フィンガー・ピッキング・コンテスト
#48 フィンガー・ピッキング・コンテスト
昨年の春にモリダイラ楽器の主催によるフィンガー・ピッキング・コンテストが行われた。
これまでのコンテストといえば、フォーク・コンテストに代表されるような、
あきまでも歌が中心になったコンテストばかりだったのに。
これも時代の流れというか、よりアコースティック・ギターという楽器が定着したというか、
伴奏楽器から一歩抜け出して来たのかも知れない。
そして参加したアマチュア・ギタリスト達のレベルの高さにも、正直言って驚いた。
僕がギターを弾きはじめた´60年代は、それこそスリー・フィンガー・ピッキングが出来ただけでも、
周りの皆から羨望の眼差しで見られたものだ。
当時の僕達が目標にした曲は、バード・ヤンシュの”アンジー”や
ドック・ワトスンの”ドックス・ギター”だったりした。
あれから30数年が経って、良くも悪くもアコースティック・ギター・シーンは変化(進化したとは思えない)したようだ。
現在のアマチュア・ギタリスト達が取り組んでいるギター・ミュージックは、
いくつかのタイプに分かれているようだ。
スタンダード・チューニングにこだわる人、オープン・チューニングにこだわる人、
カヴァー曲(コピー曲)にこだわる人、オリジナル曲にこだわる人、と言った具合だ。
欧米でのアコースティック・ギター・シーンは長い歴史があると言ってしまえばそれまでだが、
ギターを弾き始めたスタートの時点は同じだと思うけど、
その後時間が経ってくると取り組む姿勢というものが全く変わってしまっている。
後の彼らは自分のオリジナリティというものにこだわるし、また大切にする。
だから努力し、自身の音楽を確立したギタリストは、
プロフェッショナルとして周りからも認められる存在になる。
僕がギター・ソロという分野に興味をもちだしたのは´70年に入ってからの事で、
当時、周りには同じ志向のギタリストは誰ひとりとしていなかった。
’77年に”1310”というフル・インストゥルメンタル・アルバムをリリースしたけど、
この時点でも僕ひとりであった。
その後、何年頃かは記憶にないけど、石川鷹彦が確か"ステンドグラス”というタイトルの
インストゥルメンタル・アルバムをリリースしたように記憶しているが、
いかにもスタジオ・ミュージシャンが片手間に作ったようなアルバムであった。
各楽曲が作られた背景というものが全くないし、
長年スタジオ・ワークで培われた表現力しか身についていない為に、
自身のアイデンティティというものがギターのサウンドに表れていない。
つまり一音一音から生きざまというものが感じられないのだ。
魂のこもったプレイ=綺麗なサウンドではないという事だ。
ただ僕には彼のようなスタジオ・ワークは出来ないし、小奇麗なアレンジメントも出来ない。
でも悪いけどギター・ソロでは負けまへんで!!
まあ、彼とはギター・ミュージックの質が違い過ぎるので、比較しても仕方がないとは思うけど、
嘗ては('70年代)音楽雑誌などでライバルとも言われた事もあるので、
畑は違えどオッサンには頑張って欲しい。
ところで、今年も4月6日に第2回フィンガー・ピッキング・コンテストが行われた。
コンテストの参加者も聴衆も昨年を上回り、中身の濃い一日であった。
ただ僕が感じた印象は、プレイヤーによっては新しい奏法などを上っ面だけで取り入れている人がいて、
つかみ所のない楽曲からは何も感じられなかった。
だから肝心の楽曲にもっとこだわって欲しいと思った。
先に奏法だけが目立ってしまっては駄目なのだ。
せっかく良い技術をもっていても、そればかりが耳につくと音楽として成立しないし、
聴衆を感動させることは出来ない。
技術はあくまでも表現手段として用いるものである。
でもコンテスト参加者の皆がプロ志向ではないと思うので、
趣味としてのギター・プレイに関しては大いに結構だと思います。
特に40~50代のお父さんギタリスト達にはエールを送ります。
2002.4.9
中川イサト