#70 からだの感覚とことば
千本ノックの記事をきっかけに、斉藤孝『身体感覚を取り戻す―腰・ハラ文化の再生―』を楽しく読み進めています。
第2章「失われゆく『からだ言葉』と身体感覚」では、からだの動きとそれを表現する言葉がセットになって文化を作り上げており、日本語にはからだの微妙なニュアンスをあらわす「からだ言葉」が豊富にある一方で、現在では使われなくなってきている言葉も多いと指摘されています。
たとえば、「堪忍袋の緒が切れる」は、体の中に堪忍袋のような袋あるいは器の感覚が生まれているし、「肚におさめる」はおさめるべき袋や器が肚にあることを想定しています。「清濁併せ吞む」は、良いものも悪いものも併せて吞み込んで肚に入れるという身体感覚を表しており、自分の価値観では割り切れないものでも、きちんと吞み込んで肚におさめたからには少々のことで蒸し返さないという粘り強さが感じられます。
斎藤(2000)は、身体感覚は行動様式として伝えることもできるが、「からだ言葉」を通して伝承される意義も大きいとしており、しかし今、この伝統的な身体感覚に関する表現が急速に失われつつあると指摘しています。
また、笠川(2007)は、身体語彙を使った慣用句に含まれる身体語彙の数を調べ、「目」「腰」「腹」「頭」を取り上げて日英語の比較を行っています。その結果、感覚器官である身体部位を使った慣用句、たとえば「目」を使った表現(「白い目で見る」「目がくらむ」、“get the (evil) eye”、“easy on the eye”など)、は日英どちらにも多く見られ、共通点が多いことが分かりました。
一方で大きく差が出たのは、「腰」「腹」は日本語で圧倒的に多く、「頭」は英語で多く使われているという点です。笠川はこれについて、それぞれの国の意識の場所(身体文化)が関係していると述べています。日本人の意識の場所は「腰・腹」(「腰が抜ける」「腰が低い」「腹が立つ」「腹を割る」など)である一方、英語圏の人たちの意識は「頭」("hold one’s head high"、"have [get] a swollen head"、"put [lay] one’s head on the block"など)にある可能性を指摘しています。
たしかに、言語によって「どこで知覚するか」「どこで感じるか」を考えるうえで、「からだ言葉」や身体語彙をたどってみるのは面白そうです。これらの表現が時代とともに衰退していくことが嘆かれていますが、日々の暮らしの中で「腹が立つ」ことや「はらわたが煮えくり返る」ことは、まだまだなくなりそうにありません。
参考
斎藤孝(2000)『身体感覚を取り戻す―腰・ハラ文化の再生―』NHKブックス.
笠川紘史(2007)「身体語彙を含むイディオムの日英比較」『中京英文学』第27号, 35–55.
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[身体感覚] [慣用句]