タイトル:古書肆白猫堂のお店番
作家 :寺坂 安里
場所 :枝香庵
展示会 :枝香庵ウィンターフェスタ2024
購入日 :2024年12月22日
サイズ :サムホール
技法画材:透明水彩、顔彩、アルシュ紙
白猫さんと買い物客の女性はお互いを見ていますね。視線は合っていないですって? そんなことはありません。私たちからは見えませんが、天井から吊るされた丸い電球にお互いの姿が映っているはずです。このような場面を描けるのは寺坂安里さんならではの構図にあります。レンズを覗いたような空間については、《途中下車はいかがでせう》で鑑賞者を作品の中に取り込む効果があると紹介させていただきました。《古書肆白猫堂のお店番》では複数の視点を設けることで、描くべきものを描くことが可能にしています。鑑賞者を起点にすると、白猫さんは天井の真上から見下ろしていますが、女性はそれよりもやや斜め下から見ていることになります。女性は足元まで描かれているのもポイント。これにより店外の景色と自然に繋がることができます。外の街並みを描くことで、物語性が増してきますね。
そうは言っても誰もがレンズ構図を用いるのは難しいでしょう。もし本作を油絵で描けば、空間の歪みが強すぎて、乗り物酔いした気分になりかねません。水彩が持つ優しさや瑞々しさが可能にしてくれる表現です。もう一つ輪郭が白線(クリーム色)であることも大切であることに気づきました。レンズ構図であるがゆえに輪郭線がないと形がぼんやりとしすぎて、モチーフの識別が難しくなります。とはいえ黒線では重たくなってしまいます。白線(クリーム色)は軽やかさを保つだけでなく、橙色の色彩とも相性が抜群です。この橙色の世界にいつまでも居たいと思わせる秘密に少し近づいた気がしました。
さて、この店番をしている白猫さん、どんな性格をしているのでしょうか。私はなかなかに聡明で、お客さんたちに人間に斜に構えるところがあるように想像しました。『人間というものは一見すると賢そうだが、売れる本は流行りのファッションや娯楽小説ばかり、たまに哲学書を買おうものなら本棚の飾りか積ん読になるのが関の山』などぼやいていそうです。本を枕代わりにしているのは、これはどうせ売れない学術書だからと高を括っているのかもしれません。もちろん白猫さんの頭にジャストフィットするサイズ。でも、本当は寂しがりやなので、店番をしつつ人間の様子を観察しては声をかけられるのを待っていることも多いのです。電球に映るお客さんを見ながら、棚に寝ころび後足をばたつかせる姿は、どう見ても遊んでほしそうです。前足を顔に近づけているのはどこか寂しそうですね。
買い物に来た女性はそんな白猫さんをどのように思っているのでしょう。私には電球に映る白猫さん心の内を見抜いているように思えました。少し笑みを浮かべた女性はミステリアスに感じます。年齢は二十代なのでしょうか。だいぶ若くも見えますが、落ち着いた印象があります。女学生という雰囲気ではありません。洋傘を持つ手に注目してみましょう。柄を強く握るのではなく、指をスッと伸ばして支えています。とても美しい持ち方ですね。また、本を優しく抱え込む仕草も整っています。令嬢という言葉が似合う品の良さを醸し出しながらも、大正時代に特有の自由闊達なハイカラさがあります。大正から昭和初期までは『眉は細くこめかみまで垂れ下がるように引く「引眉毛」』が流行したそう。頬紅が定着したのも大正時代だとか [1]。この女性の化粧も近いものがあります。黄色のアイラインもお洒落です。これは大正時代の流行というより、作品の世界観をベースにアレンジしたのかもしれません。作者が描く橙色の世界は唯一無二なのです。
遊んでほしい白猫さん
今日は早めに家路に
白猫さんはやや不思議そうな表情をしています。この女性は本屋の常連さんではないのでしょうか。でも女性は白猫さんのことをよく知っているようにも見えますね。本棚の上に猫が寝ころんでいれば、もっと驚いた顔をするはず。いつもは白猫さんと遊んであげているのかもしれません。今日は予定があるのか女性は買い物を済ませると直ぐに帰ろうとしているので、白猫さんは残念がっているのかも。女性が手にした本は人気の探偵小説。早く家に帰って読みたいのかも…という推理をしてみました。白猫さんは心配しなくても、次の機会に遊んでもらえるでしょう。
着物の柄はツバキと思われます。店の外にいる男性もコートを羽織っているようです。そうすると季節は冬なのでしょうか。しかし、女性は日傘をさそうとしています。寒いという様子は感じられません。季節は鑑賞者が自由に想像できるようオールマイティーにされているように思いました。時間帯も微妙です。暗くはないため夜ではなさそうですが、日中とも違うような気がします。作者にお尋ねしたところ、明確に定めてはいないがどちらかと言えば夕方をイメージしているということでした。この女性は夕食の支度があるので、白猫さんを気にしつつ家路につこうとしている説も出てきました。季節や時間帯を自由に想像できるのも、寺坂安里さんが描く作品の特徴の一つ。これは橙色という色彩がもたらす効果です。橙色は明るくもありますが、ランプの灯りを連想させます。また、暖かくもありますが、寒さのなかで暖をとるようにも感じられるのです。つまり夏らしくもあれば冬らしくもあり、昼にも夜にも解釈できるのです。時間の「あわい」に私はいるような感覚になりました。
《待ち合わせ》ウィンターフェスタ2024出品
冒頭でレンズ構図について述べましたが、本作の構図を深掘りしてみましょう。左下の柿のような果物の形をした電球だけでなく、右上にも電球がぶら下がっています。左上は天井をレンズ状に曲げたのかもしれませんが、やはり円形になっています。三つの円が画面を支えています。さらに、理髪店のポール、椅子の座面、そして帯も円が描かれていることに気づきました。左下にある小さな球体は回転させるための柄があることから地球儀でしょうか。大小様々な円が画面に奥行きと立体感をもたらします。壁面の四角形のタイトルと形の対比も生まれますね。白猫さんから買い物客、そして外の街へと鑑賞者の視線を上手く誘導しています。
続いては色彩。橙色の世界をベースに暗くなりすぎないよう配慮されています。ポイントは理髪店の窓ガラス。白猫さんを俯瞰的に眺めているため、レンズ構図を用いても空のスペースは減ってしまいます。日傘をなくしてしまうのも寂しい。理髪店の窓ガラスは店内を見せるのではなく、空とサインポールの色彩をぼんやりと反射させていることに気づきました。これにより画面が軽やかに感じるようになります。画面の清涼剤のようなものです。また、つぶさに色彩を観察していると椅子の座面の一部に薄紫を載せているのが面白いと思いました。着物の色との連動性を感じます。アールヌーボー調の可愛い椅子のデザインにも目が行きやすい効果もあります。
路面電車と長崎長次郎書店[2]
外の景色へと続くことで物語が広がっていきます。帽子を被った男性二人は何をしているのでしょうか。看板には「大」という文字が読めます。暖簾のようなものも見えます。早めに仕事を終えた人が大衆酒場で一杯やろうとしているのかもしれません。開店しているのか店内の様子を窺っているようにも想像しました。古書肆白猫堂は商店が連なる2階建てが似合います。ただ、その先には大きな近代的なビル群が続いています。明治・大正の趣を残す商店街と洋風化が進む日本橋周辺との境目くらい。路面電車も近代化の象徴です。電気を取り込むためのパンタグラフもちゃんと描かれています。この女性は路面電車の停車場に向かっているとも想像できますね。私は路面電車の小さな車両に座っていると不思議と旅をしている気分になります。遠くではない近くにあるもう一つの世界。路面電車は鑑賞者を橙色の世界へといざなってくれます。(2025年4月6日)
[1]国立国会図書館 本の万華鏡 第29回めーきゃっぷ今昔-江戸から昭和の化粧文化-https://www.ndl.go.jp/kaleido/entry/29/2.html
[2]1874年(明治7 年)に開店した長崎長次郎書店は2024年6月30日をもって休業していますが、2階の長﨑次郎喫茶室は営業中ということです。また、書籍は上通の長崎書店で取り扱っているそうです。