デンプン分解酵素(アミラーゼ)は、麹菌が分泌生産する酵素タンパク質の中で最も生産量の多い酵素タンパク質です。このアミラーゼは、清酒、味噌、醤油などの発酵食品の製造や、さまざまな食品の製造・加工に欠かせない酵素タンパク質です。また、アミラーゼ遺伝子のプロモーター(=遺伝子の発現を調節するDNA配列)は非常に強い転写活性を持つため、アミラーゼ遺伝子のプロモーターに任意のDNA配列をつなげたDNA断片を麹菌に導入することで、麹菌の中でその遺伝子を高発現させることができます。この仕組みを利用して、様々な有用タンパク質が麹菌を宿主として生産されています。
麹菌のアミラーゼ遺伝子は、デンプンやその分解によって生じるマルトースが存在すると誘導されることが知られていました。しかし、アミラーゼ遺伝子が誘導される詳細な分子機構は不明でした。私たちは、麹菌のアミラーゼ遺伝子の発現に関与する転写因子(=プロモーターに結合して遺伝子発現を制御するタンパク質)の解析を行い、麹菌はマルトースを細胞内に取り込んだ後でイソマルトースに変換し、そのイソマルトースがアミラーゼ遺伝子の発現を誘導する転写因子を活性化するというモデルを提唱しました。このモデルは、モデル糸状菌で提唱されていたアミラーゼ遺伝子の発現誘導機構モデルとは異なっており、麹菌が独自のアミラーゼ遺伝子発現制御メカニズムを持っていることが示唆されました。
また、麹菌は米や豆などの固体基質上で培養すると、液体培地で培養した時より大量に酵素タンパク質を生産し、一部の酵素タンパク質は液体培養ではほとんど生産されず、固体培養でのみ特異的に生産されることが知られていました。私たちは、固体培養で特異的に生産される代表的な酵素タンパク質であるグルコアミラーゼ(GlaB)の生産を指標として麹菌の転写因子破壊株ライブラリーのスクリニーングを行い、固体培養特異的な遺伝子発現を制御する転写因子を初めて同定することに成功しました。
麹菌をはじめとする糸状菌は、様々な糖質加水分解酵素を生産します。これらの酵素遺伝子は、特定の化合物によって発現が誘導されますが、グルコースが存在すると発現が抑制されます。この現象は炭素カタボライト抑制と呼ばれ、糖質加水分解酵素の生産量が低下する主要な原因となっています。糸状菌の炭素カタボライト抑制についての研究は古くから行われており、1970年代には炭素カタボライト抑制の制御に関わる主要な因子が同定されていました。しかし、これらの因子によってどのように炭素カタボライト抑制が制御されているかは不明でした。
私たちは、麹菌においてこれらの因子の破壊や変異導入を組み合わせることで、アミラーゼやバイオマス分解酵素の生産量を10倍以上に増加させることに成功しました。また、炭素カタボライト抑制の制御機構の解明にも取り組み、炭素カタボライト抑制を制御する転写因子の分解機構の存在や、アミラーゼの発現を誘導するマルトースの取り込みを行うトランスポーターの分解機構の存在などを明らかにしてきました。
タンパク質分解酵素は、タンパク質を分解してペプチドやアミノ酸を生成するため、食品の味やコクなどの決定に重要な役割を担います。また、新たな機能性ペプチドの生成など、様々な応用利用が期待できます。麹菌のゲノム解読が行われた結果、麹菌のゲノム上には120個以上もタンパク質分解酵素遺伝子が存在することが明らかとなりました。しかし、これらの発現制御機構はほとんど明らかになっていません。私たちの研究室では、麹菌のタンパク質分解酵素遺伝子の発現制御機構の解明を目指した研究を精力的に行なっています。
また、麹菌においては、タンパク質の分解によって生じるペプチドやアミノ酸の取り込み機構についてもほとんどわかっていません。私たちは、麹菌においてジ・トリペプチドを取り込む3つのトランスポーターを初めて同定することに成功しました。
真核微生物では、分泌タンパク質や膜タンパク質をコードする mRNA は小胞体膜上で翻訳され、新生ポリペプチド鎖は小胞体内腔に送り込まれて正確に折り畳まれます。正確な折り畳みに失敗したタンパク質が小胞体内に蓄積すると細胞毒性を示すため、折り畳みに失敗したタンパク質を除くために様々な細胞応答機構が働きます。これらの細胞応答機構は小胞体ストレス応答機構と呼ばれ、モデル生物を中心に盛んに研究されていますが、その多くは化合物処理などによって人為的に小胞体ストレスを誘導した実験条件で行われています。
私たちは、麹菌においては化合物処理などをしなくても、アミラーゼ生産によって小胞体ストレスが誘導されることを明らかにしました。さらに、小胞体ストレス応答機構が働かないと、アミラーゼを生産する条件で生育できなくなることが明らかになりました。また、糸状菌においては、分泌タンパク質や膜タンパク質をコードする mRNA を分解する小胞体ストレス応答機構(RIDD)の存在が知られていませんでしたが、麹菌ではアミラーゼ生産条件において RIDD が起きていることを明らかにしました。麹菌は、タンパク質の高生産によって生じるストレスに対して巧妙に対処することで、高いタンパク質生産能力を発揮することができていると考えられます。