計算生物学では、大規模オミクス解析やネットワーク理論を駆使し、がん・認知症・加齢筋などの複雑な生物学的課題を統合的に解明する研究を展開しています。最近では、新たなオミクスのピースである糖鎖(グライコミクス)にも積極的に取り組んでいます。
がん・認知症・老化・心血管疾患など、多くの疾患研究で用いられるゲノム/トランスクリプトーム/メチル化/プロテオームなどの「オミクス」データは、1つの実験で何千万~何億ものデータポイントを得られるようになりました。
これほど大規模なデータから、意味ある特徴(バイオマーカーや原因遺伝子)を見つけ出すには従来の統計手法だけでなく、機械学習・ネットワーク理論・深層学習を含む高度なアルゴリズムが必須です。
オミクス解析で分かるのは“遺伝子や分子がどのくらい発現/相関しているか”ですが、それをどう組み合わせて理解するかが大きな課題です。
病気や老化は単一の遺伝子に留まらず、遺伝子やタンパク質のネットワーク全体で進行すると考えられています。ネットワークの全体像をどう解読して活用するかが、計算生物学の重要テーマです。
【背景】
アミロイドベータ(Aβ)とタウ(tau)の相互作用がアルツハイマー病(AD)の病態進行に深く関わると考えられている一方、そのメカニズムは未解明な部分が多い。さらに、深層学習を用いたネットワーク統合による AD 病態解析はまだ限定的である。本研究では、深層学習ベースのネットワーク統合手法 BIONIC を用いてプロテオミクスデータとタンパク質間相互作用(PPI)データを統合し、Aβ-タウ相互作用に対して調節的に働く因子を特定することを目的とした。
【方法】
ROSMAP コホート由来のプロテオミクスデータと PPI データを BIONIC(深層学習モデル)で統合した後、線形回帰を用いて組織病理学的指標と遺伝子発現データを解析。さらに相互情報量(Mutual Information)を用いて Aβ-タウ相互作用を調節する要因を検出し、Benjamini–Hochberg 法(p < 0.05)で統計学的有意性を評価した。
【結果】
解析の結果、アストロサイトおよび GPNMB 陽性ミクログリアが Aβ-タウ相互作用を調節する可能性が示唆された。さらに線形回帰解析では、認知症を発症していない症例において GFAP や IBA1 のレベル、GPNMB 遺伝子発現量がタウと Aβ の相互作用に正に寄与していることが確認され、ネットワーク解析の結果と対応した。
【結論】
GPNMB 陽性ミクログリアが初期段階の AD における Aβ-タウ相互作用の調節因子として機能する可能性が示され、新たな治療標的となることが期待される。また、今回統合したネットワークは可視化ツールとして一般に公開され、さらなる研究を促進する基盤となり得る。
【背景】
高齢者に対する抗加齢介入として運動(特にレジスタンストレーニングなど)が注目されているが、ロペス=オティンらの提唱する「加齢の9つのホールマーク」と運動との関連は十分明らかではない。特に遺伝子スプライシング活性がゲノム不安定性とともに加齢の根幹的特徴となる可能性が示唆されている。
【方法】
加齢および運動(抵抗運動)が骨格筋に及ぼす影響を体系的に解析するため、多層的(マルチオミクス)データを用いて遺伝子発現およびスプライシング変化を検討。加齢のホールマークに対応する遺伝子シグネチャーを組み込みながら、加齢群と抵抗運動群の骨格筋で intron retention(IR)の発生状況を比較した。
【結果】
mRNAスプライシング活性が加齢と運動で対照的な変化を示し、特に IR(イントロン保持)が加齢では大きく増加し、運動ではそれと逆のパターンが観察された。IRを特徴とするアイソフォームはミトコンドリア機能に関わる遺伝子群に多く見られ、加齢と運動がこの機能領域に対して大きな影響を与えることが示唆された。
【結論】
スプライシング機構、とりわけ IR の変化が骨格筋における加齢ホールマークの新たな側面として注目され、運動が骨格筋の抗加齢効果を発揮する一端に、IR 制御を介したメカニズムが寄与している可能性が示唆された。
【背景】
高齢者の骨格筋には脂肪蓄積(myosteatosis)が進行しやすく、これが筋の健康や機能の低下に大きく寄与している。しかし、身体活動レベルが加齢に伴う脂肪蓄積をどのように制御するか、そのメカニズムは十分に解明されていない。
【方法】
ネットワーク医学のアプローチを用い、加齢マウスの骨格筋に対して運動(エクササイズ)条件と固定(脱負荷)条件を比較。遺伝子セットエンリッチメント解析とネットワーク伝搬手法により、骨格筋内で脂肪に分化する可能性が高い線維芽細胞-脂肪前駆細胞(FAP)の運命を身体活動が制御する仕組みを探った。また、in silico・in situの両面から Pgc-1α の機能を検証し、ミトコンドリア脂肪酸酸化との関わりを分析した。
【結果】
身体活動による加齢筋の FAP 制御において、Pgc-1α が大規模な遺伝子制御ネットワークの中核因子として機能することを特定。若年マウスでは同様のネットワークは観察されず、高齢マウス特有の機構であることが示唆された。さらに Pgc-1α 過剰発現実験の結果、ミトコンドリア脂肪酸酸化が亢進し、FAP の脂肪分化が抑制された。
【結論】
身体活動は、Pgc-1α を介したミトコンドリア脂肪酸酸化の促進を通じて加齢筋の脂肪蓄積を抑制する共通メカニズムをもつ可能性が高い。本研究で確立したネットワーク医学パラダイムは、高齢者における運動適応を解明する手段として有用であり、運動処方の最適化など臨床・転用への発展が期待される。
【背景】
外傷を受けた関節内で放出される炎症性サイトカインは、シナビウムから軟骨へと伝わる遺伝子制御ネットワークをかく乱し、変形性膝関節症(OA)の発症に関与するとされる。特に加齢がこの炎症反応をどのように促進するのかを理解することは、新たな介入法を見出すために重要である。
【方法】
若年および加齢マウスで受傷した膝関節に対し、軟骨特異的ネットワーク解析を実施し、炎症性サイトカインによる病的コミュニケーションをシミュレーション。さらにネットワークベースのサイトカイン推論と薬理操作を組み合わせて、OA を加速させるドライバーサイトカインを探索。最終的にオンコスタチン M(OSM)の活性化が「炎症性表現型」の関節を再現し得るかを評価し、創薬候補標的の再利用(ドラッグリポジショニング)の可能性を検討した。
【結果】
加齢マウスでは、若年マウスには見られない異常なマトリックスリモデリングが遺伝子発現応答として確認され、軟骨の変性が加速していた。さらにネットワーク解析によって IL6 ファミリーに属する OSM が、この異常なマトリックスリモデリングのドライバーであることを特定。OSM を活性化することで「炎症性」OA 表現型を再現し、高い創薬価値をもつ標的を見出した。
【結論】
加齢に伴う炎症ドライバーとして OSM が軟骨変性を促進する機序が明らかになり、炎症主導型 OA のフェノタイプを狙った新たな治療薬の開発や既存薬の再利用に道を開く可能性が示唆された。
【背景】
加齢は臓器間や細胞間の多層的な相互作用を伴う複雑なプロセスだが、ヒト全身の加齢データを包括的に扱うシングルセル情報が十分に整備されていない。
【方法】
大規模遺伝子発現プロジェクト(GTEx)における加齢依存的トランスクリプトーム情報と、複数組織にわたるシングルセルデータ(Tabula Sapiens)を統合し、ヒトの組織・細胞特異的な加齢に関わる分子情報を収集。これらを R Shiny ベースのアプリケーション「HuTAge」として実装した。
【結果】
HuTAge では、加齢と関連するさまざまな遺伝子・転写因子・細胞情報を検索・可視化でき、ヒト多組織・複数細胞タイプにわたる加齢の分子基盤に関する総合的リソースを提供する。アプリはオンラインで自由に利用可能で、ソースコードもオープンに公開されている。
【結論】
HuTAge は加齢研究のための包括的プラットフォームとして、ヒト組織・細胞特異的な加齢情報を統合的に提供する。これにより、加齢機構の理解や創薬研究の促進に寄与するリソースとなり得る。
【背景】
がんの多領域シークエンス(multi-regional sequencing)により、腫瘍内の進化的多様性を捉えるためにがん進化系統樹が再構築されているが、複数の進化系統樹をまとめて比較・クラスタリングする研究は限られている。
【方法】
本研究では、複数のがん進化系統樹のトポロジー情報とエッジ長を用いてクラスタリングする手法(phyC)を提案。さらに、各クラスタ内の進化系統樹におけるサブクローン多様性を評価する指標を導入し、サブクローン拡大の促進度などを解釈する。
【結果】
シミュレーションデータにおいては、提案手法が真のクラスタを高い精度で復元できることを確認。実際の腎細胞がん(clear cell renal carcinoma)および非小細胞肺がん(NSCLC)の多地域シークエンスデータに適用したところ、がん種や腫瘍表現型に関連するクラスタを同定することが可能だった。
【結論】
phyC による進化系統樹のクラスタリングは、複数のがん進化パターンを体系的に整理・比較し、サブクローン多様性や進化の加速要因を洞察できる有用な手法である。実装は R ベースで提供されており、さまざまな腫瘍の多地域シークエンス解析への応用が期待される。
【背景】
がんに関連するタンパク質複合体の異常全体像は未解明であり、腫瘍と健常細胞それぞれでの共発現構造を比較することで、がん特有のタンパク質機能の破綻を捉えられる可能性がある。しかし、大規模プロテオミクスではバイオロジカルなタンパク質変異や測定ノイズによって共発現推定が過大・過小評価されるという課題がある。
【方法】
本研究では、共発現の変動を検定するためのコピュラ理論に基づく新しい手法を提案し、騒音に強いロバストな手法としてがんにおけるタンパク質複合体異常を同定するアルゴリズムを開発した。
【結果】
シミュレーションや腎細胞がんの大規模プロテオミクスデータを用いた解析では、従来の線形相関ベース手法に比べて共発現のノイズ耐性が高く、高精度にがん特有の重要なタンパク質複合体やシグナル経路、薬剤標的を検出できることを示した。コピュラを用いた差分共発現解析は、線形指標が捉えきれない高次の変動構造を特定するうえで有効である。
【結論】
提案手法はノイズの多い大規模プロテオミクスデータでもタンパク質複合体の異常をより正確に同定可能であり、従来の線形相関法を補完・拡張する有力なアプローチとして期待される。
【背景】
遺伝子・タンパク質発現の解析においては、t-SNEやUMAPなどの非線形次元削減手法を使うことで高次元データを2次元・3次元に可視化し、クラスター構造や連続的変動を把握できる。しかし得られた埋め込み空間が、どのような生物学的機能によって形成されているのかを体系的に解釈する方法は限られている。
【方法】
本研究では、新たなフレームワークを提案し、埋め込み構造に関連する生物学的機能を統計的に同定・可視化する。具体的には、埋め込み空間において重要な方向や領域における遺伝子セットを評価し、生物学的に有意に濃縮された機能を抽出してマッピングすることで、埋め込み結果を「説明可能なAI」ツールとして活用できるようにした。
【結果】
Genotype-Tissue Expression(GTEx)データセット(クラスター構造が中心)およびC. elegans胚発生データセット(連続的発生過程が中心)の埋め込みに適用し、それぞれの埋め込みに対応する機能群を同定。埋め込み空間にアノテーションを付与することで、クラスターや軸を生物学的に説明可能であることを示した。
【結論】
提案手法は、非線形次元削減で得られた埋め込み結果を生物学的機能面から解釈するための有用な枠組みとなり、高次元データを対象とした探索的データ解析を促進する「解釈可能なAI」手法として機能することが示唆された。
【背景】
DNAメチル化はがんをはじめ多様な疾患と関連する重要なエピジェネティック修飾であり、Illumina 450K などの大規模データから疾患群とコントロール群の差分を検出することが課題となっている。これまでの手法では単純な統計量やカーネル関数を用いたアプローチが主流だが、複雑な分布形状を捉えきれない、あるいは結果の解釈性に乏しいという問題があった。
【方法】
提案手法 D3M は、分布の差分検出にワッサースタイン距離を用い、ケース群とコントロール群で示すメチル化分布の形状や多峰性など高次の違いを捉える。分布間の差があるかを統計的に検定しつつ、解釈しやすい出力を提供する設計となっている。
【結果】
シミュレーションにおいて、D3M は従来手法を上回る検出精度を示し、従来では見落とされがちな多峰性を含む複雑な分布差にも対応できることが確認された。Glioblastoma multiforme と lower grade glioma の TCGA データを解析したところ、近年の生物学的知見を支持する結果を得るとともに、新規の示唆を得ることができた。
【結論】
D3M は DNA メチル化データの分布差検出にウォッシャースタイン距離を導入し、高次の分布形状の違いを捉えられる点が特徴である。研究者が複雑なメチル化プロファイルを扱う場合に、従来手法の弱点を補いつつ解釈しやすい結果を得る有用なアプローチとなる。
【背景】
遅発性子癇前症(LO-PE)は母体や胎児に対して大きなリスクを伴う一方、早発性子癇前症(PE)に比べて予測が難しく、これは肥満や慢性高血圧といった母体要因との関連が強いことも一因とされる。
【方法】
本研究では、母体血漿由来の cell-free RNA(cfRNA)シーケンスを用いて、早発性 PE・遅発性 PE それぞれに対応するコントロール群を含む合計 48 サンプルを解析し、LO-PE 特異的なバイオマーカーを探索した。遺伝子発現の差分解析と elastic net 回帰を実施し、LO-PE を特徴づける遺伝子シグネチャーを抽出、さらに解のパス(solution path)を用いて予測性能の高い特徴量を選択した。
【結果】
これらの LO-PE シグネチャーをモデルに組み込むことで、受診者動作特性曲線(ROC)の下で得られる面積(AUC)が 0.88〜1.00 に達し、ベースラインモデル(AUC 約 0.69)を上回る精度を示した。経路解析により、Allograft Rejection や Estrogen Response といった免疫や代謝プロセスが強く関与していることが示唆され、HLA-G、IL17RB、KLRC4 などの遺伝子がバイオマーカー候補として浮上した。また、早発性・遅発性それぞれのシグネチャーを単一モデルに統合すると性能にトレードオフが生じ、両サブタイプで病態生理が大きく異なることが示唆された。
【結論】
cfRNA-seq に基づくシグネチャーは遅発性子癇前症のスクリーニング精度を大幅に向上させる可能性がある。しかし、本研究の知見を臨床で活用可能なリスク評価として確立するには、より大規模なコホートやマルチオミクスとの統合解析が不可欠である。
【背景】
アルツハイマー型認知症(AD)の発症は加齢や睡眠などの生活習慣と関連が議論されているが、脳組織にアミロイドβ・タウが蓄積していても認知機能が低下しない“レジリエンス”の分子メカニズムは十分解明されていない。
【方法】
マウスを用いた睡眠介入実験の分子データから候補遺伝子を抽出し、AD患者とレジリエンス状態のヒト死後脳データを比較解析。候補遺伝子の発現偏りをエンリッチメント解析で統計的に検証した。
【結果】
レジリエンス群で発現の変動があった遺伝子は、睡眠候補遺伝子とも関連を示すことが明らかとなり、特に TAMM41、KALRN、SREK1 が有力な分子学的指標として同定された。
【結論】
睡眠がレジリエンス状態を左右する可能性が示唆され、AD の予防・治療介入に向けて分子レベルの根拠を提供した。特に睡眠介入とレジリエンス遺伝子の関連の解明が、認知症予防の新たな手段となり得る。
【背景】
アルツハイマー病(AD)は、脳内でアミロイドβが蓄積し治療が困難な一方、脳内蓄積物の原因分子を明らかにし、新規ペプチドマーカーを探索する必要がある。近年、サンプル固有の遺伝的特徴を反映するプロテオゲノム解析が有力視されている。
【目的】
AD患者のゲノム情報を考慮した変異ペプチドや異常タンパク質を予測し、AD に特異的な新規ペプチドマーカーを見出す。
【方法】
ROSMAP由来の死後脳(背外側前頭前野)トランスクリプトーム・プロテオームを用い、まずトランスクリプトームから個々の遺伝的変異を抽出。Rパッケージ CustomProDB でカスタムペプチド配列を生成後、プロテオームデータと統合し変異ペプチドや異常タンパク質を同定した。
【結果】
AD群で発現上昇10個、発現減少15個のタンパク質が抽出され、AD群固有の変異ペプチド19個を同定。先行研究との照合でADとの関連を示唆する分子や、新規ペプチドマーカー候補が見いだされた。
【考察/結論】
AD固有の変異ペプチドやタンパク質をゲノム情報に基づき包括的に同定でき、これらがAD病態の原因分子や新規診断マーカーとなる可能性が示された。
【背景】
アルツハイマー病(AD)は主要な認知症原因となる神経変性疾患で、前臨床段階から既に分子変化が進行していると報告されるが、その分子メカニズム解明は十分でない。本研究は、AD 重症度を教師データとして用いる擬似時間推定モデルの応用により、病態進行に伴う早期分子イベントやバイオマーカーを探索することを目的とした。
【方法】
(a) シミュレーションデータを用いて提案手法(教師付き擬似時間推定)と既存手法を比較検証し、ケンドールの順位相関係数で推定精度を評価。
(b) AD 死後脳遺伝子発現データ(公開データ)に各手法を適用し、AD 関連分子群に基づき病態進行度を推定。推定スコアをもとに特徴的な遺伝子発現動態を推定し、GO 解析で生物学的プロセスおよびバイオマーカー候補遺伝子を同定した。
【結果】
(a) 既存手法はデータ構造に依存して精度が左右されたが、提案手法はどのデータに対しても堅牢かつ高い推定精度を示し、変動遺伝子群の選択性でも優位を確認。
(b) 実データでは推定した病態進行度スコアが 2 種類の病理学的指標と有意に関連し、AD 初期に特徴的な 3 つの遺伝子発現動態が推定された。その一部として FAAH・GPX1 が AD 初期バイオマーカー候補として浮上した。
【考察】
(a) シミュレーション結果から、提案手法は目的とする病態進行を反映したサンプル順序を堅牢に推定できることが示された。
(b) 実データ適用でも推定病態進行度スコアと病理指標の対応が確認され、AD 初期分子イベントの抽出および早期バイオマーカーの可能性を示唆。
【結論】
AD 病態進行度を教師データとした教師付き擬似時間推定モデルを提案し、実データ解析により早期分子イベントやバイオマーカー候補を見いだすことが可能であることを示した。
【背景】
腸内細菌叢とがんの発症・悪性化との関連が注目されており、腸内細菌叢が宿主の転写制御を変化させることが示唆されている。しかし、これまでは部分的な転写制御の研究が中心であり、腸内細菌叢が転写制御のどこに、どの程度影響を与え、生存予後にどのようなインパクトをもたらすかは十分に明らかでない。
【方法】
腸内細菌—転写因子—標的遺伝子の三者関係をゲノムワイドで同定するモデルを構築し、大腸がん患者において腸内細菌叢が介在する可能性のある転写因子–標的遺伝子ペアを網羅的に解析。さらに、これらの転写制御の変化が生存予後に及ぼす影響を評価した。
【結果】
ARNT と FLI1 という転写因子が腸内細菌による調節を受けて転写制御を変化させ、これが大腸がんの悪性化や患者の予後に影響する可能性が示唆された。
【結論】
腸内細菌叢の転写制御への介入メカニズムをゲノムワイドに捉えることで、悪性化促進や予後への影響を把握でき、大腸がんの新たな予測バイオマーカーや治療戦略の開発に繋がる可能性がある。
【背景・目的】
アルツハイマー病(AD)は認知症の主要な要因で、死後脳に病理学的変化があっても生前は認知機能が正常な「レジリエンス」集団が報告されている。本研究ではレジリエンス群の定義条件を変えた場合に、AD 群とのタンパク質発現変動解析にどのような差異が生じるかを調べ、レジリエンスに関する分子基盤の理解を目指した。
【方法】
ROSMAP のプロテオミクスデータを用い、欠損値補完や性別・年齢・教育歴を考慮した傾向スコアマッチング後、R の limma パッケージでレジリエンス群と AD 群のタンパク質発現変動解析(有意水準 5%)を実施。UMAP による次元削減と病理スコアのクロス集計、さらに Gene Set Enrichment Analysis(GSEA)での GO ターム濃縮解析を行い、条件設定ごとの変動パターンを検討した。
【結果・考察】
全てのレジリエンス条件設定でミトコンドリア関連の GO タームが上位に濃縮され、シナプス機能や代謝経路も含まれることから、エネルギー代謝とシナプス活性の重要性が示唆された。また、CHCHD2 と KIAA1468 はレジリエンス群で一貫して発現上昇が見られた。UMAP による可視化では、条件設定を変えてもレジリエンスと AD の散布に大きな差がないことが確認され、遺伝子発現量の変動は条件設定に依存しない可能性が示された。
【背景】
サルコペニアは筋量および筋機能(筋力・身体機能)の低下を特徴とするが、先行研究では筋量が基準値以下でも筋機能は保たれる集団が報告されている。
【方法】
公共レポジトリ(GSE111006)の遺伝子発現データを用い、筋量が低いが筋機能が正常な群とサルコペニア群を比較分析。発現変動解析後、組織特異的遺伝子制御ネットワークに基づいて機能的モジュールを推定した。
【結果】
合計960の遺伝子が筋機能維持に関わる候補シグネチャーとして検出され、11の機能モジュールに分類。筋収縮プロセスやオートファジー、炎症反応などが筋機能維持に寄与する可能性が示唆された。
【結論】
筋量とは独立して筋機能を支える遺伝子群の存在が示され、サルコペニア予防に向けた分子基盤の解明および新たな介入法の開発に繋がる可能性がある。
【背景】
翻訳後修飾(PTM)を担う酵素はがん細胞の増殖や浸潤、転移などに深く関わるが、質量分析技術の制約や単一酵素を対象とした研究が多く、複数がんタイプを横断した包括的解析は不足している。
【方法】
32種類の腫瘍および対応する正常組織の遺伝子発現データを用い、PTM酵素の発現異常を網羅的に予測。さらに CRISPR-Cas9 スクリーニングによる酵素依存性解析を組み合わせることで、がん細胞生存に必須の酵素群を特定し、主要な4酵素(ALG14、CDC7、PLK4、TTK)を抽出。これらを標的とする薬剤スクリーニングにより、既存薬のリポジショニング候補を同定した。
【結果】
全腫瘍タイプを横断した酵素発現解析と CRISPR データの統合から、がん細胞における生存必須酵素を解明。特に ALG14、CDC7、PLK4、TTK が重要であり、これらを標的とする複数の候補化合物が既存薬からリポジショニング可能であると示唆された。
【結論】
複数がんタイプにわたる PTM 酵素の発現と機能的必須性を網羅的に調査することで、主要な酵素標的と薬剤再利用の可能性が示された。これらの結果は、PTM酵素に注目した新たながん治療戦略の構築に向けた一助となる。
デジタル健康学では、3D深度カメラやOpenPoseなどのモーションキャプチャ技術、脳波・筋電図などのセンサーを用いて、リハビリ動作や高齢者・妊婦模擬実験などの解析を可能にし、小規模ながら高精度モデルの構築をしています。
高齢者や疾患患者の歩行・バランスを定量化しようとしても、従来は専門的な計測装置や人手による観察が必須で、客観的なビッグデータとして集積しにくい。
病院外や地域コミュニティ等での動作解析が手軽にできる技術が求められている。
高齢化社会の進行や妊婦の腰痛リスクなど、さまざまな生活機能を支える身体評価の重要性が高まっている。
センサーやカメラ技術を用いて日常動作を可視化・数値化することで、効率的な予防やトレーニング方法の開発が期待される。
【背景】
2次元ビデオによる姿勢推定は、ビデオデータのみを用いて人間の骨格座標を推定できる技術で、歩行解析にも応用が期待される。しかし、大規模集団を対象とする場合、計測環境の完全な統一は難しく、生物学的要因以外の技術的誤差を適切に補正する必要がある。
【方法】
OpenPose を用いた歩行解析の大規模データベースを分析し、制御不能な実環境で頻発する異常を網羅的に整理した。具体的には解剖学的・バイオメカニクス的・物理的異常、推定誤差の4 種類を特定し、それぞれを検出・補正するワークフローを構築。シミュレーション実験によりワークフローの再現性を検証した。
【結果】
ビデオベースの歩行解析において、左右脚の誤検出や関節位置の急激な異常値など4 種類の異常を特定し、異常検出と修正フローを示すことで、未制御環境下でも大規模集団の歩行解析を可能にする基盤を築いた。
【結論】
提案ワークフローによって、ビデオベースの大規模歩行解析に伴う技術的誤差を事前処理で適切に補正し、高精度な歩行計測データを得られる可能性が示された。これは大規模集団における歩行研究の品質向上に寄与すると期待される。
【背景】
バランス評価の標準的手法であるFunctional Balance Scale(FBS)は実用的だが簡略化されたスコアのため微細なバランス能力の違いが反映されにくい。そこで三次元深度カメラを用いて身体の動揺を定量化し、FBSが捉えきれないバランス機能の変化を検出する手法を提案する。
【方法】
健常若年者20名を対象に、通常状態と高齢者疑似体験キット装着状態でFBS課題を実施・撮影。得られた骨格座標から体幹動揺を算出し、スパースロジスティック回帰でキットの装着有無を判別するモデルを構築した。交差検証を用いて正解率、適合率、再現率、F値、AUCなど複数指標でモデル精度を評価。
【結果】
FBSスコア(52点満点)は通常52.0±0.0点、キット51.7±0.57点と大差なかったが、キット条件では体幹動揺が増大し、タンデム立位や閉脚立位など上下方向成分が判別に寄与。モデルの正解率は0.88±0.05など高精度を示し、FBSスコアで捉えきれない身体特徴を捉えられる可能性が確認された。
【結論】
三次元深度カメラとスパースロジスティック回帰を組み合わせることで、FBSのスコアに反映されないバランス能力の微細な変化を客観的に検出できる可能性が示唆された。これは高齢者リスク評価やリハビリ計画策定などに応用できると期待される。
【背景】
妊娠中の腰痛は日常生活動作、特に椅子からの立ち上がり動作を困難にする要因として知られている。一方、既存の研究では過度に制御された環境下で検討されることが多く、日常的な机や手すりの利用など実際の生活環境下での検証が十分ではない。
【方法】
負荷を実際の妊娠状態に近づけるため、妊婦を模擬するジャケットを健常若年成人10名に着用させ、机に手をついて立ち上がるSTS動作を計測。脊柱起立筋に表面筋電図(sEMG)センサーを装着し、身体姿勢や重心動揺と併せてジャケット着用前後の差をt検定により解析した。
【結果】
ジャケットを着用すると脊柱起立筋の活動や重心移動パターンに有意な変化が見られ、これは妊娠中に報告される立ち上がり動作の特徴を再現していることを示唆した。机への手つきによる補助も含め、日常的環境を想定した計測条件で、妊婦のSTS動作をより現実的に再現できる可能性が示された。
【結論】
ジャケットを用いた妊婦模擬実験により、実生活を反映した立ち上がり動作解析が可能となる。これは妊娠期特有の腰部負荷を定量的に把握できる手法として、リハビリテーションや生活指導における具体的な介入策の開発につながると考えられる。
【背景】
Box and Block Test(BBT)は脳卒中などを対象とした手指の運動機能評価法として広く使用されているが、動作の捉え方が粗いため、評価はセラピストの力量に依存する課題がある。
【方法】
被験者3名(脳卒中患者2名、健常者1名)のBBT動作をマーカーレスモーションキャプチャ(MMC)で撮影し、MediaPipeを用いて手指の3次元座標を取得。動作を「移動・掴む・運搬・離す」の4工程にラベル付けし、特に「掴む」工程に対して主成分分析(PCA)を適用して手指形状の特徴を抽出した。
【結果】
PCAの累積寄与率は第1〜6主成分で0.98に達し、第4主成分が麻痺側手の遠位横アーチ減弱に関連する可能性を示唆した。
【結論】
マーカーレス計測とPCAを組み合わせることで、主観に頼らずBBT中の手指動作を定量的に評価できる可能性があるが、サンプル数の拡大、撮影条件の標準化、MMCの精度検証が今後の課題として残る。
【背景】
リズム聴覚刺激(RAS)は歩行動作などを改善するとされるが、どのような神経学的メカニズムが働いているのかは十分に解明されていない。近年の研究では、歩行中に皮質から筋への制御が存在する可能性が示唆されており、RASも皮質制御を介して動作を変調している可能性がある。
【方法】
健康な若年者を対象に、RASなし条件とRASあり条件の歩行中に脳波(64ch)と左右各7筋の表面筋電図(EMG)を測定し、皮質活動と筋活動の関連を明らかにするため、コヒーレンス解析および伝達関数解析を実施。また、筋シナジー解析によって動作中の筋協調制御の様子を比較した。
【結果】
適応群(RASにより歩行快適性が向上した群)ではα帯域での皮質−筋コヒーレンスが高まり、動作中の筋活動が効率的に制御される傾向が認められた。α帯域での接続性向上は、RASが相対的に安静状態に近い脳活動状態をもたらす可能性を示唆する。
【考察】
RAS条件下での歩行快適性の向上には、皮質による筋制御が変化していることが関与しており、特にα帯域での神経活動が鍵となっていると考えられる。筋シナジーの効率化も皮質が筋への制御指令を減少させている可能性を支持する。今後、RASへの応答性を含む皮質−筋制御メカニズムをさらに理解することで、老化や疾患のリハビリなどへの応用が期待される。
【背景】
筋の協調制御を司る「モーターモジュール」は神経学的な指令パターンとして捉えられ、臨床では病態の評価や介入効果の検証のために集団レベルでモジュールを特徴づけ、比較する必要がある。しかし、従来の方法では個体ごとに推定した後で平均化するアプローチがとられてきたものの、集団全体の代表的モジュールを正確に捉えられるかは十分に検証されていなかった。
【方法】
モーターモジュール推定の精度を検証するために、シミュレーション実験を行い、従来の「個人推定 → モジュール平均化」手法の精度やノイズ耐性を検証。さらに関数データ解析(functional data analysis)の枠組みを用いて、新たな集団モジュール推定アルゴリズムを開発し、その精度向上を評価した。
【結果】
既存の個人ベース推定法はサンプル数を増やしても精度が十分に向上せず、ノイズに脆弱であることが確認された。一方、提案した機能的データ解析に基づくアルゴリズムは、推定精度が大きく改善され、集団レベルでのモーターモジュールをより正確に推定できる可能性を示した。
【結論】
モーターモジュールの集団平均推定には統計学的課題があり、大規模臨床データを活用するためには、新たなアルゴリズムの開発が求められる。本研究の知見は、臨床応用でのモーターモジュール分析の信頼性向上に寄与すると期待される。
【背景】
複数筋の協調活動を通じて冗長自由度の問題を克服する「運動モジュール」は、歩行における筋シナジー解析から一部が明らかになっている。しかし筋活動の時間変化を捉えるには従来手法では不十分であり、ウェーブレット変換(WT)やウェーブレットコヒーレンス(WTC)が注目される一方、sEMGへの応用では測定誤差や周期間・個体間差の影響を受けやすい課題がある。
【方法】
健常若年者7名が5分間トレッドミル歩行中に測定した左右10chの下肢筋活動データを対象に、フットスイッチ情報で歩行周期を同定。まずPCAを用いたsEMGの信号抽出手法を適用し、処理前後でWTおよびWTCを比較して手法の影響を評価。さらにWTCを用いて歩行相ごとに筋間ネットワークを構築し、そのダイナミクスを次数中心性から分析することで動的な運動モジュールを推定した。
【結果】
PCAベースの前処理によって被験者間で共通するロバストなEMGが抽出され、WT ならびにWTC解析でも共通した特徴を確認。歩行相別の筋間ネットワークでは、左右下肢を跨ぐ接続が全相で見られ、かつ歩行相によって構造が変化。特に一部の筋は活性タイミングと同期した役割を果たす可能性が示された。
【まとめ】
PCAを用いた信号抽出手法により、測定誤差や個体内・個体間変動を抑えたEMGおよびWTCを獲得でき、歩行相ごとのダイナミックな筋間ネットワークを構築可能となった。これにより筋出力だけでは捉えられない時間変化する運動モジュールを把握でき、歩行の制御メカニズム解明に寄与する可能性がある。
【背景】
歩行中に記録される筋電図データ(EMG)は、複数の疾患に対するリハビリテーション研究や治療効果の評価に活用されているが、解析ツールの標準化不足が臨床応用を阻んでいる。簡便かつ再現性の高い解析基盤の構築が求められている。
【方法】
歩行EMGデータの読み込みから前処理、筋活動タイミングや筋シナジー、筋間コヒーレンス、パワースペクトル密度(PSD)など主要な特徴量の自動抽出までを、コード不要で行えるウェブアプリケーションのプロトタイプを開発。テストデータを用いて、プロット出力および群間比較機能の動作を検証した。
【結果】
プロトタイプ上で、筋活動タイミングのヒートマップや筋シナジー解析、筋間コヒーレンス、PSD解析結果が自動表示され、被験者群ごとの比較を直感的に行えることが確認された。従来の手動解析に比べて短時間かつ再現性を担保した前処理と解析が実現可能となった。
【結論】
ウェブベース自動解析ツールの導入により、歩行EMGデータの臨床研究への応用を容易化し、標準化を促進できる可能性が示唆された。今後、さらなる改良や大規模データへの対応を進めることで、リハビリテーションプロトコルの最適化や治療効果の評価に貢献が期待される。