落雷に撃たれ、燃ゆる木を見た。幼い私は窓を開け見た。厚い雲が空を覆う、特別暗い夜。酷い風が連なる家々を揺さぶり、他の木々の横っ面を張る音が響いていた。ざぁざぁと薙ぐように降る雨は開けた窓から入ってきて、私の顔から胸までを水浸しにした。子供の時分であったというのに、そんな恐ろしいものらを意識の外において、私は燃ゆる木を見ていた。並外れて背の高いその木。今は光に包まれて、焼き切れた枝を落としているその木。しばらく──少なくとも私が見ている間は──木は倒れることなく燃え続けていた。火の粉を天高く上げ続けて。私はしばらく見つめてから、心奪われたように窓を開け放したまま、敷かれた布団にもぐりこんで寝てしまった。……
幼少の頃の思い出とは、その時多くのものから受けた強い印象をそれぞれ歪な形に切り取り、縫い合わせたようなものであるから、私はこの幼少の折の記憶をそのまま信じることはしない。しかし、他人の家の庭に植わるささやかな果樹だとか、街路樹だとか、社にそびえる神木だとか、そういう木々を見たときにその記憶がふとよぎることがあった。
記憶は思い出すたびに強く、忘れがたいものになった。何の意味付けもされていない情景が、私の成長とそれに伴って身に付いたほんの少しの概念に根を張り始めたのである。精神と身体の発達速度の乖離によってできた隙間や愛他主義とかそういったものに結び付いて、私とその不確かな記憶とは年々癒着するようであった。
ある春の日の夕方、私は立ち昇る煙を見た。黒煙は普段人気のない、長屋に見紛うようなアパートから発生している。野次馬連中はぼろ家を取り囲んで、口々に何か話すようだった。家のすぐ近くのことであったので、見知った顔も二、三いた。私はもう集団から離れるのを惜しむだけの人間を何人か押しのけて割り込み、中央のアパートをやっと見た。
建物はその形を未だ失っておらず、唯一崩落したとみられる屋根からは火が、空の代赭じみた色と半ば同化しつつ顔を覗かせていた。黒煙は割れたガラス窓や瓦の隙間等、穴という穴からその身をよじらせ這い出て、高く昇るようであった。陽炎は晩景の空を歪めて漂う。……
夕日は今まで挙げた火事のどんなものより強く、鋭く差していた。弁柄色の炎は野蛮に、威勢良く燃えているようであったが、落ち行く日の前ではそれが酷く滑稽に見えた。ざわつく人々も既に火事自体は見ておらず、その火の原因や根も葉もない噂について話すことに夢中になっていた。私は衆人に対して叫ぶ火を背にして、何故か肩を落としつつ帰途についた。
後から聞く話によると、建築は無人であったらしく、あの小火で負傷した者はいなかったらしい。
現場から帰る道中の私の甚だしい落胆は何だったのであろうか。また、あの火事以降、燃ゆる木の幻が私の無意識からはたと姿を消したのはここで記すに値する事柄だろうと思う。