2025.10.2
「難病支援で意識していること」
お久しぶりにコラム担当します、高田です。
訪問看護で難病を担当するとき、私の感じていることを少し紹介します。
改めて、難病の方を担当するとき、社会資源の利用、活動方法の考察の違いが一番多いように思います。
難病以外の他の方の訪問看護利用回数が多くなると「死期」が迫っているときですが、難病の方は、訪問看護利用回数が多いときは「死期」ではなく「医療度」が高くなるという印象です。
訪問看護自体、末期がんと方と難病の方の訪問回数の制度的な制限は同じなのですが、難病の方の「医療度」が高くなると、医療機器やヘルパーさんへの連携という部分が密になっていきます。
「多職種の連携が蜜」になるということは、本人の思いや家族様の希望に添えない場合もあり、優先順位や優先方法などのコミュニケーションの場面が増え、自分自身の意見や本人の代弁者として医師との協議や連携時の伝達など、複雑になっていきます。
「多職種の連携が密」になる要因としては、訪問看護の増回だけでなく、難病法に基づく特定医療費助成制度や重度心身障害者医療費助成制度があるからだと思います。
そのため、難病支援の現場の実情から目標としていることは、コミュニケーションです。
家族や多職種との連携も「伝え方次第」で成果が変わるので、コミュニケーション力向上で得られる効果として
① 介護拒否が減り、スムーズなケアが実現
② 利用者の表情が明るくなり、やりがいを実感
③ 家族からの信頼が深まり、クレームが激減
④ チーム連携が向上し、働きやすい環境に
を意識しながら難病支援に関わらせて頂いています。
2025.9.11
「外出支援」
皆さん、こんにちは。理学療法士の奥山です。
大学4年の実習生だった頃、ALSの女性(Aさん)を担当しました。毎日そばでお話を伺い、「まずは知ること」を心に置いて過ごしていたある日、Aさんがぽつりとおっしゃいました。
「天井を見つめてベッドで寝たきりになるらしいけど、呼吸器なんて付ける意味あるのかな。」
当時は、人工呼吸器を装着したまま外出することが今ほど一般的ではありませんでした。主治医から今後の意思確認を受けた直後だったそうです。私は何も返せず、ただ黙りました。「呼吸器を付けて生きてほしい」と言いたい気持ちと、勝手なことは言えないという思いが胸の中でぶつかっていました。あの頃の私は、人工呼吸器を装着して在宅で暮らす方に、まだ出会ったことがなかったのです。
卒業後、在宅の難病支援に取り組む診療所に勤務し、多くのALSの方と関わる機会をいただきました。あの「天井」という言葉が心に残り、外出支援の機会をできるだけ大切にしてきました。外へ出ることは、特別な行事というより、その人の日常を少しずつ取り戻す手立てになり得ると感じる場面が増えました。行き先は近くでも十分だと思います。玄関先で風に当たる、ベランダで空を見る、近所の公園まで行ってみる――距離よりも、「行きたい」に沿った経験そのものが力になるのではないかと感じています。
現場では、支援者が多くのリスクに目を配りながら準備を重ねていますが、その一方で、本人が「無理なく行けた」と思えることが、次の一歩につながることが少なくありません。小さな成功体験を積み重ね、今日の一歩が明日の一歩へとつながっていくよう、これからも静かに伴走していければと思います。
2025.8.23
「家族の支援を考えてみる」
難病相談員の瀬津です。
最近3名の神経難病の方の訃報を聞きました。3名の方は在宅療養生活10年以上の方々です。
私はこの3名の方のうち2名は診断当初から、あと1名の方は小児難病で中途支援したケースです。
今回はこの3名の方への思いも含めて家族とのかかわりを簡単に紹介いたします。
ケース1
ALS 40歳代 男性 大学病院からの紹介
就労中の発症のため本人と一緒に会社側との話し合いを行い、本人の希望もあり当初より介護保険申請と訪問診療、訪問看護師の支援から在宅構築を行う。
10年前に人工呼吸器装着 在宅医がリーダーシップをとり、この時点前からCMと一緒に3制度活用の支援体制構築を行った。
夫婦2人暮らし 奥様も若く仕事に責任ある立場 奥様の病気の受容と今後の不安、家のローン等の経済的問題、仕事継続についての迷い傾聴アドバイス等のサポートを行う。
ケース2
多系統萎縮症 60歳代 女性 家族が調べて個人相談
高齢の夫が主介護 次男夫婦の家の近くに引っ越し次男夫婦も介護協力 夫も次男も病気の経過や在宅療養の方法について当初より質問が多く前向きな姿勢。しかし経過の中で夫の介護疲労、病気入院、介護者支援の拒否等があり次男との意見の食い違いが多く家族内でのトラブルが増える。適時、課題と方向性の確認のため話し合いを行う。医療機関との連携を行い、レスパイト入院を定期的に繰り返し活用した。(在宅と入院の生活)
ケース3
小児難病 10歳代 男性 人工呼吸器装着 大学病院からの紹介
生下時より家族の協力もあるが母親が介護の中心。時間をかけてMSWと一緒に今後の在宅療養支援の必要性、地域の支援の紹介と具体的内容を話しする。地域で相談支援専門員と自宅と特別支援学校訪問し教師と連携した。長く介護を行い医療的ケアもしっかりできる母親に対して、本人と母親を取り巻く環境を知ることから始め、今困っている介護内容の表出(成長期の入浴)から訪問看護とリハビリの介入ができた。
3ケースは初期の病気の理解と在宅構築に向けての家族の支援ですが、当初から私一人が支援したわけでなく必ず複数の支援者と一緒にかかわりました。MSW、相談支援専門員、CM、訪問看護師さんたちでした。
3ケースが10年以上も在宅療養できたことは支援者の皆さんの支援、ケアの結果です。本人も家族も家族介護が当たり前の思いと責任感は強いです。誰が家族のケアを行うのかでなく場面場面での家族の言動に向き合いチームで共有してチームで支援してほしいと改めて思います。
2025.7.25
当院の管理栄養士が末期がん患者に調理したスベラカーゼ寿司
歯科医師の中川です。
私たち歯科医師は医療職の中ではとてもマイナーだと日々感じています。みなさん、口の中がどうなっているのか、それに対して何を行っているのか、わからないからだと思います。でも、我々だけでなく、他にもマイナーを自称される職種の方がいらっしゃいます。それが「管理栄養士」や「言語聴覚士」さんです。
日々の診療では、そもそも栄養状態がわるければ何もうまくいかないこと、また食べたいのに食べられるかどうかの評価や環境調整がご自宅でできていないことにたびたび遭遇します。それらの課題解決に、在宅で管理栄養士や言語聴覚士は欠かせない存在なのです。
在宅生活での「食」をかなえるために、在宅マイナー3職種である歯科医師、言語聴覚士、管理栄養士で訪問同行することがあります。当グループの瀬津さんが「食支援チーム」と命名くださいました。一人ではかなわなくても、みんなで集まると還元できることや可能性が増えてくるのです。
病院の中と違い、在宅ではとても連携のハードルが高いのですが、とても意識の高い、積極的な支援者に囲まれて、今日も支援を行っています。
2025.6.30
ケアマネジャー布施です。
ケアマネジャーとして難病の方を担当させて戴く経験の中で
・先を見通すことと先回りすることは違うということ、
・その方の気持ちの変化を待つことの大切さ を学びました。
ある方が大学病院の担当医師に「布施さんは私を置いてどんどん先に行ってしまう、私はおいてきぼりや」とこぼされたことがあったと伺いました。
そんなふうに感じておられるとは全く思っておらず、利用者さんにそのような不安を与えていたのだと...ハッとしました。
できる限り早めに支援体制を整える事が、利用者さんの安心につながると思い対応していましたが
病気の診断受容ができない状態の時に、先回りされていると感じるのは本当に不安だと思います。
進行の速度はそれぞれですが、病気の進行だけではなく精神面への配慮・時期を待つことが大切だと改めて感じました。
難病研修を企画する中で研修への参加目的に「病気の知識や制度利用について学びたい・知りたい」というのが割と多いように思います。
確かに両方ともに大切な事だと思います。
加えてその方の「今まで・今・これから」を尊重し、表情・態度等からその方の気持ちの変化を理解しようとする姿勢が信頼関係につながるように思います。
これは、間接援助職のケアマネジャーという役割の醍醐味でもあると思います。
難病支援を経験することで、考え方や視点が広がることはもちろんですが、対応力・柔軟性が鍛えられます!!!
実践で多職種や難病ケアカフェで刺激を受けながら、これからも難病支援に関わり続けたいと思う今日この頃です。
2025. 5.30
「生きる」
こんにちは 脳神経内科医の辻です
先日、当院音楽療法にてお世話になった声楽家の先生からご連絡があり、京都女子大のホールで、演奏会があり、兵庫県にお住いの出演者のお母さまが聴きにきたいのだけれど、ご本人はALSで療養されていて、外出はこれが最後かもしれないということで、お手伝いをしたいのだが、女子大のホールは二階席で、エレベーターがない!。日曜なので、職員はいなくて、主催者参加者は女性ばかり、経験もないということで、相談がありました。おまけに、開催は三日後!こんな困難なミッションですので、瀬津さんに相談しました。むつかしいけど、障害者生活相談センターに聞いてみるようにいわれ、すぐ電話したところ、いくつかの事業所に声かけてみますと、嫌な顔(声ですが)もせず、お聞き入れいただいて、待つこと15分、まごのて洛東の岡山さんという方が受けて下さるのでお電話をといわれ、携帯番号を教えていただきました。すぐに連絡し、主催者とつなぎました。登り、2500円、帰りも必要ならもう2500円といわれ、安さにもびっくりしましたが、反応の速さ、度量の広さに、感動しました。このことは、あえて、ものすごく大げさに言うと、患者さんの生きるための選択に応えることができたということかと思います。上野千鶴子氏の近著、「アンチ・アンチエイジングの思想 ボーヴォワールの『老い』を読む」は、ボーヴォワールの著作をテクストに読み解きながら、それを残されたものへの宿題として、その後の動きを批判することで、一つの大きな流れを描き出しています。と、私には思えます。その中でALSに触れている個所があり、生きるという選択肢が正しく可視化できなければ、死ぬという選択は強制ではないかという問いかけがあります。ACPにも批判的で、死ぬ選択肢ばかりが並べられ、生きる選択肢とそのアクチュアリティーが示されることがないという趣旨です。実は、もう一人、長谷川唯さんといって、立命館大学の生存学研究所におられて、ALS支援活動をされている方にもメールで連絡して、同じく二人ほど、ヘルパーさんをご紹介いただいていました。この方はALSのドキュメンタリー映画「杳かなる」の上映会をされて、拝見しました。生と死のはざまで、淡々とした描写で、その暮らしが活写されていきます。これなども、生きる選択の一助になればと思います。人は正常であるとき、『老い』、『病い』、『障害』は他者性を帯びます。それが自己のものになった時、見る自分と見られる自分は分離され、両者の間に弁証法的な関係が生まれます。弁証法的というとむつかしいですが、対話的関係といえばいいでしょうか。対他的なわたし(難病者)と対自的なわたし(主観主体)との対話です。弁証法的な関係は悪いものではありません。それが正しく機能すれば、前向きに進めてゆく原動力になります。「~とともに生きる」、という形ですね。でもそれが拒否的になるとき、その対話は不安定になります。ALS委託殺人事件の当事者の方は、私にはその典型です。上野氏はその事件にも触れていて、「死にたいと生きたいの間を揺れていた」と、正しくとらえています。上述したように、生きるための、あるいは生きたい、の選択肢が示されていないと、それは死の強制になる。死にたいを誘導するような事態を抑え、生きたいを誘導するような事態を重ねてゆく。私たちにできることはそういうことかなと思います。今回、お世話になった障害者生活相談センターと、ヘルパー事業所のお二人の行動やお気持ちは、きっとそのように伝わったのではないかなと思います。うれしい「事件」でした。
2025.4.30
『症状に向き合い、想いに寄り添う』
こんにちは。理学療法士の山中です。
病院勤務から在宅へ足を踏み入れた際にぶち当たった壁の1つが支援者間でのサービス格差でした。
この課題は理学療法士のみならず、特に在宅を支援する全ての職種に当てはまるかもしれません。それぞれの支援方法については各利用者を通して集まったチームにおいて専門職として役割、医療者としての役割、さらに広く支援者としての役割があります。
これら役割についてどのように考えれば良いでしょうか?
そんなモヤモヤの中で神経難病のリハビリを専門にしようと覚悟を決めた時に「難病なんだから勉強しても変わらないんじゃない?」と言われた事がありました。確かに神経難病の認定PTの資格を取得した後もすぐに何かが変わった訳ではありませんでした。むしろ多くを学んだ事で本来あるべき現場と実際の現場との乖離を感じてさらにモヤモヤは膨らんでいきました。
ちょうどそんな時期に表題の言葉に出会うことになりました。当初は『寄り添う』ってよく聞くけど『向き合う』って?そもそも区別する意味ある?等の疑問を感じました。
しかし『症状に向き合い、想いに寄り添う』というように解釈するとどうでしょう。
専門職として症状に向き合っているけれど支援者として想いに寄り添っていないパターン。支援者として寄り添っているけれど専門職として向き合っていないパターン。専門職として向き合っているけれど医療者として向き合っていないパターン等、様々な関わりがあることがわかり、自分自身の中で一気に腑に落ちるものがありました。
難病ゆえに症状に向き合っても越えられない壁はあります。しかし症状に向き合い続けることで想いに寄り添うこともできます。「この想いは自分にしかわからない」という強いスピリチュアルペインを抱いている神経難病の方こそ、自分自身も含めてこのようなスタンスでチームで関わっていけたらと日々感じています。
2025.3.19
はじめまして。株式会社アドナース、介護福祉士の廣瀬と申します。
私が難病ケアSGに携わらせていただいたきっかけは、メンバーの方からお声をかけていただいたことから始まります。
お役に立てることができるのだろうかという不安が大きかったのですが、同時に私が初めて難病の方にかかわらせていただいた時のことを思い出しました。
介護の仕事について10年目くらいのころだったように記憶しています。
その当時の私は難病についての知識や経験がなく、たくさんの方に支えてもらいながら、支援内容の構築や介助方法を学ばせていただきました。
ご本人含め、その時の支援者が一丸となり、支援を作り上げていくことを実感しました。
その方が最期を迎えられるまでの数年で経験から、現在も様々な利用者様の支援に携わることができています。
それらの経験も含めて、少しでもお役に立てるとするなら、今、不安を抱えている支援者に向けて、成功例や失敗例など経験を踏まえた発信をすることではないかと考えメンバーに入れていただいた次第です。
このグループを通じて、様々な職種の方と出会えることで、新たな経験をさせていただけるのではないかと期待をにじませております。
2025.2.15
はじめまして!what's upでケアマネジャーしています村瀬です!
現在はケアマネジャーとして働いていますが、数か月前までは訪問介護に所属し、約8年間ヘルパーとしての経験を積んできました。その間、最初に難病の方の支援に入ったのがALSの方でした。それまでは特養などで勤務していたものの、医療ケアが必要な方への介護経験はなく、初めて難病の方の支援に関わる際は、何をしたらよいのか、どのように動けばよいのか、コミュニケーションの方法についても分からないことばかりで、常に緊張しながら支援にあたっていました。私は、この難病ケアカフェで同じように悩んでいる方々とその経験を共有し、共に学んでいけたらと思っています。難病を抱えた方々の支援に関わるとき、多くの人が最初は同じように不安や緊張を感じるのではないでしょうか。しかし、支援を通じて少しずつその不安も解消され、やりがいを感じる瞬間が訪れます。私が支援を続ける中で、最も大切にしていることは、難病がある方々が気兼ねなく外出したり、好きなことを楽しめるようになることです。そのためには、医療と福祉がしっかりと連携し、安心して生活できる環境を整えることが必要です。私たち一人ひとりの支援が、その実現に少しでも近づく力になれればいいなと思います。ケアマネジャーとして、また一人の支援者として、これからも学び続け、共に成長していける環境をこの難病ケアカフェで作っていければと思っています。
2025.1.11
こんにちは。訪問看護師の青山です。
私が難病ケアカフェに出会ったきっかけをお話させていただきます。
私がALSやパーキンソン病等の神経難病の方の支援をさせていただくようになったのは、7年前に訪問看護師になってからです。はじめてのことが多く、難病支援ならではの悩みや葛藤が沢山ありました。
「胃瘻するかしないか」「本人の意思確認ができない中で代理意思決定は誰がするのか」等。
悩みを抱えていた頃に、MCSで難病ケアカフェの告知を見て、一度参加してみようと思ったのが難病ケアカフェとの出会いでした。
参加させていただく中で、参加の目的は、単に答えをみつけるためではなく、利用者さんのために試行錯誤されている支援者の方々の存在や経験を知り、専門的な知識を学びながら、この場を通じて相談し合える関係性を築いていくことだと感じました。そして、自然と毎回参加させていただくようになりました。
話は少し変わりますが、第4回小児訪問看護情報交換会のご家族のお話で印象に残っている言葉があります。
「医療的ケア児は全てがフルオーダーメイド」医療的ケア児ではより個別性の支援が求められる。もちろん、知識技術を身に着け危機管理がきちんとできていなければ支援はできない。その上で、長距離走で関わってくれる事業所を利用者家族は求めている。そして、医療ケア児にとっての「自立」とは、誰にも頼らず家族だけで生きていくということではなく、「周囲のサポートを受けながら自分らしく生きられるようにすること」である。
難病支援においても、ご本人やご家族にとって、長く共に寄り添えるチーム(伴走者)になりたいと感じています。
私にとってその目標に向かうためのひとつの場所が、この難病ケアカフェです。
2024.12.19
こんにちは。訪問介護ステーショングリム本社の川辺と申します。
私がこのグループに入ったきっかけをお話させてください。
沢山の方とつながりを持ちたいと思った......ただそれだけです^_^
難病の方への支援は、本当に難しいと思います。色んな壁にぶち当たって立ち止まることも多いと思います。そんな時、相談できる仲間が沢山いればいいと思っています。
悩みを共有したり、同じ経験をした方からの経験談とか。もちろん私もお力になれることも沢山あると思います。
今までは、コロナ禍でなかなか顔を合わせて話すことができませんでした。しかし、これからは徐々にハイブリッドで顔を合わせて、関係性を深めることができたらいいなと思っています。
お茶でも飲みながら、あーでもないこーでもないと気さくに語り合える難病ケアカフェ。そんな輪が私は理想なんです。
2024.11.30
みなさん、こんにちは。ふじた医院の藤田祝子です。消化器内科医です。
私はかれこれ15年ほど前に、私の祖父、父の時代から通院されていた患者さんがALSを発症され、退院支援看護師だった宇都宮宏子さんが結びつけてくださり、ALSという病気と関わることになりました。どっぷりと関わり、ちょうど10年でお亡くなりになりました。ALSに関する書物や講演で勉強しましたが、先のコラムでも出てきた川口有美子氏の「逝かない身体」という書物には、このインパクトのあるタイトルと表紙カバーの夕暮れの写真が切なくて、何度も読み返しました。この1人の女性から多くのことを学びました。病気のことだけではなく、関わった多職種連携のあり方やスピリチュアルなことなど、神経内科医ではない私を頼ってくださった患者さんとそのご家族に感謝してもしきれないくらいです。「いままで来てくれた患者さんが来られなくなったら調子はどうや?と家を覗きに行く」といったわらじ医者で有名な早川一光先生の在宅医療のお考えが、しっくり納得できます。ALSと聞くととてもとっつきにくく思う病気でも、その患者さんは私を頼って来てくれていたいつもの患者さん。「病気を診る」ことより私を頼ってくれる患者さんを診るという基本的な気持ちをこれからも持ち続けたいと思っています。
2024.10.30
こんにちは 訪問看護師をさせて頂いています髙田です。
京都難病ケアSGのホームページを見ていただきありがとうございます!
訪問看護の経験は15年。訪問看護ステーションを起業して10年。
難病支援に関わらせて頂いた経緯ですが、
もともと左京区の訪問看護ステーションに在籍中にALSの支援に行った事が初めです。
呼吸器使用して、四肢は動かず、左手の第3指と眼球だけしか動かす事が出来ない方と関わらせて頂きました。
性格は亭主関白で、訴えたいことを文字盤や意思伝達装置で訴え、きつい内容の訴えもあり、ご家族にも自分の意思をしっかり伝える方で、重度障害を抱えながら力強く生活されているという印象でした。
3年程度、訪問看護師として関わらせて頂く中で、医療機器等に不安があった私ですが、医療機器の設定変更や治療などの期間に関わらせて頂き、ささいな事で苦痛がとれる事、周囲の支えなど、いろいろなことを学びました。
また、お店をされており、店の商品にないものを一から構成デザインして頂いたこともあります。
そのような支援をきっかけに、難病支援に関わらせて頂き、
不安の解決は知識、人間関係の解決は会話という事を学びました。
難病支援はゴールがなく、他の支援の方と繋がることで、経験が増え、知識も広がると思っています。
他の事業所、支援者、他職種などいろいろな人との繋がりに難病ケアSGがきっかけになれるように取り組みたいと思います。
2024.9.30
皆さん、こんにちは。理学療法士の奥山です。
川口有美子さんの著書『逝かない身体 ALS的日常を生きる』には、次のような一節があります。
「患者は誰にでも気軽に話しかけたり応えたりはしない。一文字一文字伝える苦労をしてでも話しかける価値のある人としか話をしない。」
ALSの患者さんが透明文字盤や意思伝達装置を使ってコミュニケーションを取る際、非常に時間がかかることがあります。そのため、限られた時間の中で煩わしく感じることもあるかもしれません。しかし、私はこの一節を読んで以来、患者さんが一言一言発してくださる言葉を無駄にしないよう、心がけています。
写真は、私が新人だった頃、あるALS患者さんから頂いたメッセージです。その方は、わずかな足先の動きのみで、私の誕生日をお祝いしてくださいました。この50文字のメッセージを伝えるのに、どれほどの時間と労力をかけてくださったのかを考えると、涙が止まりませんでした。
この経験を通じて、患者さんとのコミュニケーションの大切さを改めて実感しました。これからも、一つひとつの言葉に込められた思いを大切にしながら、患者さんに寄り添っていきたいと思います。
2024.8.19
皆さん こんにちは 難病相談員の瀬津です。
京都難病ケアSGのホームページを見ていただきありがとうございます!
ただ今、2年半前に大きな病気をして半分休職中なのです。
初めての方もいるので少し自己紹介です。27年間病院看護師をしていました。
腰を痛め退職後、京都府難病相談支援センターの相談員として働き始めました。
京都府内を回り知ったこと・・本人も支援者も様々な社会資源がうまく活用できていない事、多くの病院、地域の支援者が難病の方の支援に悩み、当事者や家族をどう理解したらよいのか悩んでいる在宅の現状でした。地域に出て15年間そのことができるだけ解消できるように地域支援者の支援をしてきました。地区医師会の先生方にも励ましていただきました。
その中で分かったことは・・・
① 病院と地域のつながりが大事 進行性の病気の為、地域だけで抱えられない
「病院の在宅理解とMSWとのつながりが大事。病院と地域をつなぐ調整が必要」
② 病気の特性の理解と個人や1事業所での支援では難しい。多職種チームでつながり支援し ていくこと
「長い療養生活で様々な問題(身体的。精神的)が出てくる、個人や事業所だけで考えずチームで考えていきたい。ケアカンファレンス等を繰り返すことが必要」
③ 社会資源をその方に合わせて使うこと。保健所保健師とのつながりを早くから造る
「行政とのつながりは早くから行う事が大事、活用制度を知ること、必要なときの少し手前から準備を保健師と一緒に考えたい。」
3つのことが大事と思いますが、どのタイミングでどう支援者同士でつながっていくのかを具体的イメージしていくことは難しい。勿論チーム内で相談していくことも大事でしょう。支援者個々が一人で頑張らず、他の支援者の情報を得て経験値に繋げてほしい。このSGの難病ケアカフェで情報共有をしながら病院、地域の支援者がつながっていくこと、つながるための方策を皆さんと一緒に考えていけたらと思っています。
2024.7.18
こんにちは、歯科の中川です。
「なんでここに歯医者が?」「歯医者と難病?」と思われる方も多いと思います。正直自分もこんなところでなんでコラムを書いてるのか、よくわかりません。当院では主に在宅でたくさんの患者さんを診ています。ある時、訪問先に言語聴覚士さんがいらっしゃいました。同じ領域を見ているのに、全然サポートできない自分自身にモヤッとして、連携することの大切さを学びました。日頃の臨床で、意識しているのは「たくさんの職種の方に共有すること」です。お家で検査をさせていただくことがあります。嚥下内視鏡検査(VE)です。こちらの写真は、在宅で訪問STと一緒に検査させていただいた様子です。食べることにこだわる患者・家族の一助、あるいは支援者の一助になれるように今後もお仕事させていただきたいと思っています。(所信表明)
2024.6.12
こんにちは💛看護師の吉田真美です。
在宅・訪問看護の道を歩み始めたのは、今から約20年前になります。
その頃の難病支援について振り返ってみたいと思います。(ALSの患者様)
20年前といえば現在とは違い、まだ制度等も確立していなくて他職種チームは皆手探りの状態でした。在宅で過ごされる方も少なく依頼も稀でした。「さあ、どうしよう」「どんな制度を使い、どう支えていけばいいの」チームの皆は悩みました。ケアマネジャーは大変だったと思います。皆さん手探りの状態。頻回に担当者会議が開かれ、チームの皆がチームの皆を支えました。訪問看護は3ステーションが入り(当ステーションはみなし訪問看護にて参加)、他のステーションの訪問日にお邪魔して、手技の確認や悩みごとなどプチカンファレンスを何回も行いました。
一人暮らしでしたが、○○さんらしく、毎日大好きなビールを味わい、在宅で頑張られました。「イルカを見たい」と希望あり、ドクター、リハビリの方、介護士さんのご尽力により、亡くなられる数日前に水族館にイルカを見に行かれました。目を輝かせた嬉しそうな表情は今でも鮮明に覚えています。
他職種連携、他職種協働で大切な事は3つです。
1.尊重する姿勢を持つ
2.丁寧・円滑なコミュニケーションを心がける
3.専門分野の知識・技術を高める
この症例を通して、「生きることを支える」患者様・チームの皆さんから沢山の学びを得ることが出来ました。看護師の醍醐味です。現在は難病カフェに参加させて頂き、更なる学びを得ています。
2024.5.31
5月のコラム担当でしたが、ギリギリになってしまいました・・・ちょっとだけ、つぶやきます。
ケアマネジャー布施です。
初めて担当させて戴いた難病はALSの方でした。病気のことは研修等で何となく知っている程度で、見立てや手立てなどできるわけもなく、関係機関の皆さんの力をお借りしてご希望通り、最期まで在宅で過ごして戴くことが出来ました。振り返ると「あの時どう考えたら良かったのか」「どうすれば良かったのか」等、思う事は沢山あります。ただ、私自身の力量の精一杯だったかなと。「経験したことを振り返り、次につなげる・・・」これは私の基本になっているのですが、あまりに力量不足でご利用者さんに申し訳なく思ったことも多々あります。だからこそ自己研鑽を続けていく事なのだろうと思います。
研修や講演会等で学んだことを「実践してみよう」という感情が伴い行動することで、経験値になっていくように思います。難病ケアカフェも参加して「難病支援をやってみたい」「やってみよう」と思って戴けるように、気持ちが動き気づきの多い場である事、そういう運営ができればいいなあ・・・といつも思っています。
2024.4.16 様々なチームモデル
こんにちは!理学療法士の山中です。
今回は私が病院勤務→在宅へ足を踏み入れた時の違和感について紹介させて頂きます。
病院ではチーム全体が顔の見える関係ということもあり、左図のようにそれぞれの職種の役割が明確である相互関係チームモデルでの連携でした。訪問リハでは他事業所の療法士とチームになることもあり、「作業療法士がいるから上肢機能やADLのことは任せよう」「言語聴覚士がいるから食事で最近利用者さんが困っているのは知っているはずだ」というように役割をぶつ切りに考えていると利用者さんの問題は一向に解決しません。
調べてみると特に在宅では右図のようにそれぞれの職種の役割がオーバーラップする部分がある相互乗り入れチームが有効とされており、状況に応じて役割が変動します。また在宅医療では病院のように必要な全ての職種が揃うとは限らないため包括的なアプローチが必要であり、幅広い知識と柔軟性が欠かせないことを学びました。
2024.3.12 4つの痛み
こんにちは!脳神経内科医の辻です。
京都難病研究会は、その少しいかめしい名前に反して、難病患者さんとそのご家族の支援に当たる多職種のみなさんの相互の交流、意見交換などを通じて、今ある様々な支援課題を共有することを目標としています。時に深堀りすることもあるかということで研究会としています。深堀りではありませんが、昨日いただいたメールへのお返事から考えたことをご紹介いたします。
そのメールは、かつての同僚の先生から、職員家族のALSの方の相談でした。そのなかで、予後を教えてほしい。家族に伝えるので。と言われて、少し考え込んでしまいました。
予後、よご、って変な言葉ですね、たぶんこれは英語のprognosisを日本語化したものかと思います。英語の意味は「先のことを認識する」「前もって知っておく」ということになります。
ただ、予後という言葉は従来がんに関連して語られてきたものだと思います。予後良と予後不良に分けられ、予後不良例の予後は余命予測と同じですね。そしてその意味での予後は、ACPにつながっていきます。進行した際の治療選択、その際の判断力のはっきりしない状態(uncertain)に備えての事前指示に重点が置かれます。そこでは、その病状の行く先が描かれます。確定的に。でも、uncertain(未確定)なのは、その病状ではないのか、その時々で、利用できるリソースを使ってどのような医療や介護つまりは暮らしを選ぶかを話し合うことが大事なのではないのか、というのがACPに代わって最近提案されている、adaptive care planning(適応的ケアプランニング:AdCP )というアプローチです。これは難病支援を考えるときにとても大事な視点だと思いますし、その在宅療養の現場で実際に取り組まれていることかなとも思います。そのアプローチのおおきな障壁というかチャレンジになるのが、スピリチュアルペインです。スピリチュアルケアについては私は専門家ではないので、よく書かれたサイトを紹介しておきます。
その中の図はとても分かりやすいのですが、一つ言えることは、ALSではすべてが当てはまりますし、それらは相互に関連します。またALSの前頭葉機能の障害がくわわれば、スピリチュアルペインへの対応が(当事者・支援者双方に)さらに難しくなる、言い換えると、スピリチュアルペインが直に当事者を苦しめると言えるかと思います。そこで大事になるのが多職種多部門によるケアmultidisciplinary care です。昨年の神経学会の特別講演でも、multidisciplinary care がALSの生命予後を伸ばすというオーストラリアからの発表がありました。multidisciplinary careとは、それぞれの専門家がその専門性を発揮して支援に当たるということですが、ばらばらではなく連携、チームとしてのアプローチでもあります。節目節目で、shared decision making(協働意思決定)、上記のadaptive care planningなどのプロセスを繰り返しながらのチームの熟成とその伴走支援の重要性を示す取り組み結果といえるかと思います。そうした支援の上で、当事者が自らの物語を見つけること、つまりは、当事者の当事者性を恢復することがスピリチュアルケアにつながると思います。
2024.2.21 ㊗️ホームページ開設
こんにちは!理学療法士の山中です。
この度京都難病研究会(のちに「京都難病ケア Study Group」に改名)のホームページを立ち上げました!!
コアメンバーは医師、歯科医師、看護師、理学療法士、介護支援専門員、訪問介護員の10名で運営させて頂いております。
今後は難病ケアカフェをはじめとして、難病ケアで皆様から挙げて頂いた質問や相談に対するQ&A、難病ケアカフェ以外の研修会案内等の発信をさせて頂く予定です。
京都の神経難病支援について少しでもお役に立てればと思いますので、是非ともご活用頂きますようお願いいたします。