私は東京の神田で生まれ育ちました。私が子供の頃は、今のように塾に行く子もめずらしく、ビデオやテレビゲームもありません。友達と、ジャイアンツ野球帽をかぶって、近所の空き地で、毎日暗くなるまで遊び回っていました。巷では、琴、三味線、謡、日本舞踊、書道、算盤、お花、お茶などの教室があって、何処へ行ってもなんとなく唄や楽器の音、また稽古帰りのお姉さんたちの笑い声がしていたように記憶しています。
そんな我が国の伝統芸能は、今や遠い存在となっています。CDのお店を見ても、私が敬愛する演奏家や師匠連の演奏や唄や話は、おそらく店頭商品の1%にも満たない数が片隅に申し訳なさそうに置かれている状況です。インターネットのサイトにしても然りです。
時代の流れとは言え、何が、ここ数十年の間に、これまで祖先の育んで来た文化を、遠い存在へと追いやってしまったのでしょうか。今、世界には200もの国があり、民族は無数にあります。民族の数だけ音楽は存在します。また、民謡のように地域特有の音楽もあります。北海盆唄、黒田節、八木節、小原節などなど・・・さらに、邦楽界も多様です。義太夫、長唄、常磐津、清元、新内、端唄、小唄、箏曲もあれば尺八・・・これ全て私たちの祖先が創り上げた音楽です。
これほどの数の音楽が日本には存在しています。しかしながら数年前までの小中高の音楽の教科書を見ると日本の音楽はたった2ページ、実技演習は皆無、レコード鑑賞が時々あればましな方といった悲惨な状況でした。約8割をヨーロッパのクラッシック音楽が占め、教師さえも自国の音楽を評価せず。まったく何処の国の人間かと思ってしまいます。
数年前、文部省の新指導要領により、邦楽は必修となりましたが、現実にはやれ邦楽指導者がいないだの予算がないだのと悲惨な状況は変わらず。60年の時間の損失は計り知れません。
“経済大国”日本。グローバル化を謳って久しい今日、経済面だけではなく、文化面でも日本が世界の国々と誇り高く渡り合える様、まずは私たちの伝統芸能を再認識してみませんか。
三古谷邦楽アカデミー代表 三古谷 裕