現在の技術開発では,生成AIを駆使してさまざまな技術的な調査を行いながら,必要に応じてプログラムのコーディングも生成AIに任せている事例も珍しくなくなっている.そこまではいかなくても多くの技術者の机の上にはインターネットに接続されたパソコンがあり,それでいろいろなことを調べたり,電子メールで他の技術者とコミュニケーションをとりながら,技術開発を行っている思う.そのために,インターネットや電子メールのない状況は想像することが難しいのではないだろうか.
しかし,インターネットが普及したのは,それほど古くはなく,1990年代の後半くらいからだと思う.私が,NTTに就職したのは1980年であるが,その時代には,インターネットや電子メールがないどころか,個人用パソコンも普及していなかった.当時,私の机の上には,黒電話が1台あるだけだった.もちろん携帯電話も存在していない時代である.それでも各技術者は精力的に研究や技術開発を行っていた.どうしていたかと言えば,図書館に行き文献を探したり,周囲の先輩の研究者に相談しながら進めるのが一般的であった.現在に比べて,時間がとてもゆっくり動いていた気がする.それは,現在の状況と比較すると,一見非常に非効率な状況のような気もするが,何か行動をするたびに時間がかかり,また待ち時間もあるので,その都度しっかり自分の頭だけを使って検討することが必要となる.それは悪い話ではなかったと思う.
国際会議一つとっても,今から思うと信じられないくらい時間がかかった.電子メールもない時代であったので,電子的に投稿することはできなかった.1年がかりで論文投稿をすることになる.投稿者は,投稿論文の原稿をタイプライターで紙に印刷し,4部くらい紙のコピーを作り,学会などに国際郵便で送るわけである.その後にプログラム委員は,各論文につき数名の査読者にその原稿のコピーを(4部のうちの3部を)再び国際郵便で送る.論文の査読者は査読したのちに,その結果を国際郵便で学会に送る.査読結果も国際郵便で投稿者に戻ってくる.各国際郵便での郵送に1~2週間かかるために,信じられないくらいの時間がかかる.そのために,むやみに論文を投稿することも難しいので,論文を投稿するときにはしっかり時間をかけて吟味することになり,論文の品質も上がっていたかもしれない.更に,論文の流通数もそれほど多くならないために,投稿者が大切にされていた気がする.私が始めて投稿した国際会議で驚いたのは,大きな封筒で査読結果が送られてきたのだ.その理由は,査読者の1名が「論文の内容はとても面白いが英語の表現に問題があるので,英語の添削をしておいたので参考にしてください」という手紙とともに,投稿原稿の紙のコピーに手書きで英文添削されたものが入っていたことである.当時であっても,これは普通ではないと先輩から言われたが,今の時代では信じられないことだと思う.
現在は,インターネット,電子メール,AIの支援ツールなどの普及により,いろいろな意味で技術開発が効率化し,非常に速いテンポで技術は進化していて,とても素晴らしいことである.しかし,それら便利な環境がない時代であっても,技術者にとって良い点は沢山あったと思う.
初めてNTTの研究所に配属されたときに,新人は朝8:30の始業時間よりも少し早くきて,研究室の20名くらいのお茶碗を洗い,お茶を皆に配るものだよと言われた.今だと,「それはパワハラだ」とか,「お茶をいれることで給料をもらっているわけではない」と批判されそうである.事実,私も最初に言われたときにそのように思ったが,少し上の先輩にまったく想像外のことを言われた.こんな「素晴らしい新人の特典が嫌ならば,私がやりたいので私がやるよ」と言われたのだ.結局,その先輩に手伝ってもらいながら一緒にやることになったが,その素晴らしさは,その後にすぐに理解することになった.
インターネットも電子メールもない時代に非常に重要になるのは人とのリアルなコミュニケーションである.新人がお茶を持っていくと,単に「ありがとう」と言われておしまいのこともあるが,多くの場合には良く知らない先輩でも,その先輩から,「もう研究室は慣れた?」,「何か困ったことはないか?」,「どんな研究をやろうとしているのか?」,「その研究ならば,私も前に調べたことがあるので,その資料を見るか?」,「その研究ならばだれだれさんの意見を聞くと良いよ」などと言われる.雑談で趣味の話もする.もちろん,お茶を持たずに直接その人とのところに言って相談すればよいのだが,そのためにはしっかり準備をしないと失礼になるし,その人が忙しい時には迷惑をかけるという心配もある.しかし,お茶を配るという行為は,何も準備もせずに研究の話もできるし,その人が忙しいか忙しくないかもお茶を出した時のリアクションですぐにわかる.また相談する相手も,隣の席の人とか,似た年代の人には,ある程度簡単に話しかけることはできるが,室長やグループリーダなどの10歳も20歳も上の人に相談に行くことは新人には抵抗がある.更に,当時は研究室は数名ごとの小部屋になっていたが,お茶も持たずに別の部屋にノックして入っていくには,ある程度の準備と心構えをしなくてはいけない.お茶くみは,これらを超越したコミュニケーションのきっかけを作るのだ.これは当時においては素晴らしい新人の特典である.
お茶くみとは別の話であるが,煙草部屋コミュニケーションというのも話に良く聞く.私自身は煙草を吸わないので話に聞いただけであるが,煙草部屋は異なる部署で異なる年齢の数名の人が密室でしばらく時間を共有するために,そこで新しい研究プロジェクトが始まったり,場合によっては人事もそこで決まるという話もあった.煙草を吸う時間の長さがちょうどよいのかもしれない.現在ではほとんどの人が煙草を吸わなくなり,多くの企業でも煙草部屋はなくなり,このような状況は発生しなくなっている.そもそも煙草は健康にも良くない.但し,これもコミュニケーションのきっかけを作るには助けになっていたのだと思う.
インターネットやSNSなどが普及した現在では,上記のような新人のお茶くみや,煙草部屋は必要なくなったように思うが,人はいつの時代もコミュニケーションのきっかけを作ろうとしていて,このコミュニケーションが素晴らしい技術成果などにつながっていたように思う.将来のコミュニケーション手段を考える際にも,昔このようなコミュニケーションを参考にしても良い気がする.
1980年に入社した時には机の上には固定電話が1台あっただけで,他の端末などは何もなかった.
その数年後には机の上にコンピュータの端末が設置された.当時,私が使用していたコンピュータはミニコン(DG社MV8000)であったが,ミニコンは冷房の良くきいた場所に設置され,冷却ファンのために騒音もひどかった.そのために,そこに1日中滞在していると体調がおかしくなる.またそのミニコンはTSS(時間分割)で複数の端末で操作できるようになっていた.そこで電話線を利用して,モデムを利用してその端末を各自の居室にもってくることが可能となった.居室は静かであるし,人間にとって適切な温度に設定されていたために,ここでプログラム開発をすることで飛躍的に開発効率は向上した.ちなみにこの端末とは今のPCとは異なり,キーボードとCRTディスプレーで表示は英数字だけである.これはプログラムの開発環境が良くなっただけでなく,まったく別の応用として,同じコンピュータを使用している数人の仲間とは,簡単なコミュニケーションが取れるようになり,興味深く感じた.
しかし,まだその時点ではコンピュータ間はイーサーネットなどで接続されていなかったので,別のコンピュータを使っているユーザーとの間ではコミュニケーションをとることはできなかった.その後近くに設置してあるコンピュータ同士がイーサネットでつながるようになった.本来,データなどの共有に役立つと考えていたが,その目的以外に,同じ職場のメンバーとの電子メールはできるようになった.どちらかと言えば,電子メールのメリットのほうが大きかった.但し,この時点では日本語がサポートされていなかったために,英語かローマ字でコミュニケーションをとっていたが,それでも便利に感じた.特に,コンピュータの端末で他人とコミュニケーションをとることのわくわく感があったように思う.遠方のコンピュータと接続され,遠方の人と電子メールでコミュニケーションをとることができるようになる一歩手前の状況である.
その後,コンピュータを遠方にあるコンピュータと接続するようになった.しかし,最初の接続は現在のようなインターネットによるオンライン接続ではなかった.そのために,現在のインターネットのように遠方の人とのリアルタイムで電子メールのやり取りが行えるわけではない.コンピュータ同士が,適当なタイミングで普通の電話回線を使い電話をかけ合い,モデムでデータ通信を行なうというものである.UUCP(Unix to Unix Copy Protocol) と呼ばれていた.但し,データ転送の速度は非常に遅いものであった.遠方の人に電子メールが届くのには数日かかることもまれではなかったし,届く保証もなかった.それでもわくわくしたものであった.電話は,直接にメール相手のコンピュータに頻繁にかけられるわけではなく,複数のコンピュータを経由しながら電子メールが伝わっていく.その仕組みを聞くだけでも驚いたものである.良く考えたものだと思う.
やはり人間は他人とのコミュニケーションを潜在的に欲していて,そのためには多少面倒でも技術的な努力をおしまないことが良く分かった.
研究開発,技術開発のスタイルを大きく変化させたツールの一つとしてワードプロセッサーがある.
研究開発を行う過程では,いくつかの段階で,文書化が必要となる.研究計画書の作成,研究の進行段階での定期的な報告書の作成,最終的な結果を論文化するなどの最終報告書の作成などがその代表的なものである.ある時期からその報告書の作成でワープロが大活躍をするようになった.特にコピー&ペーストの機能はとても役に立つ.前に書いたことをとりあえずコピーし,それを基準に修正点を書くことにより,進捗もわかりやすく整理される.
しかし日本語ワードプロセッサーが普及したのは,1980年代の半ば以降である.私が研究所に就職した1980年には存在しなかった.ワープロは,2つの技術的なブレークスルーにより普及することになった.一つはかな漢字変換の発明である.2000種類以上の漢字を持つ日本語を機械に入力するのは,以前はとても困難であったが,かな漢字変換の発明により,普通のキーボードで日本語が手軽に入力できるようなったということである.もう一つのブレークスルーは日本語を扱えるパソコンの普及である.NECのPC9800がその中心であるが,そのパソコンにワープロのソフト,例えば「一太郎」や「松」をインストールすることにより,パソコン上でワープロが実現できるようになった.もちろん専用ワープロも販売されていたが,情報系の技術者の場合には,別の用途にも使えるパソコン上のワープロのほうが好まれた.
ワープロの普及は,前述したように報告書などの文書作成を効率化したが,私のような一部の人間にも大きな恩恵をもたらした.私は文字を書くのが下手であった.文字がうまい人は,小学生のころから紙に文字を書くことで皆に褒められるので,文章を沢山書く習慣ができ,ますます文章がうまくなる.文章の上手い人と,その人が過去に書いた文章の量との間には,強い相関があると思う.つまり文字の上手い人と文章の上手い人には強い相関があると思う.私は文字が下手だったために小学校の時の作文や感想文などを書くことがとても苦手であった.しかし,ワープロの普及で,きれいな文字がどんどん書けるようになると,文章を書くことに抵抗が少なくなり,文章を書く量が増えていった.結果として,うまいとは言えないかもしれないが,人並みの文章が書けるようになったと思う.
このように簡単な道具であっても,一部の劣等感を持っている人にとって,大きな武器になることを感じた.