YOU WIN!
喜ぶべきなのだろう。モニターに映し出された文字を見ながら、そう思う。しかし、胸の内に広がるのは、風が虚を嘆きのような音を立てながら通って行く……そんな感覚だ。
今の人は……ああ。アメリカの人か。Thank youくらいは送っといた方がいいかな。キーボードに手を伸ばす。その時、メッセージの着信音が届いた。さっきの対戦相手からだ。先を越されちゃったかな。キーボードの設定を変更しつつ、受信欄を開く。
『Mother(クソ) fucker(野郎)!!』
その文言が目に飛び込んできた瞬間、手早く受信欄を閉じる。もう慣れたものだ。その後にも長々と文言が続いていたが、読む必要性は感じない。どうせ『豚のクソ喉に詰まらせてくたばっちまえ!』とかそんなところだろう。大体予測できる。何せ、もうこんな生活を半年は続けてきたのだ。
「……野郎じゃないし」
乙女だし。という言葉を飲み込んで、パソコンの画面を閉じる。「ぷふぁあ」なんていう気の抜けきった声を上げて床に寝転んだ。
「……どーして、こんなになっちゃったんだろ」
壁の方に目を向けた。そこには、一枚のポスターが貼っている。鎌を持った、紫と黒を基調としたドレスに身を包んだ女の子……我が愛しのスミカちゃんの姿と共に、あるタイトルが印刷されていた。
CROSS RISE
クロスライズ。ほんの半年前までは、熱狂を意味した……だが、今となっては無為を意味するそのタイトルを、あたしは睨みつけた。
ユウカちゃんの泣き顔が頭に浮かんだ。表情が歪んでいくのが鏡を見なくとも分かる。
「ホントにどーして……」
その続きは、喉の奥に落ちて消えていった。代わりに涙が溢れる。
親の顔を見ていないのはいつからだろう? テレビを見ていないのは? 学校に行っていないのは?
毎夜、そう思っては泣く。その涙のおかげで夜は眠れない。犠牲になるのは昼だ。太陽と言ってもいい。
本当に、楽しかったのにな。
クロスライズ……今やクローゼットの中に詰め込まれているカード達を思い起こし、再び涙した。
*
クロスライズがいつから世界に広まっていたのかは、今となっては誰にも分からない。弓がいつの間にか人類に射られていたように、クロスライズもいつの間にか人類に遊ばれていたのだ。
クロスライズが、何なのかをまず説明しなければならない。クロスライズは、世界最大のシェアを誇るトレーディングカードゲームである。ユニット、スペル、クロスという三種類のカード群を自由自在に四十枚組み合わせることでデッキを作り上げ、それを用いて戦う対戦型カードゲームだ。
あたしがクロスライズにのめり込んだのは小学三年生の頃だった。要するに、六年前。当時は、あたし達の周りで空前のクロスライズブームが巻き起こっていた。その熱に当てられて、あたしはクロスライズに触れたのだ。でも、きっとそれだけなら、その他大勢と一緒に一年もすればクロスライズを忘れていただろう。
あたしが、もはや狂気的とも言えるほどにクロスライズという底なし沼に嵌っていったのは、確実にスミカちゃんのせいだった。
と、言っても、スミカちゃんは現実に存在する女の子ではない。彼女はクロスライズのカード……先程の三種類で言えばユニットに属するカードであり、その中でもデッキの中心的存在となるアバターユニットというカードの一種類だった。実に六年前のカードながらも、美麗なイラストで人気が高く、効果も強力で、現在のカードと比較しても第一線で渡り合えるだけの性能を誇るカードだった。
偶然スミカちゃんをパックで引き当てて、その姿に一目惚れし、すぐさまデッキのアバターユニットに設定してからというもの、あたしは同学年の中では負けなしになった。こんなことを自分で言うのも何だが、プレイングも上手かったのだと思う。実際、カードショップの店舗大会にもしばしば出場し、中高生、時には大人まで含めた中で優勝したりもした。それも、スミカちゃんを軸にしたデッキのパーツがロクに揃っていなかった時に。
中学生になっておこづかいの金額が跳ね上がると、あたしはいよいよデッキのパーツを揃えだした。カードショップのショーケースの中の、スリーブに収められた、光り輝くカードを買ったときの興奮は、今でも忘れられない。こうして、俗に「Tier1」だとか、「環境デッキ」だとか呼ばれる、強力なデッキを手に入れたあたしは、店舗大会はもちろんのこと、公式大会にも顔を出すようになっていた。
それに、中学生になってからは、共にクロスライズをする友人ができた。それがユウカちゃんだ。大切な友人ではあったが、顔を思い出すことができない。髪が長くて、かわいい感じの女の子だったことはよく覚えている。確か、防御的なデッキを使っていたはずだ……。
「……やめよう」
頭がズキズキと痛む。昔のことを思い出すときはいつもそうだ。ここで終わる。きっと、現在の落ちぶれた生活の理由がそこに詰まっているからだ。
あたしが引きこもり始めてからというものの、何回か学校の先生や、カウンセラーらしき人が来たりした。別に話すのは嫌じゃなかったし、あたしだってこの生活からとっとと抜け出したいと思っていたから、今思い出したようなことを話した。その度、私は泡を吹いて倒れたらしい。ユウカちゃんが出てくるところにさしかかってからだ。曰く、心を守るためだとか、そんなことらしい。まぁこんなことはどうだっていい……。
もしかしたら、やめ時なのかもしれない。いっそのこと、クロスライズから離れてしまえば……今持っているカードを全て売りに出し、パソコンにインストールした、モバイル版クロスライズをアンインストールすれば、あたしは新しいスタートを切ることができるのかもしれなかった。
けれど、それをしてしまったら、これまでのあたしの支柱が丸ごと消えてしまう。ネットゲーム中毒者が、ゲームをアンインストールされた所、首を吊って自殺したなんていう話がある。あたしもそうならないという保証はどこにもなかった。
それに、パチパチ、パチパチという、火花のような音が脳の奥からする。何の音なのか……それは思い出せない。しかし、あたしをクロスライズに呼び込んでいるものの一つがこの音だということは確かだ。その音に引き連れられるようにして、スミカちゃんの姿が思い浮かんだ。
「スミカちゃんを捨てるわけには……いかないよなぁ」
結局はこの結論に至る。もはや諦念に近い感情を抱きながら、あたしはベッドに横になった。だが、その程度で眠ることができるのであれば苦労などしていない。ぱっちりと開いていて、未だ閉じそうにない目を、窓の外に向けた。
きれいな満月が空に浮かんでいた。薄く、青みがかった白い月……優しい光が家々を照らしていた。ぼーっと、窓の外の光景を眺める。どこの誰とも知らない家の屋根……赤、黒の……。そしてその上を疾走する人影……。
疾走する人影?
あたしは勢いよく飛び起き、窓に張り付いた。試しに目を擦る……消えない。幻覚じゃない。頬をつねる……痛い。夢じゃない。あの人影は現実のものだ。あたしは注意深くその人影を観察した。シルエットからすると男らしい。そして服装はスーツだ。それも白い。月光がよく映える。しかも仮面を着けている。段々と、趣味の悪いネクタイやスーツの裏地の柄まで見えるようになってきた。
……というか、あのスーツ野郎、こっちに向かってきていないか?
流石に気のせいだろうと思ったが、どうやらその予想は正しいらしい。白スーツの男はパルクールもかくやという華麗な身のこなしでこの家に、いや、この部屋に向かって驀進していた。あたしは恐怖に突き動かされるままに窓から離れ、なぜか部屋にあった金属製バットを握りしめ、迎撃準備を整えた。もちろん、窓の鍵は掛けている。もう、窓から離れていても白スーツの男は視認できる位置にいた。
来るなら来い! ぶん殴ってやる!
そう心の中では思っていたが、本当にこの部屋の中に突入してくるかどうかは半信半疑だった。窓を蹴破ってまで侵入してくるとは思えなかったからだ。そろそろ足を止めるのではないか、それとも別方向へ走り去るのではないか。期待していたが、そうはならなかった。白スーツの男は、この窓から見える最も近い屋根から、こちらに向かって飛んだ。世界体操金メダリストでもこうはいかないであろう完璧なフォームで。そして、あわや窓にぶつかるというところで、一閃、男が右手を振った。瞬間、窓が真っ二つに割れて落ちる。白スーツの男は、そうしてできた隙間を通って、あたしのベッドの真上に音もなく着地した。
「……土足で失礼」
やたらと美声なのが気に触った。恐怖で震え、声も出せないあたしに、男は言う。
「君は、鈴島スミレでよろしいかな?」
白スーツの男は、あくまでも優しげに、そう尋ねた。あたしは、声を発することができないながらも首を縦に振る。
「……そう震えるのも無理はないが、まずは落ち着いてほしい。私は君を襲いに来たわけじゃない。君を迎えに来たんだ」
「……何、言ってんの?」
「おや、聞こえなかったのかな。ならばもう一回。クロスライズ第四回ワールドカップチャンピオン、鈴島スミレ。私は君を迎えに来たんだよ」
*
溢れる歓声。称賛の言葉。どれほどそれらが重なろうが、あたしを満たすことは決してなかった。
あたしがワールドカップで優勝したのは半年前……丁度、この引きこもり生活に突入する直前だった。十四才という史上最年少での優勝は、界隈を沸かせるには十分な出来事だった。当然、クロスライズ界では、結構な有名人になった。今でも、ネットで自身のことを調べてみると、『消えたチャンピオン』なんてサイトが登場する。
そんなあたしを、この白スーツの男は迎えに来たのだという。
「さぁ、スミレ! 私とともにクロスライザーの世界へ踏み出すんだ!」
白スーツの男はこちらに手を差し向けて、ハリのある声で言った。この声で両親が起きてこないかと期待したが、ウチの両親は、一度眠ると中々起きないことに定評があった。
「待って……。勝手に話を進めないで。訊きたいことがいくつもあるの。まず、あなたは誰? 人の部屋に勝手に踏み込んでおいて自己紹介もしないなんて無礼にも程があるんじゃないの?」
そう言うと、白スーツの男は大層驚いたように身を竦ませ、こちらに向けていた手を引いた。
「……これは大変失礼した。私はクロスライザー、『ソリティア』と呼ばれている」
ソリティアは、優雅に礼をした。
「えーっと……それを聞いてもまだ何も解決しないんだけど……。そもそも、クロスライザーって何?」
「真のクロスライズプレイヤーの称号だ」
「……あっ、もしかしてアニメ版のキャラのコスプレだったりするの? あたしアニメは全然見てないから分からないんだよね」
この男がコスプレをした変質者であるならば、まだ何とか現実というレイヤーに落とし込める。内心、そうであることを期待していた。
「いや、違う。全く関係がない。……嫌だろ、カードゲームアニメのキャラクターの名前が『ソリティア(1ターンキル)』って」
割合常識的な様子でソリティアは答えた。その様子と見た目のミスマッチがさらなる不気味さをもたらしているのに、彼は気づいているのだろうか。
「……あたしの家はどうやって知ったの? それと、その窓はどうやって……?」
ソリティアは、テーブルの上に置かれたパソコンを指さした。
「君はモバイル版クロスライズのプレイヤーだろう? そのアカウントから諸々のSNSにアクセスした。私は君の住所、電話番号、果ては検索履歴までその全てを把握している」
お巡りさん!! そう叫びたかった。
「そして、窓をどう切断したのかという質問に対してだが……」
ソリティアは、ベッドから降り、あたしの方へ二、三歩進んで、右手に持ったカードを差し出した。
「……『古の剣豪 ヨウマ』?」
「効果を読んでみろ」
「……『このユニットが防御力五千以上のユニットと交戦するとき、交戦する代わりにそのユニットを破壊する』……これがどうしたの」
当然、このカードの効果は知っていた。能力値は低いものの、この効果によって、上手く使えば相手の大型ユニットを封殺することができる優秀なユニットだ。
「……あそこに『クリスタルウォリアー』がいた。以上だ」
ソリティアは、親指で窓ガラスを指し示しながら言った。
『クリスタルウォリアー』。最初期のブースターパックに封入されていた効果なし(バニラ)ユニットだ。その防御力は六千。確かに、『古の剣豪 ヨウマ』で破壊できる……いや、ちょっと待て。
「その説明で納得するとでも思ってるの?」
「その通りだとも。まだ証拠が必要なら……ふッ!」
ソリティアは、目で追えない程のスピードで、あたしが持っていた金属製バットにカードを投げた。バッドは真っ二つに切り裂かれ、その後、カードは傷一つ付かないようなふわふわとした軌道で床に舞い落ちた。そのカードは『デストラクション』。効果は、『相手プレイヤーのフィールド上にあるクロスを一枚破壊する』。
ここまでされると、納得するしかない……いや、どれだけ見せられようが納得できるものではないが、とにかく納得するしかない。
「……話に戻るが、君には、私と共に、クロスライザーとなってほしい」
「またその話? そもそも真のクロスライズプレイヤーって一体……」
「……ふむ、百聞は一見にしかずとも言う。見せたほうが良いか。スミレ、少し立って、この仮面の目の部分を見てくれ」
さっきから、初対面の人間のことを呼び捨てにするなよ。そう思いつつも、あたしは、もう応対するのも面倒になってきていたために、言われるがまま従った。仮面の目の部分を見る。照明の関係か、瞳を見ることは叶わなかった。
「ねぇ、これで何が」
「クロスライズ!!」
あたしが言い終わらない内にソリティアが叫んだ。途端に、視界を閃光が照らした。ソリティアの姿も、慣れ親しんだ部屋も消える。気づいた時には、あたしは宇宙のような空間に投げ出されていた。
動転し、体のバランスを崩す。重力がないのか、ふわふわと体が舞った。
「まずは落ち着くんだ。平静を保て。そうすれば、普段と特に変わらないように行動できる」
ソリティアの声が響いた。思えば呼吸もできている。この空間には空気があるらしい。つまりここは本物の宇宙ではないのだ。そう思うと、先程まで荒々しく昂ぶっていた動悸も収まっていく。ぷかぷかと浮いていた体も、いつしか地に足が付いていた。最も、地面が見えないので、おかしな表現であるといえばそうなのだが。
「……ここは一体何なの?」
「クロスライザー・フィールドだ」
「名前じゃなくて、詳細を教えて。ワケわかんないから」
「……クロスライザー・フィールドとは、クロスライザーの素質を持つもの同士が目を合わせた状態で暗示をかけ、独自の脳内麻薬を分泌することによって展開される空間だ。つまり、今のこの状態は、二人の人間が全く同じ幻覚を見ていると思って貰えれば問題ない」
「脳内麻薬……幻覚?」
「中毒者も、禁断症状を発症させた者も今のところいないから、安心してくれていい」
『今のところ』という部分が多分に気にかかるが、とにかく納得した。
「で、これが一体どうしたの?」
「私達クロスライザーは、日々この空間でクロスライズをプレイしている」
「……どういうこと?」
「今は対戦用フィールドを展開していないが、もしこれが対戦用フィールドであれば、五秒と経たずにクロスライズが始まるのだ。そして、クロスライザーの素質を持つ者は、世界中に何千、何万といる。その者達は皆、人目につかない場所で、日々フィールドを展開し、対戦に勤しんでいるんだ」
思わず圧倒されそうになるものの、慌てて反論した。
「なんでそんなことをする必要があるの? クロスライズをしたいのなら、そのままカードを使えば……」
ソリティアは、あたしの肩を掴んだ。
「……君も、クロスライザー・フィールドでの対戦を経れば理解できるだろう……。あの快感を知ってしまえば、もう通常のクロスライズに戻ることは不可能だ」
そして、とどめと言わんばかりに、ソリティアは告げた。
「時に……君以外のチャンピオンはどうしているのかね?」
あたしは、弾かれたような衝撃を受けた。頭の中に浮かんだのは、自身のことをインターネットで調べた際に現れた、『消えたチャンピオン』。
あそこに載っているチャンピオンは、あたしだけではない。歴代のクロスライズワールドカップチャンピオン全員が載っているのだ。
「……まさか、その人達は全員」
「ああ。今や全員がクロスライザーだ」
「……!!」
あたしは、何も言い返すことが出来なかった。
「……言い忘れたが、私はスカウトの役割を負っている。見込みのあると判断した優秀なクロスライズプレイヤーをクロスライザーにする役目だ」
「……それは、予測できてたよ」
「ま、そうは言ってもこちら側に来てもらえるかどうかは別の話だ。だが、今回は確実にこちらへと来てくれると確信している」
「……どういうこと?」
「生島ユウカ、と言えば分かるかな?」
分からないはずがない。しかし、あたしは言葉を発することも、首を振ることもできなかった。まさか、ユウカちゃんがクロスライザーに……!? 違う、そんなはずはない。だって、ユウカちゃんは……。
「ユウカちゃんは、もうクロスライズをやめたはず……」
チャンピオンの座を手に入れたことを思い出したからか、今やはっきりと思い出した。
「もう、いいんだ。十分楽しんだよ」
そう言って、あたしに背中を向けるユウカちゃんの姿。
待って……。あたし、チャンピオンになったんだよ。もっと強く……。だから……。あたしの消え入るような叫び声にも耳を貸さずに、ユウカちゃんは、
「私は、スミレちゃんとは違うから」
それだけを言い残して去っていった。
「復帰したなんて……そんなはず」
「……どうだかね。カードゲームのクロスライズと、クロスライザーが言うクロスライズは、似ているようで全くの別物……ユウカさんも、魔力に取り憑かれたのかもしれない。……私達と同じように」
あたしは息を飲んだ。それは……期待からだった。
クロスライザーになれば、ユウカちゃんと再会できるかもしれない。仲直りも、できるかもしれない。それに……。あたしは再び、ゴクリと息を呑んだ。ソリティアが〝魔力〟と形容したほどの、真のクロスライズ……それに、単純に興味がある。
「……ソリティア」
口が勝手に動いていた。ソリティアは、こちらに仮面を向けた。もう答えは知っているようだった。
「あたしを、クロスライザーにして!」
瞬間、あたしは元の部屋に戻っていた。ソリティアに手を掴まれて、引っ張られる。
「よく言ってくれた! 私達は君を歓迎しよう! さぁ、行くぞ! 新たなる天地へ! さぁ、さぁ!!」
張り裂けんばかりに、ソリティアが叫ぶ。
「ちょ、ちょっと待って! 声抑えて! お母さんたち起きちゃう!」
「フハハハ! 心配することはない!」
階段を駆け上がるような足音が聞こえた。
「とうに起きている!」
その言葉と共に、あたしはソリティアと窓の外へ飛び出した。陰鬱な部屋の、その向こうへ。
*
時刻は午前十時を過ぎていた。あたしはフードを目深に被り、ソリティアと共に地下鉄の駅を歩いていた。平日の昼間ということもあってか、殆ど人がいなかった。
「いた、彼だ」
「……ソリティア?」
弱々しい、嫌に老いた声が響いた。ソリティアが指さしたその男の姿を見て、あたしは思わず身じろぎした。
恐ろしく痩せた、中年の男だった。栄養が足りていないのか、肌は黄色がかっている。髪は無造作に伸びきっており、襤褸切れのような服を身にまとっている。彼は呻きのような声を微かに発すると、血走った目であたしのことを見つめた。
「……間違いない。こいつだ」
綿貫は、下卑た笑みを浮かべた。あたしは、助けを求めるようにしてソリティアの方を向いた。
「……この人は?」
「君の対戦相手だ」
半ば予想できていた答えが、間髪入れずに返ってきた。
「……おいッ、何ボサッとしてんだ!」
綿貫が、その痩身に似合わない声で叫んだ。
「……で、でもあたし、初めてだから……」
ソリティアがあたしの肩に手を置いた。
「心配することはない」
「なんで!」
「じきに分かる。とにかく、君は『クロスライズ』と叫ぶだけでいい」
それだけ言うと、彼は背中をポンと押した。恐る恐る顔を上げる。綿貫の気味の悪いニヤケ面が眼前にあった。
「ようやく、この時が……」
綿貫が、思い切り息を吸い込んだ。この男が次に言うセリフはすぐに思い浮かんだ。不安、緊張、そして期待を胸の内で昂ぶらせながら、あたしはその言葉を口にした。
「「クロスライズ!」」
二人の声が同時に響いた。あたしの視界を閃光が照らした。
*
あたしの頭の中に、激流のように情報が流れ込んでくる。ソリティアが、心配しなくてもいいと言っていたのはこのためか。それはこの空間での対戦のルールだった。
① デッキ枚数は四十枚。同名カードはデッキに三枚まで入れてよい。
② 禁止カードリストのカードは、同種のカードを複数枚使用しない限りは、自由に使用してよい。
③ 初期手札は五枚。フィールドに設置できるユニット及び設置型スペルは五枚まで。尚、フィールドにはゲーム開始時点でアバターユニットが存在する。
④ 先攻、後攻はゲーム開始時にランダムで決定される。ターン開始時に、デッキから一枚カードをドローしてもよいが、先攻一ターン目にはターン開始時のドローはない。また、先攻は一ターン目には攻撃することができない。
⑤ 各プレイヤーが保有しているエナジー(注:カードを使用する際に支払うコスト)は十ポイント。そのプレイヤーのターン開始時に補給される。
⑥ ターンは、ドロー、カード使用、ユニット同士の交戦、カード使用、終了という流れで構成される。
⑦ アバターユニットのライフがゼロになるか、山札の枚数がゼロになった時、そのプレイヤーは敗北する。
⑧ 種類別のカードの説明を付記しておく。
ユニット:コストを支払い、フィールド上に召喚する。それぞれ攻撃力、守備力、特殊能力を保有する(注:特殊能力については保有しない場合もある)。また、ユニットによっては、種族を持っている場合もある。ユニット同士の交戦では、攻撃側ユニットの攻撃力が防御側ユニットの防御力以上であれば、攻撃側ユニットの勝利。防御側ユニットは破壊され、トラッシュ(注:破壊されたユニットやクロス、使用済みのスペルが送られるエリア)へと送られる。攻撃済みのユニットはスタン状態になる(注:スタン状態のユニットは攻撃できない。スタン状態は次の自分のターンの初めに回復する)。
また、通常のユニットとは別に、ターン開始時からフィールドに設置されているアバターユニットが存在する。アバターユニットにはコスト、防御力が存在しない代わりにライフが存在する。アバターユニットはフィールドを離れない。ユニットが、アバターユニットを攻撃する際は、ユニットの攻撃力分、アバターユニットのライフを減らす。
スペル:コストを支払って、記載されている効果を発動する。使用後はトラッシュに送られる。また、通常のユニットと同じようにフィールド上に存在し続け、効果を発動し続ける設置型もある。
クロス:ユニットに装備するカード。ユニット、スペルとは別のゾーンに置かれる。一度にフィールドに出すことができるクロスは五枚まで。
……制限付きとはいえ、禁止カードを使用できるということ以外は、通常のクロスライズとそう変わらなかった。だが、この違いはあまりに大きい。ゲーム性を崩壊させるようなパワーカードが使い放題ということだ。ゲームスピードも通常とは比較にならないものになるだろう。おそらく、ゲームエンドは二ターン目から三ターン目。1ターンキルも視野に入れなければならない。
……好都合だ。思わず笑みが浮かぶ。あたしが愛用してきたデッキは、一ターン目に殆ど勝負を決める。そういうデッキだった。
クロスライザー・フィールドがあたしに語りかけてくる。
『デッキ構築終了まで、あと一分』
急がなくてはいけない。幸い、デッキの構成は殆ど弄らなくてよさそうだ。現在環境へのメタカードをいくつか抜いて、そこに禁止カードを投入すればそれで完成する。三秒もかからずに、デッキは完成した。
デッキリスト
『黒衣の巫女 スミカ』
『黒刃の狩人 スミカ』
『脳喰らい ギーグ』×三
『召喚士 ヨハン』×三
『マシンナーズビークル弐式改』×三
『狂戦士 バッツ』×二
『工作兵 イワン』×二
『ホット・ラン・ビートル』×二
『トレジャーハンター ビドック』×二
『彼岸の影 ナギ』×二
『再起の紋章』×三
『彼岸への門』×三
『蝿の王との契約書』×二
『ワームホール五十八型』×二
『転移地雷 ピースキーパー』×二
『碩学の秘宝』
『禁忌の研究』
『賢者への報い』
『大魔道士の置き土産』
『魂狩 ダインスレイブ』×三
さぁ、ゲームスタートだ。
*
古代ローマのコロッセオ。まず浮かんだ印象はそれだ。砂埃舞う闘技場にあたしと綿貫は立っていた。耳を貫くのは野太い歓声。優に数千人を収容できそうな闘技場は、どこから集まったのか、溢れ出んばかりの観客でいっぱいになっていた。
そして、手には慣れ親しんだ感触……見るまでもない。スミカちゃんのスリーブに入れられたカードが、左手にあった。
何より……。あたしは、恐る恐る隣を見る。そこにいるのは、黒と紫を基調としたドレスを着た、大鎌を持った女の子……間違いがない。スミカちゃんだった。
〝魔力〟……あたしはソリティアの言葉を思い出した。こういうことなのだろうか。これなら、もしかすると、もう一度あの頃に戻れるかもしれない……この心の空洞が埋まって、頭の中で鳴り響く、パチパチ、パチパチという火花の音も止むのかも……。そんなあたしの期待は、綿貫の怒声にかき消された。
「おいメスガキィ! さっさと勝負の準備をしな!」
彼もあたしと同じように、五枚の手札を握りしめ、アバターユニットを傍に従えていた。灰色のコートと帽子を身に纏い、真っ白な、青色の罅が入っている肌をした、大きなケースを持っている男……。間違いない。『暗黒街の黒幕 ギュスターブ』だ。まずい。心の中で舌打ちをする。が、方策を立てる暇すらこのフィールドは与えてくれない。頭の中で、クロスライザー・フィールドが語りかけた。
『あなたは、後攻です』
後攻……。あたしは唇を噛み締めた。どんなカードゲームであっても、基本的には先攻が先に行動できる分圧倒的に有利なのだ。それに、ギュスターブを使ってるってことは……。
「俺のターン! 俺は、『学府 リュケイオン(スペル/設置型/コスト三 効果:各プレイヤーは、ターンの初めにカードを一枚追加でドローしてもよい)』を発動! そして、ギュスターブの効果を発動!」
目の前で、ギュスターブがケースを開く。そこから、スーツ姿の傷だらけの男が飛び出してきた。いつの間にか周囲の景色も、古代ギリシャの神殿のようなものへと変わっている。
『暗黒街の黒幕 ギュスターブ(アバターユニット/ビッグ・ボス 攻撃力5000/ライフ30000 効果:❶コスト二を支払い、このユニットをスタンしてもよい。そうした場合、ギャング・スターを持つユニットを一体、デッキからフィールド上にコストを支払わずに召喚する。 ❷一ターンに一度発動できる。ユニットのアタック時、手札を好きな枚数捨てる。そうして捨てた手札一枚につき、コスト六以下のユニット一体を破壊する)』。
結論から言うと、このユニット自体はあまり強くない。効果❶は デッキからギャング・スターを何であれコスト二を払って召喚できる。ギュスターブがスタンしてしまうという問題点こそあるが、ギュスターブ自身の攻撃力が5000とそこまで高くないために、あまり問題にならない。しかし、肝心のギャング・スターには強力なユニットがあまり存在しない。効果❷に関しては、破壊対象がコスト六以下と、相手の切り札を止めるには至らないことが多い。しかも、手札がなければその効果を発動することすら叶わない。
だが、このアバターユニットを用いたデッキは、度々大会の入賞デッキに顔を出す。その原因は、効果❷の発動条件が手札を捨てることという点と、相手ターンに発動できるという点にあるのだが……。いや、考えている時間はない。あのユニットが召喚されたということは、相手のデッキの黄金パターンが決まることがほぼ確定した、ということだ。頬を汗が伝う。傷だらけの、両手に銃を持った男を睨みつけた。
「俺は、『〝煽り屋〟ジェイムズ(ユニット/コスト三/ギャング・スター 攻撃力4000/防御力1000 相手のユニットは、可能であればアタックする。 【デコイ】{注:デコイを持つユニットがフィールド上に存在する限り、相手ユニットはそのユニットを攻撃の対象に取らなければならない})』を召喚。そして、『知識の激流(スペル/コスト5 手札とトラッシュのカードを全て山札に加えてシャッフルし、その後、カードを五枚ドローする)』を発動、手札を五枚に戻してターンエンドだ!」
「……あたしのターン。ドロー。……ッ」
どこかから現れた光の穴からカードを引く。最悪の展開だ。手札を見て、歯噛みする。このデッキ本来の動きはできる手札だが、それをしてしまうと相手の術中に嵌ってしまう。
あたしの使うデッキは、『黒衣の巫女 スミカ(アバターユニット 攻撃力6000/ライフ30000 効果:❶一ターンに一度、手札を一枚捨てて発動できる。コスト四以下のユニットを、トラッシュから二体まで選び、コストを支払わず召喚する。 ❷このユニットをスタンさせ、ユニットを二体トラッシュからデッキに戻し、シャッフルして発動できる。エナジーを三回復する)』を核としたデッキだ。
まず、『蝿の王との契約書(スペル/設置型/コスト五 効果:このスペルを設置した時、デッキの上から五枚をトラッシュに送る。❶一ターンに一度、ライフを3000払って発動する。相手のユニットを一体破壊する。 ❷一ターンに一度、ライフを1000払って発動する。コスト三以下のユニットを一体、トラッシュからフィールドにコストを支払わず召喚する)』や、『ワームホール五十八型(スペル/コスト四 効果:自身のユニットを一体デッキの一番下に送る。その後、デッキを、そのユニットとコストが一大きいか小さいユニットが出るまでめくる。そのユニットをフィールドに召喚し、それまでにめくったカードを全てトラッシュに送る)』を用いてトラッシュにカードを増やす。できれば、『蝿の王との契約書』を発動しておくのが望ましい。
次に、スミカちゃんの効果❶を用いて『脳喰らい ギーグ(ユニット/コスト三 攻撃力2000/防御力3000 効果:フィールド上の、このユニット以外の自身のユニットをトラッシュに送り発動する。相手の手札を一枚、見ないで選び、捨てさせる)』と『召喚士 ヨハン(ユニット/コスト四/魔道士 攻撃力4000/防御力3000 効果:このユニット以外の自身のユニットが効果が発動した時に発動できる。自分フィールド上の他のユニットをトラッシュに送り、デッキからコスト四以下のユニットをコストを支払わず召喚する。この効果は、このユニットがフィールドに存在する間、一度しか発動できない)』を同時に召喚。そして、『脳喰らい ギーグ』の効果を発動。『召喚士 ヨハン』をトラッシュに送り、相手の手札を一枚捨てさせる。その後、ギーグの効果が発動した際に、連鎖して発動していたヨハンの効果が発動。ギーグがトラッシュに送られ、もう一体のヨハンがデッキから召喚される。
後は、予めユニットを召喚しておいた後、スミカちゃんの効果❷を発動。トラッシュのギーグとヨハンをデッキに戻し、エナジーを回復。そしてヨハンの効果を発動。召喚しておいたユニットをトラッシュに送り、もう一体のヨハンを召喚。そして『再起の紋章(スペル/【フリー】{注:フリーを持つカードは自由なタイミングで発動できる}/コスト二 効果:ユニットを一体選ぶ。そのユニットのスタン状態を回復させる)』でスミカちゃんを回復させ、再び効果❷を発動。それに付随して、ヨハンの効果を発動効果でデッキのギーグを召喚し、ヨハンをトラッシュに送り、また手札を一枚破壊……。
このような流れを繰り返し、手札補充などを絡めながら、一ターン目の内に相手の手札をゼロにするのがこのデッキの基本戦術だ。
今は相手のコストも残っていない。行動を邪魔されることはない。だが……。あたしはギュスターブを見つめた。よりにもよって、相手の使用デッキが手札破壊をされることで動き出すデッキだなんて。加えて、こちらが手札破壊をしなくとも、攻撃することでギュスターブの効果❷が発動。結局動き出てしまう。その上、ジェイムズの効果で攻撃が強制されるため、攻撃をしないという選択をとることができない。どうする、どうする。必死で頭を回す。
「……ヒヒッ、ハハハハ!」
そんなあたしの様子を見ていた綿貫が、けたましく笑い出した。
「……何?」
「打つ手なしって顔だなァ……メスガキィ……」
気味の悪い笑みを浮かべながら、綿貫は言葉を続けた。
「でもそれも当たり前だよなぁ。俺はあの日からっずぅぅぅぅっとお前のことだけ考えて生きてたんだからよぉ。だから当然ギュスターブカウンター組んできてるっての。予測できたことだろ? できてないってことは……俺のことなんて忘れてるってことだな?」
その言葉を受けて、もう一度綿貫のことを見る。薄汚い、やせ細った容姿……こんな人、一回見たら忘れないはず……。
「半年前……ワールドカップ日本代表決定戦だ! 忘れたか! あの時は……あの時は運が悪かった。まさかあんなことでジャッジキル(注:審判から反則負けを言い渡されること)を食らうなんて……」
ジャッジキル。そうだ。思い出した。あたしが一ターン目に全手札を捨てさせた後、震える手でドローしたおかげで山札を崩してジャッジキルを食らった奴がそういえばいた。結局その後普通に勝ってマッチ(注:クロスライズの公式大会では、三本勝負の内、二本先取した選手が勝利する。この三本勝負のことをマッチと呼ぶ)には勝ったけど。
「その後、俺の人生はドブの底に落ちた。女房は実家に逃げたし、娘はトマト投げつけて女房に付いて行きやがった……会社は俺の首を切りやがったし、痴漢の濡れ衣を被せかけられるわ……」
綿貫は私の存在を忘れたかのように、恨み節を吐き続けていた。
「……それで俺はアルプスに向かったんだ。マッターホルンで裸踊りでもして凍死してやろうかと思った……」
どんな話の流れでそうなったんだろう。あたしは話を聞き逃したことを少しだけ後悔した。
「……でもマッターホルンは厳しかった……裸踊りをするような足の踏み場もない……。案の定、俺は滑落した。死の淵を彷徨った……。ソリティアと出会ったのはそんな時だ。彼は俺を救助した。そしてこの世界を紹介した……」
綿貫は、恍惚とした表情を浮かべる。
「今やもう、俺はこの世界の虜さ……。アルプスから帰ってからというもの、ひたすらクロスライズを続けたよ。働き口も探さず、寝食もロクにせず……」
綿貫は、情けない自らの現状をつらつらと述べ始めた。それにしても……。あたしは疑問を抱いた。あたしは、まだ綿貫がこの世界にのめり込んだ、ソリティアが言うところの〝魔力〟をまだ感じていなかった。
「……とにかく、お前に勝ったら俺は慰謝料の三百万もどうにかできるんだ」
考えている内に、綿貫の話は思わぬ場所に着地していた。
「どうにかできるって……どういうこと?」
「……? ああ。そうだったな。このルールはまだ説明されないんだったな」
綿貫は不敵な笑みを浮かべる。
「クロスライザー・フィールドでの勝者は、敗者に一つだけ命令を聞かせることができるんだよ」
あたしは、しばらく声を発することができなかった。衝撃から覚め、初めてしたことは観客席にいるであろうソリティアを探すという絶望的な試みだった。あの野郎! 大事なこと黙ってやがった。
「無駄だよ。はぐらかされるだけだ。八つ当たりをするより、自分の身の心配をした方がいいぜ?」
「アンタ、一体どうするつもり? 例えアンタが勝ったって、あたしは三百万なんて……」
「何を言ってるメスガキィ。お前にはブランクカードがあるだろォ?」
ブランクカード。ワールドカップ優勝者に与えられる、何も選ばれていない白紙のカードだ。そりゃあ相応の価値があるだろうが……。三百万に届くだろうか?
「ブランクカードにはウン億って価値が付く! 少なくとも五億は下らねぇ!」
あたしは目をひん剥いた。五億!!
「そんな金がありゃあもう遊んで暮らせる! メスガキ! 早くターンを進めな! お前の負けは決まったようなモンなんだからよ!」
あたしの脳味噌は、かつてない程に回転していた。考えろ、考えろ、考えろ。手札破壊がダメとなれば、元々セカンドプランに据えていたビートダウンで戦うか? 論外だ。相手のデッキのギミックは攻撃で発動する。それに、あたしのデッキのユニットは殆どが六コスト以下。ギュスターブの効果で破壊されてしまう。だったら手札も削らず、攻撃もせずに倒さなければならない。バーンカード(注:ライフを削る効果を持つカード)を使うか? それともライブラリアウト(注:山札切れの意)を狙うか? 前者については不可能ではないが、後者については不可能だ。せめてクロスをスミカちゃんに装備させておきたかったが、手札にないのではそれも不可能だ。
正直言って、ブランクカードはどうでも良かった。見ていても虚しくなるだけだ。だが、それに億単位の価値があるとなれば話は別だ。今のあたしを突き動かしているのは中学生にあるまじき金欲だった。
「……『碩学の秘宝(スペル/コスト二 効果:デッキからカードを三枚ドローし、その後手札を二枚トラッシュに送る)』を発動」
クロスライズの全カードの中でも三本の指に入る強力スペルだ。たった二コストで三枚のデッキ圧縮と二枚のトラッシュ補給ができるという恐ろしいまでのコストパフォーマンス。当然禁止カードである。
……クソっ。三枚引いても、この状況を打開できるカードは引けなかった。しかも、ユニットが手札に二体存在しない。もし二体あれば、スミカちゃんの効果❷を発動して、攻撃せずに済んだのに……。適当なカードをトラッシュに送る。
防御札ならある。それでなんとか耐えるしかない。あたしは腹を括った。
「……スミカちゃんで、『〝煽り屋〟 ジェイムズ』を攻撃」
あたしの言葉とともに、スミカちゃんが飛び出した。大振りの鎌を、その重さを感じさせない軽やかさで振り上げる。
「ハッ、ギュスターブの効果を発動! 俺は手札を三枚捨てる! そして『〝煽り屋〟 ジェイムズ』を破壊!」
綿貫が五枚の手札の内三枚を投げ捨てた。それと同時に、ギュスターブのマントの中から四丁のマシンガンが現れる。ギュスターブがその口角を吊り上げた。刹那、弾丸の雨が吹き荒れる。周囲に展開していた神殿のような学府が崩れ落ち、ジェイムズがその身にいくつもの風穴を開けて崩れ落ちた。攻撃対象がいなくなり、スミカちゃんが身を翻した。
「そして! 相手ターンに手札から捨てられたため、俺はこの三体のユニットを召喚する! 来い! 『仙龍 ツクモ』、『コマンダー・オット―』、『機動要塞 シュタイン』!」
目の前に、苔の生えた長大な体を持つ東洋龍、紺色の軍服を身にまとった厳しい面をした男、城の材料で騎士を象って作ったかのようなからくり人形が現れる。
『仙龍 ツクモ(ユニット/ドラゴン/コスト六 攻撃力6000/守備力7000 効果:このユニットが相手のターンに手札から捨てられた場合、このユニットをコストを支払わず召喚してもよい。このユニットが召喚された時、フィールド上のユニットをコストの合計が六以下になるように好きに選び、山札に送ってもよい。そうした場合、そのカードの持ち主は山札をシャッフルする)』、『コマンダー・オット―(ユニット/ジェネラル/コスト八 攻撃力7000/防御力7000 効果:このユニットが相手のターンに手札から捨てられた場合、このユニットをコストを支払わず召喚してもよい。 このユニットが召喚された時、デッキの上から三体を見る。その中からウォリアーユニットを好きなだけ手札に加え、残りを山札の下に送る)』、『機動要塞 シュタイン(ユニット/マシンナーズ/コスト七 攻撃力6000/防御力8000 効果:このユニットが相手のターンに手札から捨てられた時、このユニットをコストを支払わず召喚してもよい。 【デコイ】)』。理想的な展開だ。これで強化スペルやクロスを使われればそのまま負ける。しかし、これ以上どうすることもできない。
「……ターンエンド」
見ずとも、綿貫が凶悪な笑みを浮かべたことが分かった。
「俺のターン、ドロー! 『強化ネットワーク二〇一九号(スペル/コスト四 効果:自身のフィールド上のユニット全ては、自身のフィールドのユニットの数×1000攻撃力をアップする)』を発動!」
これで、綿貫のフィールド上にいるユニットの攻撃力の合計は、36000。このままではライフを削り切られてしまう。相手の残りエナジーは六。あたしの残りエナジーは八。エナジー量で言えばあたしの方が勝っているが、それでも、防御札を全て無効化される可能性も大いに有り得る。ここまでくれば賭けだ。
「俺はツクモでスミカを攻撃! 何かあるか⁉」
防御札は最後まで取っておいた方がいい。あたしは、スミカちゃんに心中で侘びながら、首を横に振った。
龍が唸りを上げながらスミカちゃんのドレスに牙を突き立てた。瞬間、あたしはおぞましい痛みに襲われ、その場に崩れ落ちた。幸い、その痛みはすぐに引いた。息も絶え絶えに立ち上がる。
「今の……何……?」
「フン。〝分身(アバター)〟ユニットが攻撃されたんだ。痛みくらい共有されるさ」
成程……そんな仕掛けが……。これはそう何度も耐えられるものではない。仕方がない。まだ使いたくなかったが……。
「コマンダー・オットーでスミカで攻撃。何か……」
「『彼岸の影 ナギ(ユニット/コスト八 攻撃力1000/防御力7000 効果:相手ユニットのアタック時、自分フィールド上にアバターユニット以外のユニットが存在しない場合、このユニットをフィールド上にコストを支払わず召喚してもよい。このユニットは召喚されたターン破壊されない。【デコイ】 【反撃(注:このユニットが攻撃された際、このユニットも相手に攻撃する)】 【凶刃(注:このユニットが攻撃したユニットは、交戦の後破壊される)】)』を召喚!」
山札、手札への除去以外は通用しない、強力な壁だ。綿貫は舌打ちをしていた。どうやらこちらの動きを妨害するカードは持っていないらしい。オットーが引き下がる。
「……ターンエンド」
苦々しげに、綿貫が言った。
「あたしのターン……」
あたしは、山札の一番上に手をかけた。しかし、中々ドローができない。汗がつうと流れた。このドロー次第で、この試合の勝敗が決まる……。
「ドロー!」
意を決してカードを引いた。半ば願いながらカードを引く。引いたカードは『禁忌の研究』。恐ろしく強力なカードだが、この状況を打開するようなものではない。万事休すか……。諦めかけたが、そこで異変に気づいた。
まだデッキへとつながる光の穴が消えていない。
「あ、そうか……。リュケイオンの効果で……」
そう呟いた途端、綿貫が嘲るような笑い声を発した。
「オイオイオイオイ! そんなことも忘れてたのかよ! こりゃダメだ! もうボケてきてんじゃねぇのか? メスガキ! お前本当にチャンピオンか?」
その言葉を聞いた途端、あたしの脳髄に電流のようなものが走った。パチパチ、パチパチ。火花の音もし始める。
……そうだよ。何かおかしい。前のあたしなら、こんなことを忘れるわけない。それに、こんなデッキに当たってもどうにかしてきたはず……。
パチパチ、パチパチ。この音があたしの奥底にあるものを呼び起こしていく。
……思い出せ。何か、何か忘れてるんだ。昔のあたしが持っていたもの……思い出せ、思い出せ。
モノクロの記憶を辿っていく。手がかりはないか……。映像を次から次へと頭の中で流していく。これまでに数え切れないほどにしていた試合の……。そこで、この記憶に欠けているものに思い当たった。
音がない。この記憶には音がない。どれもこれも、声がしていなかった。クロスライズに限らず、カードゲームをする際は、相手への呼びかけは必須のはずなのに……。
だったらどうしてあたしの記憶から音が消えているんだ? 頭の中で、パチパチ、パチパチという音が大きくなっていく。その音が、記憶のある一点を指している。これまで、目を逸らし続けていた、あの記憶。
……真っ向からぶつかるしか、ないか。あたしは覚悟を決めた。パチパチ、パチパチ。騒々しいギャラリーの野次も、綿貫の嘲笑も、全てかき消されていく。
鍵が外れる感覚。それと共に、あたしはあの時の記憶へと飛び込んでいった。
*
「もうやめようよ‼」
ユウカちゃんが、ボロボロと涙を流して叫んだ。カードショップにまばらにいた客が、驚いてこちらを見た。
たしか、学校の授業が四限目で終わった日だと思う。あたしは、ユウカちゃんと一緒に近くのカードショップに来ていた。
「……やめようって、何を」
あたしは困惑しながら尋ねた。
「色々だよ……色々……。例えばさぁ」
ユウカちゃんは店内デュエルスペースの机の上に置かれたスミカちゃんのカードを指さした。
「えっと、スミカちゃんがどうしたの?」
「……スミカちゃんじゃないよ。そのデッキ使うのやめようよって言ってるの。大会で使う分にはいいよ。好きにすればいい。だけど、友達と遊ぶ時ぐらい、そのデッキ使うのやめようよ。先攻一ターン目で全ハンデス決められたらゲームにならないってことぐらいわかるでしょ」
「……で、でもこのデッキじゃないとスミカちゃんは……」
「使えるでしょ。効果❶の展開力と効果❷のエナジー回復を使った、小型ユニットでのビートダウンを軸にすればいいじゃない。『脳喰らい ギーグ』と『召喚士 ヨハン』の枠を別のカードに変えてさ。それか『ジャイアント・サンクチュアリ(スペル/コスト十 効果:フィールド上のコスト五以下のユニットを全て山札の下に送る。その後、各プレイヤーはそうして山札の下に送られた自身のユニットと同じ数のコスト八以上のユニットが出るまで山札をめくる。そして、めくられたコスト八以上のユニットを全てフィールドにコストを支払わず召喚し、山札をシャッフルする)』を使って大型ユニットを踏み倒す型にすればいい。少なくとも、ハンデスよりは千倍マシだよ」
「だ、だけど、あたしにも好きなデッキを使う権利が……」
ユウカちゃんが机をぶん殴って、あたしを黙らせる。
「……その権利を散々踏みにじっておいて、よくそんな言葉が吐けたね」
「ユウカちゃんは好きなデッキ使ってるじゃん……」
「先攻一ターン目で手札なくされて、後はスミレちゃんが自分のユニット強化して攻撃してくるのをただ見てるのが好きなデッキを使って遊んでるってことになるの?」
あたしは何も言葉を返すことができなかった。
「それだけじゃないよ。むしろ、これから言うことに比べたら、今のなんて全然マシな方」
ユウカちゃんは、蝿の集った腐肉でも見るようにあたしを見た。
「……どうしてゲーム中にあんな酷いことが言えるの?」
「ひ……酷いことって……?」
ユウカちゃんは呆れたようにため息を吐いた。
「やっぱり、自覚なかったんだね。『ザコ』とか『ボケ』は当たり前。『脳ミソにママのミルク詰めて一生バブバブ言ってやがれカスが!』とか言ってるのを目の当たりにしたときは、流石にこの世界が現実かどうか疑ったよ」
「そ、そんなこと……」
パチパチ、パチパチ。
「シャカパチもやめてよ!!」
再び、ユウカちゃんが机を殴った。あたしは、ハッとなって手を見る。いつの間にか山札から引いていた五枚の手札を手の中で弄んでいた。
「学校でさ。ボールペンをカチカチするのは止めましょうって言われたよね。スミレちゃんも同意してた……。そのときは何も言わなかったけど、どの口が言ってんだって思ってたよ」
次々と明かされていくユウカちゃんの本音を、あたしはただ震えて聞いているしかなかった。
「……どうすれば、機嫌直してくれる?」
そう言ったとたん、ユウカちゃんの顔から感情が消えた。
「……機嫌を直す? この期に及んでまだ一時の気持ちの問題だと思ってるの? ……呆れた。もういいや。店長さん」
ユウカちゃんは小太りの店長を呼びつけた。忘れもしない。渡辺という名前だった。
「このカード全部買い取ってください」
ユウカちゃんが、ついさっきまで使っていたデッキを買取カウンターに置いた。店内にざわめきが広がる。いつの間にか店内の人間は全員あたし達のことを見ていたようだ。
「え、えっとねユウカちゃん……」
このカードショップにはユウカちゃんと一緒によく来ていた。店長も、あまり見ない女子カードゲーマーだったために、デッキ構築などの相談にはよく乗ってくれていた。だからユウカのことをちゃん付けで呼んでいるのだ。馴れ馴れしい。そう思ったことは一度や二度ではない。
「おじさん的には、続けてくれたほうが嬉しいかなって……それに、未成年の子のカード買い取りは保護者同伴じゃないとできないし……」
渡辺店長はあたしをちらっと見た。
「あの子は出禁にするつもりだし……」
「はぁ!?」
あたしは叫んで立ち上がった。
「で、出禁ってどういう」
「文字通りだよ」
渡辺は毅然として言い放った。
「いくら子供だからといって目に余る。小学三年生までには身につけておくべきモラルが欠けている中学生なんて煮ても焼いても食えない……迷惑だ。出ていってくれ」
あたしは、渡辺に掴みかかろうと飛び出した。同時に、店員二人があたしの前に立ち塞がる。冷たい目線があたしを見下ろした。
「……ちょっとだけ待ってください」
ユウカちゃんの声がした。店員の間から、ユウカちゃんが現れる。見捨てないでくれたんだ……。涙が流れたのが分かった。
「ユウカちゃ……!?」
気づいた時には、あたしは床に尻もちを付いていた。
「……まだ情けが与えられると思ってるんだ。図々しい」
踏んづけられたゴミムシの死体でも見るような視線をあたしに向けると、ユウカちゃんはあたしに背を向けた。弾けるようにして、あたしはユウカちゃんの足に縋り付く。ユウカちゃんは心底うざったらしそうに舌打ちをした。
「待ってよ! ユウカちゃんがいなくなったら、あたしどうすればいいの!? ユウカちゃん以外に友達いないのに……。あたしに悪いところあるんだったらちゃんと直すから……ね!?」
ユウカちゃんは、あたしに掴まれている方の足を軸にして回転し、腹に鋭い一撃を入れた。あたしは肺の中から追い出された空気を唾と共に勢い良く吐き出しながら床の上をのたうち回った。
「……汚っ」
ユウカちゃんは端的に吐き捨てると、倒れ伏しているあたしの胸ぐらを掴んで、強引に顔を合わせた。何の光もない目があたしを覗いている。
「『パンジャンドラム以下の産廃がクダクダクダクダ抜かしてんじゃねぇよ。存在価値ねぇってこと自覚しろ』……スミレちゃんが言ってた言葉だよ。これまでスミレちゃんが対戦してきた人達の痛みがちょっとだけでも分かった?」
ユウカちゃんはあたしから手を放すと、テーブルの上に広げられていたあたしのカードを纏め始めた。あたしは、震えながらその様子を見ていた。
「……ほら。これデッキケースに入れてとっとと出ていきなよ。みんなの迷惑なんだよ。もし私とヨリを戻したいんだったら、まずはそれに気づくことだね」
あたしはユウカちゃんからデッキを受け取ると、大慌てでそれをデッキケースに詰め込んだ。そして、店の扉まで走る。
「出ていけばいいんだね!? そうしたら、またあたしと……」
「それはスミレちゃんの人間性の底の浅さの問題だから。もうちょっと立派な、世間様に誇れる人間になってから来て?」
ユウカちゃんは、まるで抑揚のない声でそう言った。
*
……それでその後、ワールドカップで優勝した後にもう一回会いに言ったけど、冷たくあしらわれて……。ショックで、引きこもっちゃったんだ……。パチパチ、パチパチ。火花……いや。シャカパチの音が頭の中で鳴り響いた。
改めて、フィールドを見た。綿貫のフィールドにはユニットが四体。しかも【デコイ】持ちが一体いる。あたしの小型をどう強化しても、ライフは削りきれないだろう。バーンカードは手札にあるが、条件が足りない……やはり、あたしの運命はこのドローにかかっている。
「いつまでかかってんだガキコラァ!」「遅延行為でジャッジキルするぞカスが!」
ギャラリーがうるさくなってきた。綿貫も苛ついている。あたしは腹を括った。
「ドロー!」
一秒、二秒、三秒……どのくらい目を閉じたままでいたのかは分からなかった。不思議と、何の音も聞こえなかった。実際には野次が飛んでたんだろうけど。意を決して、瞼を開ける。
「……え?」
新しく手札に加えられたそのカードに描かれたユニットは、どんなカードよりも知っていて……でも、そのカードのことは見たことがなかった。間違いなく、クロスライズに存在しないカードだった。ゆっくりと、効果を読んでいく。綿貫は、あたしが只事ではない様子をしているのを見て警戒しているのか、何も声を発さなかった。そのカードの効果を読み終える。同時に、笑みが溢れるのが分かった。よし、これなら……。
パチパチ、パチパチ。聞き慣れた音がする。しかし、それはあたしの頭の中での音ではない。現実に、あたしの手から鳴っている音だ。……そうだ。もうこれも脱ごう。あたしは、これまで目深に被っていたフードを、パーカーごと脱ぎ捨てた。瞬間、ざわめきが広がる。
「おい、あのシャカパチって……」
「それに、あのTシャツ見ろよ! あのイキり散らした中坊が着てるようなあのTシャツ!」
「それにあの顔……忘れもしねぇ! 俺公式大会で当たったことあんだ。 間違いねぇ! チャンピオンだ!」
その声が場内に響くと同時に、更にざわめきは広がる。
「チャンピオン……ってことは、そうか! 四代目か!」
「ああ、あの優勝後にあまりのマナーの悪さから世界規模で炎上した奴……」
「優勝取り消しを求める署名活動もあったよな」
そんな言葉が、次々と聞こえてくる。そんなこともあったかな。どうでもいいや。あたしは、新年一発目に青空の下で思い切り息を吸った時に感じるような清々しさに身を任せ、プレイを続行する。
「『大魔道士の置き土産(スペル/コスト六 効果:自身もしくは相手のトラッシュからスペルを一枚、コストを支払わずに唱える)』を発動! あたしが指定するのは『碩学の秘宝』!」
『碩学の秘宝』の効果で、カードを三枚引く。よし! 心の中でガッツポーズ。今回はしっかり求めていたカードが来てくれた。手札から、そのカードをトラッシュに送る。
「次に、『禁忌の研究(スペル/コスト一 自身のエナジーを五回復し、相手のエナジーを五減らす。このターンの終了時に、自身のコストは0になり、次のターンの初めに相手のエナジーは十五となる)』を発動!」
「このカードをデザインした奴はヤク中だ」。そう謳われた程の超強力カードである。一見次ターンのデメリットに目が行くが、このカードを使用すれば大体そのターンで勝てるために、デメリットは機能していないも同然というのが現実だ。綿貫の顔に冷や汗が走った。無理もない。『禁忌の研究』を使われるということは、死刑宣告と同義だ。これで残ったコストは八。あたしは、万を持して、引き当てたカードを使った
「……八コスト」
綿貫の顔が曇った。無理もない。あたしのデッキに八コストのカードが入ったことはこれまでに一度もない。
「……『黒衣の巫女 スミカ』を、『御柱の巫女 スミカ』に進化」
瞬間、スミカちゃんが白色の炎に包まれる。ドレスがガラスのように砕けていき、その代わりに白い炎が新しく、神々しい、白を基調とした和装を作り上げていく。大鎌はいつしか細身の大剣に変わっていた。やがて、白い炎が収まる。スミカちゃんは長い髪をなびかせて、相手に凛とした視線を向けていた。
『御柱の巫女 スミカ(アバターユニットNEO{アバターユニットNEOは、アバターユニットの上に重ねて召喚する。召喚後は、コストは存在しないものとして扱い、ライフは進化前のアバターユニットのものを引き継ぐ}/コスト八 攻撃力10000 効果:このユニットが召喚された時、コスト七以下のユニットを二体まで、自身のトラッシュからコストを支払わず召喚してもよい。 相手のフィールドにユニットが三体以上存在する場合、相手はデコイ効果を使用できず、攻撃中にカードを使用できない。相手のフィールドにユニットが二体以下しか存在しない場合、相手は攻撃できない。 このユニットをスタンしてもよい。そうした場合、自身のエナジーを五回復し、カードを二枚、トラッシュから手札に加える)』
……もしこのカードが、普通のクロスライズに登場したとすれば、即刻禁止になるだろう。それくらい、馬鹿げた力がこのユニットにはあった。召喚時の蘇生能力。これだけでもふざけている。六エナジーの得だ。そして、相手へのロック効果……。このスミカちゃんの相手をすることになったプレイヤーは、舌を噛みちぎりたくなるだろう。最後に、元のスミカちゃんの能力を強化したエナジー回復効果……。どれもこれも、一つとっても禁止級の効果ばかりだった。
「おいなんだあのカード! 見たことねぇぞ!」
ギャラリーがざわめいた。綿貫の方を見る。このことを予測していたようで、驚きはなかった。しかし代わりに、恐怖が顔に貼り付いている。
「……ブランクカード……こんな時に……!」
綿貫は、憎々しげにそう言うと、唇を噛んだ。どうやらこの、カードの創造としか言いようのない行為には、ブランクカードが関係しているらしい。だが、そんなことは今のあたしには関係が無かった。
「スミカちゃんの効果発動! トラッシュからコスト七以下のユニットを二体召喚する! あたしが召喚するのは『脳喰らい ギーグ』と『召喚士 ヨハン』!」
スミカちゃんの両隣に、鼠色の肌をして、鋭い牙を持った気味の悪い怪人と、端正な顔立ちをした白髪の魔術師が現れる。
「ギーグの効果発動! ヨハンを破壊して、あなたの手札を一枚破壊!」
あたしは、綿貫が手に持っていた二枚の手札の内一枚を指さした。瞬間、その手札が弾けるように消え去る。そのカードの情報が頭の中に流れ込んできた。捨てられたのは『仙龍 ツクモ』。だが、相手フィールドはもう埋まっているために、召喚することはできない。
「次に、ヨハンの効果を発動! ギーグを破壊して、デッキから『マシンナーズビークル弐式改(ユニット/マシンナーズ/コスト五 攻撃力3000/防御力5000 効果:このユニットが召喚された時、このユニットをスタンしてもよい。そうした場合、手札またはトラッシュからコスト三以下のユニットを一体コストを支払わずに召喚する。ただし、そのユニットは攻撃することができない)』を召喚! 効果を発動! トラッシュからギーグを召喚! ギーグの効果を発動! マシンナーズビークル弐式改を破壊し、手札を破壊!」
再び、綿貫の手札が弾ける。今回トラッシュに送られたのは『フェア・トレード(スペル/コスト三 効果:各プレイヤーはカードを一枚引く。ただし、自身の手札が〇枚なら、自身はカードを三枚引く。)』だ。ニィ、と笑みが浮かぶ。
「いいカードがトラッシュに落ちたなぁ……」
「……ど、どういうことだ」
綿貫は動揺して、答えられるはずのない質問を投げかける。気が向いたら答えてやろう。あたしはプレイを続行した。
「スミカちゃんの効果を発動。スミカちゃんをスタンさせてエナジーを五回復。トラッシュから『再起の紋章』と『禁忌の研究』を回収。そして、『禁忌の研究』を発動。エナジーを五回復。そして、『再起の紋章』を発動。スミカちゃんのスタン状態を回復。スミカちゃんの効果発動。スミカちゃんをスタンさせてエナジーを五回復。トラッシュから『大魔道士の置き土産』と『再起の紋章』を回収。『大魔道士の置き土産』を発動。そちらのトラッシュにある『フェア・トレード』を発動。さ、カードを引けよ」
綿貫は困惑しながらもカードをドローする。
「で、『再起の紋章』を発動。スミカちゃんのスタン状態を回復。スミカちゃんの効果発動。スミカちゃんをスタンさせてエナジーを五回復。トラッシュから『禁忌の研究』と、『再起の紋章』を回収」
「ちょ、ちょっと待て……お前、一体何を……」
あたしは、綿貫の馬鹿さ加減に呆れながらも、教えてやった。
「あのなぁ……ここまで来ればサルでも分かるだろ。あたしのフィールドにはスタンしたスミカちゃん、そして手札には『禁忌の研究』と『再起の紋章』。既視感ぐらい覚えろ」
綿貫の顔がぞっと青ざめた。馬鹿が。やっと気づいたか。あたしは、延々と『大魔道士の置き土産』を使い回せるループを完成させていたのだ。
「だ……だが、それでどうやって」
「お前本当にクロスライズやってたのか? そのアンパンマングミよか子供向けの脳ミソこねくり回してよぉぉぉぉぉぉぉく考えてみろ!」
綿貫もそこまでの馬鹿ではなかったらしく、すぐに答えに辿り着いたらしい。
「この、メスガキィッ! ライブラリアウト狙いかぁッ!」
「気づくのが遅いんだよ、カスが!」
あたしの狙いは『フェア・トレード』を使い回すことだった。そうして相手のデッキを削り切る。それが狙いだ。相手の手札は増えてしまうが、『禁忌の研究』を使い回したことで、その手札を使うエナジーもない。あたしはループを回し始めた。瞬く間に、綿貫とあたしの手札が増えていく。綿貫の顔には悲壮な色が浮かぶ。
だが、奴の表情は急に変化した。通算二十回目のループが終わった頃だった。
「……ヒヒッ」
あたしは一旦手を止めて、綿貫を睨みつける。
「お前、やっぱりガキだぁ。詰めが甘い!」
あたしは黙りこくったまま奴の言葉を待った。
「ブランクカードを手にして舞い上がったんだろ⁉ 自分の山札を数えてみな!」
あたしはちらりと山札に目を向ける。残りは三枚。対して、綿貫の山札は……十一枚。
「勝負あったな! ライブラリアウトするのはお前の方だ! メスガキィ!」
綿貫は、もはや奇声とも取れる笑い声を発した。あたしは、そんな様子には目もくれず、ループを回し続ける。一回……二回……。
「何だ、どうして……」
綿貫は、再び戸惑ったような声を上げた。あたしは、笑いを浮かべて言った。
「……お前、あたしを誰だと思ってる? チャンピオンだぞ?」
「そ、それがどうした」
「……つくづくゴミカスみてぇな頭してんな。シナプス腐ってんじゃねぇのか? 要するに、ギュスターブカウンター使われたくらいで負けてちゃ、チャンピオンは張れねぇって話だよ」
綿貫は、まだ自分に何が起こるのか分かっていない様子だった。あたしは、ゆっくりとそのスペルを唱えた。
「『賢者への報い(スペル/コスト四 効果:相手の手札が七枚以上の時に発動できる。相手の手札一枚につき、相手のアバターユニットに1000ダメージを与える)』を発動」
『賢者への報い』。何かに使えそうだと言われながらも、すぐにカードを使用できるクロスライズにおいては、手札七枚という条件が中々厳しく、使えないカードの烙印を押されているカードだ。だが、ギュスターブカウンターの場合は、今回程上手くデッキが回らない場合、手札は七枚以上溜まる。よって、あたしはいつも、ギュスターブカウンターへの対策として、このカードを積んでいた。今回は禁止カードに枠を割いたため、複数枚の投入はできなかったが、これだけドローができれば、最早デッキに入れた枚数など関係がなかった。
「お前の手札は二十四枚……24000ダメージ!」
『賢者への報い』のカードイラストは、学者然とした老人に雷が落とされている、というものだった。あたしの目の前でも、それと同じことが起こる。ギュスターブに、神話を彷彿とさせるような雷が降り注いだ。同時に、綿貫がもんどり打って倒れる。全身から煙を立ち上らせていた、
「……勝ったら、何か一つ言うことを聞いてもらえるんだっけ……よぉし」
あたしの心は今、生の実感に満ち満ちていた。実際に痛みを伴い、勝敗がこれからの人生を左右しうる勝負……その快感に、あたしは酔いしれていた。そうか、これが〝魔力〟か。
「お前、確かマッターホルンで裸踊りしたいんだったよなぁ」
綿貫は、何も言葉を発せないながらも、虚ろな目をこちらに向けた。
「だったら、もっといい舞台でそれを叶えさせてやる。あたしが勝ったら、エベレストで踊ってこい。そんでもうあたしの前には現れるな」
あたしは腕を振った。それで十分だった。
スミカちゃんがギュスターブに切りかかった。綿貫は声にもならない悲鳴を上げて、今度こそ気を失った。刹那、あたしの視界を閃光が包む。ギャラリーの歓声をおぼろげに聞きながら、あたしは目を閉じた。
*
目を覚ますと、あたしは元の地下鉄の駅に立っていた。綿貫が「ナリタ、ネパール、エベレスト」と言いながら空港へ向かう電車が停まるホームへ向かう様子が見える。どうやら、命令云々については本当らしかった。
「デビュー戦勝利おめでとう」
いつの間にか背後に立っていたソリティアが、手を叩きながら言った。
「全然だよ。禁止カードとブランクカード? だっけ。に頼ったゴリ押しだったし。あんな相手に苦戦するなんて……。ちょっと勘が鈍ったかな」
「……これからどうする?」
ソリティアが尋ねてきた。
「その前にさ、ちょっと訊いていい?」
「何だ?」
「あたしをこの世界に連れてきたのは、綿貫に言われたから?」
ソリティアは首を振った。
「まさか。彼とは君の情報を引き出すために接触したんだ。私の狙いは君のブランクカードを開放することだよ」
あのカードに一体何があるのか。まぁ何かあるのだろう。何せ五億だし。
「……で、これからどうするって話だったっけ?」
「ああ」
「ユウカちゃんを探すよ」
「……拒絶されているのでは?」
「今はね。でもあたし、分かったんだよ。ユウカちゃんに合わせる必要はない。ユウカちゃんがこっちに合わせればいいんだって……。ユウカちゃんもクロスライザーなら、ソリティアが言うところの〝魔力〟には抗いがたいだろうし……多分、そんなに手間はかからない」
ソリティアは、予測していたのか軽く頷くと、すぐさまあたしの手を取って走り出した。
「次はどこに行くの?」
「仙台だ! 大規模な集まりがある! おそらく、生島ユウカも来るだろう!」
高揚感が、全身を支配した。全身に、電撃が走る感覚。
待っててユウカちゃん。また一緒に遊ぼう。もし拒否したらそのときは……ぶっ潰してあげる!
パチパチ、パチパチ。シャカパチの音が、あたしを、新たな戦場に呼んでいた。