサウンド・チェックがてら

5時過ぎに台北市内にあるコンサート会場に向かった。

その会場は日本で言えば公会堂のような建物で、

台北市の職員のような人達が入り口で入場の手続きを行っていた。

でもコンサートを仕切っているのはChia-wei君達のギター・スクールのインストラクターや生徒達である。

そして皆ボランティアで協力してくれている。

生徒のほとんどが二十歳過ぎの若者達なのだが、皆の目が輝いていて、

本当にギターや音楽が好きなんだなということがヒシヒシと伝わってくる。

ピーターや僕達の取り組んでいるヒット・パレード・ミュージックじゃあないところの音楽を、

これだけ一生懸命に支持してくれると、じゃあ同じアジアで日本の状況が情けなくなってくる。

特に最近はインターネットのせいもあるんだろうけど、

アコースティック・ギターやギター・ミュージックを歪んだ、

あるいは間違った捉え方をしているような人達が多すぎる。

勿論、僕達の生き様や音楽を支持してくれる人達も少しはいるんだけど、

いつの時代も良いもの、悪いもの、本物、偽物の見分けがつかない人達の方が圧倒的に多すぎる。

ギターという楽器を例にとると、ピーターや僕にとってギターという楽器は道具なのであって、

使っている材が何であろうと、オールドだろうがニューだろうが

自分が気に入った音で弾きやすければ何でもいいのである。

楽器より自分達の取り組んでいる音楽の方が大切なのだ。

その音楽についても僕達は、これまでも、又これからも本物志向なのだ。


建物の3階が今夜のコンサー卜会場になっていて、その会場に入ってまず驚いてしまった。

その雰囲気が何と僕らの世代が昔に通っていた小学校の講堂そのものなのだ。

全てが木造で、舞台の袖やホリゾン卜にはエンジ色のビロード生地の幕が垂れ下がっているではないか。

忘れていた状景というか、40数年前にタイム・スリップしたような気分なってしまった。

以前、息子の通っている小学校に行ってみたことがあるが、

現在は講堂というものがなくなっていて、

その代わりに体育館で式典を含めた色んな行事が行われているようだ。

別に懐古趣味ではないけど、何となく木造の講堂の方が何かほのぼのとしたものを感じる。

キャパシティは500人は収容できるだろうか。

Chia-wei君の話では、既にチケットは250人の人達が購入してくれているらしい。

PAシステムは台湾のプ口の音響屋さんが来てくれていたのだが、

フロント・スビーカーの音の娠り分けがステレオになっていなかったので設定をやり直して貰うことにし、

ついでに会場も大きいのでモニター・スピーカーも会場に向けることになった。

サウンド・チェックは別に問題もなく、開湯時間の30分前に終える事ができたので、

ピーターと僕は舞台裏の控え室でくつろぐことにした。


やがて開場時間になったので客席の様子を見がてらロビーに行ってみたが、

平均年齢が19~25歳ぐらいの若者達がぞくぞくと集まってくるではないか。

学生らしき若者もいれば、社会人らしき人達もいる。

でも開演前なのに既に会場内は熱気が感じられ、

僕は一部でオープニング・アクトとして四曲プレイするんだけど、

いつになく気合いが入ってきているのが自分でも解る。

さあいよいよ開演だ。

控え室を出るときピーターが"Good Luck !"と一言いってくれたのが今もこの耳に残っている。


一曲目は台湾での初めての演奏ということもあって、"Mah-Jong Peace"をプレイした。

多分この曲でプレイしているような新しいギター・スタイルを

コンサートで聴くのは初めてという聴衆がほとんどだと思うんだけど、演奏後の反応が凄かった。

まるでロック・コンサー卜のような盛り上がり方であった。

それにしてもまだ一曲目だというのに。

2曲目は最近のオン・ステージでよくやっているカヴァー曲のメドレーで、

日本の"浜辺の唄"と台湾の"何日君再来"を演奏した。

"何日君再来"は母国の楽曲という事もあって客席の雰囲気が何となく和やかになった。

彼らにすれば欧米人が演奏するよりも日本人の僕が演奏したので、

同じアジアに住んでいるということで、あまり違和感がなかったのかも知れない。

僕自身この曲は最近のフェイバリット・ソングである。

3曲目は新しい楽曲で" Skyscraper "という曲を演奏し、

ラストに"Rainbow Chaser "をいつもよりテンポ・ダウンし、リヴァープも少し深めに設定してプレイした。

この曲は途中でドラムスのキックのようなSEをギターのボディを叩いて出すんだけど、

聴衆の眼が右手のヒッティングに釘付けになっていた。


一部はここからピーターのオン・ステージになるんだけど、

一曲だけ一緒にプレイしようということになった。

曲は勿論"チョット・ト口ピカル”。

このところピーターも僕と同じピック・アップ・システムを使つているので、

2台のギターのサウンド・バランスがとても良い。

控え室では緊張していたピーターだが、いざ演奏が始まるといきなり自分の世界を存分に展開している。

まあだからこそプロフェッショナルと呼べるんだけど。

エンディングは2人でボディの叩き合いをしてしまったが、聴衆には大いに受けたのである。


この後ピーターのソロ・パフォーマンスが休憩をはさんで50分程行われ、

彼の鴛異的なギター・プレイに客席からは溜息が漏れ、

又スローなバラードにはうっとりとしているのが印象的であった。


終演後ロビーでピーターのCDの即売会が行われ、

ピーター自身も沢山の人達からサインを求められていた。

そして彼のCDが何とトータルで70数枚売れたとChia-wei君が言っていた。

これにはピーターも驚いていた。


僕はわずか3日間の在台であったが、得るものも沢山あったし、

日本のアコースティック・ギター・シーンについても改めて考えさせられた。

自分が日本人だという事を自覚しているミュージシャンははたしているのだろうか?

これでは日本の音楽文化というものを確立できないであろう。

欧米カルチュアーの崇拝から早く抜け出して欲しいと思う。


Chia-wei君とは色々と話がはずみ、いつの日か台湾のギタリストと日本のギタリストが一緒になって

ギター・フェスティバルをやろうということになった。

そして、2001年の秋頃には僕の台湾ツアーを企画してくれるそうだ。

さあ来年も頑張るぞ! !


2000.11.13

中川イサト