香水を買った。いや、わざわざ買いに行ったのではない。本屋の中で売っていたのだ。最近の本屋は、チェーン店でなくともそれなり広く、中にカフェだの雑貨だの筆記用具だのを扱う別の店が入っていたりすることが多いが、あれの一種で、香水の店の入った本屋があったのだ。本に囲まれて売られている香水というのはそれまで見かけたことのない光景だったので、気になってしまったのだ。様々な種類があったが、私は薄荷レモンのものを買った。 ……そう、薄荷レモンだ! 薄荷とは要はミントの一種だが、例えばあれがミント&レモンなんて名で売られていれば私はあれを買うことなどなかったように思う。薄いに荷物と書いて、薄荷、だからよかった。その何だか今にも風に飛びそうな名前だからよかった。容器も、変に細工がされたものではなく、明日にも記憶から消えてしまいそうなほど何の変哲もないシンプルな硝子瓶だから惹かれた。私はあれを、匂いを確かめることさえなく、買った。
けれども、今になってなんでそんなことをしてしまったのだろうという気持ちになってきた。柄にもないことをしたと思う。安い買い物ではないし、洒落た人間でもないから香水なんて買っても何時つければいいかわからない。何より、香水はつけた時と匂いが消えていく頃の香りが違うという。そんな、どうなるか読めないものを最初の香りさえ確かめずに買うのは、ちっとも私らしくなかった。あなたは、どうだろう。自分に予測できないものは、好きだろうか。あるいは何とも思わないか。私は駄目だ。全く、駄目だ。なんと言うべきか、見ていると気が変になってしまう。嫌いというのではない。平易な言葉で言うなら、どうにも落ち着かないのだ。あぁいうのに出会うと、首から上が大きなビー玉になってしまうような感じがする。重たく、ぐらぐらして、ヒビが入っており、ちょいと突けばピシャリと割れる、そんな頭になってしまう気がする。それなのに、買ってしまった。香水なんていう、変化の種みたいなものを、私は買ってしまったのだ。
「どうしよう」
ハイヒールの音も戸惑っている。
「どうしよう」
こんなもの、なんで買ってしまったのか。
「悪いことでは、ないのだけど、でも」
昔の自分に戻ってきているみたいだ。
何年か前から「昔は違ったのに」とよく言われるようになった。言われる度に、その通りだね、と心の中で返事している。まさかその通りに返事は出来ないので、現実では何も言えない。ヘラヘラ笑っている。こんな大人になるはずではなかったという気持ちと相まって生活は日々虚しさを増していく。私は子どもの頃に持っていた輝きをすっかりなくしてしまった。趣味嗜好もすっかり変わって、ものをまともに愛せなくなっている。
例えば、本。中学に入るまでは小説が好きだったはずなのに、結末が読めないのが嫌になった。雑誌も、気に入った芸能人をとりあげたゴシップなんかが目につくのが嫌で読まなくなった。結局、読む娯楽向けの本はというと、過去に一度読んだことがあるものばかり読んでいる。新しいものを全く読まない訳では無いが、人に強く勧められない限りは文豪が書いたとかであらすじをなんとなくでも知っている小説や風景や感情をそのままつらつら書き連ねた詩みたいなものを選んで読む。私を酷く動揺させたり驚かせたりしそうなものは、いつもそっと避けている。しかし、そこまでしても、やはり、文学作品には予測不可能な部分がある。沢山は読めない。今の私が読むのは、専ら、何かの解説書みたいに目的や結末がしっかり定まっている本だ。最近の君はいつも小難しげな本ばかり読んでいるが何をインテリぶっているんだい、なんてこないだも旧友にからかわれたが、違う。私は学術書が読めるのではなく、学術書ぐらいしか読めないのだ。
それから、出歩く先も変わった。私はあまり家で寛げないので精神的に休息が必要に思われる場合は外出するのだが、そういう時に求める風景にしても前とは変わった。小学生ぐらいの頃の私は都会を愛していた。小遣いは少ないほうだったので、電車賃といつもより少し贅沢な菓子を買うだけで財布は空になってしまったが、別にそれで構わなかった。大きな街の歩道橋の手すりにもたれかかって、スクランブル交差点をぼんやり眺めるのが好きだった。天気の悪い日は駅の改札口のガラスの前の椅子に座って電車が出入りするのを眺めたりしていた。大勢の人が自分のあずかり知らぬ場所で生活しているという事実は、昔の私には全く脅威ではなかった。最近は何か恐ろしい。人間、というか生き物がその筋肉を私の意思や承諾なんかを全く必要とせずに動いているのが恐ろしくて仕方ない。彼らが私に危害を加えるつもりなどないのはわかっているのだ。わかっていても何故だか生きているものに安心感を抱けない。今の私が一番落ち着けるのは、スクランブル交差点ではなく、博物館の玄関前にあるクジラの骨の下だ。
私には、こんなになった私と香水が仲良くやっていける気がまるでしなかった。せっかく買ったのに少しもったいないが、捨ててしまおうと思った。それで最初、私は駅のホームのゴミ箱に紙袋ごと捨てようとしたが、そこでふとこんなことを考えた。
──このまま普通に捨てるのは芸がない。香水などという如何にも詩的な存在を普通に処理するのは、あまりにもったいない気がする。これでも一応物書きなのだから、もう少しだけでも粋な捨て方がないだろうか。ある。川だ。川に流そう。
それで、来た道を引き返して川に行った。なにか愉快だった。子どもの頃、習い事のピアノをサボって河川敷でお昼寝していたことなんかを思い出す。歩きにくい石畳なのにいつになく足が軽いと思った。
しかし、いざ川辺に立つと、私は少し怖気付いた。やっぱりもったいない気がしたのと、川に流すのは川が汚れてしまうから悪いことのような気がしたためだ。
「いや、やるんだ。香水なんか持ってたって、今の私が愛せるものか。それぐらいなら、綺麗にさよならしてやろう」
紙袋から香水瓶の入った箱を取り出し、開ける。瓶を手に取って黒いプラスチック製のキャップを外した。いちいちプッシュしていられないので、壊さないと無理そうなら諦めようと、とりあえずスプレー部分を取ってみる。幸い、比較的簡単に開けられるものだった。中栓にシリコンのような透明な部分があったので、そこに持っていたボールペンの先を突っ込んでテコの原理で開けていく。流石に、すぐには開かない。しかし、少し粘っていると、やがて、上にポンッと引き上がる。親指と人差し指の爪を使って、中栓をぐるぐるネジが巻きついた管ごと引き上げると、瓶の中から香りが立ち上がった。
その香りは、よかった。どうしようもなく、素敵な香りだった。レモンの煌めきに薄荷の冷たさが混ざって、綺麗だった。この香りは私がなくしてきたものすべてなのではないかと思った。疑いもなく、そう感じた。この香りを得るために、私は今日の日まで絞りかすみたいな日々を過ごしてきたのだと。
私は結局、香水を捨てられなかった。握ったまま、動けなくなってしまった。けれども、捨てる必要などもうなかったのだ。淡くトパーズに色づくような香りをふかぶかと胸一杯に吸う。世界をまた愛せる気がした。