喉が渇いた、舌がひりつくほどのその欲求を抱きつつ寝床から身を起こす。大きな欠伸をしつつ冷蔵庫を開いた時、強烈な違和に気付いた。洗面台に駆け込み己の顔がちらりと映った瞬間絶叫。顎が無い、どうなっている! という声もただ舌を震わせ唾液を吹き散らし単純な母音の長音が響くのみであった。半狂乱の心中、もう一方に残る理性は冷静に、なぜ上顎はそのままなんだという疑問を発した。
下顎なんて初めから存在していない、それが当然だというように頬の皮膚や筋肉すら無く、深い喉の孔を覆うように舌が栓している。唾液腺はそのままに受け皿が無くなった唾液が首筋を流れる。最早引き裂くこともすりつぶすことも出来なくなった歯列だけが下顎があったことを示す唯一の証拠であった。どうすればいい、病院に行こうにも人目がある、電話しようにもまともにしゃべることもできない。自分がおかしくなってしまったのか、確認するためテレビをつけるといつも見慣れているはずの朝のニュースキャスターの顔にも下顎はなかった。
訳が分からなかったが自分は今、夢の中にいるに違いない。そうだ、テレビからまともに人の声が流れてなんかいないじゃないか、これが現実だったらなんで顎が無いかってことにも気づけなかったはずだ。それに進化論を考えればこんな不自然な生物が自然淘汰されないはずがない。そう思えばなんとなく気持ちも落ち着いた。夢ならばおかしくても不思議じゃないかもしれない。まずは水を飲もう、経口チューブを喉に挿入しつつこの夢の中で何をしようか考える、考えれば何でもできるなら高級ペーストも食べられる、映画の中に入れるだろう、宇宙遊泳だってできる。
そうだ小さいころ夢見ていた……
朝だ、何か変な夢を見ていたようだ。涎受けを持ってベッドから起きる。なんだろうか、自分に顎が無いなんて考えていた気がする。首をひねりながら経口チューブを喉に突っ込み朝食を摂る。なぜ邪魔なものがついていることが当然だと思ったのだろう。あまりにも荒唐無稽な内容であったためチャットで友人にこの恐ろしい夢の内容を送ると笑われてしまったが、一部の動物が持っている顎というものは人間がほかの動物と比べて体毛が薄かったり二足歩行であったり服を着たりしているのと同じようなものなのだろう。そう考えると貴重な体験だったのかもしれない。