なんでもありません。

(関連作品)

1・なんでもありません。

2・めりー・くりすません。

3・わたぬきのウソの噓。


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

(役表)

A♂:

B♀:

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━


B:ありがとうございましたー。


A:ありがとうございました。


B:……はぁ~あ……


A:どしたの。

  わざとらしいくらい、妙にでかい溜息吐いて。


B:いや、私、昔からずーっと気になってることがあってですね。


A:なに。


B:あ、でも先輩今作業中ですよね。


A:んー?

  ……いいよ、違算チェックしてるだけだし、お客さんもいないみたいだから。


B:それもそっか。

  あのですね、パックジュースを売る時に、「ストローお付けしますか?」って聞くじゃないですか。


A:聞くねぇ。


B:あれって、1リットルパックの時って、聞くかどうか迷わないですか?


A:なんで?


B:だって、いや、500ミリならわかりますよ?

  ああ、自分で飲むんだなって、大体分かるから。

  でも、1リットルとなると、「ちょっと一休み」って飲む量じゃないし、

  それに、相手が子連れの母親だったらどうします?

  1リットルのパックジュース持ってこられたら、聞きます?

  「ストローお付けしますか」って。


A:……聞かない、かもしれないね。


B:でしょう?

  でも、相手が学生とか、ビジネスマンっぽい人だったら、どうします?


A:聞くね。


B:見るからに、一人暮らししてますって人だったら?


A:聞かずとも付ける。


B:でしょう?

  ややこしいっていうか、迷いません?


A:迷わないね。


B:え、なんで?


A:聞くって決まりだから。


B:えー……

  でも、明らかに必要のないこと聞かれたら、

  相手だって「めんどくさいなあ」って思うかもしれないじゃないですか。


A:相手だって、聞かれるって大体分かってるから、気にするほどじゃないよ。


B:むー。

  じゃあ、もうひとつ。


A:まだあるの?


B:終わってませんよ。


A:あ、そう……


B:1リットルジュースだったら、ストローを付けるかどうか迷うって話、今したじゃないですか。


A:僕は、迷わないけどね。


B:そういうていで話を進めようとしてるんです。

  合わせてください。


A:あ、はい。


B:じゃあ、質問です。

  「はい」か「いいえ」で答えてください。


A:……なに、いきなり?


B:今、あなたはコンビニの店員をしています。


A:うん、今まさに、そういう状況だね。


B:そこへ、お客様が。


A:いらっしゃいませー。


B:1リットルパックの、オレンジジュースをお買い上げです。

  ストローをお付けしますか。


A:え、僕は店員じゃないの?


B:間違えました。

  ストローをお付けしますか、と聞きますか。


A:はい。


B:1リットルパックの、お茶をお買い上げです。

  ストローをお付けしますか、と聞きますか。


A:……はい。


B:1リットルパックの、牛乳をお買い上げです。

  ストローをお付けしますか、と聞きますか。


A:………………


B:聞きますか。


A:………………


B:ストローをお付けしますか、と聞きますか。


A:黙秘権を行使します。


B:素直に迷うって言ってください。


A:いいんじゃないの、欲しいって言うなら付けとけば。


B:投げやりにならないでください。

  私はいわゆる、日常で使われる一般的フレーズのボーダーラインを、普段から探しているんです。


A:ちゃんと仕事をしてください。

  ……ほら、また違算だよ、150円ずれてる。


B:そんなの、私じゃないかもしれないじゃないですか。


A:君がレジに入る前までは無かったの。

  ちゃんと確認してるんだから、素直に認めなさい。


B:ちぇっ、はーい。


A:全く、わざわざ僕とシフト合わせてくることないのに。


B:だって、他のアルバイトの人、みーんな黙々と作業ばっかしてて、

  こっちが今みたいに話しかけても、「あ、はい」とか、「そうですねー」とか、

  適当な相槌しか打ってくれないんですよ?

  こっちは真剣な話をしてるのに。


A:聞く価値も無いと思われてるんじゃないの?


B:ひどい!


A:まあ、バイト仲間同士でコミュニケーションをとること自体は、いいことだけどさ。


B:やっぱり、先輩って優しいですよねー。


A:なんで?


B:こういうくだらない会話に付き合ってくれるし、フォローもしてくれるし。


A:くだらないって自覚はあるんだね。


B:あ、「こちら温めますか」って聞くべきなのはどこまでなのか、っていう議題もあるんですけど。


A:仕事をしてください。


B:えー。

  だって、お客さんいないじゃないですか。


A:レジ打ちだけが仕事じゃないんだから。

  品出しとかいろいろあるでしょ。


B:全部先輩がさっきやっちゃったじゃないですか。


A:あ。


B:……先輩って、少し天然入ってますよね。


A:そう?


B:そうですよー。

  私は好きですよ、そういう人。


A:どういう意味?


B:なんでもありませーん。


A:あ、そう。


B:………………


A:………………


B:お客さん、来ませんねー。


A:そうだねえ。


B:………………


A:………………

  ああ、そういえば。


B:はい?


A:来月のシフト、提出してないよね?


B:あ、まだです。

  もう決めちゃいました?


A:いや、まだだけど。

  時期が時期だから、一応聞いておかないとなって。

  この間みたいに、後でいきなり「やっぱり無理でした」とか言われても困るし。


B:あー、そうですよねー。

  クリスマスですもんねー。


A:そうだよ。

  だいたいバイトの子って、そこはみんな休みにしてくださいって言ってくるからさ。


B:え、じゃあ先輩、クリスマスの日は毎年独りで、ここに立ってるんですか?


A:そうだよ。


B:うわぁ……


A:なに。

  やめてよ、その捨て犬を見るような目。


B:別に、なんでもありませんよー。

  それより、クリスマスで思い出したんですけど。

  クリスマスプレゼントって、その人が渡す相手をどう思ってるかで決まりません?


A:なに、また新しい議題?


B:はい。

  友達とクリスマスパーティーとかやると、いつも感じてるんですよ。

  個性と価値観と、あと人間関係が垣間見えるなあって。


A:なんでパーティーでそんな達観してるの。

  素直に楽しみなよ。


B:いやほら、誕生日プレゼントだったら、相手の欲しいものをあげるのが、なんとなく定石っぽいし、

  バレンタインデーだったらまあ、9割方がチョコレートじゃないですか。


A:それはあくまで、日本においてのバレンタインであって、外国じゃあ別にチョコじゃなくてもいいし、

  もっと言えば、それに乗じて告白だなんて習慣は無いんだけどね。


B:あ、そうなんですか?


A:そうだよ。

  日本国内で流行しだしたのは1958年頃で、まあ実際に、今みたいなバレンタイン、

  いわゆる、「女性が男性に愛の告白の形としてチョコレートを贈る」っていうのが社会に定着し始めたのは、

  だいたい1970年代後半くらいらしいんだけど、そうなるまでの過程というか、

  どういう経緯で、どういう意図で、誰が起源になったのか、っていうのは諸説あって、

  どれが一番信憑性があるのかって聞かれても、はっきりと断言することはできないし、

  いかんせん、言い方は悪いけど、内容が俗っぽいからか、

  まとまった研究っていうのもあんまりされてないから、未だに専門的な事は明らかになってないし、

  そもそも外国から伝わったとは言っても、向こうの人たちは別にバレンタインデーじゃなくても、

  普通に普段から、気が向けばそういうような事をしてるから、

  日本でのバレンタインっていうのは、他の国と比べてもかなり変わってるし、

  この国は、つくづく独自の発展が好きだなあって思うよ。


B:あの、先輩?


A:でもね、今のご時世、チョコレートを渡すことばっかりに目がいって、知らない人も多いかもしれないけど、

  バレンタインデーの元の元は、キリスト教司祭のバレンタインって人が処刑された日であって、

  いわば命日なんだけど、これが結構切ないというか、時代を感じさせるというか、なかなか面白くてね。

  まあそれは、論点が違うから今は言わないけど、

  ただね、


B:先輩。


A:え、なに?


B:「なに?」じゃないですよ。

  どうしたんですか、普段獲物を待ってるカメレオンみたいな先輩が、いきなり恐ろしいくらい饒舌になって。

  明日はみぞれですか?


A:こういうのって調べると、結構面白いんだよ。

  それにしても、例えがひどいね。

  僕ってカメレオンみたいだと思われてたの?


B:でも、雑学なんて、結局役になんて立たないんじゃないですか?


A:そんなことはないよ、役に立つよ。


B:どうやって?


A:人間関係を築いていく上で、役に立つんだよ。

  初対面の人間だと、なんとなく日本人は、

  「話合わせなくちゃ」、「なにか面白いこと言わなくちゃ」なんて思って、

  妙に会話のハードルを上げてるから、コミュニケーションが成立しにくいんだよ。

  さっき言ってたでしょ、他のバイトの子が話してくれないって。

  たぶん、頭の中で、必死に話題を探してるんだよ。

  でも、咄嗟には出てこないから、結局その場凌ぎ的な相槌とか、愛想笑いしかできなくて、

  周りからはつまらないとか、冷たい人だと思われるんだね。


B:それはまあ、確かに。


A:でも、雑学は、いわば豆知識なわけでさ。

  なんでもない話だけど、知っているとちょっとだけ面白い、っていう便利なジャンルなんだよ。

  相手がそれを知っていようがなかろうが、とりあえず話題にはなるし、

  少なくとも、雑学の知識を多く持っていて、マイナスになることはそうそう無いと思うよ。


B:そっかぁ。

  じゃあ今度、「カメレオン先輩は、ちゃんと饒舌で、ちゃんと面白い人だよ」っていう雑学を、

  他のバイトの子に広めておきますね。


A:それはいいけど、呼び名だけはちゃんとしてね。

  僕、生まれてこの方、ずっと人間だから。


B:物の例えですよー。


A:で、なに?


B:え、なにって?


A:クリスマスプレゼントがどうの、って話、しようとしてたでしょ。


B:あー……忘れちゃいました。

  バレンタインうんちくで、お腹いっぱいです。


A:あ、そう、それはよかった。

  それで、シフトどうするの、来月。

  特に、クリスマス周辺。

  去年は休みだったし、今年も休みにしとく?


B:んー……いいです。

  今年は入れといてください。


A:あれ、今年はなにか、予定は無いの?


B:まあ、一応友達からまた、パーティーの誘いが来てるんですけど、

  今年はやめておこうって、最初から決めてたんで。


A:達観しちゃうから?


B:それもありますけどね。


A:他に、まだなにか理由が?


B:なんでもありません。

  ていうか、あんまり詮索しないでくださいよー。


A:ごめんごめん。

  じゃあ、シフト入れといていいんだね?

  他の人がみんな休みだから、いつもより少し長くなるけど。


B:全然構いませんよ。

  丸一日でもいいくらいです。


A:それは無理。


B:分かってますって、言うだけ言うだけ。

  あ、先輩はもちろん、その日も一日中いるんですよね?


A:そうだけど、もちろんは余計じゃないかな。

  というか、僕だってここに寝泊まりしてるわけじゃないんだから、一日中じゃないよ。


B:わかってますってばー。

  いいですよ、今年は私も出勤で。


A:そう、了解。

  ……それじゃあ、そろそろ時間だし、あがっていいよ。


B:はーい。

  ……あ、先輩。


A:なに?


B:……やっぱり、なんでもありません。

  それじゃ、お疲れ様でしたー。


A:お疲れ様。


  ……やれやれ。

  とりあえず、ケーキ1つ、取り置いておけばいいかなぁ。


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━