かずのみや よめいりのため じゃりをしく

和宮 嫁入りのため 砂利をしく


●和宮の徳川嫁入り

江戸末期、外国から圧力をかけられ、国が混乱。幕府が朝廷の力を借りてこれを治めようとした「公武合体政策」のため、和宮は16才の若さで徳川14第将軍、家茂と結婚することになりました。京から江戸への移動の際、はじめ東海道を通る予定が、反対派が和宮をうばい返すといううわさがあり、中山道に変更。その際、馬宮村にある砂利を中山道に敷き詰めました。また、馬宮村の人々は、桶川宿~板橋宿までの移動のお手伝いをしました。