推薦者:松本佐保(まつもと さほ)(名古屋市立大学人間文化研究科)
教会と政治
松本佐保(2021)『アメリカを動かす宗教ナショナリズム』筑摩新書
2016年のトランプ大統領の誕生にはキリスト教福音派が鍵を握っていた。アメリカの福音派は、プロテスタントの非主流派として、伝統的なキリスト教が衰退するのに対し、メガ・チャーチなどエンターテイメント色のある教会として発展、さらに白人ナショナリズムと結びついて「政治化」した経緯がある。メガ・チャーチとは一度に2000人以上を収容出来るスタジアム的なチャペルを有する教会と定義される。本著では特に週の収容人数1万人を超えるギガ・チャーチのリストも巻末に示し、著者が実際に潜入したギガ・チャーチでの礼拝体験の報告も含まれる。
トランプ政権は、彼を支持するこの福音派への選挙公約をことごとく政策化することに終始した実態に迫り、そしてまた2020年大統領選挙では敗北したものの、「トランプ現象」とキリスト教福音派との関係を読み解く。
例えばアメリカの中国に対する強硬な外交姿勢は、共産党政権が「宗教の自由」を弾圧しているからであり、例えば香港の民主化運動家にはクリスチャンが多い。またイスラム教徒のウイグルへの弾圧についても、中東のイスラム勢力の脅威が下火になるにつれて、従来敵視していたスンニ・イスラム教徒への人権保護という政策転換が見られる。ワシントンに拠点がある福音派系の諸ロビー団体へ著者が行ったインタビューや、亡命中国・ウイグル・ロビー団体、保守系のシンクタンク、また国務省の「宗教の自由」世界大会に参加した体験を踏まえて書かれた内容である。トランプ自身の信心については諸説あるが、政権下のポンペオ国務省官、ペンス副大統領、そしてブランバック全権宗教大使を「宗教三巨頭」とし、また政権アドバイザーだったカリスマ牧師・テレビ伝道師などについても言及されている。
一方新大統領となったバイデンはカトリックであり、米国のカトリック教会の実情についても詳細が記述されている。米国のカトリック教会は、1965年の第二バチカン公会議以来、伝統派と改革派に割れ現在はその分断が鮮明にある。現教皇フランシスコは改革派で、バイデンもこれと同じ立場のリベラル派であり、両者は地球環境問題や移民・難民問題で同じ価値観を共有し、個人的にも近い関係にある。一方伝統派は、前教皇ベネディクト16世の立場で、アメリカではトランプを支持したカトリック保守で、故スカリア判事、バレット判事、バー前司法長官、バノン元主席戦略官、ルビオ上院議員など共和党系に多数存在する。
キリスト教以外だと、ユダヤ・ロビーやモルモン教にも言及、アメリカ政治・外交、経済・社会を理解するうえでその宗教についての知識が重要であることを強調している。
章立ては以下の様である。
はじめに
第一章:トランプの再選の鍵を握っていた「福音派」
第二章:「神の国アメリカ」で高まる宗教ナショナリズム
第三章:いつから宗教票が大統領選で重視されるようになったのか
第四章:宗教ナショナリズムが動かすアメリカ政治
第五章:世界の宗教リーダーを目指すアメリカ「宗教の自由」外交
第六章:「宗教と科学の対立」は、アメリカをどう動かすか
トランプは何に負け、何に勝利したのか
松本佐保(2019)『バチカンと国際政治 宗教と国際機構の交錯』千倉書房
本著の【目次】は以下の通りである。
序章 バチカンと国際政治
第1章 第一次世界大戦前夜から戦間期まで――国際的中立宣言と大戦への関与
第2章 戦間期から国連設立まで――バチカンの主権回復と国際関係
第3章 バチカンと国際労働機関
第4章 バチカンと世界プロテスタント教会協議会
第5章 バチカンのリアリズム外交――欧州安全保障政策との関係
第6章 冷戦終結――ヨハネ・パウロ二世と欧州の安全保障協力
第7章 教皇フランシスコの闘い
終章 バチカンと国際機関・組織――宗教と国際政治研究の意義
バチカンが20世紀以降の国際政治にどう関与してきたかを、第一次世界大戦期~2018年までの期間を扱う。国連やその前進である国際連盟、また赤十字やその他の国際機関と、バチカンは共に活動してきたことは日本ではあまり知られていない。そのためその実態を本著で明らかにした。
バチカンは、第一次大戦中負傷者や戦死者、捕虜問題をめぐってプロテスタントである赤十字と協力、戦間期は国際連盟設立に貢献、第二次大戦については終戦工作に関与、戦後は国連の活動に関わり、バチカンではなく「聖座」として国連の国際会議などでその存在感や影響力は大変重要である。
本著では特に国連の専門機関であるILO(国際労働機関)や、IAEA(国際原子力機関)、2015年に成立したパリ協定(気候変動)についてバチカンが「聖座」としてどの様に関り、それはいかなる思想や理念によるものであるかなどの詳細が述べられている。
ILO(国際労働機関)については、教皇レオ13世の回勅「レールム・ノバールム」の労働の尊厳について労働者の権利や働き方改革を実現する場として、またIAEA(国際原子力機関)では原子力の平和利用について、そしてパリ協定(気候変動)には、現教皇フランシスコの回勅「ラウダ―ト・シ」の地球環境を人間と生物、自然が共に暮らす家に見立てた内容と、共通する考え方がある。宗教と自然科学は矛盾しない、共存できるのである。
戦争と平和をめぐる議論とこれへのバチカンの関与、また旧来ライバル関係にあったプロテスタント教会との和解と協力関係は、WCC(世界教会協議会)を通じてのエキュメニカルな活動に見られる。具体的にはEUや国連、その他の国際機関やNGO、移民・難民問題を扱う国連のUNHCRではカトリック系やプロテスタント系のNGOの関与が特に重要である。
またバチカンは、特に現教皇フランシスコは、同じキリスト教であるプロテスタント諸教派や正教会だけでなく、ユダヤ教やイスラム教との宗教間対話にも積極的である。その主な理由は、中東にいる少数派のキリスト教徒(コプト、マロン派、シリア正教会など)の命を、イスラム過激派から守ることもバチカンの「国益」だからである。フランシスコ教皇は、アラブ首長国連邦を訪問した初めての教皇である。
本著は渋沢栄一財団からの出版助成によって刊行された。渋沢栄一はクリスチャンではなかったが、日本赤十字の初代の理事になり、関東大震災の救援活動に中心的な役割を果たすなど、その社会福祉活動にはキリスト教的な理念と共通するものがある。本著の第一章で少しだけ、渋沢について言及している。