外国人、住民、日雇い労働者、個性的な人々が溢れる西成という土地で、人々に細やかに寄り添うような、時を経るごとに変化しつつ次第にまちに表情を作るような、そんな建築の編み物を土着的なフェンスを用いて作りたいと考えました。
渡辺拓海 田中俊行
スタジオ設計演習
2017.09~12
2019,08~09
学内合同講評会
最優秀賞
エマージング展
最優秀賞
第54回セントラル硝子国際建築設計競技
佳作
釜ヶ崎は日本一治安の悪い日雇い労働者の町として知られている。
自ら足を運んでみると汚く、荒んだ空気が流れているのを感じながら
同時に、泥臭い活気やこびりつく生命力に満ちているように思えた。
そんな釜ヶ崎は日雇い労働者達だけのものでもなかった。
住民同士のコミュニティを生む動きがあり、子供達や外国人観光客の活動も息づいていて、
労働者たちとも交流しており、それらは人間的な生活模様だった。
しかし、この街の荒んだ空気が活動を抑制していることも事実だった。
退廃的な泥臭い活動は無法地帯と化した外部で発散され、子供達の遊び場や
観光客、住民、労働者の交流といったものは建物の中に潜むようにあった。
全ての活動がまちに抗うように、まちから隠れるように行われ、満足でなかったのだ。
そうした街に蔓延るフェンスは何故か魅力的だった
治安の悪さを象徴し、安全と領域を意味するフェンスには、釜ヶ崎の空気が沁みていた。
ここでは、釜ヶ崎の人間模様を認め、安全に外部表出する釜ヶ崎の在り方を考えた。
釜ヶ崎の空気が沁みた、土着的なフェンスを味方にすることで、野放しだった釜ヶ崎の空気
そのものが街を彩るようになる。そんな街路的公共フェンス空間を5段階に渡る計画により、まちの新しい表情とする建築の提案。