アイスクリーム屋
#54 アイスクリーム屋
2002年の12月に、里帰りを兼ねた大阪でのライブ・ツアーを行った。
このところ恒例というか、年末の大阪という町や、
沢山の友人とゆっくり歓談できることを僕は楽しんでいる。
12月の27日は金森幸介、有山じゅんじと一緒に千日前の
トリイ・ホールという多目的ホールでコンサートを行った。
12月にこの顔ぶれでコンサートをやるのは、もう随分前から続いており、
それこそ10数年前に手塚山の " 白い家 " でやったライブからずっと続いている。
そして、気合いを入れながらも心許せる数少ないミュージシャンが幸介と有山で、
年に一度だけど、この年末ライブは僕にとっても大切なライブなのだ。
今回のトリイ・ホールは初めての会場で、ちょうど道頓堀の角座の裏にあり、
近くには法善寺横丁や、南のこれぞ大阪といった繁華街が懐かしく迎えてくれた。
リハーサルの時に、かの " ヒポポ大王 " が " 大だこ " のたこ焼を差し入れしてくれ、
思わずさすが大阪人やなあと感心してしまった。
おおきにヒポポ大王!!
リハーサル後、法善寺の近くにある懐かしい珈琲屋へ幸介、有山と行ったのだが、
その昔美味しいなと思った味とは変わっていてがっかりした。
あの親爺さんの味はもう出せないのだろうか。
コンサートは定刻に始まり、とても暖かい雰囲気で
プレイヤーもお客さんも楽しんでいるのが解る。
それにしても、このトリイ・ホールは素敵なホールだ。
何しろホール内の天井が高いので音の抜けが抜群である。
その辺がライブ・ハウスとの違いというか、ホールならではという気がする。
三人共、ソロやセッションを思う存分楽しめたし、お客さんも満足してくれたと思う。
ところで今回の年末ツアーには奥さんが同行してくれていて、
独り旅での孤独感というものがないので僕としては助かる。
つまり話し相手がいてくれると言うことだ。
宿泊は連日の移動が便利なように市内のホテルにしたのだが、
そこは谷町四丁目のとあるホテルで、そこで僕は突然ある事を思い出したのである。
たまたまそのホテルは本町通沿いにあり、確かその通りには懐かしいあの店があるハズだ。
その昔、30年前に友人のKINTAが、僕のソロ・アルバムの為に " アイスクリーム屋 "
という歌詞を書いてくれた。
そのアイスクリーム屋 " ゼー六 " が、確かこのホテルの近くにある事を思い出したのだ。
本町通を西に向い、松屋町筋(大阪では " まっちゃ町 "と呼ぶ)と堺筋の間で、
そして歌詞に出てくる阪神高速のすぐ近くに、その " ゼー六 " は今も元気に
" COFFEE・ICECREAM "と書いた白い暖簾を入口に掛けてくれていた。
暮れも押し迫った28日の昼間に、僕達はゼー六の暖簾を潜った。
それも初めて。
kINTAやCOCOさんから話は聞いていたけど、当時は恥ずかしくて店に顔を出せなかった。
中に入ってまるで何十年もタイム・スリップしたような気分になったのは、
その懐かしい店内の雰囲気や、暖かく迎えてくれた廣瀬さんファミリー、
そしてあの何とも言えないくらい美味しいアイスクリン
(僕らが子供の頃はアイスクリンと呼んでいた)であった。
75歳になると言う親父さんは今も現役バリバリで、息子さんと一緒にアイスクリンを作っておられる。
店に行く前は正直言って不安だったけど訪ねていって良かった。
そして 今は" アイスクリーム屋 " という歌を唄って良かったと思っている。
又、大阪に行った時は寄らせてもらいます。
それと、いつか一度でいいですので " ゼー六 " で唄わせて下さい。それも生音で。
それじゃあ親父さん、いつまでもお元気で、僕らにアイスクリンを食べさせて下さい。
2003. 1. 10
中川イサト
【管理人の追記】
※ゼー六さんを訪問したのは、12月の28日だったと思います。
もう年末で、この日は午前中だけの営業だったらしく、午後訪問していたら閉まっているところでした。
行けて本当によかったです。
中川イサトはこの日もライブがあったのですが、私はこの後大阪の実家に帰りました。
それで、おやじさんが「これ持って帰り!」と新聞紙でぐるぐる巻きにしたアイスもなかを持たせてくれたんです。
いくら冬とはいえ、新聞紙で大丈夫か!?と思ったのですが、1時間少し・・・実家に着いても全然溶けていませんでした。
新聞紙ってすごい!
その後、この日の約束どおり、生音のライブも行わせていただきました。
おやじさんは亡くなってしまったけど、その味は、今も息子さんが受け継いでおられます。
「アイスクリーム屋」の直筆楽譜、ゼー六さんにお届けしました。
2022.11.02