縹本人によるThe destiny of the stars の
別視点やショートショートが置かれるかもしれない場所。
更新は不定期。場所だけの可能性もある。
「師匠、今回は絶対に来て下さい。」
絶対ですよ、と念を押しながら手渡されたのは、来週末にある有マ記念の入場チケットであった。頑固者ではあるが俺の言うことは割と素直に聞き入れる、自称弟子のウマ娘がこんなにも強く“絶対”なんて言葉を使うものだから何事だと身構えたが、いつも通りのレース観戦のお願いであった。ならばこちらもいつもの通り、気が向いたらなと軽く流してやることにする。どうせ俺は見に行かない。しょうがない。だって興味が無いのだから。もうレースの世界からは距離を置いた。元々脚が速いわけでもレースが強いわけでもないウマ娘だったのだから、当然だ。レース場に縁など無いのだ。だから行かない。見るモンも無い。毎回律儀に入場券を渡してくるコイツには悪いが。
「おう、気が向い」
「何で僕が有マに出るか分かりますか。」
サッと取れるはずだったチケットが動かない。あっちのチケットを握る手に力が入っているのが見て取れる。二色の珍しい瞳が睨みつけるようにまっすぐに、俺を見ている。出会った時から変わらない色と、輝きを宿しながら。
「僕がなんでG1に出走し続けているか分かりますよね。」
「……」
「僕がなんで有マ記念に固執しているのか、忘れたわけじゃないですよね。」
チケットを掴んでいない方の手に力が篭もる。その手を、目の前のウマ娘に見透かさせないよう、そっと隠した。
「忘れちゃいないさ。」
大きな耳を隠すように被った帽子のつばを引き寄せて目を伏せた。
忘れない。忘れるもんかよ。周りの静止も説得も振り切る勢いで「こちら側」に足を踏み入れようとした幼いウマ娘を、俺が出て勝ったことのないG1を勝ってからここに来いと言って諦めさせたのは、紛れもない俺自身なのだから。あの時は同僚たちときつい冗談だ無茶言うなと笑ったものだ。俺が出走して勝ったことのないG1を勝てるような奴は、こんなところに来るわけがないのだ。あの時は笑い話だと思っていた。ほんの冗談だった。G1を勝つウマ娘は一握りしかいない。無理とまでは言わなくとも、叶う算段の少ない条件だったはずだ。それが今はどうだ。俺に入場券を差し出すこのウマ娘は、もうとっくのとうにこの場には不釣り合いだ。俺を師匠と呼ぶ意味等無いぐらいには。そうだというのに。
「僕はまだ師匠との約束を果たせていない。まだ、何一つ超えられていない。」
「ハッ、」
何を、と思った。ウマ娘の夢をトレーナーの願いを、最強と幸運の称号を手にしたオマエが、何を言っているんだ。他のウマ娘が聞いたら殴られるぞ。あぁ、でも、オマエはそういう奴だったと思い直す。出会った時から言うことなんて聞いちゃいない。そしてそれが、どうしようもないほどに、昔の、現役だった俺に似ている。
「僕の夢は、その時からずっと師匠だけです。」
貴女の夢、私の夢が走る有マ記念。自分の夢が叶う本当の夢舞台。年末のグランプリ、G1有マ記念。十一連勝で挑んだ中山レース場の平地公式レース。俺が挑んで、唯一優勝できなかったG1レース。ダービーウマ娘に先着できただけ凄いと、二桁順位じゃなかったと慰められたあのレース。
「全部叶えてきます。僕の夢、あの時の師匠の夢、師匠のトレーナーの夢、師匠にかけてた観客の夢、あの時の約束。全部、全部この脚で叶えてきます。僕ならできる、そうでしょ。」
どこから出てくるのか分からない何かが、コイツにはある。G1を連戦連勝し、今を塗り替えて記録さえも置き去りにする気概が、今のコイツにはある、ような気がする。
「……ハハ」
乾いた笑いが漏れる。自信よりも静かでそれ以上の強さの宿った瞳を見る。コイツならやってのけるだろう。ティアラ路線からのダービー菊花賞の二冠制覇、そしてこれから成されるであろう、十二人目のダービー有マの同一年制覇、クラシック級ティアラ路線三人目の有マ記念制覇。それ以上の栄光だって。たとえ大外枠にぶち込まれたって勝つだろう。どうしようもなくコイツの、ブラウソレイユというウマ娘の、勝利を確信している。ウマ娘としての勘が、そうさせる。まだ、俺にもウマ娘の勘が残っていたのかと驚きながら。
「……そうだな。」
俺の叶えられなかった、幾千もの夢が、叶う。
「分かった」
素早くチケットを取り上げる。引っ手繰る、が正しいかもしれない。帽子のつばを上げてまっすぐに向き直る。
「行ってやる。しょうもない走りをするなよ。」
あの時の俺みたいな。言外に、そう含めて。
「当然。長距離と中山は得意だから。」
そう言ってニッと歯を見せてニヒルに笑って、踵を返す。学院に戻るんだろう。そんなアイツが、バカみたいだと思った。俺に言うか? それ。この俺に? ほんの少しだけ行くと言ってしまったことを後悔した。どうせ面白くないレースになる。アイツが勝って、色んな記録がアイツの名前になる。俺の予想通りの死ぬほどつまらないレース。見に行く価値があるとは思えない。そう考えてから、諦めたように息をつく。つまらないレースは、俺もしてきたことだ。誰の期待も裏切らず、強さを見せつける。俺が一番だと、この中で一番強いのだと分からせるようなレース。
「見せられる側になるとはなぁ」
少し皺の寄ってしまったチケットを夕日に翳しながら、切り取り線を指でなぞる。昨年の覇者が描かれたチケット。来年はあの教え子が描かれたものになるのだと、そう確信した。帽子の中の耳が、動きにくそうに震えていた。
(2025/4/3 誕生日を祝して)
「なっ、な、ななな、」
真夏の砂浜。あっちあちの砂に足を半分ぐらい埋めながら、深海みたいに深みのあるブルーの耳が目の前で、わなわなぷるぷると震えている。両の手には力が篭もっているのか、手首のところで直角に曲げられてぎゅっと握られている。もちろん、夏合宿なのに長袖のジャージを羽織った華奢な肩から拳までが小刻みに震えている。その後ろ姿をじっと見ていた。今にも爆発してしまいそうだったから、いなすためにしょうがなく口を開く。
「ま、まぁまぁ落ち着こうよぉティンクちゃん……」
「これが落ち着いていられるわけないでしょ!」
シャーッと威嚇する猫ちゃんみたいでなんだか可愛いかもなーなんて思いながら両手でドウドウ、と抑えるようなジェスチャーをする。
「何でわたしなの! もっと、もっとこう、暇し……適任のウマ娘が居るでしょう! ほらぁ! それこそあなたの同じ部屋の後輩とか!」
ビッっと効果音がしそうな勢いで沖の方を指さす。指が示した方向に視線を移せば、ティンクちゃんとはまた違う青い髪のウマ娘が浮き輪に嵌りながらぷかぷかと浮かんでいた。サングラスをかけて、右手にはドリンクまで持っている。バカンスに来たみたいな恰好(スクール水着だけど)で波に揺れる彼女を見ながら、ティンクちゃんと瓜二つのでも全然違うもうひとりのウマ娘が口を開く。
「勿論声掛けたよ。でも、あの子が言うこと聞くと思う?」
「……」
「……」
聞かないだろうな。心の中で即、確信する。どんな先輩に後輩にトレーナーに先生に言われても、嫌です、の一言で突っぱねそうな勢いがある。
「ま、まぁいいんじゃない? ティンクちゃんはスタイル抜群だし、きっと水着も似合う、よ……?」
この場をどうにか収めたくて、ぷんぷん怒る同級生を宥めすかす方向に持っていく。嘘は言ってないし。スタイル抜群だし美人さんだし可愛いから、どんな水着でも似合うと思う。というか、似合わない服を探す方が大変なんじゃ……
「えっ、貴方も着るんじゃないの?」
「……んえ?」
言われた言葉の意味が分からなくて、雑な言葉が飛び出た。いま、なんて?
「貴方たち二人に声を掛けてるの。トレフルブランちゃんも、水着、似合うと思うな!」
にっこりと、それこそお手本のような可憐な笑顔を見て、口の端が引き攣る。暑いだけじゃない汗がツツツ、とジャージの下を伝うのが分かった。ほんとうに、このウマ娘は苦手だ。何を考えてるか分からないし、何がしたいかもわからない。
「二人とも一緒にファッション雑誌の水着特集、受けて欲しいな~!」
「いやぁ、まさかティンクトリアさんとトレフルブランさんが参加してくれるとは思いませんでした。嬉しい誤算ですよ、ダハハ!」
額に流れる汗をハンカチで拭いながら、目の前の男性は嬉しそうに話している。どうやらこちらの男性が件の雑誌の編集者さんだそう。月刊レーヴ。ウマ娘なら誰もが一度は手に取ったことがある雑誌で、走りやすいシューズやトレーニングウエア、新発売のスポーツドリンクなど、走るウマ娘に役立つ情報を長年発信している。その一方で、中高生が好きそうなカフェの特集やトレンドファッション、プチプラブランドの紹介など、お洒落な雑誌としても人気がある。いわば「ウマ娘御用達雑誌」なわけである。そんな月刊レーヴ来月号の特集は「らしく、かがやけ」らしい。ウマ娘の速さと強さは、可憐さと両立できる。そんな夏の特集が組まれるそうだ。その特集で、夏合宿中のウマ娘に密着取材を行いたいそうで。
「ペルシカリアさんに他に誰かウマ娘をご紹介していただけないかなとお願いしてみたら、お二人を連れてきてくださいまして。」
「は、はぁ……」
「……」
にこにこと微笑んだままのペルシカリアちゃんに、ツンと顔をそむけたままのティンクちゃん。その横でオロオロとするしかできないわたし。だってそうだ。月刊レーヴの専属モデルでG1をいくつも勝ってるペルシカリア。その妹で、クラシック級でも結果を出してこの間の宝塚記念を制したティンクトリア。二人とも華やかで、ファンの多いウマ娘だ。この二人が見開きのページに大きく載っていたとしたら、きっと素敵な雑誌になること間違いなしだ。だからこの二人が取材を受けるのは大いにわかるけれど、なんでわたしまで。完全に巻き込まれているだけな気がする。わたしには煌びやかな戦歴があるわけでもないし、目を引くような走りが出来るわけでもない。今日、たまたまティンクちゃんと一緒に練習をしていただけであって、ペルシカリアちゃんもわざわざわたしに声を掛けたかったわけじゃないと思う。オマケだ、多分。何なら、さっき言ってた後輩の方がよっぽど適任だと思う。肝が据わっててダービーウマ娘で。わたしとは全然違う。今からでも変わってもらった方がいいんじゃないかって思う。絶対にそう、そうだ。やっぱり、辞退しますって、言おう。やらないよりやる後悔って言うし。よし、ようし。手をぎゅっと握ってから、顔をあげる。が、どうにもピリピリした緊張感のある空気に気圧されちゃって、何も言えずに口をパクパクさせるだけで数秒を過ごしてしまった。うぅ~、わたしのバカ。そんな沈黙に耐えかねたのか、出されたトロピカルで南国カラーのジュースを一口飲んでからティンクちゃんが口を開いた。
「受けるか受けないかは内容を聞いてからだわ。ブランもそうでしょう?」
「え、あ、ウン」
ああーっ! わたしのバカバカ! せっかく話しやすい空気になったのに! ここが断るチャンスだったのに! 一体どうしてくれるんだわたし。こんなんじゃずっとこのままになっちゃう、どうしよう。心の中で泣いているわたしを置き去りにして、編集の人が話を進めてしまった。
「はい、今夏のテーマとして例年とは異なるカワイイだけでないウマ娘、を押して行こうと考えています。走るウマ娘は強くて美しくて、それでいてカワイイ。水着という季節もののカワイイ衣装を身にまとっていても感じるレースへの熱意や、レースそのものの熱気を紙面でも伝えられる、そんな記事にしていきたいと思っています。」
「……」
「……」
「具体的な取材プランとして、まず皆さんには例年通りの夏合宿を過ごしていただきたい。夏合宿は大勢のウマ娘が参加するのにあまりオープンにされないイベントでもありますので、色々と聞けると嬉しいです。その合間に、水着のデザインや要素、どんなイメージを持っているのか等々お聞きしながら、皆さんの理想であり似合うような水着を作成したいと思っております。デザイナーの方も呼んでおります。雛型は既にできているので、その中からお好みのものを選んでください。」
「ふうん。じゃあ水着の撮影自体は八月に入ってからかしら?」
「はい、そうなります。なので練習の時間を頂くのは撮影だけかと思います。」
「そう。」
ああ、ああ。わたしを置いてドンドンと話が進んでいく。わたしやりますなんて一言も言ってないのに! でもやっぱり手をあげて言うようなことは出来なくて、出されたトロピカルジュースをしずしずと啜ることしかできない。
「あ」
おいしい。甘さと酸味のバランスが丁度良くて美味しい。しっかりと果物の風味はあるのにさっぱりとしていて濃厚なジュースってよりもレモネードとかそういう爽やかさがあって飲みやすい。練習の合間にスポーツドリンクとしても飲めそうな軽さだ。いいなーこれ、どこで売ってるんだろう。そう思いながらストローの刺さったグラスを覗き込むように眺める。
「そちらのドリンク、気に入っていただけましたか?」
「アッ、え、はい、飲みやすくて美味しい、です」
「良かった! 実はそれ新商品でして。今回の特集はスポンサーにそのドリンクの飲料会社も居るので広告も兼ねているんです。」
「まぁ!」
「へ、へぇ……」
まじまじとグラスを見つめる。薄い黄色とオレンジの間みたいな色をした液体がちゃぽん、と揺れている。
「んふ、トレフルブランちゃんも気に入ってくれたみたいだし、後はティンクが納得するだけね。」
「エッ」
「……いいわ、受けます。これからもファンには強くてきれいなわたしを見てもらわないと困るもの。」
「あ……」
ウンとかイエスとかハイとか、言った覚えは全然ないのだけれど、話は進んでしまったみたいで最早後戻りできない場所にまで行ってしまったみたい。……いや、いいや、まだだ。諦めるにはまだ早い。ネバーギブアップ。長距離レースに必要なのはスピードよりもスタミナと根性。仮にもステイヤーならこんなところで腐ってる場合じゃないぞトレフルブラン。今言わずにいつ言うんだ、ええいままよ!
「あ、あの」
「トレフルブランちゃんもいいわよね、トレーナーさんには正式に編集者の方から話を通しておくから。」
「あ……」
呆気ない、呆気ない終わりだった。わたしの勇気は一瞬で終焉を迎えてしまった。心がえーんえんと泣いている。次のレースまでは時間があるし一種の休養も兼ねてるから、トレーナーも二つ返事でオッケーするんだ。目の前の机には、水着の原案イラストが並べられている。フリルが付いた可愛いもの、大人っぽくてセクシーなもの、露出度の低いもの、透け素材を用いたもの等々……ここから選ぶんだ、何着せられるんだろう。ちょっぴり、いや結構憂鬱な気持ちを抱えながら、印刷された紙をじっと見つめた。
こうして、わたしのおしゃれ雑誌デビューが決まったのだった。現実逃避の為に窓の外から見える青い青い海を恨めしそうに眺めながら、新商品のジュースを啜った。やっぱりおいしくて、発売されたらトレーナーに箱買いを要求しようと心に決めた。もうこうなったら、チームの練習室にある冷蔵庫にパンパンに詰めてもらうんだ!