推薦者:栗田隆子(くりた りゅうこ)(生きる・はたらく事務所)
教会と共生(ともに生きるためのヒント)
高田徳明(1990)『きょう呼びかける神(1)(2)』オリエンス宗教研究所
この全2冊はオリエンス研究所から発行されている子供向けに発行されている週刊「こじか」に1986年4月から1988年3月分まで掲載されていたエッセイがまとめられたもので、基本は「子ども向き」に書かれたものである。だが私の周りではむしろ大人たちから人気があり、この本を当時10代だった私に大人たちが勧めていた記憶がある。
この本の著者である高田徳明神父は当時仙台教区の東仙台教会の担当司祭の任にあったが、たびたび私は彼に直接会うことができた。なぜなら彼は当時、折々(私の実家のそばの)神奈川県鎌倉市にある修道院で企画された聖書講座で教えており、私はまだ10代だったがその講座に参加していたからである。
彼は、
「神父に『様』なんてわざわざ様付けするなんておかしい。「神父」は英語ならファーザーで、それがすでに敬称だからそこにさらに”様“をつけるのはいかがなものか」
とか
『ミサに来てただぼーっと座っているだけじゃダメだ。ミサに来て気分が悪そうな人や立っていて辛そうな人を見たら、ミサ中であるからこそ前ばかり見てないで、その人に声をかけて椅子に座ってもらうなどするのが当たり前だ。』
など、ギリシャ語も入ったパウロ書簡の解釈の合間合間にそんな話をしてくれていたのを覚えている。
その彼の書いたこの本は、当時「バブル」で熱狂していた日本において「貧しい人や苦しむ人の立場を考えるべきだ」と常に語り続けている。子供向けであってもそこは容赦ない。ちなみに今日呼びかける神(1)の方はフランスの女性哲学者シモーヌ・ヴェイユさえ登場する。私はこの彼の本からシモーヌ・ヴェイユの存在を知った。
この本は当時の日本、つまり「日本が豊かである」と言うことを前提にして書かれている。彼はこの本が出て数年後、50代の若さで亡くなった。
この本が出版されて30年以上経とうとしている今の日本は、外国の人を技能実習生などで搾取し、さらに「日本人」のなかでも貧富の差が拡大し続けている社会となっている。また男女の賃金格差も解消されていない。それは彼が望んだ未来とは真逆の方向だろう。貧しい人を気にかけるというより自らもまた「貧しく」になったと感じる人もいるだろう。この本を読むと「金持ちとラザロ」のたとえを思い出すが、天国に向かう前に各々何をするべきか、今一度思い出す必要はあるだろう。
出版年はきょう呼びかける神(2)の出版された年を記載しています。
ステファニ, レナート(1987)『JOCの活動を通して 働く人の福音書 マルコによる福音』中央出版社
カトリック教会と労働者。この二つの言葉を並べた時、人々はどんな印象を持つだろうか。
JOCとは【Jeunesse Ouvrière Chrétienne】のイニシャルである。日本語ではカトリック青年労働者連盟と訳されるが、逐語的に訳せばキリスト者青年労働者という意味となる。
この団体は、1912年ベルギーのカルデン神父が、当時劣悪な労働条件の中で働く青年たちの事態を知って作ったもので2021年現在では、109年の歴史を持つ。それこそ疲れ果てて教会にいけない若者、話し相手がいない若者、労働の悩みを打ち明けることのできない若者のために作られた集まりといって良いだろう。
この集まりに関わっていたレナート・ステファニ神父がとりわけ「働く人」「労働者」へのメッセージとして書かれたものが本著である。
この本が書かれたのは1987年で今の労働事情とは異なるところも多い。しかし、人との関わりが絶たれていること、仕事での悩みが打ち明けられないといった問題は残念ながら今も変わらぬテーマの一つであるどころか、それが発展しているのが現在ではないだろうか。「平成30年(2019年)度個別労働紛争解決制度の施行状況」では「いじめ・嫌がらせ」に関する民事上の個別労働紛争の相談件数が過去最高となっている。労働問題は私たちの人間関係の作り方と非常に密接なものとなっている。そこに神の愛と眼差し、価値観について今一度引き寄せて考えることは大事なことだろう。とりわけ若年層においては。
ネメシュ, エドモンド、高田徳明(1973)『聖書と私たち ルカによる福音 』中央出版社
私が洗礼を受ける前(16歳だった)に読んだいくつかの本のうちの一つ。古い本で細かいところは(世界情勢などは)変わっているところも多いが、教会は貧しい者のもの、貧しい者とともにあるべきところ、という一貫したテーマがある。教会というと瀟洒な建物と、品のある人たちが通う場所、というイメージを打ち砕き、私のような者でも関わっていいのだ、私のようなものこそ関わってもいいのだ、と思わせてくれた本の一つである。