ハワイ島の奥地、マウナ・ケア山麓に、観光客も地元民も決して近寄らない小さな谷がある。
地図には載っているが、誰も行き方を説明できない。
ただ古老たちは、その一帯をこう呼ぶ。
“Kūの島 — Moku o Kū”(クーの領域)
大学院で民俗学を研究する私は、禁忌を破ってその谷に足を踏み入れた。
Kūはハワイ四大神のひとり。戦い、狩猟、政治、そして「創造と破壊の均衡」を司る神だ。
それ自体は文献にもある。
しかし、19世紀のある宣教師の日誌だけが、奇妙な一文を残していた。
「Kūは“地球の神”ではない。
彼らは、島を守るために“降りてきた者たち”のひとつだ」
“彼ら”とは誰か。なぜ複数形なのか。
私はその答えを求めて谷へ向かった。
夜になり、山の空気はひどく重く、湿り、耳鳴りのような振動が空気に混じっていた。
やがて、月に照らされる黒い石の像を見つけた。
それは人の姿をしていたが、目が深すぎて闇が落ち込み、腕は異様に長く、背中には裂け目のような模様が刻まれていた。
その瞬間、足元の苔がわずかに震え、空気が押し返されるように歪んだ。
……“起こしたか”……?
声ではない。
圧力のような意識の波が、頭蓋の内側を叩いた。
像の背中の裂け目が、音もなく開いた。
中は空洞で、そこには海のような、星空のような、名状しがたい深淵が渦巻いていた。
世界の裏側へとつながる裂孔——ポータル。
Kūは“降りてきた”のではない。
向こう側の“戦力”として造られ、この世界に送り込まれたのだ。
戦いの神として。
創造と破壊の均衡を保つ“調停者”として。
そしていま、その任務が再び始まろうとしている。
“均衡が崩れつつある……
人の世界は、目覚めたものたちを止められぬ”
像はゆっくりと首をこちらに向けた。
目は完全な空洞で、底から太古の海の匂いが立ちのぼる。
私は理解した。
これは神ではない。
クトゥルーともダゴンとも異なる系統の、島に特化した『門の戦士』だ。
破壊でも救済でもなく、ただ“均衡”のためだけに動く存在。
次の瞬間、裂け目は閉じ、像は元の無表情な石へ戻った。
振動も止み、谷は静寂を取り戻した。
しかし私の内側には、あの意識の残滓が今も残っている。
ときおり胸がざわつき、海が脈打つ音が聞こえる。
——たぶん、私は選ばれてしまったのだ。
Kūの“次の門”として。