もう少しで、つらいことから目を背けられない季節がやってくる。春や夏はいい。でも、秋や冬はダメだった。光が放つ力が弱まって、温度にながされることができない。
寒いときは身体と同時に心もかじかんでしまって、悲しいことを考えやすくなってしまうのだ。
特に、今年は両親がいない。進学先の都会にいると、地元の人たちや思い出が、本当に存在しているのか不安になってしまうときがある。
でも、大丈夫。私はつらいときにどうすればいいか、ちゃんとわかっている。下宿先のアパートを出て、自転車にまたがった。
そして、私は昔の思い出を呼び戻していた。
*
小学校五年生の春、あたしは一人で出歩くことを許された。週に一回、お母さんと一緒におばあちゃんの家に行くときだけ。しかも、行先はおばあちゃんの家から一キロも離れていない図書館というきまりだった。それでもあたしはうれしい。本を読むことは大好きだし、何より一人だ。一人はいい。「一家惨殺事件」や「百人殺しの悪魔」だとか、そういうゾクゾクする背表紙を眺めて、ひゃあ、と思って、手に取ってみる、といった、お母さんと図書館に行くときにはできないことができるから。
おばあちゃんの家の近くの図書館は市役所の中にある。毎週木曜日の夕方、学校終わりに来る子、として司書さんにも覚えてもらっている。
図書館通いを始めて一カ月ほど経ったころ、あたしはある女の子に気づいた。その子はなぜか図書館の中ではなく、市役所内の共有スペースの椅子と机を使って本を読んでいた。歳はあたしと同じくらいだろう。カウンターから一番離れた列の端の席が彼女のお気に入りのようだ。毎週、あたしは必ずその女の子を見かけた。
あたしはお母さんに「一人でいる子がいたら、声を掛けてあげようね」と言われているから、あるとき、勇気を出してみた。
「お菓子、いる?」
グミの袋を差し出すと、女の子が顔を上げた。顔にかかったボブカットの髪が払われて、小さな瞳と目が合う。
「……いら、ないです」
「名前は? あたしは絵里っていうの」
「きりたにふうか」
か細いけれど、ピンと糸が張っているような、芯のある声をしている。じゃあ、ふうちゃんって呼んでいいかな、とあたしが言うと、女の子は頷いた。
「どうして図書館の中で読まないの? ……あ、わかった、うるさいからでしょう。言ってきてあげる」
うるさい、というのは図書館でおしゃべりをしたり走り回ったりする子どもたちのことだ。あたしも奴らには大いに悩まされてきた。
「違うよ」
とふうちゃんが言った。
「疲れるから」
「疲れる?」
「そうだなぁ。本はいろんなエネルギーが詰まっている結晶みたいなものだから、図書館には長くいられない」
ふうちゃんは再び本に目を落とした。
彼女の言っていることははっきりとは理解できなかった。けれど、こころの中に大切なものをしまっているのだな、ということはわかった。
それからあたしは毎週話しかけた。ふうちゃんは、ゆっくり単語を選びながら、言葉を編むように話す。そのペースがなんだか心地よくて、ふうちゃんのことをもっと知りたくなる。あたしはおしゃべりだけど、ぐっとこらえて、たくさん質問をした。
すると、ふうちゃんはあたしと同じ小学校五年生であること、家も学校も市役所から近いこと、毎日本を読みに来ていること、お母さんが迎えに来てくれることなどを話してくれた。あたしの方が先におばあちゃんの家に戻るから、ふうちゃんのお母さんを見たことはないけれど、いつか見てみたい。
ふうちゃんについてわかったことはもっとある。
電車やバスは苦手なこと、お母さんと歌を歌うことが好きなこと、本は小説しか読まないこと、それから、お菓子を食べられないこと。あたしがお母さんにふうちゃんのことを話したら、「二人で食べてね」と言って、いただき物のマドレーヌやチョコレートをたくさん持たせてくれたことがある。けれどふうちゃんは手を付けようとはしなかった。食べると吐いてしまうそうだ。ふうちゃんがこんな風だとお父さんやお母さんは大変だろうなと思う。
ふうちゃんはあたしに様々なことを教えてくれたけれど、自分のことは話せなかった。普段友達と話しているような学校のスキャンダルや、多少盛った家族旅行の自慢を、ふうちゃんには聞かせたくないな、と思ったし、そういう話で楽しむ子なんだな、とふうちゃんに思われたくなかった。
秋になっても、あたしとふうちゃんの交流は続いた。ある日、あたしが図書館を出ておばあちゃんの家に帰ろうとしていたとき、ふうちゃんが市役所の机に突っ伏していた。横にはふうちゃんのお気に入りの作家の小説が置いてある。ふうちゃんに近づくと、震えるような息遣いがかすかに届いてきた。
「泣いているの」
「泣いてない!」
「恥ずかしいんだ」
「だから、泣いてないって」
無理がある。
「わかる。どうしたって涙が止まらなくなるくらい感動することってあるよね」
観念したようにふうちゃんが顔を上げる。目も鼻も真っ赤だった。
「わたし、本が好き」
そうふうちゃんは言った。
「まっすぐなものは苦手なんだ。なんだか冷めてしまうし、素敵だな、と思っても疲れてしまう。でも、本は違うんだよ。主人公はわたしじゃないんだ。キャラクターがどんなに幸せになっても、それは結局わたしじゃないんだ。でもね、ちゃんと暖かさはあるんだよ。キャラクターの向こうに、作者の、わたしに届けたいっていう暖かさはきっとあって、でもそれが正確に届いてくることはないんだ。だから、わたしたちを完全に突き放しているわけじゃないけど、けれど、なんだかそれが、すごくもどかしくなってしまうときがあるんだよ」
ふうちゃんが消去法で本を選んでいるのだとしたら、それはとてもさみしいことだなと思う。
「ふうちゃんは、同じ作家の本ばかり読んでいるよね」
「優しいお話を書く作家さんを選んでいる。リハビリだよ」
「リハビリ?」
「わたしは涙もろいから、泣かないための」
気を抜くと涙が出てしまいそうになるのは、あたしもよくわかる。
「あたし、ふうちゃんと同じ本が読みたい」
いいよ、とふうちゃんは言った。
それから、あたしがふうちゃんの好きな本を読んだり、逆に、ふうちゃんがあたしの好きな本を読んだりした。
市役所は自動ドアのせいで外気が入ってくる。寒くなってきたから、あたしは図書館の中で、ふうちゃんは図書館の外で本を読む。
あるとき、宮澤賢治の『よだかの星』を読むことになった。ふうちゃんが宮澤賢治が好きだと言うので、ふたりともそれぞれで本を借りて同時に読み始めたのだ。
読み終わった後、頭がぐわんぐわんして、苦しかった。すぐにふうちゃんのところに向かう。
「死んじゃった……」
「死んじゃったね……」
あたしはふうちゃんと抱き合った。
だって、あまりにもひどい。
かなしいというよりも苦しくて、涙は出てこなかった。それはふうちゃんも同じみたいだ。
触れたところから、わずかな胸のはばたきが直に伝わってきた。あたしは初めてふうちゃんと通じ合えた気がして、それはとてもうれしかった。
その日の夜。あたしは、ふうちゃんのお母さんを見てみたくて、いつもより長く図書館にいた。七時くらいになると、それらしい人がやってきた。髪の毛が金色でグレーのスウェットを着ている。なんだかふうちゃんから想像していたイメージとは違って拍子抜けしてしまった。あたしの周りの大人にはいないタイプだけど、世の中にはこういう感じの人もいるって知っている。
あたしは二人の後をつけた。市役所からふうちゃんの住んでいるアパートまで、十分くらいで着いた。アパートの玄関から入った二人が、外の鉄階段を通って三階の部屋に入っていく。部屋に明かりが灯った。
もう少し待っていたらふうちゃんのお父さんも見られるかも、と思ったけれど、時間も遅いだろうし、あたしはおばあちゃんの家に戻ることにした。
かなりドキドキしながら尾行していた割には、なんだか期待外れだった。二人につけていることをバレたくなくて遠目から二人を追っていたからか、話している内容は聞こえなかったし、特に面白いこともなかった。
ただ、一つ気になったことがあるとすれば、それは部屋の明かりだった。オレンジ色の明かり。暖かみのある色なのに、その奥に家族が生活している雰囲気を感じない。あの中にふうちゃんがいるっていうことが信じられなかった。
あたしは急いでおばあちゃんの家まで戻った。お母さんやおばあちゃんから、帰りがいつもより一時間も遅かったことについて叱られてしまった。でも、おばあちゃんが温め直してくれたグラタンはおいしくて、怒られたことなんてどうでもよくなった。
*
その翌日にふうちゃんは死んでしまった。ふうちゃんはお母さんに虐待を受けていたらしい。あの日、あたしが二人の家までつけていった日、ふうちゃんのお母さんがカッとなってしまって、ふうちゃんにランドセルとか、いろんなものを投げつけた。頭を強く打ったふうちゃんは、お母さんによってすぐに救急車で運ばれたそうだけれど、搬送先の病院で息絶えた。
小さな街で、あたしのおばあちゃんやお母さんにこのニュースが届いてくるのは早かった。そうでなくとも事件の次の日には全国ニュースで放送されていたらしい。
お母さんから聞いて、あの日のことだ、とあたしはすぐにわかった。
お母さんがわたしの頭を撫でる。熱いものがこみ上げてきて、うまく呼吸ができなくなってしまう。
「悲しいね」
違う。違うんだ。
あたしは泣きたいわけじゃなくて、そういう卑怯なことはしたくないんだけど、涙が止まらない。
あの家で、ふうちゃんはこれまで何回隠れて泣いてきたのだろう。あたしはふうちゃんの家にお父さんがいないことさえ知らなかったのだ。お母さんの大きくて暖かい手がなんだか悔しかった。
*
小さかった私も大学生になって、色々な人と出会って、ふうちゃんのことは段々薄れていってしまった。私自身、それを薄情だとは思わないし、当然だと思う。今までも、この人が一番大切、と思った人となんとなく別れてきた。その別れがああいった形だっただけで、あのときみたいにひどく傷つくような真面目さは私にはもう残っていない。
それでも、私はずっと本を読むことが好きだし、そこだけはふうちゃんとずっとつながっていると思う。それに、友達もなんとなくふうちゃんみたいな、繊細な人を選んできた気がする。実際、ふうちゃんほどデリケートな人はいなかったと思うけど。
そして、私が今大事にしたいと思ういくつかの人が、私の知らないところで泣いていないといいなと思う。
*
そのとき、いつもの木曜日、ふうちゃんがまた泣いていた。泣きすぎてせき込んでしまっている。大号泣だ。
「そんなによかったの、この本」
とあたしは聞く。
「泣い、て、ない」
水筒持ってる? とあたしが聞くと、ふうちゃんはうん、ともううん、ともつかない返事をした。
「かなしくなっちゃった?」
「違う」
とふうちゃんが返す。
「うれしかったの」
ヒューヒュー、冬の風みたいな呼吸。
もしかしたら、とあたしは思う。
「うれしいときに涙がたくさん出るのはさ、その優しい気持ちを、ずっとつかんでいたいからかもしれないね」
あくまで、泣いていませんでしたよ、というふうにふうちゃんが顔を上げた。
「だから、泣いた方がいいと思う」
「そうかなぁ」
「そうだよ」
ふうちゃんは、声を立てて泣き始めた。
*
大学の前を自転車で通る。さみしいときや満たされないときは、泣けばいい。うれしい時は、なおさら。でも泣くだけじゃない。私は私を満たす方法を、ほかにもいくつか知っている。
アパートから図書館までの道のりは、自転車で二十分ほどかかる。私は親に甘やかされているので、高校生の時に買ってもらった電動自転車を使って楽に進んでいく。
連なった木々の一本一本が、残された水分やわずかに届いてくる光のもとで懸命に生きている。太陽の日を受けた建物や人影のさびしさも、その百パーセントが流れ込んできて、わたしはそれでいっぱいになってしまう。
寒い季節は、人の気配を強く感じられる。人の温もりを思い出して、目頭が熱くなってしまっても、涙の動機がそれならいいことだと思う。図書館にいると、ふうちゃんのことがよみがえってきてなんとなくつらくなってしまうこともあるけど、あのときもしかして、と思ったことをずっとつかんでいられたらいい。