「ダンッ」、鈍い銃声が鳴り響くとともに良介は地面に倒れた。
「良介~」と隊長は叫んだが、彼はピクリとも動かない。
「ちくしょう、こんなことなら義昭に行かせるべきだった」
「え、そんなの嫌っすよ。俺死にたくないし」
「黙れ、三等兵のお前に選択権は無い」
「……」
義昭は昭和初期のこの当時にしては大変珍しくチャラついた言葉を使い、髪は皆坊主なのに一人だけ長く伸ばし、腋毛やすね毛はカミソリできれいに沿っている。私は彼をなんて変わっているんだろうと感じた。この当時からしたら、まさかチャラい言葉やロン毛、さらには脱毛が将来流行るとは優介には思いもよらなかった。
優介は山口県出身で、父は国会議員、母は議員秘書として父を支えている。東京帝国大学在学中、彼のもとにも赤紙が来た。受け取るなり、彼は喜んで戦争に行く決意をし、父にもその旨を伝えた。父は戦争に行くことに大賛成で、ぜひ行って金鵄勲章を頂けるよう頑張りなさいと言った。母は涙を流し、戦争に行くことに反対したが、それでも優介の意思は変わらなかった。
彼の目標は加藤隼戦闘隊に入隊し、多くの戦績を上げ、金鵄勲章を受け取ることであった。また、死ぬことに関しては微塵も恐れなかった。
突然隊長の野太く深い声が鳴り響く。
「優介」
「何でしょう隊長」
「大変言いにくいがこの時が来た……優介、飛んでくれ」
「承知しました」
優介は文句ひとつ言わずに飛行機の整備に取り掛かる。まずエンジンの調子を調べ、問題が無かったので片道分の燃料を積んだ。その後彼はレバーや操縦桿の確認を行った。特に問題なかったので最後に機体に損傷がないか確認した。日の丸の赤が少し薄くなっていたので塗料で塗りなおした。その後彼は飛行機に語りかけた。
「これまでありがとう。これが俺とお前の最後になるかもしれない。しかし、最後までよろしく頼む」
その後、特攻前最後の祝宴が行われた。彼は早々と一升瓶一本を飲み干すと深くため息をつくとこういった。
「これが最後の酒か……」
「さみしいこというんじゃねえよ。靖国神社でまた会って飲もうぜ」
「……」
「なぁ」
陽士の冗談はきつい。いつもそうだ。あいつ自身はいいかもしれないが、言われる側の気持ちを少しは考えて欲しい。しかし、陽士と飲む酒がこれで最後と思うと感慨深い。思えば入隊してから、俺と陽士は毎晩酒を飲みながら将来について話したものだ。
「優介、お前は戦争に勝ったら将来は何をするんだ」
「うーん。やっぱり親父の跡を継いで国会議員かな」
「親父様様だな」
「うるせぇ。お前の親父だって医者じゃねえかよ」
「俺の親父は地方の町医者。対してお前の親父は大日本帝国の国会議員。うらやましいぜ」
「関係ねーよ。お前も自力で頑張れよ」
「お前だけには言われたかねーよ」
という具合に、毎日毎晩酒を酌み交わしながら話した。
「じゃあな、陽士」
「おう、相棒」
そういうと彼は寝床に向かい床についた。
翌朝、ラッパの音が鳴り響くとともに彼は目を覚ました。彼の出撃まで残り三時間である。
まず彼は煙草をふかした。これが最後の一本かとため息交じりにくゆらせた。その後加藤部隊歌を手回しの蓄音機で聞いた。憧れの加藤隼戦闘隊には入隊できなかったけれど、悔いはない。彼はそう感じた。一つ一つの詞が彼を励ます。
その後、隊長は彼を呼び出した。
「優介、お前と会うのもこれで最後だな」
「そんな悲しいこと言わないで下さいよ」
「最後にお前に俺の愛用してきた懐中時計をやる。これを持って素晴らしい戦績を上げてくれ」
「承知しました。ありがとうございます」
そういうと彼は飛行機に飛び乗った。心の中で、お父さん、お母さん、先立つ不孝をお許しくださいと唱え、エンジンをかけた。
「──ブロロロロロッ」
エンジンが勢いよく回転しだす。いざ、決戦の大空へ。彼はそう念じると、操縦桿を握り、離陸した。
やがてしばらく飛ぶと、敵機が五機六機とだんだん見ええてきた。
彼は数におびえず、これまでの経験から、どんどん撃ち落としていく。五機六機と順調に撃ち落としたところで、七機目になんと彼の飛行機の二倍はあるであろう飛行機に遭遇した。
そして、彼は覚悟を決めた。残りはあの一機のみ、突撃するぞ。
彼の頭の中には加藤隼戦闘隊が流れる。彼の気持ちはますます昂る。輝く伝統受け継いで、新たに興す大アジア、われらは皇戦闘隊という詞の最後の部分が流れた瞬間、彼は敵機に突っ込んだ。
ダンッという鈍い音と共に、彼の愛機と敵機は海の藻屑と散った。
彼は奇跡的に生き残ったものの、意識を失い、愛機の残骸の上で漂流することとなった。
彼が目を覚ますと、そこは天国のような場所だった。彼は自らの死を悟った。ああ、俺は死んだんだ。しかし戦争に貢献できたことは大変名誉なことだ。
しばらく歩くと、彼の目の前に白いローブを着た神が現れた。頭には古代ギリシアの鉄兜をかぶり、ひげを蓄え、金の指環、腕輪、首輪をし、ローブの下には金の鎧を着ており、手には長槍と大きな盾を持っていた。
「私は軍神アレスだ。貴様の戦いぶりは何だ。命を粗末にして戦うとは何事だ」
「しかし、祖国を守るには仕方のないことです。それに、私が死んだところで何の問題もないでしょう」
「馬鹿者。貴様はそれでも東大生か。少しは母の気持ちを考えたことはあるのか」
「ないです」
「そうだろうと思ったよ。お前さんの母は大変悲しんである。戦争に勝利して生きて帰れ」
「御意」
彼はその後アレスと戦術について話した。
「いいか、目の前に自分よ
り大きな敵機が現れた時は、積んでいる魚雷を使え」
「しかし、それ以降敵が現れては……」
「馬鹿者。発射した瞬間、百八十度回転して基地に戻れ」
「長官にはなんと弁明すれば」
「今後の戦力不足を鑑み帰ってまいりましたと言え」
「承知しました」
このように彼は様々な戦術をアレスから教わった。
三日後、アレスは彼にこう告げた。
「さらばじゃ優介、お前に教えることはもうない。全て教え切った」
そう告げると彼は優介の目の前から姿を消し、彼ははっと目を覚ました。
「隊長、優介が目を覚ましました」
「何、今向かう」
彼は救出され、軍の病院のベッドに寝かされていたのである。
「優介、よくやった。おかげで敵機は全滅だ」
「はっ、ありがとうございます」
「ところで、回復したらまた飛んでくれるか」
「もちろんです」
「ところで長官、お話があるのですが」
「何じゃ」
「次からは生きて帰りたいのです。兵不足のため」
「貴様それでも大日本帝国の臣民か。死んで祖国に貢献せよ」
「嫌です。私は生きて帰ります」
「もう好きにしろ。わしは知らん」
「上等ですよ」
そう告げると隊長は出ていった。
彼はその後すぐ出撃した。そして、生きて帰ってきた。
「お前はなんとしぶといやつだ。死んで貢献しろ」
「嫌ですよ」
「何だと。貴様は上官に歯向かうのか」
「上司だろうと何だろうと歯向かいますよ。そこまで言うなら手本を見せて下さいよ」
「ああ。上等だ。次の敵戦で見せてやろう」
「どうせできないんでしょう」
「何だと。まあいい。その代わり、俺が死んだらお前も死ねよ」
「いいですよ」
勿論嘘である。彼に死ぬつもりなど毛頭ない。
その後すぐ、出撃命令が下った。隊長と優介は出撃した。
しかし、隊長は攻撃ばかりで、突撃することは最後までなかった。
長官も所詮は人間だと彼は悟った。優介はそのことに腹が立ち、隊長の飛行機を撃ち落とした。隊長は約束を破った。人間的に間違っている。だから殺していい。かつて人間的に間違っている奴は敵味方関係なく殺せと隊長に教えられたのでその通りにした。そして、ここには自分と隊長しかいない。絶対にばれない。彼はそう思うとともに隊長の落下傘を撃ち落とした。赤色の肉片が青い海に落ちて多くの水柱を作る。まるでソ連の中型巡洋艦が敵の艦隊に砲撃するようだ。
彼はその後基地へ帰った。隊長は敵の攻撃で死んだと報告した。
しかし、同期の中島は見ていた。彼が隊長を殺すのを飛行機の中から見ていた。優介は隊長を殺すのに一生懸命で確認を怠っていたのだ。
「優介。俺が長官に報告すればお前は軍刑務所行き、お前の親父は議員追放。おふくろも同時に離職。人生詰んだな」
「……」
優介は決めた。中島を次の出撃で殺すと。
しかし、中島は殺された。中島は別名脅しの天才で、嘘の脅しで様々なやつを脅していたのだが、同期の里中を脅し、怒りを買い、里中により焼酎に毒を盛られ殺された。当時は鑑識の技術もないため、犯人は不明だった。
「優ちゃんも脅されていたんだって」
「ああ。隊長を殺したとかで」
「優介、正直に言えよ。お前が殺したんだろ」
「ああ。そうだ」
「安心しろ。俺とお前だけの秘密にしてやる」
「里っちゃん」
そして、その後彼は長官から遠方への出撃を命じられた。
「優介、お前の戦績は偉大だ。行ってくれるな」
「勿論です」
「お前が行くのはフィリピンだ。頼んだぞ」
「承知いたしました」
彼はその後フィリピンに飛んだ。
「只今参りました西島優介です」
「おお。君が優介君か。待っておったぞ」
「はっ。ありがたき幸せです」
「まあまあ肩の荷を下ろして。落ち着いて戦っていこうよ」
「はい……」
優介は困惑した。これまで死ぬ気で戦えと叩き込まれてきたからだ。
「西村隊長今後ともどうぞよろしくお願いします」
「だから、肩の力を抜いて……」
その夜、優介と西村隊長は酒を酌み交わした。優介隊長は手回しの蓄音機を回してレコードをセットした。そして蓄音機から音が流れ始める。九段の母である。
「君のお母さんは元気かね」
「はい、おかげさまで。今年で六十になります」
「戦争に行くのは反対されなかったかね」
「猛反対されました」
「私もそうだったよ。泣かれてね」
「私もそうでした」
「しかし反対したのはえらいと思うよ」
「ありがとございます」
そういって夜は更けていった。
翌朝、出撃命令が下った。優介は急いで準備に取り掛かる。エンジンよし。燃料よし。機体よし。さあ、決戦の大空へ。
彼の頭の中には、再び加藤隼戦闘隊が流れる。
しかし、今回の戦闘は不発だった。敵が前回と比べ強すぎたのだ。
それが束になってかかってくるものだから、彼は逃げる事しかできなかった。
そして、右の翼を破壊された状態で不時着した。ここには兵士はいない。現地住民のみだ。
現地住民は疲れている彼にバナナとココナツのドリンクを与えた。
それは脳が溶けるほど甘かった。甘い、甘すぎる。犯罪的なうまさだ。しかし、ぬるかった。
その後ほどなくして、無線で西村隊長から連絡が入った。
「優介君。今どこかね」
「よくわからないですが島にいます。住民もいます」
「何をのんびりしている。すぐに帰ってこい。お前は同期一のホープなのだから」
「嫌です。私は決して帰りません。さらば、西村隊長」
「おっ、おい」
彼は岩肌に無線を投げつけた。無線は粉々に砕け散った。
実を言うと優介は疲れていた。日々連戦で激しく体力を消耗する中、同期一の成果を上げていたので、彼は休む暇もなく戦いに行かされていた。けがをしたことでやっと休めると思えば復帰後すぐにフィリピンへ飛ばされる。悲しき運命だ。
そして、彼は敵を殺すことも戸惑っていた。戦争で彼と同じように戦いたくもないのに戦っている兵士を殺すのは、最初はゲーム感覚で楽しかったが、だんだんしんどくなってきた。ふと、彼は思うようになった。この戦争に勝ったら、キリスト教に入信しよう。
そして、懺悔して、罪を贖おう。
しかし、そうは言ったものの、肝心の帰る手段がない。そういうわけで彼はのんびりと過ごした。朝は遅く起き、昼はバナナをかじりながら踊り子のダンスを見て過ごし、夜は現地住民や長老と酒を酌み交わし、飲んで歌って踊った。
「ジョシュウ、ジョシュウトジンバハススム、ジョシュウイヨイカスミヨイカ」
「長老、なぜ彼は日本の唄を歌っているのですか」
「かつてな、お前さんと同じように日本人の兵隊さんが来て、島に日本文化を伝えてくれたんじゃよ。ほれ、これを見てみい」
彼は首にかけた千人針を優介に見せた。それは立派な千人針だった。
「その方がわしにくれてな。もう俺はこの島を去るから、お世話になったお礼にと」
「という事はその方は……」
「ああ、もうすでに旅立ったよ。三十日ほど前にな」
「どのようにして行かれたのですか」
「船を木で作ってな。行ったんじゃよ」
「なるほど。考えましたね」
ちなみに、これまでの会話は全部日本語で表記しているが、最初のカタカナの所以外はすべて英語である。
「ちなみに彼の乗ってきた飛行機は」
「ああ。それならあるぞい。島の最北端にな」
「ありがとうございます。もう少しゆっくり過ごしたかったのですが、その飛行機を修理してアメリカ軍の捕虜になります」
「おお。そうか。さみしくなるが頑張ってな」
「はい。ありがとうございます」
その後すぐに彼は島の最北端へ行き、飛行機の状態を確認した。機体の損壊は激しく、修理が必要だったが、エンジンは無事で、燃料は十分残っていた。彼はさっそく修理に取り掛かった。彼は工学部だったので、飛行機を木で作ることぐらい朝飯前だった。そして三日後には機体が完成した。
彼の胸は高鳴る。さあ、出発だ。
そして、彼は飛び立ちその島を後にした。
しばらく飛ぶと、一隻の小型の木のボートが見えた。その上には戦闘服を着た人が見え、白骨化した頭が顔を出す。オールが無いことから、ああ、彼は途中でオールを落とし、なおかつ体力不足で泳ぐに泳げなかったんだろうと考察した。
その後、アメリカ空母が見えた。彼は空母に降りようとしたが、アメリカ軍の銃撃がやまない。まるで一匹のゴキブリを見つけた人間の如く、袋叩きにしてくる。
機体はボロボロになりながらも、優介は何とか空母に降り立った。
「おい日本人。貴様は何のつもりでここに来た。言え」
「降伏して捕虜になるために来ました。降伏します」
彼は銃とサーベルを捨てた。
「よしわかった。捕虜にしてやろう」
「ありがとうございます」
そうして彼は米軍捕虜となった。
捕虜となってからの生活は幸せそのものだった。飯は一日三度キチンと食べさせてもらえるし、酒はおろかタバコもすえた。
また、彼はぼろきれからとても美しいネクタイを作った。それは瞬く間に米兵の評判となり、飛ぶように売れた。また、彼はネクタイで得た収入で株を買い、大金持ちになった。
しかし、大金持ちになったことでふんぞり返ることは無く、むしろ今まで以上に仕事に精を出し、稼いだお金は全額貯金した。
そして、そのような彼の働きぶりを妬む米兵は誰もおらず、むしろ評価された。
「あの優介というやつ、捕虜のくせによく働くよな」
「なあ。しかも英語も堪能で機械部品に詳しく修理もできるって、最強だよな」
「俺らもあいつを見習わないとな」
「ああ」
その後彼はショッキングなニュースを聞く。そう、原爆投下である。広島と長崎には、彼の友人と伯父伯母、さらには父の議員仲間もいたことから胸を痛められ、夜も眠れなかった。
しかし、彼はそれでも米兵に態度を変えることなく。真面目に働き続けた。
ある朝、長官に呼ばれた。
「優介、ちょっといいか」
「何でしょう長官」
「本日日本が降伏したと知らせが入った」
「それで、」
「優介、もしよければなんだがうちの兵士にならんか」
「どういうことですか」
「戦争が終わるという事は、お前が捕虜でなくなるという事だ。つまりわしはお前を一軍人として雇用することが可能というわけだ。わかってくれたかな」
「はい、わかりました」
「返事は」
「喜んで軍人にならせていただきます」
彼は以前戦うことを躊躇していたが、アメリカ軍の捕虜になってからは軍での生活が充実しすぎていたせいか、そのような気持ちは嘘のように消え失せ、むしろ軍で働き、戦うことが人生の楽しみの一つとなっていたので、軍に入ることをすぐさま快諾した。
「君ならそう言ってくれると思っていたよ」
「ありがとうございます」
「一応今後の流れを説明しておくと、君は入隊後、普段は訓練や軍の仕事をして、戦時は仲間と共に戦ってもらう。そして君が四十歳ほどになると、退役か軍に残り私のように著間などの役職につくか選んでもらう」
「承知いたしました」
「何か質問は」
「ないです」
そして、彼の軍隊生活が始まった。
「優介、この仕事をしてくれ」
「わかりました」
「優介、訓練に行くぞ」
「わかりました」
このように毎日訓練と仕事の繰り返しである。そのおかげでもともとある程度筋肉がついていた優介の体は訓練と栄養バランスの整った食事でさらに大きくなった。
「優介、お前最近大きくなったな」
「それもこれも軍隊に入らせていただいたおかげですよ」
「それはよかった。ところで、お前、恋人はいるのか」
「いますが、日本にいますし、最後に会ったのも七年前ですし。それと日本に戻るつもりももうないですし」
「気になっている人とかいないのか」
「いまのところいないですね」
「そうか。じゃあお前にいい話がある。俺のいとこのジェシーがお前の見た目と中身をとても気に入ってな。お前が良ければなんだが、今度フロリダに帰った時に会ってくれ」
「おう。喜んで」
「ちなみにこれがジェシーの写真だ」
「きれいな人だな」
「だろ。それに家事もすべてこなせるし、飯もうまい。それだけじゃなくて新聞記者としてバリバリ働いているんだぜ」
「すごいな」
「だろ。今度帰れるのは三カ月後だから一緒に会いに行こうぜ。どうせ日本に帰らないんだろ」
「ああ。ありがとうトーマス」
「いいってことよ」
三か月後、彼はトーマスと一緒にフロリダに行き、ジェシーに会い、三カ月の交際の末、結婚した。
「おめでとう優介。これで俺たち親戚だな」
「ありがとうトーマス。これからもよろしくな」
しかし、幸せはそう長くは続かないものである。その数年後、朝鮮戦争がはじまり、トーマスと彼は出撃し、優勢だったのだが、ある日トーマスは敵軍に撃ち殺されてしまう。
──ドキュン。
「うっ」
「大丈夫かトーマス。しっかりしろ」
「優介、俺はもうだめだ。傷口からこんなに血が出てるし、そもそも傷も大きい」
「何言ってるんだよ。帰ったらキャサリンと結婚するんだろ」
「それも無理だ。さらばだ優介。キャサリンに宜しく頼む」
「トーマス」
トーマスは旅立った。僅か三十二歳の若さで。
彼の頭の中には同期の桜が流れる。ああ、トーマスは死んだんだ。
しかし、そんなのんきなことは言っていられない。戦局が悪化しては困る。それに、死んだとしたら、ジェファソン長官に申し訳ないし、死んだトーマスに天国で顔向けできない。
彼の心の炎は烈火のごとく燃え上がった。やるぞ。俺はやるんだ。
その後彼は何十人、いや、何百人と殺しまくった。かつて人を殺すのが怖いと言っていたが、そんなのはお構いなしにだ。
最終的に朝鮮戦争は終了し、彼はよく活躍したという事で勲章を授与された。かつて金鵄勲章を授与されることを望んだ彼としては、とてもうれしかった。
しかし、そんな彼のもとに悲しい知らせが届く。彼の母が死去した。そうジェファソン長官から告げられた。彼の存在は日本にも知られており、一部の者は彼の事を売国奴と罵った。
彼の頭には上海便りと九段の母が流れる。母上は戦績を知っておられただろうか。どうせなら米軍に入らず日本に帰って父のあとを継げばよかった。しかし、そういってももう遅い。悔やむぐらいなら天国の母に顔向けできるほど軍隊で活躍して、天国で褒めてもらおう。そう彼は誓うと、ますます戦争に力を入れた。
その後も彼は活躍しまくった。そして、ついに退官か、長官のようになるか迫られた。
意外なことに、彼は長官になることを選んだ。トーマスの分まで頑張りたかったからである。その後もますます活躍した。
ある日突然、ジェファソン長官に呼ばれた。
「優介、お前は今すぐ退官しろ」
「なんでですか」
「俺と同じ思いをしてほしくないからだ」
「どういうことですか。さっぱりわかりません」
「つまりだな、もしお前が今後命令に失敗して多数の死者を出した場合、我々の優秀な部下を失い、彼ら彼女らの遺族から責められるだけでなく、国際世論からも批判を浴びることになる。わかるな」
「はあ」
「だから今すぐ退官しろ。これがわしの最後の願いだ」
「承知しました」
その三日後に、ジェファソン隊長は死去した。すぐに葬儀が執り行われ、優介は弔辞を読んだ。彼の弔辞は、ジェファソン長官の業績を称える内容と、彼に人生の指南をしてくださったことを感謝する内容だった。
その後彼はすぐに退官し、ハワイに移住した。
妻の反対があったものの、ハワイに移住するのは、ハワイに住むのは彼の長年の夢だったのだ。そして、彼はハワイに庭付きプール付きの豪邸を、若い頃の投資で稼いだ貯蓄の一部を使って買い、昼はビーチでサーフィンをしたり、日本人観光客と話したりし、夜はビーチで自分で焼いたロブスターを食べる。そんなのんびりした生活を送った。
彼の庭ではレコードが流れる。憧れのハワイ航路である。日本人観光客から教えてもらった。終戦直後に大流行したのだとか。岡晴夫の甘く透き通った美しい歌声は彼や彼の妻、さらには彼の娘息子、孫まで魅了した。その後も日本人から様々な曲や歌手を教えてもらってはレコードを買った。上海帰りのリル、アイルランドの娘、青い山脈、お富さん、煌めく星座、などなど。中には戦後の物もあったが、戦後に流行したのと、彼自身戦前は軍歌しか聞かなかったので全くそれらを知らず、むしろ魅力的に感じた。それらの曲に合わせてウクレレやスチールギターも弾いたりした。
一方妻は、料理やガーデニングに勤しんだ。その甲斐もあってか、料理の腕はプロ顔負けになり、観光客や地元住民用の店をオープンするほどである。その一方でガーデニングの方も負けておらず、ハワイ随一と評されたこともあった。
息子や娘は、大学生になるとともに単身アメリカ本土へ渡り、ハーバード大学やマサチューセッツ工科大学に進学した。彼は妻と共にそのことを大いに喜び、かつての投資資金の一部から学費を全額払った。それでも金融財産は底を尽きるどころか、むしろ増え続けた。
その数年後、彼の娘息子は無事大学を首席で卒業し、すぐ結婚し、
その十数年後、彼らの仕事がひと段落ついたので、十代の孫が遊びに来ることになった。
「やあお父さん。久しぶり。彼が息子のジョンだよ」
「チョリーッス。ジョンでーす。よろぴくー」
「こらジョン。おじいさんにむかってなんという口の利き方だ」
「いーじゃんおとんまじキビー」
孫はかつての戦友の義昭を彼に思い出させた。孫も義昭と同様、チャラついた言葉を使い、髪は金髪で長く伸ばし腋毛やすね毛はきれいにそられており、派手なアクセサリーを全身に着けている。ちなみに、チャラついた言葉を使うのも、息子が結婚してすぐ日本で仕事することになり、日本に移住していたからであり、そういうわけで、子育てが忙しかったり、息子の仕事が忙しかったりと、なかなか帰るに帰れなかったので今になってようやく会いに来たわけである。ちなみに、娘一家はイギリスに住んでいる。
「ところでジーちゃん。俺っち今ハマってる曲あるんだよねー」
「こらジョン」
「何だ。教えてくれ」
「これだよ」
彼は祖父のレコードプレイヤーに持ってきたレコードを設置し、レコードは回り始めた。
「晴れた空、そよぐ風、港出船の、ドラの音たのし」
「憧れのハワイ航路か。わしも昔よく聞いたぞい」
「私もですよ父さん」
「親子三代で聞いてるって、まじスゲーじゃん」
「こらジョン」
「はいはい」
優介はうれしかった。日本の懐メロがブームであり若い人に浸透している。彼はうれしくてうれしくてたまらなかった。
「ジーちゃんの武勇伝聞かせてくれよ」
「こらジョン」
「まあ、いいよ。きかせてやろう」
「待ってました」
「じいちゃんはな、昔米軍の航空部隊を全滅させたことがあるんじゃよ。しかも連戦で。まあ、アメリカ軍長官になったワシがアメリカ軍を全滅させたとは、たいそう矛盾した話じゃが」
「すげー。もっと聞かせてよ」
「こらジョン」
「はーい」
「まあいいぞい」
彼はこれまでの人生を孫に淡々と話し始めた。孫はうんうんうなずいて興味深そうに話を聞いてくれる。息子も妻も興味深そうだ。
話を終えたところで孫がぱっと口を開いた。
「すごかったよじいちゃん。いや、おじいさま」
「じーちゃんでいいよ」
「ところでジーちゃん。さっき話してくれた話映画にしない」
「そんなことできるのか」
「うん。できるよ」
「じゃあよろしく頼む。金はいくらでも払う」
「そんな大げさな」
そう、こう見えて彼の息子はいっぱしの映画監督であったのだ。
彼の孫は聞いた話をもとにさっそく映画作りに取り掛かる。
そして三か月後、映画が完成した。
映画を見るなり、優介はボロボロと涙を流した。ああ、これが我が人生なのかと感じた。
敵の飛行機を攻撃しまくった青春、捕虜になり米兵となった青年期、そして、息子や娘と暮らした壮年期、彼は改めて人生のすばらしさを実感した。
エンドロールでは小さな竹の橋が流れた。彼が涙したように、彼の息子、娘、さらには孫たちも涙した。息子たちも、ああ、父さんの人生はこんなに素晴らしかったんだと実感したのである。
「わが孫、いや、ジョンよ・・・ありがとう」
「おう。今後ともよろしくな、ジーちゃん」
その冬、彼は急に体調を崩した。
「う、あああぁぁぁぁぁ」
「あなたっ」
「父さん」
「じいちゃんっ」
その後すぐに彼は帰らぬ人となった。すぐに葬式が執り行われ、ハワイの墓地に彼は眠ることとなった。
彼の葬儀には、軍の人々だけでなく、多くの退役した彼の仲間、さらには二次大戦中の彼の仲間や部下も駆け付けた。
「優介……」
多くの人が彼の死を偲んだ。
十年後、彼の家族が墓参りに集まった。
「じいちゃん、いい人だったなあ。俺がチャラついた言葉で話しても怒りもせず話をしてくれたし」
「そうだなぁ。大学の学費も全部出してくれたしなあ」
その後彼の息子たちはフィリピンのとある島を訪れた。慰安旅行である。
現地のフィリピン人に英語で挨拶をする。
「やあ、こんにちは」
「やあ。あなたのお名前は」
「西島計介です」
「おお。ミスター西島の」
「私の事をご存じで」
「いいえ。この村に半世紀ほど前に西島という日本人が来て」
「おお。それは私の父です」
「そうですか。息子さんにお会いできてよかった」
「父はどんな感じの人でしたか。なんせ子供時代も父は軍の仕事で忙しくて」
「あなたの父はとても闘志に燃えた人でね。日々の激戦で疲れつつも、目だけは輝かせていたよ」
「そうですか」
「その後お父さんはどうなったんですか」
「あの後父は米軍に入って勲章まで受け取っています」
「それはよかった」
「ええ」
その後彼らは父の生家を訪れた。当時と比べてどうかは分からないが、とても立派であった。家からは年齢から判断するに彼の弟らしき人物が出てきた。
「あの、どちら様ですか」
「西島計介です。西島優介の息子です」
「ああ、兄さんの。どうも、西島丈一郎と申します」
「お兄さんの事はご存じで」
「当り前じゃないですか」
「いや、二十年程度しか一緒にいなかったので殆ど記憶がないか忘れていると思っていました」
「それはないよー。仮にもいっぱいお世話になったし、米軍に入った後も一時期支援してもらったし」
「そうなんですか。父からは一切話を聞いていなかったですし。なんならお会いしたこともありませんし」
「僕も生前に兄さんと君たちと会うべきだったんだけど、なんせ仕事が忙しかったもんで」
「そうなんですね。ちなみにご職業は」
「今は引退してせがれに後を任せていますが、国会議員をしていました」
「そうなんですね。私自身日本に住んでいながら議員をしているとは知らなかったので申し訳ないです」
「君が謝ることないよ。なんせどちらかと言えば裏方的存在で、表舞台に出ること全くなかったからね」
「ちなみに、先程おっしゃっていた、支援して頂いたとは何ですか」
「ああ、そのことね。話せば長くなるんだけど、戦後父と母は公職追放に遭ってしばらくくすぶっていたんだけれど、その後すぐ復活してね。私は当時若かったから、父の後は継ぎたくなくてね、なおかつ兄も売国奴って世間で叩かれてね」
「そうなんですね」
「それで婿養子に入って建設会社を作ったんだけど、経営面でしくじってしまってね。首が回らなくなってどうしようもなくなった時に兄貴から電話がかかってきてね。お前最近会社の方はどうだって。その時に正直に上手くいっていないと言ったら、翌日に口座に四千万振り込まれててね、その後会社は順調に成長してね。三年後には兄貴にそっくりそのままの金額を返したよ。その後になぜだか急に議員をやってみたくなっちゃってね。父に頭を下げて、勘当を解いてもらって議員になったわけさ」
「なるほど。丁寧にありがとうございます」
「いえいえ」
「ところで今は幸せかい」
「ええ。どうしてですか」
「兄貴がいつも俺に聞いてきたのさ。しんどい時にこの言葉を思い出して頑張ったもんさ」
「なるほど」
計介はふっと丈一郎の金時計を見つめる。時間は五時半を指している。その後丈一郎のふかす葉巻の煙が空に昇っていくのにつれてだんだんと空を見上げると、日が沈みかけており、青い世界が広がろうとしていた。
空にはきれいな青く光る一番星が見える。ああ、父さんは死んだんだ。