推薦者:山内継祐(やまうち けいすけ)(カトリック社会問題研究所、フリープレス)
教会と社会
粕谷甲一ほか(1999)『講演集・第二バチカン公会議と私たちの歩む道』(カトリック東京教区生涯養成委員会編)サンパウロ
帯に「第二バチカン公会議の本質を捉え、未来へ向かう日本の教会を担う信徒や司祭の行動原理を明らかにする講演集」とある。第2バチカン公会議の実りや役割を論じた類書は星の数ほどあるが、公会議全体に目配りし、簡潔に論じ尽くしたという意味では本書以上の啓蒙書はない。本書中の各講演はいずれも示唆に富んでおり、とくに、次代を担う若い世代が座右に置いておきたい1冊となっている。
橋本昭一(1980)『バチカンの行動原理 現代教皇たちの社会回勅』コルベ出版社
戦争の世紀に教会を率いた現代教皇たちが発出した「社会回勅」を丹念に紹介し、回勅に一貫する「神の似姿としての人間の尊厳」「現代カトリック教会の社会観」は人類が共有すべき唯一の価値観であることを証明している。本書を手に取って、レオ13世からパウロ6世に至る社会教説を通読することは、現代信徒にとって必須の「理論武装の手段」となるだろう。
教会と経済
ムルグ, J(1986)『現代信徒への霊的たより』カトリック社会問題研究所編集局
司祭叙階後の半世紀を日本宣教に捧げ、その間、高度成長期を迎えた日本人労働者に寄り添ってきた筆者が、労働と信仰を強いきずなで結ぶために書き起こした原稿を1冊にした、在日50周年記念出版として生まれた書籍。カトリック青年労働者連盟(JOC)を創設し、そのOB・OG組織としてカトリック社会問題研究所を創立した筆者の眼差しは常に労働者の上に注がれていたことが、本書を一読するとよく分かる。「キリストを囲む人間像」(第2章)に労働者階級の原像を見る筆者の舌鋒は鋭くも暖かい。「富とキリスト」「新約聖書における貧しい人々」の毅然とした物言いと、「霊的感覚を身に付けよ」「利益に対するキリストの態度」「殉教するほどの気概を持て」などの諭しがシンクロして、読む者を奮い立たせる。かくて読者は「肉離れ信者にならない法」を身に付け、「あなたは選ばれている」と言う筆者に付き従うのだ、働く仲間への伝道者となるために。
野尻武敏(1986)『キリスト教と日本経済(社研シリーズ④)』フリープレスサービス
キリスト者として生きるうえで、経済をどう位置付けるかに悩む信徒は多い。神戸大学経済学部教授(執筆当時)の筆者は本書の中で、それらの人々へ考察の道筋を明確に示し、解答を用意している。簡潔で要を得た筆致には、教会に集う多様な信徒層へのきめ細かい配慮が行き届き、それが本書の刊行価値を一層高めている。「人格たる人間がすべての座標軸になる」「人間不在の資本主義は人格無視の共産主義に劣らず批判されるべき」といった価値観に共感する読者は多い。
教会と戦争
カトリック社会問題研究所編集局編著(2001)『テロと報復への視点』(フリープレス)
隔月刊誌『福音と社会』の別冊として編まれた。第1部『奔流』で、9・11同時多発テロとそれへの報復を解剖して問題点を抉り出し、第2部『底流』では日本人に馴染みのないイスラム原理主義を詳説し憎しみの論理の克服を迫る。両部を締める寄稿「武力でテロは解決できない」(酒井新二)「戦争からの開放をめざして」(J・ムルグ)が文字どおり〈キリスト者の視点〉として秀逸。緊急座談会「米国は『赦し』と『自制』で新秩序の旗頭となれ」は、戦争と経済利益を天秤にかけて恥じない超大国への諫言として今も生き、わたしたちの状況判断を助ける。
教会と環境
カマラ, ヘルデル(1998)『創造と環境』(伊従直子訳)フリープレス
ブラジルの教会を代表する指導者で教皇庁でも教皇ヨハネ・パウロ2世の環境問題担当顧問として活躍したヘルデル・カマラ枢機卿が、地球環境劣化への警鐘を鳴らし、自然環境回復への願いを込めて全世界に発信したメッセージと祈りの邦訳版。収載された訴えの多くは、アルゼンチン出身の教皇フランシスコが発出した回勅『ラウダート・シ』(環境回勅)に取り入れられた。南米の隣国同士にあって教会を率いた指導者二人の自然環境重視に懸ける思いは、期せずして同じベクトルだったのかもしれない。豊富なカラー写真が示す環境汚染の実態が読者の胸を締め付ける。
清水靖子(1996)『日本が消したパプアニューギニアの森』明石書店
東京都内の高校で11年間、教壇に立った後、ミクロネシアに派遣されて6年間、現地高校でも社会科教師として働いた筆者は、その間に、環太平洋地域の環境を先進国が踏みにじっていることに気づいて「核廃棄物海洋投棄計画」に反対の声を挙げた修道者。本書は長年環境保護運動に取り組む筆者による「環境破壊者告発」の原点だ。海洋汚染だけでなく、一帯の森林乱伐に日本が関わっている現実が詳細なデータで明かされている。「40秒に1本の割合でパプア材が日本に!」「伐採はレイプ、植林はジェノサイド」といった見出しに筆者の危機感が籠もっている。
教会と政治
メルケル, アンジェラ(2019)『わたしの信仰』(フォルカー・レージング編、松永美穂訳)新教出版社
東西ドイツ合併後第8代の首相としてドイツ連邦共和国を率いるだけでなく、ヨーロッパはもちろん、世界政治のリーダーとして国の内外から絶大な信頼を寄せられる“女性宰相”が、自らの出自と信仰を語り下ろしている。第1~2章で自らの信仰を宣言したこのキリスト信者は、第3章で「正義」の核心を説いた後、第4章でヨーロッパを震撼させている難民流入問題に正面から取り組み、「人道」の共有を根本的な解決策だと提言する。武力の衝突と弾圧政策を “愚策”と断じるその政治姿勢は、島国・日本に生きる読者に多くの示唆を与えるだろう。
佐々木宏人(2018)『封印された殉教(上)(下)』(フリープレス)
太平洋戦争のさなかにカトリック札幌教区長として平和の尊さを訴え、横浜教区長に転じてからも、キリスト教弾圧方針を加速する軍部に抗して「信仰の自由」を叫び続けた戸田帯刀神父の生涯を描いたノンフィクション。終戦の3日後、横浜憲兵隊のササキと名乗る人物が横浜教区長館に戸田師を襲い、師は凶弾に倒れた。その十数年後、東京教区・吉祥寺教会に現われた犯人を、教会は赦し、ササキは姿を消した…… そのときからさらに半世紀を経て、元・毎日新聞記者だった筆者が、戸田氏の足跡を丁寧にたどり、戸田氏暗殺犯人の消息を探った経緯を、上下2巻にまとめた。
西山俊彦(2012)『国際情勢の危うさと福音の光(社研シリーズ⑤)』カトリック社会問題研究所
「国際紛争の多くが、経済利益を優先する当事国の自己都合によって引き起こされている」と喝破する大阪大司教区司祭は、本書に託して“領土問題”を経済的視点から断罪し、「福音の光こそ希望の礎」と問題解決の基本認識を提言する。元・国連大学副学長の武者小路公秀氏が献辞を寄せ「西山俊彦神父さまに応え、『国家理性』を忘れてヒトの知恵に戻ろう」と呼び掛けている。
西山俊彦(2003)『一極覇権主義とキリスト教の役割』(フリープレス)
“社会派司祭”として知られ、その直言がしばしば一部の聖職者から疎まれている筆者が、超大国・アメリカの強引な世界制圧ぶりを指弾し、市場原理主義やパレスチナ問題、わが国の改憲論争をも俎上に上げて、“国益至上主義”を断罪し、イエスの愛への回帰を説く。筆者が本書で取り上げた問題はいずれも、2020年代になった今も未解決であり、「いつ、どこで火を吹いてもそれは人類絶滅の予兆となり得る」という筆者の預言は重い。国益至上主義者の大統領がようやく退場した今、私たちキリスト者は、あらためて課題の根本解決を迫られている。発火点を見つめ直す作業の手始めにぜひ読んでおきたい一冊。
酒井新二(2002)『日本の進路』フリープレス
筆者は、若き海軍士官として広島近郊で終戦を迎えたというエピソードを持つ共同通信社の元社長。パリ支局長時代に、ベトナム戦争終結への節目となったパリ和平交渉を取材した筆者が、「国家間の諸対立と教会の対応」から「天皇制」までを詳細に取材、検証しつつ、教会が平和実現の道を明確に示すよう促している。教会が犯した過去の誤りを率直に指摘し、今なお教会内に巣食う“国家主義者”らへの警告を躊躇しないなど、随所に客観性が光る。”バチカンと中国の国交樹立”に項を割いているところは、ジャーナリストとしての先見性の表われだろう。前・国連難民高等弁務官の緒方貞子氏が「推薦の言葉」を寄せている。
酒井新二(1989)『カトリシズムと現代』新地書房
「カトリック教会は、国益至上主義の国家群に共同善尊重と互譲互助理念実践を迫れ」が持論だったカトリック・ジャーナリストによる、教会の実力を査定した“鑑定”の書。国際紛争・戦争の分野では「防衛白書の“愛国心”」「福音と暴力」「核戦争への教会の挑戦」「国際関係の基本的変化」などの項で戦争回避への留意点を探るが、筆者の教会への期待は本書後半で「カトリックの沈滞」「教会は荒廃しているか」が論じられるなど、焦燥の色を濃くしていく。筆者は本書中に、教皇の社会教説や各国司教団レベルの教書を紹介し、信徒が果たすべき平和訴求活動を肉付けしてくれている。その労に応えるのが読者の責務ではないだろうか。
教会と共生(ともに生きるためのヒント)
リバス, イシドロ(2020)『神父さんが描いた“読む漫画” 笑いの奥に真理が宿る』フリープレス
かつて「最高の“学生指導司祭”」として支持と共感を集めた筆者も、今は引退司祭の家に身を横たえている。が、気力は旺盛そのもの、こんなタイトルの“ユーモア本”を上梓した。日本宣教半世紀の間にメモした微苦笑もののエピソードが1冊になった。「笑いの奥に真理が宿る」というサブタイトルそのままに、読者はページをめくるごとに笑いをかみ殺しながら、いつの間にか“日本宣教のコツ”や“イエズス会司祭の矜持”に共感している自分を発見する。「日本人が大好き」と公言してきた筆者にしてみれば、“我が意を得たり”なのだろう。
ピッテ, ダニエル(2019)『神父さま、あなたをゆるします』(古川学訳)フリープレス
聖歌隊のメンバーだった少年期に、サレジオ会スイス管区の司祭から性的凌辱を受け続けてきた男性が、セクハラの詳細を綴り、司祭による狡猾な口封じ、精神的威嚇、成人となって以後の深刻な後遺症などのすべてを本書中で明かした衝撃の1冊。既に人生の折り返し点を過ぎた筆者は今、加害者神父を目の前にして「神父さま、あなたをゆるします」と言うのだ。本書がフランス語圏で刊行されることを知った教皇フランシスコは筆者に直接詫び、本書の序文を書きたいと申し出た。イタリア語版刊行時にこの約束は果たされ、日本語訳の本書にも教皇自筆の序文が付されている。教皇フランシスコに同種事件の根絶を誓わせた1冊だが、聖職者による幼児性虐待事件の公表に消極的な日本の教会では、本書への関心も今一つだ。
竹下節子(2019)『超死生観』フリープレス
「死後」を豊かに生きるヒントが満載の1冊。満足・充実の現役生活が第一の人生、リタイア後が第二の人生だとすれば、「“今はの際(きわ)”のその先に在る第三の人生を、あなたはいったい、どう生きるおつもり?」という筆者の問いかけに、「そんな…… 考えたこともないよ」とたじろぐ読者の姿が目に浮かぶ内容。筆者はパリ在住のバロック室内アンサンブル演奏家にして比較文化評論家。死後の生き方を生前から整えておくことの大切さを説き、エンディングノートならぬ「スターティングノート」の作成を、事例を挙げて勧めている。
池田義彦(2014)『カトリック入信以前』フリープレス
モーレツ時代のビジネスマン社会を生き抜いてきた筆者は、いかにしてカトリックの教説を知り、惹(ひ)かれていったか―― それを知ることは、金権国家・ニッポンを支える主力のサラリーマン層への宣教方法を知ることになる。受洗後それに気づいた筆者が、「イエスを知らなかった時代の自分は何を信じ、何を頼りにしていたか」と、自らの軌跡の中に刻印されたターニングポイントを振り返る。教会の入口に佇(たたず)むサラリーマン、求道中の成人が気軽に読めて共感を感じることのできる1冊。
水浦征男(2011)『ボクの言い分 神父様だって投書しちゃう!』フリープレス
カトリック中央協議会で広報担当司祭として働き、任期中には歴史上初の教皇訪日となったヨハネ・パウロ2世の日本訪問時にメディア相手の広報業務を取り仕切った神父が、転任先でぶつかった社会問題は「有明海諫早湾の干拓・埋め立て」。自然破壊と国税の無駄遣いに抵抗する近隣住民の一人として、新聞各紙への投書を続け、世論に訴えた。余勢をかって死刑制度への疑問、政治の劣化への諫言など、ものした投書の中から242本を集めて一冊に編んだ。愛と正義の伝道者として見過ごせない現実を指摘し、本来あるべき心を取り戻そうと新聞投書で呼びかける筆者の手法は、新たな宣教の形として注目を集めている。
長島総一郎(2010)『60歳から始める真理探し』フリープレス
還暦を迎えて過去を振り返り、何とはなしの物足りなさを感じているニッポンのお父さんたちに、一流経営コンサルタントが贈る「神の愛(=真理)を獲得する法」。ワルシャワ経済大学で経済学博士号を取得した在世フランシスコ会会員の道案内は具体的で日本人の琴線を揺する。「今だからこそできる謎解き」と世のお父さん方の背中を押し、“宇宙船地球号”の秩序に表われている真理の一端を指し示す。原子物理学の最新知見から粉雪の結晶まで動員して、人類を「神の最高傑作」と位置づける語り口は、実学に飽きた熟年世代を引き付けずにはおかない。筆者の確信がそのまま1冊になって熟年世代の眼を神に向ける。
カトリックフランス司教団社会問題委員会編著(1994)『セックスを考えるヒント』(渡辺美紀子訳)フリープレス
性情報氾濫時代、つい我を忘れがちとなる若い世代にとって、恰好の羅針盤となるのが本書。「目先の快楽とつかの間の陶酔がセックスのすべてだろうか」と語りかけ、セックスが担う本当の役割を穏やかな筆致で説く本書の筆者はなんと、フランス司教団の社会問題委員会。教養としての性知識(第1章)で「性」の社会性に触れた後、第2章では「人生の中の愛と性」を幅広く論じ、第3章「性・愛・結婚」でセックスは神に至る道の一つだと諭し、「セックスが人生を豊かにする」と結んでいる。“未成年者の性体験”や“同棲”“売春”などを真正面から取り扱っているところがフランス司教団らしいと言えなくもないが、日本の教会の青年教育にも生かしたい見識が随所に光る。聖職者にとっても一読に値する1冊である。