馬込の歴史
「文化の薫るまち馬込」の歴史や文化財をご紹介します。
ー 馬込の歴史 ー
馬込の由来
平安末期から鎌倉期にかけて、農耕馬がたくさん飼われていました。馬込の地は起伏の多い地形で足腰が強く、足が速いため、鎌倉武士用の馬として放牧されました。馬込の「込」は牧場の柵を設けていたことから来ています。
※馬込の由来は諸説ありますので、数あるうちの一つと考えてお楽しみください。
馬込文士村
大正末から昭和初期にかけて多くの文士、芸術家たちが住んだ「馬込文士村」。大田区民でなくても「馬込と言えば?」「文士村!」と答える方は多いでしょう。大正末期から昭和初期に多くの文士、芸術家が馬込一帯に移り住み、互いの家を行き来し交流を深めていました。そうしていつしかこの辺りを「馬込文士村」と呼ぶようになりました。
文士たちの住んでいた場所には記念館や居住跡案内板があり、彼らの足跡を訪ねることができます。晴れたひとときあなたも散策コースを歩いてみてはいかがでしょうか。
馬込文士村をもっと知りたい方へ
龍子記念館
日本画の巨匠として知られる川端龍子(1885年から1966年)は、 馬込文士村の住人の一人。そのスケールの大きな作品を常時、展示しています。
【所在地】
尾崎史郎記念館
昭和29年に建てられた居宅のうち書庫、客間、書斎を再現し、そのエネルギッシュな執筆活動を伝えるために、特に、机周りの雑然とした雰囲気を活かした展示を行っています。
【所在地】
山王草堂記念館
日本で最初の総合雑誌「国民之友」を創刊し、 また全100巻の「近世日本国民史」を刊行した、 徳富蘇峰 の旧居の一部を保存し、展示しています。
【所在地】
ー 馬込の文化財や史跡 ー
庚申燈籠
享保3年(1718年)に、馬込村久保谷の庚申講の人々が造立した燈籠型の庚申塔です。竿石の正面に青面金剛立像と三猿が陽刻されており、竿石に青面金剛立像を彫った燈籠は区内では唯一のものです。
【所在地】
富士講燈籠
文政7年(1824年)に、馬込村の富士講の人々が中心となって建てたものです。道しるべと常夜燈を兼ねています。台石には寄進者名と思われる講員の名が150名以上刻まれています。
区指定文化財。
【所在地】
磨墨塚
源平の宇治川の合戦で活躍した名馬「磨墨」は、この地の産であったとも、またこの地で死んだとも伝承されています。これにちなんで、明治33年(1900年)に馬込村の人々により碑が建てられました。
【所在地】