カラニビルは、ある薄暗い森の中でビクビクと怯えていました。太陽はすっかり沈んでしまい、あたりは真っ暗闇なのです。暗闇の中では誰しも不安になるもので、この小さく臆病な生き物にとっては尚の事、何か恐ろしいモノがやってくるのではないかと辺りを警戒していました。そうやって震えているうち、次第に彼は自分を襲おうとしている正体に気づき始めました(本当は、彼を襲う存在なんてありませんけどね)。
「きっと、僕のオレンジジュースを狙ってるんだ! なけなしのお金で買ったんだ。誰にもやるもんか!」
正体がわかった途端、彼は何だか勇ましい気持ちになって、誰にも渡すまいとカバンごとヒシと抱き抱えていました。カバンの中には彼の素敵な宝物たちも一緒です。しかし、その日は朝からたくさん魚を釣った日だったので、すぐにくたびれてしまいました。
「そうだ。僕が先に飲んじゃえば、誰にも飲まれずに済むんだ。僕ったらこんなことを忘れるなんて、こりゃ相当疲れているなぁ」
そう思うなり彼は瓶をぽんと開けました。この時、彼は明日の冒険のお供として買ったことを忘れていましたが、もう二度と思い出す事はありませんでした。彼は嬉しい気持ちになってオレンジジュースをクッと口に含みました。その時です、彼の口の中に形容し難い酸っぱさが広がりました。彼はママから「一度口に含んだものを出してはいけません」とよく叱られていたので、それでもグッと堪えて飲み込むほかありませんでした。
「うぇえ。こりゃオレンジじゃなくてレモンじゃないか。どうして店主はこんなミスをしたのかね。きっと、あの店は明日には潰れているに違いないや」
カラニビルはそう考えることにしましたが、実際は予想とは違い、店主の意図的なミスでした。カラニビルがちょうど六歳になった時、彼の両親が漁で亡くなり、彼の右目の上に大きな緑色のコブができました。彼の村の神父様は「何だか偉い人が書いたすごい絵本に出てくる魔物とおんなじコブだ」と言ったそうです(実際はもっと違っていましたが、カラニビルは冒険家であり勉強家ではなかったので、何の話かは分かりませんでした)。その為、彼は村を追い出されてしまい、コブのせいでどの場所でも受け入れてもらえませんでした。カラニビルがオレンジジュースを買った店の店主も彼のコブのお話を知っていたらしく、彼に嫌がらせをしたのです。
カラニビルはとても寂しい気持ちになりました。しかし、まだまだ夜は長いです。あたりはずっと真っ暗で不気味な森の中ですが、とっくに恐ろしくはありませんでした。彼は自分の可哀想な人生を振り返るのに忙しかったからです。じっとしていられなくなってトボトボと歩き始めると、周りでウゴウゴしていた小さな名前の無い生き物がササッとカラニビルから離れていきます。このような生き物ですら、カラニビルのコブに見覚えがあったのです。
カラニビルは寂しい森の底を深く深く歩いていました。ここには木の葉を揺する風すらも味方していないようでした。いよいよ彼が空の瓶を投げ捨ててしまおうと思ったその時です(彼は瓶のようなキラキラ光る物が好きでした。なので、彼が瓶を投げ捨てるという事は彼がひどく心を病んでいる証拠です)。遠くの方で賑やかな声が聞こえてきました。その時、彼は村の神父様が話していたお祭りの話を思い出しました。
「ああ、きっと今日がそのお祭りの日なんだな。ちぇ、そんなにめでたいなら僕を誘ってくれたっていいじゃないか。何だってそんな卑怯なことをするのさ」
彼はもう十年以上、誰からも愛されていないのです。それはどんなに寂しく辛いことかはわかりませんが、とにかく彼はひどく羨ましがりました。彼の辛さは誰だって想像できません。それでも彼は泣きませんでした。泣いてしまうと、天国のパパとママが悲しむと思っているからです。
「へん! 僕はあんなお祭りしなくたっていいんだ。毎日すんごいおいしい魚を釣っているもの。あいつらはこの美味しさをずっと知れないんだ。その方がよっぽど辛いやい。ああ、そのうち僕は今よりもっとおいしい魚をつるんだからな。わぁ! なんていい人生なんだろう!」
彼の釣りの腕は確かでしたが、彼は川魚しか釣れません。一度パパが釣ってくれた海魚の味が彼の一番のお気に入りでしたが、彼は二度とそれを口にする事はありませんでした。
そうこうして森の中を考え込みながら歩いていると、森の中に寝床にちょうどいい場所を見つけました。そこには以前だれかが旅で訪れたであろう痕跡があり、いくつかキャンプグッズも残されていました。
「やった! 今日はなんていい日なんだろう。やっぱり僕は世の中で一番幸せなんじゃないかしら。だって、こんなにもツイテいるんだから」
彼はランプの明かりを少し弱くして、キャンプグッズから毛布を一枚取り出しました。
「ようし。今日は何だかいい夜になりそうだ。もっと気持ちよく眠れるように、何か愉快なことをするとしよう」
そして彼は思案したのち、自身の冒険日記を書くことにしました。この考え思いついたことを、彼は自分でとても高く評価しました。
「うん。これがいいな。僕ほどに勇敢な人はほかにいないもの。僕の冒険日記はきっと有名になるし、これで僕は大金持ちになれるぞ」
ゆっくりと筆を走らせていくうちに、彼はどんどん楽しい気持ちになっていきました。日記の中の彼は立派な釣り人で、次第に人望が増え、お金にも困らなくなり、第三章では温かい家庭を持つようになりました。それから彼は夜が訪れる度に冒険日記に筆を走らせました。日毎に日記は厚くなり、時には自分が本当に人望にあふれているのではないかと勘違いする日さえありました。そうして現実との差に落ち込んだ時も、彼は冒険日記を書きました。より優れた人間像をそこに映し出したのです。
よく晴れた日のことでした。太陽はあらゆる不気味なものを払い退け、空には清々しい風が思い思いにそよいでいました。しかし、カラニビルは憂鬱でした。自分は、本当は晴らしく人気な漁師であり文筆家であるはずなのに、誰も彼のことを受け入れようとしないからです。
「どうしてこんなに為になる本を誰も読もうとしないのだろう。きっと彼らは人生の意味なんてとうたことが無いに違いない」
彼の冒険日記にそんな為になる話があったのかは、今となっては分かりません。しかし、彼はそのことを深く嘆き、いよいよ誰の目にも留まらない谷の底に腰を下ろしました。
「明日はもう少し続きを書いて、昨日書いた本通りの魚を釣ってやるぞ」
その言葉と共に、彼はこの世で最も可哀想で臆病な生き物になって、誰の目にも見つけられなくなってしまいました。