「はは、これはちょっといくらなんでも高いんじゃあないかなぁ」
テレビショッピングではアスパラガスが売られていた。何故アスパラガスが売られているのか、その経緯は見当もつかないが、とにかくアスパラガスが売られていた。しかも、オパールのネックレスの後にだ。テレビショッピングでは色々な物を売っていると言ってもしっちゃかめっちゃかすぎやしないかと思う。口に出したのは金額についてだけど。はは。
「確かに高いですねぇ。そもそも私、そんなに好きでもないですから特にそう思いますよ。それに、こんな一キロものアスパラを買ったってしょうがないですよ。ね」
犬はこの番組に出ている奴らは皆正気なのかと言わんばかりの表情をしながらコーヒーを両手に私の前にのそのそと歩いてきた。あれ? う〜ん。犬、最近太った?
「最近太った?」
「へ? いやいやそんな。確かにデスクワークが多くなりましたけども、流石にまだまだ健康体ですよ。昨日もジョギングに行きましたから」
「ドッグランに?」
「いや、普通に河川敷ですけど?」
犬が私の前にコーヒーをおいたので私は軽く会釈して(これは会釈と認識されるほどの頭の下げ方だろうか、次はもうちょっと深くしたほうがいいかな)ズズっと若干汚い音を立ててコーヒーを啜った。犬は私の啜る音に対して微妙な顔をしたし、コーヒーの味もなんとも言えない微妙な味だった。
「……高いなぁ」
何度考えてもやはりアスパラガスは高かった。具体的な数字をあげてなかったのでちょっと遅くなったけど伝えておくと二九八〇〇円。漢字で記すとさらにウェッとなる感じの値段である。
「まぁすぐそこにスーパーがあるから関係のない話だよね。通販に頼らなくても時間はあるし」
私は本当に時間があるのでそう言った。
「ご主人はいつも暇そうですからね。買い物に行くくらいがちょうどいいと思いますよ」
犬は忙しかったのでこう言った。犬のくせに忙しかった。
「へぇ、犬のくせに偉そうだなぁ。本当に偉かったりして、ははは」
笑う私。私は人と喋る時に笑うと胸が苦しくなる。しかし、犬と喋る時の笑いは何故か心地よかった。何故だろう。別に理由はどうでもいいんだけど。
「む、実はこう見えても私偉いですよ。ちょうど五日前かな? 専務に昇進しましたから」
あ、本当に偉かった。
「あ。え? ああ、おめ、おめでとう。え? 犬なのに?」
びっくりしたので変な返事になってしまった。恥ずかしくなって顔が赤くなった気がしたが、それを悟られるのはなんとなく癪なので袖で顔を軽く覆った。
「ああ、ええ、あの、ありがとうございます。犬ですが」
犬もちょっと動揺していた。動揺していると言うこと以外は特に書くこともないけど。なんか動揺してる感じの返事だった。
「しかし、めでたいんだし、何か今晩は犬の好物でもしようか」
「じゃあ、秋刀魚で、そろそろ美味しい季節ですから」
犬は安上がりだった。私なら牡蠣にしようとか言うのに。
「じゃあ、買い物にでも行くか。ちょうど銀行にお金を下ろしに行きたいとも思っていたし都合がいいや」
「え? お金を下ろすんですか? 働いてもいないのに? 稼ぎがあるんですか?」
犬は驚いた顔をしていた。珍しいな。
「ああ、言っていなかったかな? 私は信仰心がすごいからね。神様から振り込みがあるんだ。月二十〜三十万くらいかな? 犬には難しいかもしれんが、これはこれで楽だから」
「ああ、なるほど。そう言うことでしたか。私も人間社会に出て間もないですから。世界は広いですね」
「うむ。これからもお互い学ばねばならんなぁ。はは」
*
「おや、ご主人、*とはなんですか? どういった意味があるのです?」
「これは場面転換の意味だね。ほら、さっきまでテレビを見ていただろう? 今は二人で秋刀魚を食べているから、そういうことだよ」
「ああ、なるほど。これもまた深いですね」
犬は勉強が好きなようだ。このままでは私をどんどん追い越して……いや待てよ。なぜ地の文の内容を犬は理解しているのだ? もしかして私の心を読んでいるのではあるまいな。というか、前々からおかしいとは思っていたのだ。犬が人語を理解して人間社会に溶け込み、秋刀魚を好物にしていることを。
「なぁおいちょっと待て。犬。お前いま私の心を読んだな? これは立派な条約違反だぞ? というかそもそも犬がなぜ人間と同じ生活様式を取っているんだ? おい。君は私の問いに答えなちゃくちゃならんぞ」
条約違反かどうかは分からないが、それっぽいことを言うと賢そうかなと思い見栄を張って言ってみた。そういえば、大意地な見栄を張った翌月の振り込みは随分しょっぱかった気がするぞ。神様ごめんなさい。
「いや、心なんて読めるわけないですよ。顔に書いてあったので聞いたんです」
「え、うそ」
チラッと窓を見ると反射で私の顔が映る。ほんとだった。
「それに、私が人間と同じ生活をすることの何がおかしいのですか。ほら、秋刀魚が冷めてしまいますから。熱々のうちに食べましょう」
犬は取り合わない。仕方がないので自分で考えてみることにした。う〜ん。うむ、これは心身二元論を用いれば説明がつきそうだ。心が所属する精神世界と身体が所属する物質世界が互いに影響しあった結果だろう。*は私が*を心に浮かべたことで身体に表出したと言えるし、犬は非常に心が豊かに育ったので心と身体が人間社会に適合できるほど立派に成長した……のか? しかし、テレビショッピングの前にそんな話をしていた番組があった気がする。多分そうだ。
「となると、この秋刀魚もいつかは。いや、秋刀魚だけでなく牡蠣も我々と共に暮らすようになるのか……」
私は少し悲しくなった。牡蠣は大変に好物だったが、牡蠣に人権が与えられればそうとは言っていられない。昨今はSDGsなど、平等という耳触りの良い言葉や思想が一般教養として民衆に理解されている時代である。牡蠣は将来的には人間社会と自然界を繋ぐ重要な役割を持つに違いない。なので、牡蠣を食べることが出来なくなるというのは火を見るよりも明らかなことなのだ。となると私は明日から新たな好物を探す果てのない冒険を始めなければならない。牡蠣ほどの感動を与える食べ物が一体この世にあといくつあるだろうか。いや、もしかしたら一つも無いかもしれない。しかし、私が私である以上この冒険は避けられないだろう。そういう予感がするのだ。
人間は進化の中で確かな技術と豊かな思想を得た。しかしその代償は大きく、人類が潰えるまで続くと思われる真に終わりのない困難に立ち向かい続けねばならないという災厄にも見舞われたのだ。全く運命とは呪わしいものよ。はは。我々の未来をどう思う犬よ。
「え? そんなわけないじゃないですか。ほら、骨取りましたよ」
「あ、え? うん。ありがと」
秋刀魚は美味しかった。