タイトル:いばらなし
作家 :水野 香菜
画廊 :福福堂
展示会 :水野香菜 日本画展「さざなむ花」
購入日 :2020年7月12日
サイズ :M12
技法画材:日本画
「いばらなし」とはモッコウバラのことである。その名のとおり、荊棘がなく、花弁は主に黄色又は白色、4月下旬頃に開花し、病害に強く育てやすいことから、園芸の初心者にも人気のある品種である。原産は中国で江戸時代中期に日本に伝わったらしい。花びら一つ一つは淡い黄色ながらも、八重咲で多くの花を咲かせる姿は、華やかで生命力に満ちている。
主役は、上野動物園で飼育されている鶏(ニワトリ)であるが、天然記念物のような貴種ではなく、品種は明確ではない。ただし、比較的若い鶏であり、機敏で引き締まった風貌をしているということである。おそらく子どもが動物と直接に触れ合うことを目的とする「上野動物園すてっぷ」で飼われている鶏であろう。鶏は世界中で家禽として飼育され、人類とは羊、牛、馬と同様に長い付き合いであるが、起源は定かでなく、種類は多岐にわたる。上野動物園のホームページを見ても、飼育している鶏の記述は見当たらないことから、この作品に描かれた種類を特定するのは難しそうであるが、種に関わらず、この鶏からは凛とした気品が伝わって来る。
この作品でまず注目したいのは、手前の鶏の姿勢の美しさである。鶏は人間と同じく脊椎動物である。人間と構造は違うにしろ、鶏の骨格を理解した上で描くことによって動物の本来の姿に迫ることができる。この鶏は、長い頸椎を曲げて地面をついばみ、首の動きに連動するように腿付近の筋肉が盛り上がり、尾羽が跳ね上がっている。鳥類を描く場合、優美な羽毛に目を奪われがちであるが、骨格と筋肉を意識して描くことで、鶏の生命力の本質が伝わってくる。鳥類の躍動感と言えば飛翔であろう。しかし、この作品は日本舞踊のような洗練された流れがある。派手な動きや速さではなく、骨格と筋肉が生み出す姿勢の優美さを感じることができる。また、鳥類の足は思っている以上に大きく迫力があるため、忠実に描きすぎるとグロテスクに感じてしまう。ところが、この作品では、爪や足の太さはリアリティを有しつつ嫌悪感がない。むしろ体を支える力強さを自然の摂理に従い、うまく表現している。
奥にいる鶏の瞳は実に涼やかであり、手前の鶏を慈しんでいるように感じられる。鳥類を描く場合、多くは鮮やかな羽毛や飛ぶ姿の美しさの域を出ない。この作品では、愛玩的に鳥を愛でるのではなく、同じ生命として感情を有しているように描かれている。また、2羽の鶏の配置は絶妙である。右上から左下に舞うモッコウバラの花びらに合わせるように奥の鶏の視線は、手前の鶏に流れている。これにより絵画全体に動きが出てくる。一般的に動物を重ねて描くのは難しい。色彩が重複し、野暮ったくなりやすいうえ、動きが絡まることで、構図が分り難くなってしまうためである。しかし、1体のみでは鑑賞者の視線が固定してしまう欠点がある。この作品は地面をついばむ鶏とそれを眺める鶏をモッコウバラとバランスよく配置している。しかも羽毛の流れによって2羽の鶏が相互に邪魔しないように描かれている。奥の鶏の羽毛は全体的にふんわりと緩やかに流れている。それに対し、手前の地面をついばむ鶏の頸部の羽毛は上向きになり、胴体の羽毛はやや複雑かつ密集し、筋肉に連動して引き締まった感がある。尾羽は力強い。鶏冠が赤いのは当然であるが、この二つの鶏冠によって、鑑賞者は2羽の鶏を交互に眺めるよう色彩的に誘導させられる。そのため、この作品は長く眺めても疲れない。
次に、本作を彩るモッコウバラについて考えてみよう。花びらを一枚一枚丁寧に描かれていることは一目でわかる。花弁の形、色、向きは微妙に変化しているが、ランダムに変えているのではなく、意図されたものである。鶏に近い花びらは向きが多様で風に舞う印象を強めている。画面の空白に近い箇所は淡く、太陽の光を感じさせる。そして、鶏の足元や画面下に花弁を溜めることで、地面を意識させている。背景は作品の雰囲気に合わせて水色を基調としている。モッコウバラの黄色は鮮やかであるが、鶏の羽毛は褐色であり、地面を現実のまま描写すると重苦しくなってしまう。涼やかな作品に仕上げるに水色のグラデーションは最良である。しかし、青系統は空のイメージが強く、非現実的な色彩を用いると鶏が宙に浮いているように見えてしまいかねない。モッコウバラの花びらを地面に舞い落ちたように描く事によって、鶏は地面に立っているリアリティを失わないでいる。日本画の空間を活かすという特殊性と写実性をうまく調和させている。
また、日本画では、被写体を輪郭線でくくる鉤勒法、墨や彩色の濃淡で形作る没骨法という技法があるのは広く知られている。モッコウバラの花と枝葉は、金の輪郭線で描いている。ただし、散っている花びらには輪郭線がない。儚く舞う花びらと、生き生きと咲き誇る花きが融合し、作品全体が瑞々しい生命力に満ち溢れてくる。
鶏とモッコウバラは、さも自然に合わさって描かれているが、現実に両者がこのように重なりあうことはない。モッコウバラは密集して咲く傾向にあるため、枝葉から鶏を垣間見ることはできないと思われる。また、つる性の特徴を利用してフェンスに這わせて育てる例も多く、一部の枝が横に突き出るように伸びることはあまりない。しかし、このモッコウバラに違和感を覚えることはないだろう。その理由は、華道における美の形態に立脚している。実際に作者は華道を習っており、そこで得た美意識が絵画に反映されている。画面の右から突き出た枝と鶏の視線を並行させることで、流れが生まれ、舞う花びらの動きを補完している。枝先を少し上げていることでアクセントをつけている。また、画面右下のモッコウバラは大ぶり描き、力強さと安定感をもたらしている。さらに、画面左下に少し蔓を描くことにより鑑賞者の視線を脱線させず、絵画を引き締めている。左の空白も余韻を残して良い。(2021年3月13)