クラレンス・ホワイトというギタリスト
その4
#6 クラレンス・ホワイトというギタリスト その4
1970年の9月に初めてのライブ・アルバムをリリースする。
”アンタイトルド”というタイトルが付けられたこの二枚組のレコードは、
一枚がライブでもう一枚がスタジオ・レコーディングという、少し変則的な組み合わせのアルバムである。
ライブ・レコーティングは’70年の初頭から始められたのだが、
前年の秋頃にジョン・ヨークがメンバーから外され、
新メンバーとしてスキップ・バッテンというベテランのミュージシャンが加わっていた。
ニューヨークのクイーンズ・カレッジとフェルト・フォーラムでのコンサートがレコーディングされ、
この時期のザ・バーズの素晴らしいライブ・パフォーマンスを余すところなく伝えてくれている。
特にクラレンスのストリング・ベンダー・ギターは、他のロック・ギタリストとはひと味違った、
誰も真似の出来ない独自のギター・スタイルを確立したと言っても良いだろう。
ある時はメローなフレーズを、又ある時は16ビートのリズムに乗っかり、
それもオフ・ビートを上手く使った火の出るようなフレーズを目いっぱい聴かせてくれる。
そして忘れてはいけないのがジーン・パーソンズのドラミングだ。
クラレンスが自由奔放にプレイ出来るのは、彼のギター・プレイを最も良く理解しているジーンが
バックアップしているからこそ出来るように思う。
それ位、二人のコンビネーションは決まっている。
スタジオ・レコーディングは同年の5月~6月にかけてロスアンゼルスで行われた。
かなりの数の楽曲がレコーディングされたようだが、
最終的に9曲がアルバム用に選ばれた。
クラレンスはそのうちの2曲でリード・ヴォーカルをとっていて、
ローウェル・ジョージ作の”トラック・ストップ・ガール”とレッドベリー作の”テイク・ア・ウィッフ”という曲である。
でも何か聴いていてしっくりこないのだ。
他の7曲もそうだけど、この時のスタジオ・セッションは、
何となくメンバー同士があまりコミュニケイトできていないんじゃないだろうか。
ライブ・サイドに比べると何かパワーもないように感じる。
前作であれだけ素晴らしい、ギター・バンドのお手本のようなアンサンブルを聴かせてくれたのに
非常に残念である。
’90年の春頃に”ローリング・ストーン”誌のインタビューでロジャー・マッギンが
いみじくも当時のザ・バーズの状況について答えている。
「’68年にクリス・ヒルマンがバーズを抜けてから、オリジナル・メンバーは自分一人になってしまった。
その時の自分にはザ・バーズというブランド名と、どうなるか解からない未来がのしかかって来た。
でもここで放り出すことは気がすすまなかった。
でももっと早くにバーズから脱出して、何か別の事をやるべきだったと思うよ。
別のバンドを結成するとか、ソロ活動をするとか、そう言ったことをもっと早くにね。
ザ・バーズを長く続けさせ過ぎたと本気で思っているよ。」
つまり、当時のロジャー・マッギン自身が精神的に不安定だったということだ。
ましてや彼はザ・バーズのバンド・リーダーなのだ。
バンド・リーダーがこのような状態で良い作品など出来るわけがないと思う。
それでは何の為にクラレンスやジーン達がバーズに入って来たのかわからない。
確かに初期のバーズと中期以降のバーズは、とりあげる楽曲も音楽的にも違いすぎる。
はたしてロジャー・マッギンは中期以降のバーズというグループで何をやろうと思ったのだろうか。
せっかく”バラッド・オブ・イージー・ライダー”で新しい何かが芽生え始めたというのに。
30年が経った今となってはどうにもならない話である。
ただクラレンスやジーンが30年前に夢中になって取り組んでいた音楽が、
レコードやCDとして残されている。
それらは僕達にとっては大いなる遺産だと思う。