青春とは何であろうか? 私が思うに青春とは人生で最も輝かしい日々であり、また最も鋭利な痛みを伴う日々である。葛藤の美しさと自己形成の痛み。自覚する者は極めて少ないが、人は人生で得るに最も美しい、そして重い荷を青春の始まりと共に与えられるのである。……
私達の尻をせっついて追う黒い靄から、その荷を抱えたまま逃げおおせた人間を私は知らない。荷を渡されて、あくせくしながら靄に追われる私達を、冷やかしのような一種親愛の籠った眼差しで見つめる大人の手には決まって何もないのである。そして、彼らはいつでもこう助言するのだ。その荷をそこへおいてこい、と。
荷を気付かぬ間に擦り減らして失くす者、故意に放り出す者、必要に駆られて仕方なく置き去りにする者。中でも荷の美しさを認めた者は大いに煩悶するだろう。助言する大人は無責任にも、その荷を捨てることを薦め、実際に周りの者は消極的にしろ積極的にしろ、その薦めを実践しているのである。しかし、一番の問題は、周りがどうして自分がどうするのかという点よりも皆が果たしてその荷の美しさを解しているのか判断ができかねるという点にあるのだ!
初めに書いたようにその美を理解する者は極めて少ないであろう。……それでも荷を抱えて離さない者達に幸あれ!
*
暗い路地に立った。日の落ちてすぐの薄明が路地全体を頼りなげに照らしていた。道の両脇に並ぶ街灯達は周りを見ながら明かりを灯すかどうか決めあぐねている様子である。湿度が高く、夜だというのに汗ばんだ。腐った常温水のような、生温い臭いがする。通り過ぎる人間や場所によっては、強烈な香水の、また無造作に捨て置かれた生ごみの饐えた臭いも感じられた。
私がしかめっ面をして、Tシャツの裾をつまんで上下させていると、友人Ⅰが「暑いか?」と聞いた。私は「暑い」とだけ答えた。
実際、私は不愉快だった。直接的な要因は温度でも、臭いでも無かった。それが不愉快の原因の間接的な一端を成していたことは否定する余地もないが。
キャッチやナンパ目的の男達はうようよと連れ立ち、ニ、三組の集団が路地中に点々と乱立していた。ぎらぎらと目を光らせて。光っていたのは男達の目だけではなかった。電線を押しのけるようにビルから突き出したネオンの看板、道端に捨てられ、砕けたビール瓶の一片、タクシーの行灯……。もうすぐ薄暮を押しのけて、沈んでいた夜が東から来る。東から来る夜もまた、これらの人工的な光によって居場所を追われることが明白であった。この路地に限っては、という話だが。人の活力という混ぜ物のされた光源は私の平衡感覚を奪い、思考を混乱させた。これが私の不愉快の主だった要因の一つだった。
幾人かの友人が先行して、私はその後ろをついて回った。
「ここだ」
一番前にいた友人Ⅰは汚らしいタイル造りの低階層ビルを指差して言った。ガラス張りの窓にネオンライトで店名が示されている。壁に気怠そうに寄りかかったキャッチの男が緩慢な動きで近づいてきた。
「お探しっすか?」
「いえ、ここです」
Ⅰは前の店を目で指して言った。
「そうっすか。ご案内します?」
「いえ、大丈夫です」
彼が淡泊にそう言うと、男は無感動な目でうんとかすんとか発したまま、また元の壁に寄りかかってしまった。
「行こうか」
キャッチを退けたⅠはずんずんビルの中へ進んでいく。私も後に続いた。他の者もそうした。
奥の鉄製のらせん状の階段を上った先に店はあるようだった。ビルの入り口にはタイル張りの窪みに黄色みがかった膿のような水が張ってあり、階段の周りに設置された木枠のそれぞれに統一感のないエスニックな置物やワインの瓶等が並べられてある。蜘蛛の巣が毛玉のように丸まって置物に引っかかっているのを見た一人が顔を歪めつつ、舌を出した。
上にニスで照った木目模様のちゃちな扉が見えて、先頭の友人Ⅰがそれを押し開くようだった。一番上に合流すると開かれた戸からむせかえるほどに煙草、体臭、揚げ物、コロンの類やらの臭いがした。照明の光量は抑えられて、故意に薄暗くされているようである。
三角巾とエプロンにニックネームの書かれたチープな名札をした店員がぱたぱたと駆け寄ってきてⅠに何か確認した後、その店員が先導して席へ通されるようだった。予約の有無の確認だろう、と私は考えた。
薄暗く狭い通路を私達は一列になって歩いた。廊下とその両側に配置された席とは吊られた薄い布でもって隔てられているのみである。──薄い布。たまらなく不快だった。それぞれの席は向かい合い、詰めて四人座れるかどうかという広さしかない。大方のテーブルは二人掛けしていた。薄布を透かして見ると、男女二人で座っているものが多い。若者の男女、中年の男と目に見えて若い女の組み合わせをよく見た。踊り子の前掛けを彷彿とさせるレースのカーテンからちらちらと見えるそれは布の内部を秘匿している素振りをしながら、その素振りさえも煽情の道具として用いているような気持ち悪さがあった。
通路の半分は布の奥に見える恥部から必死に目を逸らして渡った。ともかく私達は席に着くことができた! 八人が座るには狭い、板張りの簡素な個室であったが問題はなかった。私達には集まれる口実があれば良かった。美味しい食べ物やアルコールさえも必要ない。集まれば勝手に楽しく話せる。故に、空間の有無が問題でその質は問題でなかった。
予め注文しておいた料理が運ばれてき、飲み物も運ばれてきた。私以外ほとんどの者は酒を頼んでいた。私はそのとき十九歳であったから……。
料理は粗末なものだった。飲み物や酒もグラスだけ立派で中身は水に近い気すらする。それでも他愛ない近況を互いに話し合ったり、最近起きた可笑しい出来事を話す口は止まなかった。
友人の一人が言った。
「俺は病気に罹って一週間隔離されてたぜ」
また違う友人の一人がそれを聞くなり、張り合うように宣言した。
「俺なんかハイウェイで一四〇キロ出して免停を食らった」
また一人が「俺は七キロ太った!」と言い出した頃から、収拾が付かなくなり、ぎゃあぎゃあと口々にエピソードを語りだすので、みんな笑った。大声を挙げて語っている本人達でさえ笑った。高校の時分からずっと続けているじゃれ合いのようなものだった。こんな甘いじゃれ合いやお約束といった笑いの形態には、年齢から多少の恥じらいを伴うようになったが、そこに含羞のなかった年齢からの付き合いである彼らとは今でも何の屈託もなく笑い合うことができた。
酒も進んで──もちろん私は素面のままだったが──各々が話をほとんど一通り終えた頃、Ⅰはぼんやりとして言った。
「これからどうなってしまうのだろう……」
青年期半ばの男が集まって話をすると、この手の話題に帰着するというのはありがちなことであったが、多くの青年達がその話をすることで他人の社会への帰属の意思を確認し、自らもその決意を固めていたのと違い、我々の、少なくとも私やⅠも含む数人が”さしあたり”生きていくことや”さしあたり”食っていくことを漠然と拒んでいるのは明白であったので、どちらかというと鼓舞や決意というよりは甘ったるい傷の舐めあいのような感があった。
「就職をして、結婚をして……」
一人が今後起こり得る出来事を列挙しだした。Ⅰは眉間の皺を深くする。私はこの羅列がⅠの望む返答でないと考え、言った。
「別にそれをすることが全てって訳でもないだろう」
「じゃあ、どうやって生きていく?」
私は問いに対する確たる答えを持ち合わせていなかった。Ⅰの方をちらと見ると、彼も赤瑪瑙のような瞳をこちらに向けて、何かしらを待っている様子であった。私はコルク栓をされたように詰まった喉をさすって、やっと言葉を発した。
「分からない。分からないけれど、これから意味を探すんじゃ駄目なのか?」
羅列した友人は言った。
「それは今はとりあえず生きていくということに違いないじゃないか。その為には俺が言ったこと、やらなきゃいけないだろ? それにそんな悠長なこと言ってるようじゃ生きていけないぜ」
私はまた黙った。友人の代わりに机の上のジョッキを恨めしく睨みつけた。社会というものはあ者だと思っていた。力の強いあ者が、正当に抗議する私を押さえつけているようなものだと……。実際には私は一言たりとも抗議なんてしていなかったし、社会は私が言葉を交わそうとしなかっただけで割合流暢に喋るものだったらしい。
むしろ、私の方が言葉を発せない人間だったのとは違うか? 大人連中が私を見るときのあの独特な、哀れむような目はそうだったのだろうか?
私が横目で見ると、Iはその目をどこか遠いところへ流して「そんなら生きなければいいんじゃないか」とぼそりと言ったようだった。
話はそこで途切れた。しばらくして、酒を飲んだ下戸の友人がトイレに行って戻してしまったことを契機に店を出ることになった。
Iは下戸の友人を介抱し、肩を貸して伴って外へ出るようである。私は手伝いを申し出たが、あっさり断られたので手持無沙汰のまま表に立っていた。下戸に水を飲ませるためにⅠはコンビニエンスストアへ入っていき、私や他の友人が彼を支える。私が肩で支えて、半ば抱き上げるような形になると、彼は無理矢理立つ体制に気分が悪くなったのか、もぞもぞと体制の変更を試みて、腕を脱け出し、べたりと地面に座り込んでしまった。向かいのクラブの入口前にも、駐車場の鉄柵にも、酔い潰れて座り込む大人達がいた。私はふと私達とその大人達とに近似を感じた。……
煌々と光るネオンや昼白色の街灯の光を圧して、何か来る。靄のようなものが来る。私は座り込んだ下戸を助け起こそうとしている友人にもう帰るとだけ言伝して、靄とは反対方向の駅へと歩き出した。足早に路地を抜けて、大通りに出た。靄はまだ追って来る。開けた道を歩いてガード下に入った。ガード下はがらんどうで閑散としている。切れかけた蛍光灯に照らされて、前に三人ばかりの人影が見える。一人は背が高い黒人の男で残りの二人は東南アジア系の女だった。女達が男の手を引いてどこかへ連れ込もうとしている様子だった。娼婦風の女に連れられる男は困ったような目をして、通り過ぎる私を見た。女の一人が私に気付いて笑いかけてくる。私は目を逸らして足早にそこから去った。
駅に着いて、電車に乗り込み、動き出すとやっと私は安堵した。安堵して、車内を見回すと靄がぼんやりと人に紛れて立っていたので驚いた。靄はそれ以上近づいては来なかった。それが私の意識の上にあるものだということをそこで知った。私は靄をじっと見て、あれが意識の上から消えてしまえば、忘れてしまいさえすれば、私は”さしあたり”生きていくことができるのだろうか。と、考えた。
未だにその靄は、私の後ろをついて離れないのである。