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馬込の歴史

「文化の薫るまち馬込」の歴史や文化財をご紹介します。


ー 馬込の歴史 ー



馬込の由来

平安末期から鎌倉期にかけて、農耕馬がたくさん飼われていました。馬込の地は起伏の多い地形で足腰が強く、足が速いため、鎌倉武士用の馬として放牧されました。馬込の「込」は牧場の柵を設けていたことから来ています。

※馬込の由来は諸説ありますので、数あるうちの一つと考えてお楽しみください。


馬込文士村

大正末から昭和初期にかけて多くの文士、芸術家たちが住んだ「馬込文士村」。大田区民でなくても「馬込と言えば?」「文士村!」と答える方は多いでしょう。大正末期から昭和初期に多くの文士、芸術家が馬込一帯に移り住み、互いの家を行き来し交流を深めていました。そうしていつしかこの辺りを「馬込文士村」と呼ぶようになりました。

文士たちの住んでいた場所には記念館や居住跡案内板があり、彼らの足跡を訪ねることができます。晴れたひとときあなたも散策コースを歩いてみてはいかがでしょうか。

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馬込文士村をもっと知りたい方へ

馬込文士村資料展示室

馬込文士村ゆかりの文士、芸術家の資料を展示しています。

【所在地】

大田区山王三丁目37番11号(大田区立山王会館内)

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大田区郷土博物館

馬込文士村の常設展があり、色々な作家や画家たちの作品や資料などを紹介しています。

【所在地】

大田区南馬込五丁目11番13号

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熊谷恒子記念館

気品ある作風で知られ、かな書道界の巨匠とうたわれた熊谷恒子の作品をかつての住まいに展示しています。

【所在地】

大田区南馬込四丁目5番15号

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龍子記念館

日本画の巨匠として知られる川端龍子(1885年から1966年)は、 馬込文士村の住人の一人。そのスケールの大きな作品を常時、展示しています。

【所在地】

大田区中央四丁目2番1号

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尾崎史郎記念館

昭和29年に建てられた居宅のうち書庫、客間、書斎を再現し、そのエネルギッシュな執筆活動を伝えるために、特に、机周りの雑然とした雰囲気を活かした展示を行っています。

【所在地】

大田区山王一丁目36番26号

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山王草堂記念館

日本で最初の総合雑誌「国民之友」を創刊し、 また全100巻の「近世日本国民史」を刊行した、 徳富蘇峰 の旧居の一部を保存し、展示しています。 

【所在地】

大田区山王一丁目41番21号 

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ー 馬込の文化財や史跡 ー

旧馬込小学校の時計塔

大正14年(1925年)から昭和37年ごろまで、馬込小学校のシンボルとして親しまれてきたものです。小学校改築により現在地に移設されました。

【所在地】

大田区南馬込一丁目55番8号

庚申燈籠

享保3年(1718年)に、馬込村久保谷の庚申講の人々が造立した燈籠型の庚申塔です。竿石の正面に青面金剛立像と三猿が陽刻されており、竿石に青面金剛立像を彫った燈籠は区内では唯一のものです。

【所在地】

大田区南馬込一丁目40番11号

万福寺・茅葺きの山門

万福寺の山門は切妻造り茅葺きの立派なものです。万福寺の裏には詩人、小説家として活躍した室生犀星の旧居がありました。

【所在地】

大田区南馬込一丁目49番1号 万福寺内

富士講燈籠

文政7年(1824年)に、馬込村の富士講の人々が中心となって建てたものです。道しるべと常夜燈を兼ねています。台石には寄進者名と思われる講員の名が150名以上刻まれています。

区指定文化財。

【所在地】

大田区南馬込二丁目25番17号

磨墨塚

源平の宇治川の合戦で活躍した名馬「磨墨」は、この地の産であったとも、またこの地で死んだとも伝承されています。これにちなんで、明治33年(1900年)に馬込村の人々により碑が建てられました。

【所在地】

大田区南馬込三丁目18番21号

松原橋

日本最初の立体交差。日本で初めてできた幹線道路の立体交差が、昭和15年(1940年)に完成した、環状七号線と第二京浜国道の交差点、松原橋です。

【所在地】

大田区中馬込二丁目24番付近