ちょうど太陽が南中した。目に入る日差しはぶかぶかの麦わら帽によって遮られているけれど、半袖短パンから覗いている素肌には、強い日差しがじくじくと刺さっている。昨日の海水浴場で日焼けした肌はまだ真っ赤に染まっている。動いてTシャツが擦れるだけで彫刻刀に引っ掻かれているような痛みが起こった。傷が増えているんじゃなかろうかと、首元から覗いてみると、ミミズ腫れが酷くなっていた。右の肩口から臍にかけて海月になで斬りされた場所だ。昨日は数本の細い筋だったのに、段々太くなっている。
そう、昨日は海水浴場に連れて行ってもらった。テレビに映る熱海の海は半グレの集まりで、恐喝および誘拐でもされたらどうしようと不安だったが、おじいちゃんとおばあちゃんが連れて行ってくれたのは、こぢんまりとした海水浴場で遊んでいる人も少なかった。朝から近所の家族三組が砂浜を三等分していた。それぞれの家族に小学生低学年くらいの子が一人ずついたから、誘って一緒に遊んだ。
一昨日に観光した熱海城を作ろうとして、三人で土を掘り掘りしていた。懸命になって掘るものの土があんまりに硬くって泣きたくなる。指を見ると肉と爪の間に、真っ黒な砂が隙間なく入りこんでいて、さらにさらに奥へ食い込もうとしている。最終的に爪がぽろりと落ちるんじゃないかという際まで、砂が詰まっていた。で、二人を見ると、二人は手を動かしながら僕を見ていた。誰かが工事中止を宣言しないと、どうせ風雨あるいは満潮に流れる城に、爪十枚の犠牲を払わなければいけない。耳塚鼻塚でもあるまいし、そんなのはごめんだ。僕は工事の中止を二人の部下に宣告した。こんなためにならない仕事はほっぽり出すにかぎると言って、海へと飛び込んだ。二人も子鴨のように僕を追っかけて飛び込んだ。結果、浜にはこんもりと盛り上がった山が残った。
砂で削られた指先は、傷だらけになっていたのか塩水が染みる。拳を固めてなるべく海水に触れないようにしても、まだ痛かった。二人もさぞ痛かろうと思い、後ろを振り返るとなんとも平然と平泳ぎをしているではないか。あぁ、分かった、分かったぞ! 興味がないからと仕事をするふりをしてサボタージュを決め込んでいたのだ。山を作るという第一段階でつまずいたのも道理というもんだ。こいつら砂を掘らずに撫でていただけだ。
拳にさらに力が入った。こうなれば二名に手傷を負わさなければ、僕のほうが上だと知らしめなければ、昂ぶった気持ちが収まらない。どうすれば泣きっ面を拝めるだろうか。思案しながら回遊していると、消波堤目前に海月の大群が揺蕩っているのを見つけた。これだ! 目前に迫った海月の群れに気づいたのは僕だけだ。後ろの二人は日差しと海水の対比を存分に楽しんでいるのか、満面の笑みを浮かべている。せいぜい楽しんでいやがれ、絶対に泣かしてやるからな。
今から特攻作戦を決行する。蓋し、僕も無事には済まないだろう。おじいちゃんとおばあちゃんのいる浜に目を向けて、心裡に祖父母のしわくちゃな笑顔を浮かべた。鼻の奥に海水が入って、なんだか涙が出てくるなぁ。馬鹿な孫で許しておくれよ。よし、心の整理はついた。血走った目玉のような頭を持った海月に一直線に向かっていく。危険域にさしかかった最初のほうは、なんとか自分だけでも助かろうと避けていたが、進むごとに層は厚くなり、ついに衝突した。右肩からずぞぞぞと切られた感覚があった。僕に危害を加えた海月が目の前に浮いてきたときは、一瞬はらわたが溢れだしたのかと勘違いさせるほどに赤黒かった。身構えていてもこの痛さなのだから、何も知らない二人はこらえきれない痛みなのだろう。後ろから絶叫が聞こえる。ざまぁ見やがれ。痛みに意識が取られるなかで、頭の片隅にあった怒りがすっと消えた。
三人でわちゃわちゃ海月と戯れていると、ライフセーバーが棒状の浮きを持ってやって来た。後から聞くと絶叫が浜まで届いていたらしい。僕は目で二人を助けてやってほしいと伝えた。言葉を交わさずとも理解されたようで、すぐさま静かに沈んでいきそうな二人の救助が行われる。一人の腰に棒状の浮きを回して、輪っかに変形させていた。バルーンアートのように鮮やかな手つきで妙に感心してしまい、危うく感嘆の声を上げるところであった。もう一人は浮き輪が無かったので、ライフセーバーが小脇に抱えて泳いでいく。今度は僕が子鴨のようになって、黄色と赤で目立つお兄さんの後ろについて泳いだ。
砂浜へ生還すると、三人揃って叱られた。僕も海月に刺されていたため、計画的犯行だと気づかれずに単なる事故として処理された。刺されただけで怒られた二人は俯いて足で砂を掻いていた。絶叫を聞いて二人への隔意は解消されたので、助け船を出してやろうと大げさに痛がるふりをした。大人たちは三人とも怪我をしていることを忘れていたらしく、僕の演技を見て態度を軟化させた。最終的には身体を冷やすためだとかなんだとか言いくるめて、一人一杯のかき氷をせしめることに成功した。
こんな経緯でミミズ腫れをこしらえた。一応負傷しているということで、今日一日は安静にしていなさい、とおばあちゃんに厳命された。敷地内での活動許可は得られたので、庭に敷き詰められている石を選って、表面に石英が析出している綺麗なものを平らな沓脱石に一列に並べていった。端から端まで僕のお眼鏡に適った石がずんらりと並んでいる。
簾の向こうには台所に立つおばあちゃんの姿が見える。冷麺の上の具材を千切りにしている。それぞれの具材をガラスの平皿に仕分けて冷蔵庫に入れた。畑に行ったおじいちゃんの帰宅を待つだけとなったおばあちゃんは、奥の居間に引っ込んで縁側からは見えなくなった。
もう少し時間を潰さないといけない。太陽の光を乱反射する石たちは綺麗なのには違いない。違いないのだが、動かないのが惜しい。適当な生き物はおらぬか、と縁側の下のじめっとした濡れ土に目を走らせる。すると生い茂った三つ葉の蔭に、そっと身を潜めている雨蛙と目が合った。こいつを捕まえよう。ぬらりと青く照っている雨蛙は逃げる様子もなく僕の手の内に収まった。逃げないように後ろ足を人差し指と親指で挟んで日光に晒してやると、どうも眩しそうに瞬いて四つ叉の手で目をこすっている。
跳ねないよう雨蛙を手で包み込んだまま庭の端っこに移動した。ステンレス製の蓋で封をされた四角い井戸の傍らにスタンバイする。使われなくなって久しいと聞くこの井戸、中身がどうなっているのかは知らない。だが、今日使うのは上だけなので興味もない。手の甲で蓋に触れた。朝からの日光を受けて蓄熱した金属は言うまでもなく熱い。僕は一つ頷いた。後ろ足の先をつまんだまま雨蛙を寝かせた。
ぬらぬらがぬちょぬちょ、ぬちょぬちょがさらさら、さらさらがざらざらといった具合に、青い皮膚が急速に乾いていく。荒れ模様は、海からあがった直後の唇に通じるものがある。唇にひびが入ったときには、かなり脱水症状は進行していて立つ力が抜け始める。浮力の援護がなくなったとたんに自重を支えきれなくなり、ふらつく感覚は身に覚えがあるだろう。水を多分に含む雨蛙も脱水を起こせば満足に体を動かせなくなる。さらに水分が飛んで筋繊維に沿って皮膚が張りついていく。見る見るうちにという表現がまさにそれで、瞬き一回ごとにしぼんでいく。遂には雨蛙の皮膚が割れだした。のたうち回っていた雨蛙がへばっている。
顔を近づけて観察するわけにはいかない。せっかく干物寸前の姿にまで追い込めたのに、汗でも垂らしたら大変だ。いや生傷に海水はかなり痛かったし、存外楽しいかも? 今日はいいや、明日にでもやってみよう。とりあえず、雨蛙の体内の水分は粗方飛んだ。これじゃあ、雨蛙じゃなくて蛙だな。雨蛙も蛙だけど。
まだおじいちゃんは帰ってこない。次は何をしようかな。……潰す……うん、潰しちゃおう。瀕死の状態が続くのはかわいそうだよ。そうと決まれば、と蛙を引き上げた。ステンレスと蛙の腹は紙一枚差し込めないほどにくっついていた。ゆっくりと丁寧に引き上げるおりの、ぺりっ、とも、めりっ、とも擬音に落とし込みがたい繊細な感触に鳥肌が立った。蛙が寝転がっていた部分に、乾いた粘膜による煌めきがついている。
沓脱石から輝石を地べたに落として、蛙を仰向けに寝かせた。足は伸びたままで、かすかに腹が上下している。コレクションを飾る棚は一気に手術台へと様変わり。蛙は高温でやられたのか白濁した眼球で僕を見つめている。
センセイ、ハヤクラクニシテクダサイマシ。ワカッテオル、イマシバラクノシンボウゾ。私と蛙はこの一瞬、異種族の壁を越えて通じ合えたような気がします。この子を手にかける、なんと悲しいことでしょう。しかし、それが彼女の望みなのです。命潰える瞬間を生涯忘れないと誓います。
蛙を蛙本来の体勢に整えてあげた。それから、石英の輝きが一段と美しい石を拾い上げた。真上から石を徐々に押し付ける。臼歯にグミを挟んで押しつぶすように、上からゆっくりと降ろしてゆく。最後まで降ろしたときに、くけっ、という音がした。それが断末魔なのか、石同士ぶつかったのかは判然としない。念入りに成仏してもらうため、一円玉くらいの範囲ですり潰した。完成したのは筋肉と内臓と骨と砂が混じったミンチだった。このまま置いておくのも忍びなくて、元いた三つ葉の蔭に隠しておいた。まさに草葉の陰。
軽トラのエンジンが聞こえた。殺害現場の痕跡を消すために濡れ土を撒いて血痕をこすり落とす。急いで手を洗って食堂に向かった。おばあちゃんのいる居間からはバラエティ番組の音が聞こえている。芸人だと思しき男性の下品な笑い声だった。今の今まで気にしていなかった日焼けと海月刺されが、いやに熱と痛みを主張しはじめた。
殺蛙を敢行したあと、何食わぬ顔でおじいちゃんとおばあちゃんと一緒に冷麺を食べている。緑の胡瓜を見て、さっきの雨蛙を偲んだ。焼いて、整えて、最後はミンチになった雨蛙ちゃん。んっ? 僕の箸が止まり、脳みそが高速で回転する。焼いて、整えて、ミンチにする。逆にすると、ミンチにして、整えて、焼く。これはハンバーグの調理手順そのものではないか? なるほど、つまり雨蛙とハンバーグは同一視すべき存在だったんだね。
箸が止まっているのを見かねたおばあちゃんに、どうしたんだい、と聞かれてしまった。深遠なる真理を独占したい僕は、今日の夜ご飯はハンバーグが良い、とだけ返事する。それを聞いたおばあちゃんは、ご飯を食べているのにもう次のご飯の心配かい、と笑いかけてきた。となりにいるおじいちゃんも笑っている。
こいつら学者でも発見できない等式を明らかにした賢人を嘲笑しやがった。僕は無性に腹が立った。