僕にとっての二十世紀

(1947~2000)その9

#30 僕にとっての二十世紀(1047~2000)その9


'89年の僕は、ある歌い手のバック・アップ・ミュージシャンを務めていた。

あの嘉門達夫君である。

でもいきなり一緒にステージに立ったのではなく、彼はもともとが僕のギター教室の生徒であった。

でも少しずつライブ活動が忙しくなってきたみたいで、教室にくる回数が減ってきたのである。

そんなある日、彼から「僕がギターを勉強するには、えらい時間がかかるので、

それやったらライブの時に僕の横でギターを弾いてもらったほうが

早いのとちゃうかなと思いまして・・」というような相談?を受けた。

そこで、まあ同じ大阪人だし、彼の芸人根性にも興味があったので、それじゃあということで引き受けたのである。

約一年ぐらいは、この嘉門君と全国のライブ・ハウスを回っていた。

そして、'90年に入ってから、当時、彼が所属していた音楽事務所から、

僕のギター・アルバムをBMG/ビクターで出さないかという話が降って湧いたのである。

まあこの話も嘉門君と出逢ってなければなかった事だが、

それにしても久しぶりのメジャー・レーベルで自分のアルバムが作れるというので、

僕としても内心は嬉しく思った。

ところが、いざレコーディングに入ると訳のわからないプロデューサーに選曲をされるは、

アレンジャーが付くはで、僕はただマイクに向かってギターを弾くだけという、情けない状況であった。

まあ僕の音楽をよく理解してくれているプロデューサーなら何もいいませんが、

このプロデューサーたるや、ただ売れるインストゥルメンタル・アルバムを作るのが目的であった。

この”Water Skipper”というアルバムは、オーバー・プロデュース、オーバー・アレンジで、

非常に悔いが残っているアルバムである。

現在は廃盤になっているが、出来ることなら永久廃盤にしてほしいと思っている。

ただBMG/ビクターの担当ディレクターは僕のギター・ミュージックを気に入ってくれたみたいで、

翌年にもう一枚のアルバムを作らせてくれる事になった。

それが”Sayonara”というアルバムである。

もちろん僕自身がプロデュースしたのは言うまでもない。

内容的にはアンサンブル曲が多くなっているけど、これについては、

メジャー・レーベルからアルバムをリリースするのであれば仕方がない気がする。

僕の本音で言えば、全曲ギター・ソロでプレイしたいと思っていたのである。

これら二枚のBMG作品はなんら評価されることもなく、数年後には廃盤になってしまった。

でも僕としては良いも悪いも含めて、レコーディング作業や、

メジャー業界でのプロモーションといったものを楽しませてもらった。


’92~’93年は、自分でも思うところがあり、ライブ活動を数多く行った。

ようするに自分のギター・プレイに、より表現力というものが必要だと思ったのである。

それまでも、ただ漠然とプレイしてきたつもりはないけど、

よりリスナーに感じてもらえるような行動力を身につけないと、

もうワン・ランク上の楽曲とかプレイが出来ないと確信したのだ。

45歳になって、初めて、自分の作品やプレイを客観視することが出来るようになったような気がする。


’94年に久しぶりのアルバム”太陽風”を自主製作盤でリリースした。

曲によっては楽曲と演奏技術のバランスが今ひとつ良くないけど、

作曲してから直ぐにレコーディングというのは、やはり無理があるようだ。

一年ぐらいライブの現場で、何度もプレイしてからレコーディングするのが良いと思うようになった。

そしてこのアルバムからオープンD6・チューニングに目覚めたというか、

より興味が湧いてきたのである。

ただ残念なのは、若いエンジニアだったのでサウンド・メイキングに関しては

最後までコミュニケイトできなかったことだ。

でもこのアルバムに収録している全曲は、自分でとても気に入っているので、

いつか機会があれば再度レコーディングし直したいと思っている。


’95年には”蜃気楼の王国”というアルバムを自主製作盤でリリース。

”太陽風”での苦い経験から、敢えて自宅レコーディングという方法を選んだ。

確か7月~8月の真夏に、部屋を閉めきってレコーディングしたのを今でもよく憶えている。

それでも録音中に電話が鳴ったり、外を車が通ったりして、何度も中断させられた。

一番大変だったのはクーラーを入れられないので、一曲を録り終えるまで我慢して、

汗まみれになりながら作業しなければならなかったことだ。

たまにこのアルバムを聴くといつもそんなことを思い出してしまう。

サウンド・メイキングは自宅録音ということもあり、

ライン・レコーディングという方法をとった。

その為ライブ時のサウンドに近い仕上がりになっている。

生音に拘っているギター・ファンからはお叱りの言葉をいただく事もあるけど、

僕自身ライン・レコーディングに関してはそれなりに楽しんでいるし、気に入ってもいる。

彼らはどうしてアコースティック・ギター=生音という考え方しか出来ないのだろう。

これは日本に限った話じゃあなく、欧米でも同じような考えかたをしているギター・ファンがいるようだ。

こういったギターやその音に対する偏見があるうちは、本当のギター・ミュージックは定着しないだろう。

はたして彼らは僕の作品を音楽として聴いているのだろうか、疑問である。


’96年に僕の中で異変が起きた。


次回に続く。


2001.5.13

中川イサト