Research Summary

0. 注目キーワード

素粒子の標準理論

光センサー(SiPM)と光検出器(pTC)

較正システム(レーザーシステム・残差最小化)

β線照射試験

陽電子再構成 (カルマンフィルタ 、パターン認識アルゴリズム ...)

1. 標準理論と素粒子物理学

Keyword: 素粒子物理学、標準理論

標準理論は最も基礎的な物理の理論の一つで、物質と、物質の相互作用を17の「素粒子」によって記述します。標準理論は多くの実験結果と驚くほどの一致を見せて居ますが、中には標準理論では説明のつかない現象・実験結果もあり、近年話題となった、ニュートリノ振動もその現象の一つです。すなわち、標準理論は「完璧な」理論ではないのです。

Fig. 1 素粒子の標準理論の構成粒子一覧。クォーク間やニュートリノ間では世代間混合が見られますが、荷電レプトン(電子e、ミューオンμ、タウτ)の間では世代間混合が未だ実験で発見されていません。

2. MEG II実験

Keyword: 荷電レプトンフレーバーの破れ、μ -> eγ崩壊、新物理

MEG II実験は、MEG実験のアップグレード実験です(MEGはMuon to E + Gamma、すなわちμ -> eγの頭文字です)。MEG II実験は世界最高感度でμ -> eγ崩壊を探索するための実験で、世界最大強度のμビームが利用可能なPaul Scherrer研究所(スイス)で行われています。μ -> eγ崩壊は荷電レプトンフレーバーの破れ(cLFV)と呼ばれる現象の一つで、標準理論においては禁止される現象の一つです。Fig.1 における、荷電レプトン間の世代混合(反応前後のμ、eの数が異なる、μがeへ世代間を転換する現象)の一種にあたります。

cLFV現象は、標準理論においては禁止されていますが、多くの標準理論を超えた理論においては実験で観測可能な分岐比で起こり得ることが示されています。すなわち、μ -> eγ崩壊を発見するということは新物理を発見することと同義です。

私たちはμの稀崩壊を世界最高感度で探索することで、新物理の証拠を掴もうと試みています。

Achievement: [A-2]

3. MEG II実験陽電子タイミングカウンター(pTC)

Keyword: 光検出器, 光センサー, シンチレーションカウンター, 時間分解能

cLFVを発見するためにはμの崩壊によって生じる陽電子eとガンマ線γを精度良く検出する必要があります。陽電子タイミングカウンター(pTC)は陽電子の時間を30ピコ秒台の超高精度で捉えるための時間検出器です。

陽電子のような荷電粒子はシンチレータと呼ばれる物質を通るとエネルギーを落とし、シンチレーション光と呼ばれる二次光子を生じます。私たちはこの二次光子をSiPM(Silicon Photo-Multiplier)という小型の光検出器を用いて検出することで、荷電粒子を検出するのです。pTCはシンチレーションカウンターが細分化されていることにより、一つの陽電子の通過時間を複数のカウンターで測定することが出来ます。一つ一つのカウンターの時間分解能は80ピコ秒程度ですが、平均8カウンターに陽電子が当たるので、目標である30ピコ秒台を達成することが出来るのです。

pTCは主に日本グループ(東京)とイタリアグループ(パビア、ジェノバ)が共同で開発、運用しています。


Achievement: [A-3,6][B-3,7,9][C-4]

Fig 2. MEG II実験に用いられる検出器。液体キセノンγ線検出器(LXe detector)はγ線を検出します。陽電子は磁場によって曲げられ、その軌跡はドリフトチャンバー(Drift Chamber, CDCH)によって、その時間はpTCによって検出されます。

Fig 3. 光検出器と回路基盤(左):6個のSiPMを直列接続しています。このアレイはシンチレータの両側に光学接着されています(右)。

pTCを構成するカウンター(右):全部で512個のカウンターが用いられます。レーザーを用いた較正用のファイバーを通したカウンターや、配置の都合で4cm、5cmの高さのカウンターが混在しています。

4. 較正

Keyword: パルスレーザー、残差(χ二乗)最小化、Millepede-II (DESY)

検出器を用いてデータ取得を行い、最適な結果を得るためには検出器の較正作業が非常に重要になってきます。特にpTCでは512個の独立なカウンターの、回路等に依存した時間オフセットを事前に知っておく必要があります。

このため、pTCグループでは二つの相補的な較正手法を開発してきました。一つは「レーザーシステム」を用いた手法、もう一つは「軌跡を用いて残差最小化」を行う手法です。以下にこれらのシステムと手法を図解します。

Achievement: [A-5][B-6,8]


Fig. 4 レーザー較正システム。achievement [B-9] より。Optical switchやOptical splitterを使うことで、十分な光量を保ちつつ、レーザー光をカウンターに同時に照射することが出来ます。時間オフセットの安定性はSYNCシグナルと比較しながらモニターされます。

Fig 5. 軌跡を用いたχ二乗最小化手法。軌跡を再構成できれば、陽電子の飛行時間を見積もることが出来るので、各カウンターでの測定時間と、求めたい変数として設定した時間オフセットの値を用いて定義した上述のχ二乗を最小化することで、時間オフセットを求めることが出来ます。この最小化計算にはMillepede II (provided by DESY, www.desy.de/~kleinwrt/MP2)というソフトウェアパッケージを用いています。

Fig. 6 レーザー較正と軌跡を用いた最小化計算較正の比較。achievement [B-9]より。 二つの手法はお互いの欠点を補い合う、相補的な手法であると言えます。

5. 光センサーの放射線損傷に関する研究

Keyword: β線照射試験、時間測定、GEANT 4

SiPMはPET(Positron Emission Tomography)など医療分野から素粒子実験における検出器まで、非常に広い分野で用いられています。SiPMは粒子が照射されることでシリコンが損傷し、性能が悪化することが知られています(これは放射線損傷と呼ばれます)。

SiPMの放射線損傷は、大強度のビームを用いてかつ超高精度の測定が長期間必要なMEG II実験において死活問題になり得るため、その調査を行いました。私は特に総照射量の見積もりや、ストロンチウムβ線源を用いた実験の提案・セットアップ作成・測定・解析を行ってきました。

結果として、SiPMのダメージと、性能の悪化具合に関し系統的に調べ上げることに成功しました。なお、照射量の見積もりにはGEANT4 (https://geant4.web.cern.ch/)を用いたシミュレーションを行いました。

Achievement: [A-4][B-1,4,5][C-1,3,6]

Fig. 6 左: SiPMアライメント用のセットアップ。Genovaグループの共同研究者の協力のもと、3Dプリンターで作成しました。

Right: 時間測定用のセットアップ。ベータ線照射を行った6つのSiPMを直列接続し、時間測定を行いました。波形はPSIで開発された、DRS(Domino Ring Sampler chip https://www.psi.ch/en/drs)という波形デジタイザを用いて取得します。

6. 陽電子再構成アルゴリズムの開発

Keyword: カルマンフィルタ , パターン認識アルゴリズム

MEG実験からMEG II実験への大きなアップデートの一つが、陽電子再構成効率の劇的な改善です。目標とする世界最高感度の達成にはMEG実験から2倍のビームレート下で、陽電子を2倍の効率で再構成する必要があります。これは非常に困難な達成目標ですが、現在我々は達成に向けて様々なアルゴリズムの改良を行っています。 Fig. 8は実際に想定される環境を可視化しています。ビームレートが増えれば増えるほど、どのヒットがどのμから来た陽電子に由来するものなのか判別すること(Track Finding、もしくはパターン認識と呼ばれます)が難しくなります。

私たちは軌跡再構成にカルマンフィルタと呼ばれるアルゴリズムを用いています。これは効率的な再帰的アルゴリズムで、素粒子実験の軌跡再構成と相性が良いためです。カルマンフィルタを用いた軌跡再構成は始点(Seed)を決めてからスタートするため、localな手法と呼ばれることも多いです。

一方で近年、機械学習技術を用いたパターン認識アルゴリズムも実用されてきています。これは全てのヒットの重みが同じ状態からスタートすることから、globalな手法と呼ばれることもあります。

陽電子解析アルゴリズムの開発・実装は、陽電子解析チーム(イタリア、ロシア、日本の陽電子解析に関心のある人々が構成)が主導しています。


Achievement: [B-10,11][C-5]

Fig. 7 陽電子再構成における解析フロー暫定版。陽電子の軌跡はCDCHで、陽電子の時間はpTC(図中ではTC)によって決定されます。なお、素粒子実験における解析にはROOT(https://root.cern.ch/, C++ based software toolkit, library)が広く使われることから、基本はC++を用いています。

Fig 8. 実際に想定されるビームレート下(7e7μ/s)での陽電子再構成のシミュレーション可視化。黄色の四角はpTCの陽電子がヒットしたカウンター、黄色の丸や線はCDCHのヒット(ドリフトサークル)でワイヤがある一方向に傾いてるもの、紫のものは黄色とは違う向きに張られたワイヤのヒットを示しています。achievements [C-5]で報告しました。

Fig. 9 CDCHの情報を用いないpTC内部での軌跡再構成。原理上、pTCは三次元のヒット情報も、運動量に関する情報も検出してくれないため、軌跡を再構成することは不可能です。一方で検出されない情報であっても、検出器や磁場の特性を深く理解することで十分な精度で推定することは可能であり、私は実際にそれを用いることで軌跡再構成に成功しました。この結果はachievement [C-7]で報告されています。

右の図における黄色はTCヒットを、青はTCのカウンター領域を示します。青のプロジェクションはカルマンフィルタ における順伝搬を表しており、紫は逆伝搬を、赤は逆伝搬と順伝搬を用いて潤滑化した軌跡を示しています。カルマンフィルタの計算や可視化はGENFIT (http://genfit.sourceforge.net/Main.html)というパッケージを用いています。