今年の虎はちゃいまっせ~
#59 今年の虎はちゃいまっせ~
今回に限り大阪弁で書かしてもらいます。
この文章を書いてんのが7月14日の深夜で、
13日でプロ野球ペナント・レースの前半戦が終わりましたな。
そんで、我てのヒイキにしている虎軍団は貯金35、
マジック46でダントツの首位で折り返しでんがな。
7月にマジック46でっせ。嬉しいでんがな。
(セ・リーグで、こんなに早ようマジックつけたんは初めてやそうでんな)
7月11~12のG戦での戦いなんぞは、
今シーズンの虎は" 違いまっせ "の象徴のような試合でおました。
昔からG戦というのは勝っても負けても、
異様な盛り上がりの試合が多かったように記憶しておりますが、
でも今年のような一方的な試合は初体験でんな。
2試合連続の2ケタ得点ちゅうのも40年振りちゅうやおまへんか。
おまけに、あと一つ勝ったら18年振りの同一チーム勝ち越しになるんやそうで、
虎ファンにとって、こんな嬉しい年はおまへんわ。
我ての記憶ではGがV9やった頃のラインナップは凄かったでんな。
柴田、黒江、王、長嶋、土井、末次、高田、森っちゅうような凄い選手が、
ほんまにおもろい野球をやってましたな。
小技あり大技ありの、ほんまに隙のない強いチームでおました。
川上、牧野っちゅう監督、ヘッド・コーチの存在も見逃せまへんけど。
各選手が自分のやるべき事をよう解っとったんとちゃいまっか。
せやからV9っちゅうような前人未到の大記録を打ち立てたんでしょうな。
我てにいわしてもろたら、今のGの野球はおもろない。
各バッターが自分の役目っちゅうもんを解っとらん。
いつからか、金にものを言わせてホームラン・バッターばっかり集めてしもて、
皆が3番や4番バッターでどないすんねん!!
これはフロントもフロントやし、監督やコーチにも色々と問題がおまんな。
あと余計なお世話やけど、もうベテランの野手や投手はいらんのとちゃいまっか。
聞くところによるとファームには、いきのええ選手がいっぱいおるちゅうやおまへんか。
もったいない話や。
清原がいつの頃からか" 番長 " ちゅうようなニックネームをつけられて、ベンチ内でも太々しい
大きな顔しとる。あれじゃ若手がビビってしもて、チームワークなんて上手くまとまる筈がおまへん。
(一説によると原ぼんが番長を怖がってるちゅうようにも聞きましたで)
話しは虎に戻らせてもらいますが、我てが好きやった往年の虎戦士で、
三宅秀史っちゅう名三塁手が居たんですわ。
1953年~1967年まで活躍した選手でしたが、当時はショートに " 牛若丸 " 吉田、
セカンドに鎌田っちゅう名選手がいたんで、鉄壁の2~遊間、3~遊間と呼ばれてましたな。
この人の鮮やかなグローブ捌きは今でも鮮明に憶えとりま。
サード・ゴロをファーストに投げる時、いっしゅん暴投のように見えるボールが、
見事なカーブを描いてファーストのミットに吸い込まれよるんだ。
これには当時小学5~6年生でおました我ては憧れましたな。
ほんまに格好よかったんですわ。
でも1962年に虎が優勝した年の9月、確か鯨戦の練習中、
目にボールが当たり眼底出血っちゅう大怪我をし、
その後は目立った活躍がでけんかったのが残念ですな。
一時は同じサードっつう事でよくGの長嶋と比較されましたな。
それも派手な長嶋、片や華麗な三宅っちゅうように。
その後、虎は1964年にも優勝してるんやけど、
ついてなかったのは同じ年の秋に東京オリンピックがあったもんで、
あまり話題にならんかった事ですわ。
又あの村山とジーン・バッキーのピークでもおましたな。
そんでもってこの翌年、1965年からいよいよGのV9が始まりよるんだ。
1968年には王に投げたビーン・ボールが発端になり、
当時虎のエースの一人やったジーン・バッキーと、
Gのコーチやった荒川のおっさんとの乱闘っつうのもおましたな。
ジーン・バッキーは翌年に猛牛軍団に移籍(トレード?)したけど、
ひとつも勝てずに引退してしもた。
これは前年の乱闘の時に右手の親指を骨折したのが原因でおました。
1973年は田淵や江夏で優勝しかけたんだ。
我てがアルバム " お茶の時間 " を出した年でんねんけど、この時は選手が焦ったちゅうか、
監督が采配を間違ごうたちゅうか、結局はGが優勝してもうて後味の悪い年でしたな。
今頃ゆうてもしゃーないけど、金田はん、なんで竜戦で上田次郎を出さんかったんや。
(この時の竜のピッチャーが現、虎監督の星野はんちゅうのも何かの縁でっしゃろな)
ぶっちゃけた話、この年に虎が優勝してたらGはV8で終わってたんやで。
1985年には " 牛若丸 " 吉田はんの采配のもと、久しぶりに優勝してくれましたなあ。
何せ21年振りやからほんまに嬉しかったなあ。
でも今思えばこの時は投手陣はあまりようのうて、打ち勝ったっつう印象が強いでんな。
この年のチーム本塁打が219本っちゅうんやから、そら真弓、掛布、岡田、平田、木戸
それに最強の助っ人ランディ・バースがどんだけ打ってくれた事か。
でもこれってよく考えたら最近のGの野球とよお似てまんな。
せやから翌年から駄目になってしもうた気がしとります。
(選手だけやのうて監督、コーチにも問題があったと思いまっけど)
最初に書いたように各バッターが自分の役割を理解してなかったんでっしゃろな。
特に3、4、5番バッターより、1、2番バッターの役割が大きいんとちゃうやろか。
この1、2番の出塁によってクリーンナップの力が発揮されるんだ。
上手く行きゃあ大量得点に繋がる可能性もあるやおまへんか。
せやから今年の虎が強いのは' 85年とは正反対の野球をやっとるからやと思っとります。
今岡、赤星、金本、濱中、檜山、アリアス、矢野、片岡、藤本、皆自分の役割が解っとる。
八木も先発、代打と目一杯頑張っとるのが嬉しいでんがな。
誰かが塁に出て、いかにタイムリー・ヒットが出てるかっちゅう事でんな。
又チーム本塁打は最下位の鯨よりはるかに少ないけど、ほんとはホームランってあてにならんし、
それよりヒットを繋げて点を取れるチームの方がここっちゅう時に強いんだっせ。
今年は投手陣もええでんな。
伊良部が復活しょったし、ムーアにいたってはバッティングまで凄いでんがな。
あと連鎖反応でベテランの下柳までが頑張ってくれとる。
井川も後半戦は大丈夫やろし、これで薮が安定してくれたら先発陣は万々歳だっせ。
あと忘れたらあかんのが、ベンチのスタッフがよろしおまんな。
田淵、佐藤、島野、岡田、和田、そこえもって今年から達川。
我てはスタッフの中ではこの達川の加入が大きいと思うんだ。
キャッチャーの矢野に対して頭脳的なインサイド・ワークは、
前監督の野村はんから学んどるハズやけど、
対ピッチャーとの心のこもった接し方っつうのは少し欠けてたんやないやろか。
特に若手のピッチャーに対して。
義理とか人情を絵に書いたような達川が、矢野にどういう指導をやったんかは解らんけど、
今年の矢野は去年までの矢野とは明らかに違っとる。
バッテリーの呼吸ちゅうのは、ほんまに大事な事なんやで。
達川はんおおきに。
あとアリアス一人の為に、特別コーチとしてオマリーはんを呼んでくれたのは有り難いこっちゃし、
こんな事は嘗てのフロントではあり得まへんで。
(以前、小津のおっさんが仕切ってた頃はひどかったでんな。
何せチームに関して監督より権限もっとるんやから。
その辺りはGのナベツネのおっさんとよう似てますわ)
そんな訳で、ほんま球団のフロントもえらい変わりましたな。
さあ色んな条件は揃ったようなんで、型破りな優勝つうのをやってもらいまひょか。
100勝、勝率7割、8月優勝、チーム打率3割以上と、どれも可能だっせ今年の虎。
我ても後半戦は気楽に楽しませてもらいま。
く~たまらんなあ。
2003. 7. 15
中川イサト