クラレンス・ホワイトというギタリスト

その

#7 クラレンス・ホワイトというギタリスト その5


1971年の6月に”バードマニアックス”というアルバムがリリースされた。

前作からおよそ9ヶ月ぶりのニュー・アルバムである。

しかし内容はと言えばあまり良い出来ではなくて、

このところテリー・メルチャーがずっとプロデュースしているのが何となく問題があるような気がする。

今回は楽曲によってはストリングスや管楽器が入ったりしているのだが、

バンド・サウンドとうまく絡みあっていない。


一曲目の”グローリー・グローリー”というゴスペル・ソングでは

何とロジャー・マッギンがリード・ギターを弾いていて、

何とも乗りの悪いいい加減なギターなのである。

クラレンスがいるのに何故ロジャーが弾いたのか解せない。

7曲目にスキップ・バッテン作の”アブソルート・ハッピネス”という楽曲が入っていて、

ここでのクラレンスは例のレズリー・サウンドのベンダー・ギターを素晴らしく効果的に弾いている。

そして何故か一曲だけクラレンスとジーン・パーソンズの共作によるブルーグラス・ロック風の

”グリーン・アップル・クイック・ステップ”という曲が収録されているのだが、

アルバムのトータル性という意味では浮いてしまっている。

勿論僕やクラレンス・フリークにとってはたまらないプレゼントなのだが・・・。

そしてこの曲のレコーディング・セッションには何とクラレンスの父親がハーモニカで参加していて、

フィドルのイロン・バーラインと共に仲々の演奏を披露してくれている。

又このアルバムでも二曲クラレンスがリード・ヴォーカルをとっているのだがこれは仲々良い。

まだ20代の後半なのに、この落ち着いた枯れたヴォーカルはなんと言えばいいのだろう。

特にジャクスン・ブラウンの”ジャマイカ・セイ・ユウ・ウイル”が良い。

ただアルバム全体にクラレンスのトレード・マークである、

ストリング・ベンダー・ギターがあまりフィーチュアーされていないのが残念である。

又このアルバムがリリースされた時に色々と話題になり、

バーズ・ファンやロック・ミュージックの評論家から散々にこき下ろされた

そして僕自身も感じていた事なのだが、何となくザ・バーズの終焉が見えてきたのである。


1971年の11月にザ・バーズのラスト・アルバム”ファザー・アロング”がリリースされた。

このアルバムは自分達がプロデュースしていて、イギリスのロンドンでレコーディングされている。

そしてこのアルバムがラスト・アルバムに相応しい素晴らしい出来なだ。

多分、自分達でプロデュースするという意気込みもあったと思うが、

四人が初めて一つになってプレイしている。

選曲といいアンサンブルといい申し分ない。

又、彼らが個々に長年培ってきたポップ、フォーク、ロック、カントリー、ブルーグラスが

バランス良くブレンドされ、それでいてトータライズされている。

その中でクラレンスはトラディショナル・スピリチュアル・ソングの”ファーザー・アロング”と

ラリー・マーレイ作の”ュグラー”というフォーク・カントリー・タッチの曲でリード・ヴォーカルをとっていて、

味わいのある素晴らしいヴォーカルを聴かせてくれている。

時に”ファーザー・アロング”は後年に交通事故に巻き込まれて亡くなったという事もあり、

冷静には聴いていれない。

又、親友のジーン・パーソンズはいつものカントリー・バラードじゃなく、

ビートの効いたカントリー・ロックを派手に聴かせてくれ、

”B・B・クラス・ロード”という自分達のバンドのローディの事を唄った曲では、

間奏に入る前に「クラレンス」というかけ声まで入っていて、

二人のフレンド・シップ、ミュージシャン・シップがいかに固い絆で繋がっていたのかを感じとる事ができる。

このジーン・パーソンズは後になって語った話によると、

1973年にクラレンスが亡くなってからの数年間は、何も手につかず音楽活動を一切止めていたそうだ。

長年に渡って苦楽を共にしてきた親友の死は、ジーンにとってあまりにも大きな試練だったように思う。

この”ファーザー・アロング”は内容の良さ、レコーディングの良さも相まって、

後期のザ・バーズが作ったアルバムの中では今だに評価されている一枚である。

19651月に”ミスター・タンブリング・マン”でレコード・デビューしたザ・バーズというロック・バンドの数奇な音楽活動は、

最後になってザ・バーズというブランドから解放されたような素晴らしいアルバム

”ファーザー・アロング”をリリースし、ここに終焉を迎えたのである。

(アルバムをリリース後コンサート活動はまだ暫く続けていた。)


その後のクラレンスはスタジオ・ワークや

再び兄達と”ザ・ニュー・ケンタッキー・カーネルズ”をリ・ユニオンしたり、

自分の初めてのソロ・アルバムのレコーディングに取りかかったりしていた。

そして運命の1973 年7月14日にカリフォルニアのパームデイルの近くで交通事故に巻き込まれ、

29才の若さで帰らぬ人となってしまった。

7月19日にパームデイルのカソリック教会で彼の葬儀が行われ、

グラム・パーソンズ、バーニー・リードンといったミュージシャン仲間が

葬送歌として”ファーザー・アロング”を唄ったという。


あれから27年という歳月が過ぎてしまったけれど、

僕の中では彼の音楽やギター・プレイはちっとも色褪せていないし、今だに新しい発見がある。

いずれ僕も人生を終えるときがくるだろうけど、

その時は天上で彼に逢ってみたいし、ギター・セッションをさせて欲しい。


※天上でクラレンスに見つけてもらえるよう、クラレンスのTシャツを着せて旅立たせました。

 それは間違いではなかった、とこの文章を発見して改めて思いました。

 きっと今頃セッションしてるよね!