Bittered
(関連作品)
3・Bittered
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(役表)
男♂:
女♀:
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(深夜・扉をノックする音)
男:はいはい、どうぞ。
女:どうも隊長、こんばんは。
男:……なんだ、お前か。
女:なんだお前か、とは失礼な。
私じゃない方が良かった?
男:別に、そんな事まで言ってないだろ。
それよりどうした、こんな時間に。
俺に抱かれにでも来たのか? 副長さんよ。
女:その通りよ、と言ったら?
男:……冗談だ。
女:結構。
男:本当、口ではお前に勝てる気がしねえな。
女:それはどうも。
それより、そろそろ中に入ってもいい?
やっぱり寒いのよ、この廊下。
男:ああ、どうぞ。
女:お邪魔しまーす。
……あら、本なんか読む趣味ありましたっけ?
男:別に。
ただ、どうにも眠れなくってな。
睡眠薬代わりにでもなるかと思ったが、逆に読み耽ちまってた。
女:「There is strong shadow where there is much light.」
……光が多いところでは、影も強くなる。
ゲーテだっけ?
男:ああ、よく知ってるな。
お前は本読むのか。
女:全然。
文字がずらっと並んでるのを見ると、頭痛くなるもの。
ゲーテっていうのも勘。
男:……そうかよ。
女:あ、珈琲でも入れようか?
男:ますます眠れなくなっちまうだろ。
女:大丈夫よ。
「どれだけ眠れなくなる成分を摂取しようが、一日に満足していればその日はぐっすり眠れる」
って言葉もあるくらいだから。
男:それもゲーテか。
女:ううん、私。
男:……途端に説得力が無くなったな。
女:そう?
言葉なんて結局内容より、誰のものであるかのほうが大事よ。
私は私の言葉しか信じないから、著名人の言葉より、よっぽど効くの。
男:隊長の俺の言葉よりも、か?
女:さあ、それは中身次第かな。
男:……お前、言ってること滅茶苦茶だぞ。
女:今更でしょ。
隊長、砂糖はおいくつ?
男:3つ。
女:ふふっ。
相変わらず、苦い物は駄目なのね。
男:ほっとけ。
女:ミルクもたっぷりお入れしておきましょうか、隊長様?
男:結構だ。
女:ムキになっちゃって。
……はい、どうぞ。
男:ああ。
女:こういうのは、男から積極的にやってあげると、好感度も上がるわよ。
男:……そうかい、覚えとくよ。
(間)
男:……で?
女:ん?
男:結局、何の用で来たんだよ。
女:んー、何となく?
男:何だそりゃ。
女:冗談冗談。
……まあ、ちょっと、目が冴えちゃってね。
男:珍しいな。
お前でも、緊張はすんのか。
女:私だって人間だもの。
緊張くらい、したっていいでしょ。
男:別に、駄目とは言ってねえだろうよ。
珍しいなって思っただけだ。
……ま、明日から暫く、今まで以上の激戦地区に入るからな。
緊張しない方が、無理な話か。
女:そんなところ。
……でね。
折角だし、久し振りに昔話でもどうかなって思って。
男:何だよ、いきなり。
女:そういう話、もう長い付き合いだけど、したこと無かったでしょ。
男:そりゃあ、まあな。
女:だから、ね。
お互い眠れぬ夜に、酒の肴にでもどうかなって。
男:飲んでるのは珈琲だけどな。
女:細かいことはいいの。
男:はいはい。
……けどなあ、そんな大した話も無いだろうに。
女:どうして?
男:どうしてもこうしても。
たかだか5年かそこらだろうよ、お前が副長に就任してから。
女:十分じゃない、5年も経ってれば。
……そんなに経ってる実感が無いって事は、それだけ充実してるって事なのかな。
男:仮にも、戦争屋の十字架背負ってる傭兵の台詞じゃねえな。
鉄火場に身を投じる日々に充実してるとか、狂人だと思われるぞ。
女:良いじゃない、別に。
そう思う人には、そう思わせておけば。
戦争屋だろうと傭兵だろうと狂人だろうと、私は私。
そう生まれてそう育ってしまったのなら、そうあれかしってね。
男:……すまないな。
女:どうして謝るの?
私の為?
それとも、自分の為?
男:どっちも、かな。
お前が望んで入ったとはいえ、そのきっかけを作り、与えたのは俺だ。
5年前のあの日に、俺と関わらなければ……
俺と出会わなければ、お前にも、女らしい幸せってモンが、もしかしたらあったかもしれない。
女:もしかしたら、でしょ?
そんな確率的でしかない存在に罪悪感を感じて、謝られても困るわ。
シュレディンガーの箱の中にいるそんな私はきっと、とっくの昔に死んでいるもの。
男:……そうかい。
女:むしろ、私からしたら、感謝したいくらいよ?
男:感謝?
女:そう。
もしもあの日に、隊長と出会っていなかったとしても、たぶん、私の存在意義は変わってない。
けど、出会う人が違っていたなら、今頃血腥い土に埋もれて、野垂れ死んでるわ。
祖国万歳、名誉の戦死だなんていう、赤錆塗れの栄光に讃えられながらね。
男:感謝されるような謂れはねえよ。
こんな生き様を続けてる限り、死ぬのが早いか遅いかくらいしか違いがねえ。
生き甲斐も拘りも捨てて、ただ、薬莢の山と人殺しの業を重ねるだけだ。
直に、俺達の存在価値すらも、無くなる時代が来る。
それが世に言う所の、平和って物なんだろうがな。
女:ふふっ、隊長ともあろうお人が、おかしな事を言うのね。
男:あん?
女:そんな時代は来ないわよ。
世界の、いいえ。
私達の戦争が、無くなるなんて事は有り得ない。
少なくとも、人類が滅亡しない限りはね。
個性、思想、意地、自尊心、主義主張に政治経済、人種、権利、武力の誇示。
理由や体裁は星の数ほどあれど、根本は何一つ変わらない。
それを私に教えたのは、他でもないあなたじゃない。
男:「I am not you.
You are not me.
Then, we cannot but the war.」……か。
女:分かりやすい方程式だわ。
それでいて、そう言い出した人達が最前線に立つ事なんて、まず無いものね。
喧嘩売買商売繁盛、殺し殺されやいのやいので、勝っても負けても仲良し小好し。
……三流芸人の一発芸の方が、まだお金が取れそうなくらいの茶番だわ。
男:その茶番の一役者を担ってる、俺達の立場で言ってもな。
女:そんな一役者を担う、私達の立場だからこそ、よ。
見世物小屋の道化役なんて、何万札積まれたって御免。
金、名誉、地位、武勲、勲章……与えられる褒賞の薄っぺらなこと。
結局の所、時代が過ぎればそんな徽章、安メッキが剥がれて、殺戮者の証にしかならないんだもの。
返されるのが分かってる掌で、踊る阿呆にも見る阿呆にも、一生なりたくなんてないわ。
男:……ま、いつの時代に生まれたとしても、お前はそうだろうさ。
女:そういうこと。
……はーあ。
あはは、駄目ね。
今日はどうにも、荒れてるみたい。
男:そうみたいだな。
「冷血の仮面」と呼ばれた副長殿も、所詮は人間って事だろ。
珈琲のおかわりは?
女:何よそれ。
私の知らない所で、そんな渾名付けてたの?
頂くわ、折角だし。
男:いいや?
初めて会った時から、俺の中でだけそう呼んでる。
女:あらそう。
それは残念だわ。
男:何が。
女:そんな名前で語り継がれれば、少しは私という存在が、
今は此処に、これまではあなたの記憶に、これからは隊の皆の記憶に。
遺る事だって出来るじゃない。
男:……結局、お前は何も変わってないのか。
女:愚問ね。
何時何処で誰と出会い、何を話してどれだけの時を共にしようと、私は私よ。
殺したがりの戦争の犬で、生きたがりの生臭女で、死にたがりの一兵卒。
生き様よりも死に様に拘ってるから、意地も汚く成り果てて、溝臭く生きてきた。
だからこそ、利己的にすら見える程、己の意志に従って生きるあなたが眩しいし、
正直、羨ましい。
男:………………
女:……でもね。
妬ましくて、嫉ましくて、悋気すら湧くけれど……
やっぱり、憧れる。
出会った時から何も変わっていないからなのか、
それとも、私とあなたとの間に隔てた影が、あまりにも色濃くなり過ぎたからなのか……
あなたの背中が、妙に遠く感じる事がある。
不思議よね。
いつも背中合わせで、時には鉛の驟雨だって、切り抜けてきたのに。
あなたの背中が大き過ぎて、私の背中が何処にあるのか、分からない時すらある。
家族も故郷も、戸籍も過去も何もかも捨てて生きてるあなたが、私よりも……
……あなたのせいよ。
男:それが、お前の本音か。
五年来、十年来……いや、一生来のお前の。
女:……そう、そうね。
きっとこれが、今の私の、本心の号哭なんでしょうね。
私は、こんなに弱い人間じゃなかった筈なのに。
征野に立つなんて、息を吸って吐くくらいに、自然に出来ていた筈なのに。
他人のぬくもりを求めるくらいなら、そんな弱犬な私の蟀谷なんか、撃ち抜いてやった筈なのに。
……ねえ、返してよ。
ただの死にたがりだった私を。
いつか死ぬ時にでも、やっと死に場所を見付けられたって、笑う筈だった私を。
死に様を探し倦ねて、生き様なんて物を蔑んでた私を……返してよ。
男:……What is important in life is life, and not the result of life.
女:何、それ。
男:人生において重要なのは生きることであって、生きた結果ではないって事だよ。
女:それもゲーテ?
男:そう。
女:……薄っぺらだわ。
男:そうかよ。
悪かったな、他人の言葉ばっか借りて。
女:自覚はあるのね、尚更タチが悪いわ。
男:そりゃあ、申し訳ねえ事で。
だけどな、今、俺から言える言葉はそれくらいだ。
確かにお前の言う通り、俺もお前も戦争の犬で、生きたがりで、やっぱり、ただの死にたがりだ。
薄っぺらな褒賞の為に命張って、殺したり殺されたり、死んだり死なせたりしてる、
この世界きってのロクデナシ集団の、隊長と副長だ。
そりゃあ性根も腐って腐って、思想も思考も、歪んでいくだろうよ。
それに加えて、ただでさえお前は、スラムの出だ。
餓えても、泣いても、喚いても、藻掻いても、縋っても、
泥靴で蹴り剥がされて、唾吐き捨てられるだけだったんだろ。
自分一人の力で生きていかなくちゃいけない、他人なんて当てにならない。
だからこそ、お前の戦いは純粋で、一片の迷いも無く、躊躇も、躊躇いも容赦も無い。
挙句の果てには、自分がクソだと自覚し、中途半端に達観しちまったが故に、
死に様を探す、なんて抜かすようにまでなっちまった。
……だがな。
俺の下に従いている限り、嘗てのお前も返してやらねえし、
最高の死に様、なんてものも与えてやらねえ。
溝水に塗れようが、血飛沫に濡れようが、糞尿に溺れようが、
今のお前は、俺の隊の副長だ。
俺の次に死んじゃいけねえ、この隊の要の支柱だ。
迷うなら迷え、惑うなら惑え。
求めるのなら、溢れ返るくらいまで、ありったけ求めろ。
その程度の腑抜けなんざ、俺が見てきた屁っ放り腰のド素人共に比べりゃ、
糞餓鬼の駄々よりも可愛いモンだ。
けどな、中途半端な腑抜けのまんま、俺より先に死ぬなんざ、誰が許しても、俺が許さねえ。
万に一つ、億に一つだ。
まかり間違って、そんなことになってみろ。
常世の国まで追い掛け回して、終いには俺が、お前をもう一度殺し直す。
女:……良いかもね、それ。
男:馬鹿か。
女:少なくとも、あなたよりは馬鹿じゃないわ。
男:その憎まれ口が無くなりゃ、もう少し可愛げもあるだろうにな。
女:そんな私、想像するだけで気色悪いわ。
男:同感。
言ってみただけだ。
女:……ほんと、タチの悪い人だわ。
男:そうかい。
こうでもなきゃ、ならず者は纏め上げられないんでね。
ガン・カタと軽いジョーク、そしてさり気ない小細工は、傭兵隊長の嗜みだ。
例えば……そう。
夜更けに訪ねてくる女隊員に淹れる珈琲の豆を、ホワイトリカーで仕込んでおくとかな。
女:ああ……道理で。
全く、手間の掛かった小細工ですこと。
男:ま、単なる偶然と言われりゃ、それまでだがな。
女:はいはい、そうですか。
男:なんだよ、怒ってるのか?
女:「怒ってるのか」?
相手が怒ってるって分かってる人以外に、その質問をする人なんて、見たこと無いわ。
有る事無い事、洗い浚いぶち撒けさせてくれちゃって……
今更だけど、恥ずかしさで死にたいくらいよ。
男:俺が知ってる副長は、無い事は嘘でも言わないのが信条だったと思うが?
女:……本当、天性の女泣かせね。
碌な死に方しないわよ。
男:大いに結構。
死にたがりを騙るような生き意地の汚い奴にとっちゃ、
結果的に死ぬなら、どんな死に方だって碌な死に方になんてならねえもんだ。
女:……まあ、それもそうかもね。
ふふっ、でもお陰様で、なんか色々すっきりしたわ。
男:そりゃあ何よりな事で。
ぐっすり眠れそうかい。
女:ええ。
清々しい気持ちで、戦の庭に立てそうだわ。
男:ハッ。
やっぱり、お前は、根っからのウォー・ドッグだな。
女:お互い様、でしょ。
男:ああ、違いねえな。
女:そうね。
……それでも。
男:あん?
女:ロクデナシ集団の隊長だとしても、根っからのウォー・ドッグだとしても。
少なくとも、今まで私が見てきた人より、誰よりもまともな人よ、あなたは。
そう信じ切ってるからこそ、今日この瞬間まで、あなたに付いてきてる。
それだけは、酒の力に頼らなくても言い切れるわ。
男:……よせよ。
素面で言われると、こっちまでこっ恥ずかしくて仕方ねえ。
寝るならさっさと、自分の部屋で寝ろ。
女:あら、良いの?
私を同意の上で抱ける機会なんて、今だけよ?
男:男を揶揄うな。
女:はいはい、ごめんなさいね。
……それじゃ、おやすみなさい、隊長。
男:ああ。
……あー、そうだ。
女:なに?
まだ何か?
男:死ぬなよ、副長。
女:……ええ。
隊長こそ、ね。
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