学習と記憶の分子基盤:シナプス可塑性
NMDA-receptor dependent synaptic plasticity
私たちの脳は,いかにして学習や記憶を行っているのでしょうか。
NMDA型グルタミン酸受容体に依存したシナプス可塑性,すなわち,ニューロン間接続を長時間に渡り強めたり弱めたりする現象は,学習と記憶の分子基盤と考えられており,その生化学的メカニズムの解明は極めて重要です。
私どもは、大規模数理モデルを開発し,シナプス結合の長期増強および長期抑制のメカニズムを明らかにしました。本研究の結果は,大脳皮質などで行われる教師無し学習の一つとして注目されている「スパイクタイミング依存シナプス可塑性則」の分子基盤を与えると考えられます。
宿主内免疫応答と新型コロナ感染症
Immune response to SARS-CoV-2
新型コロナウイルス(SARS -CoV-2)による感染症は,免疫応答が不十分な高齢者は特に重症化しやすいことが知られています。加えて,回復後にも長期に渡り症状が持続する後遺症を発症する患者が数多く存在します。新型コロナとインフルエンザは何が違うのでしょうか。
新型コロナは,全身の様々な組織/器官の細胞に感染可能であることから,体内から除去しきれない残留ウイルスによる持続感染が起きることを,数理モデルを用いたシミュレーション実験により示しました。また,これが後遺症の原因となり得ることを指摘しました。
後遺症の治療法として,抗ウイルス薬の単独投与は,有効性が限定的であり,一方,ワクチンと抗ウイルス薬の同時投与は,ワクチン接種による悪化のリスクを最小限に抑えつつ,症状回復に有効である可能性を,シミュレーション実験により示しました。
生体分子モーターのエネルギー変換効率
Chemomechanical coupling in biological molecular motors
生体分子モーターは,生命のエネルギー通貨と呼ばれるATPの加水分解によって与えられる熱力学的エネルギーを,力学的仕事に変換しながら生体機能を果たす分子ナノマシンです。この仕組みを「化学-力学共役機構」と呼ばれており,そのメカニズム並びにエネルギー変換効率は,様々な分野の数多くの研究者からの興味を集めています。
私どもは,確率過程モデルを用いて,細胞骨格状を二足歩行しながら物質輸送を担うキネシンおよびミオシンV,並びにF1-ATPase回転分子モーターの一分子計測データを定量的に分析し,その詳細なメカニズム,並びにエネルギー変換効率における主要なロスの原因を明らかにしました。
DFTと溶媒和自由エネルギー
Development of liquid-state density functional theory
溶媒和自由エネルギー(SFE)は,溶液中での溶質分子の構造安定性の議論に欠かせない,重要な熱力学量です。これを高精度でかつ高速に計算可能な理論的方法の開発は,物理化学における重要な研究課題の一つです。
以前より指摘されてきた従来法の欠点,即ちサイズの大きな溶質分子のSFEを,そのサイズに応じて過大評価してしまう理論的欠陥を解決すべく,新たな密度汎関数理論(DFT),RMDFT法を開発し,多数のテスト有機分子に適用しました。その結果,実験値との平均絶対値誤差が1 kcal/mol以内の精度でSFEを予測可能であることが示された。
タンパク質構造安定性における主要因子
Theory of Protein folding stability
タンパク質構造安定性の理論として最も著名な学説として,Kauzmannによる疎水性相互作用仮説(1959)が,多くの教科書で紹介されいます。水分子は疎水基(非極性基)を嫌うため,疎水基同士が集まろうとするような「実効引力」が働き,これがタンパク質の天然構造の安定化において,主要な働きをするという考え方です(左図参照)。
私どもは,独自に開発した計算手法RMDFT法を適用し,本仮説の理論的検証を行いました。その結果,水はそれほど疎水基を嫌っておらず,むしろ疎水基を好んでいるにも関わらず,実は疎水基同士が互いに強く引き合うために,天然構造が安定化することが明らかになりました。
本研究による結果は,これまで信じられてきた学説に対する疑問を提示しており,教科書の記述の改訂を示唆する内容であると言えます。