さまざまな人が関わってくださった。
そして、今の昭和Factoryがあります。
最初、そこはガラクタだらけの倉庫でした。
昭和50年代に廃業した元縫製工場は、何十年と放ったらかしで、工場の不要機材をはじめ、いつしか日常の不用品を置いておく場所になっていました。
わかる人にはわかる。
そこにあったのは、歴史という価値。文化という価値。
ある日来ていただいた親しい建築士さんが、ごみだらけの工場に感動しているのです。どうも、その時代の建築様式や部品がそのまま残っているということが、興味深いのだそうです。
そういうものなのかと思って片付け始めると、手伝ってくれるという人が次々に現れて、まるで宝探しのように喜んで掃除をしてくれるのです。
どうやら、ゴミ置き場は宝の山だったのです。
腐った床と、設備の無い空間。
片付けをしていく中でわかったこと、床が腐敗していて危険であるということ。
このまま使用するわけにはいかない。
それに、水道も引いてこなければ始まらない。
親しい業者に無理を言って、半分手作りのキッチン空間を作っていただきました。
今あるもの、今できること。
最初から準備万端ととのえるには資金が必要。
そんなものないし、貯めてからなんて言ってたら始められない。
だから、今あるものを使ってできることをやってみる。
まずは行動してみなくっちゃ始まらないと思って動き出した!
寒い店内と、温かい人の輪と。
必要最低限で始めたのが11月。
これから寒くなっていく時期に空調がない。玄関もない。
そんな寒い中でも来てくれる友人。
そして12月、大きな石油ファンヒーターをお借りしました♪
営業しながら、少しずつ形になっていく。
どうなるものかと思いながらも行動を続けていると、みんな気にしてくれるもので。
少しずつ、少しずつ、色んなものが集まってくるんです。
レコードプレーヤー、食器棚、ダイニングチェアー、冷蔵庫、看板、他にもたくさん!!
周りのみなさんのお陰さまで、昭和Factoryが形になっていっています。
人が人を呼んで繋がっていく
今、昭和Factoryには、たくさんの方が関わってくださっています。
コロナ禍の中、応援してくれる人がいて、一緒にやろうって言ってくれる人がいて、特に横の繋がりの大切さ、ありがたさを強く感じます。
チャレンジには苦難も失敗もつきまとうわけですが、それもひとつの成果だと思い、今度は関わってくださる皆さんと一緒に次のチャレンジに繋げていきたいと思います。