大蛇 ~おろち~

~八雲立つ出雲八重垣妻ごみに 八重垣つくるその八重垣を~

高天原を追われた須佐之男命(すさのおのみこと)が出雲の国 斐の川(斐伊川)にさしかかると、嘆き悲しむ老夫婦と稲田姫に出会います。理由を尋ねると、八岐(やまた)の大蛇が毎年現れ、既に7人の娘がさらわれ、残ったこの稲田姫もやがてその大蛇にさらわれてしまうと言いました。 

 一計を案じた須佐之男命は、種々の木の実で醸した毒酒を飲ませ酔ったところを退治します。 そのとき、大蛇の尾から出た剣を『天の村雲の剣』(あめのむらくものつるぎ)と名づけ、天照大御神(あまてらすおおみかみ)に捧げ、稲田姫と結ばれます。


恵比寿 ~えびす

~八雲立つ出雲の国に隠り事 知らせる神の宮ぞ貴き~

この神楽は、出雲の国美保神社の御祭神、事代主命:通称恵比寿様が磯辺で釣りをしている御姿を舞ったものです。 にこやかに鯛を釣る恵比寿様の様子が面白おかしく、心の和む演目。

恵比須様は昔から漁業、商業の神様として崇拝されています。

岩戸 ~いわと

~天の戸を開いて月の夜もすがら 静々拝む天の岩戸を~

天照大御神(あまてらすおおみかみ)が、弟・須佐之男命(すさのおのみこと)の乱暴に困り天の岩戸の中にお隠れになったので、世の中すべてが闇夜となり多くの禍(わざわい)が起こりました。そこで神々は集まって相談され、天の宇津女命を呼んでおどらせ、長鳴鳥(ながなきどり)を鳴かせ賑わいを出しました。

これを不思議に思った大御神が岩戸を少し開けたところを、大力の手力男命(たぢからおのみこと)が岩戸を開き天照大御神を迎え出す事に成功。再び世の中を明るく照らしはじめ、世は平和を取り戻しました。

道返し ~ちがえし

~草も木も我が大君の国なれば 何処が鬼の住み処なるべき~


常陸(ひたち)の国に住む武甕槌命(たけみかづちのみこと)が異国より攻めてきた大悪鬼と戦います。命と闘った後に鬼は降参し、九州高千穂の峰に有る千五百穂の稲穂(米)を食えと命令されます。石見神楽では珍しく、鬼が許され国土が平穏になるという神楽です。 

天神 ~てんじん

~東風吹かば匂いおこせよ梅の花 主なしとて春を忘るな~

平安の頃、右大臣であった菅原道真(すがわらのみちざね)は、左大臣藤原時平(ふじわらのときひら)に謀られ、筑紫太宰府へ左遷されます。その後、時平は39歳の若さで死に、その一党も次々に死んでしまいます。

これは道真公のしわざであると考えられ、神楽では道真が時平と戦うよう創作してあります。

石見神楽では激しい太刀対決が繰り広げられ、思わず手に汗握る展開に。衣裳も2回も3回も早変わりして、終盤に向かうほど華々しくなる見所満載の演目です。

鍾馗 ~しょうき

~ちはやふる荒ぶる者を払わんと 出で立ちませる神ぞ貴き~

むかし唐の玄宗(げんそう)皇帝が病床に臥していました。

この時、夢の中に1人の神が現われ、鬼を退治しました。皇帝が夢からさめると急に病が癒えたので、画人を呼んでその神の像を描かせると、長く豊かな髭を蓄え、中国の官人の衣裳を着て剣を持ち、大きな眼で何かを睨みつけている姿は「鍾馗」(しょうき)であると明らかに。この演目は能楽「鍾馗」「皇帝」の物語と、須佐之男命(すさのおのみこと)と蘇民将来との「茅の輪」(ちのわ)の故事が合体したものと考えられています。


塵輪 ~じんりん

~八幡をば都と拝む西は海 東は渚思い松原~

神2人・鬼2人が対決する、鬼舞の代表的な神楽です。

第14代天皇・帯中津日子(たらしなかつひこ)が、異国より日本に攻め来る数万騎の軍勢を迎え撃ちます。その中に身に翼があり黒雲で飛びまわる「塵輪」(じんりん)という悪鬼が、人々を害していると聞き、天皇自ら天の鹿児弓(あめのかごゆみ)、天の羽々矢(あめのはばや)をもってこれを退治します。


神武 ~じんむ

~日ノ本の天業を継ぎて人の代の 肇國知ろす皇大君~


この神楽は人皇第一代神武天皇、すなわち日本の初代天皇の物語です。天照大御神の子孫である神倭磐余彦命は九州高千穂に在りましたが、日の本の中心となる都を作ろうと、東方の良き土地を求め、大和の国を目指し軍勢を発します。                              海路と陸路を進み畿内に入りますが、大和の国を治めていた長髄彦など諸豪族の激しい抵抗に遭います。しかし幾多の合戦の末これを退け、大和の国橿原に宮を作り都と定め神武天皇となります。                  


頼政 ~よりまさ

~ほととぎす名をもくもいに上ぐるかな 弓張月のいるにまかせて~


この神楽は、源頼政が鵺(ぬえ)という怪物を退治するお話です。平安時代末期、毎夜丑(うし)の刻になるとヒョ~ヒョ~と気味の悪い唸りと共に東三条(ひがしさんじょう)の森から黒雲がわき出て、帝の寝所である清涼殿(せいりょうでん)を黒く覆ってしまいます。帝はそのたびにうなされ、ついには病魔に侵されてしまいました。それは、姿のわからぬ鵺という怪物のしわざ。天皇は、弓の名手である源頼政(みなもとのよりまさ)に鵺退治を命じ、頼政は家来の猪早太(いのはやた)と共に森へ向かいます。途中いたずらをする猿たちをこらしめ、いよいよ鵺も登場。激闘の末、無事に退治することができました。                   


鹿島 ~かしま

~天つ神国つ社を斎いてぞ 豊葦原の国は治まる~


大国主命(おおくにぬしのみこと)の国譲りを題材とした神楽です。経津主命(ふつぬしのみこと)、武甕槌命(たけづちのみこと)が、大国主命に出雲の国を譲る様に談判します。 大国主命は、自分の2人の息子の承諾を得るようにと言い、第一の王子、事代主命(ことしろぬしのみこと)は承諾しますが、第二の王子、建御名方命(たけみなかたのみこと)は承諾せず、経津主命と決戦となるがあえなく敗れて降参し、国を譲ります。 

八幡 ~はちまん

~弓矢とる人を守りの八幡山 誓いは深き石清水かな~

武勇の神、八幡宮の祭神である八幡麻呂を讃える演目です。

九州宇佐八幡宮に祀られている八幡麻呂という神様が、異国から飛来した第六天の悪魔王が人々をつぎつぎと殺害しているのを聞き、神通の弓、方便の矢をもって退治します。正義(神)対、悪(鬼)。石見神楽の代表的な展開の神楽です。


かっ鼓・切目 ~かっこ・きりめ

~片そぎの千木は内外に変われども 誓いは同じ伊勢の神風~


高天原から熊野大社に降りた羯鼓と呼ばれる宝物の太鼓を、神禰宜(かんねぎ)が苦心して据えた太鼓の前で、 切目の王子と介添えの二人が問答をし、 切目の王子が太鼓を大きく打ち鳴らしながら舞い納めます。風雅かつ厳格なその舞は、熊野修験者の開眼を意味するものであるともいわれます。演目「かっ鼓」と「切目」は一連の舞です。 

黒塚 ~くろづか

~陸奥の国那須野が原の黒塚に 鬼住む由を聞くがまことか~


諸国修行中の法印と剛力は、陸奥の国・那須野ヶ原を通りかかります。

そこで九尾の悪狐(あっこ)が人々に害を与えているのを聞き、この悪狐を退治しようと出かけますが、途中法印が倒れてしまい一夜の宿を借ります。そこの女主人(実は悪狐)に化かされて法印は逃げ去り、剛力は食われてしまいます。それを知った弓の名人、三浦介、上総介により悪狐は退治されます。

法印と剛力の石見弁でのユーモアのあるしゃべりや、悪狐が客席に来たりなど、他の演目とは、一味違った演目です。


日本武尊 ~やまとたけるのみこと

~西を討ち又東に出でませる 御心中は如何にましけむ~

日本武尊の東夷征伐を題材にした神楽です。九州の豪族熊襲(くまそ)を平らげた日本武尊は、父、景行天皇に報告しますがすぐさま東の国を平定するよう命ぜられ、東国へ出発します。道中、伊勢の宮に参拝し、叔母君大和姫に会い天の村雲の剣と火打ち石を賜ります。

一方、駿河(するが)の国にすむ兄ぎし、弟ぎしたちは、天皇の命令に従わないため征伐されると聞き賊首(ひとこのかみ)に教えを請います。「この野には、人々に害を与える大鹿がいる」と欺き、日本武尊が大野に入ったところを、八方より火を付け焼き殺そうとしますが、宝剣が自然と抜け出て、草をなぎ払い守袋の中の火打ち石で迎え火を付けて日本武尊は難をのがれ、兄弟たちは退治されてしまいます。