靴と靴下と財布の入ったショルダーバッグをかけて、ベランダから道路を見下ろしている。最後に車が通ったのは一時間前だった。最後に人が通ったのはそれ以上前のことだった。弟の部屋に繋がっている室外機が静かになったのを見計らって、ベランダの手すりを乗り越えた。下屋に足を乗せると、釉薬のかかっていないにぶい瓦にしっとりと足の裏が張りつく。しっかりしている足場で、まだ焦らなくてもいい。そろそろと中腰で歩いて、下屋の端までたどり着く。しゃがんで両手をついて、そこからもう一段下のカーポートへと足をのせた。瓦に比べて冷ややかな半透明の紫のポリカーボネートには夜露が垂れていた。きゅるりと滑るのを、足の指に力を入れて耐える。そっと屋根から手を離して、アルミの支柱の上からなるべく逸れないように歩いた。僕の体重を受けポートは小刻みに震え、ちょうど下敷きを仰いだときにする音がする。カーポートの端まで行くと動きを一旦止めて道路を見やる。歩行者が珍妙な音に気づいてこっちを見ていないともかぎらないから。幸い人はいなかった。今度は真下にあるフェンスに降りようと体を反転させて、端っこに手のひらを押しつける。血の流れがせき止められ、手のひらの温度が奪われていく。片足ずつ下ろして、鉄棒のときのつばめポーズを意識して肘を伸ばした。暗くて見えないフェンスを足で探すのに一番安定している体勢だ。フェンスの天辺に足が引っかかれば、後は楽なものでさっと地面まで降りられる。
こうして(たぶん)誰にも気取られずに二階から脱出した僕はとりあえず靴を履き、隣家の塀との隙間に置いてあるビニールシートの包みを取り出した。中身は夜のクルーズを楽しむために隠しておいた22インチのスケボーだ。プラスチックの板だけれど、きちんとした作りであると評判だったPenny製。夏休みが終わる前に買っておいた。値段は考えていたよりも高かった。けど、バイトでしか外に出られなかった僕は、何かを始めたいという欲求に勝てなかった。始めたては板の上で直立するのもおぼつかず、少々重心が前後にずれると黒いスケボーがミサイルのように吹っ飛んでいって何かしらにぶつかるものだから、縁はすでに擦り傷だらけになっている。明るいところで見れば、樹脂を炙ったときに表出する白い斑も見えるだろう。練習をしようと思うも余力がある晴れた夜にしか使わないので、なかなか上達しない。それでも何回か乗った今では、周囲に気を配る余裕をもちながらバランスを保って滑れるようになった。
家の前の路面は狭いし荒い。ここで滑っても進まないどころか、壁に挟まれ反響した走行音がうるさいだけだ。スケボーを持ったまま、少し離れたところまで歩いた。縁の傷は今歩いているアスファルトと同質の荒さで、つかみにくいのも相まって早く離したかった。数百メートル歩いてはっきりした境界線を超えると、きめ細かいアスファルトになる。ここはつい最近まで内部の空洞化が進み所々へこんでいた区間だったが、いつのまにか舗装しなおされていた。やっとだ、とスケボーを放り投げて、その反動で跳ねた板を右足で押さえつけて滑り始める。その瞬間にかつんと弾ける音が斜め後ろから聞こえた。おそらくホイールに付着していた礫が遠心力によって跳ね飛ばされた。まとわりついた雑多な熱もついでに残してゆく。顔にそよ風を感じながら、今日は通っていた小学校を見に行こうと思った。地面を蹴りながら、感じるのは通学路の狭さ短さだった。小学生のとき、友人と待ち合わせをして駄弁りながら登校し、影だけを踏みながら下校し、図書室で借りた『はだしのゲン』を読みながら登校し、傘でチャンバラをしながら下校した。無い頭でいかに長い道を踏破するかに趣向を凝らしていた。よくつるんでいた旧友を思い出そうとしても、真夜中の闇にかき消されて何も浮かんでこなかった。
途中から通学路を外れ、ぐるりと遠回りして、陸上自衛隊の駐屯地に面する道路に出た。大きな車両も通れるように道幅は広く取られていて、学校へ向かって下りの傾斜がついている。ここを左に曲がれば、すぐにシャルトルーズカラーの(暗いなかではジョーヌ寄りに見える)校舎が木々の間から覗く。木々は学校の敷地内に植わっている桜で、入学式はきれいでも春過ぎれば毛虫を落とす厄介な木だった。児童に踏まれた幾匹かの毛虫は黄色と茶色それから緑色のマーブルをねっとりと描いていた。当時、僕らに相応しくないと決めつけていた塊は未熟な魂をこねくったもので、振りかえるとけなげな集合体だった。大学に通っているとめっきり毛虫を見る機会も減った。不快感でさえ懐かしく思われるのはモラトリアムの終盤に足を踏み入れたからだと捉えればいいのか。もしかすると、社会人になれば今日のことも思い返す日が来るのかも知れない。
夢想しているうちに傾斜は僕の背中を押して、どんどんスピードがあがってきた。重心を低くして一心に前を向いた。ホイールの中からかん高い摩擦音がひびき、これ以上の負荷をかければ軸受けのベアリングから小さな玉が四散しそうな雰囲気にまで達する。坂を下りるにつれて電灯の数は減っていき、坂の終わりは見通すことができない。動的な汗に静的な汗が混じった。左足をそっと地面にこすらせた。勢いよく押しつけると足を持っていかれ、つんのめって大けがをしてしまう速度であるので、まことに慎重に足を触れさせた。ざりざりとスニーカーの靴底が削れて減速する。敏感になっている足裏では、コンマ数ミリの具合でも感じ取れる。
坂が終わりに向けて緩やかになったところで、やっとこさ徐行速度に落とし込めた。終着地点は何度も通ったことがある、分かりきった三叉路だった。信号機も変わらずに立っている。ただ黄色で点滅しているのだけ昼間と違った。まだ帰るには物足りず、家のある方向と逆に曲がった。三叉路を左折して幹線道路にそって進んだ先に線路が通っており、そのまた先に線路に平行して国道26号が通っている。この道は通学で最寄り駅に向かうため毎日のように使っていたので、この近所では一番なじみ深い道路になる。幹線道路と言っても、しょせん田舎で夜になれば全く車が通っていない。線路に突き当たるまで、真っ直ぐに伸びた直線を独占して走っていった。途中、よく立ち寄るコンビニだけは電気が灯っていた。ちらりと覗いた限り客はおろか店員すら見当たらず、空間から切り離されたように皓然と浮かんでいた。コンビニの意義をぼんやりと考えていると、そのまま将来の漠然とした不安に繋がった。
目の前に立体交差が現れた。この膨らみは線路を越えるために存在している。しかし、急坂をスケボーで登る技術を持ち合わせていない僕は、立体交差を避けて左折した。そのまま進むと線路脇の道路に合流して線路と併走することになった。等間隔に見る踏切は遮断機に取りつけられた青い電灯によって幻想的に照らされている。青い色は投身を思いとどまらせるためらしい。JRが取り入れているのを考えれば正しいのだと思う反面、寒色系の色は世を厭う気分を強調していると感じなくもない。最終電車の運行はとっくに終わっていて、当然遮断機も下りず警報も鳴らない。踏切はじっとその場に留まって日が昇るのを待っている。あぁ日が昇る前までに家に帰らないと人通りが多くなって屋根を伝い自室に戻れなくなる。日の出の一時間前にはすでに夜は白みはじめるので、余裕を持たないといけないと経験で分かっている。今の季節だと四時半過ぎには、部屋で汗を拭っておきたい。
ここから帰途につこうと思う。家まで穏やかな上りが続き、なかなか一蹴りで進む距離が短くなってしまう。それを解消できる手があって、塗料で盛り上がって滑らかな白線の上を走ると伸びがいい。さすがに中央線を走るわけにいかず、路側帯を区切る白線の上を走った。白線の上だけが滑らかなのであって、白線から外れれば荒いアスファルトである。綱渡りほど難しくはないが、拙い技術では努めて真っ直ぐ操縦しないといけない。車の教習で教官から言われた、意識している先に車が行くというアドバイスと通じる。
長い白線を目で追いながら進んでいると、視界の右上に物影がちらついた。何かと思えば、ランニングをしている人影だった。僕も彼も対向して進んでいるものだから、つぶさに確認できる距離にまですぐに縮まった。顔は痩けて、白い無精ひげに覆われていた。突き出した腕や足は骨と皮で成りたっていて軽く折れそうな細さだ。よたよたと走っている老爺は目一杯絞られた滓のように薄い色をしている。直視するに堪えない彼と早くすれ違いたくて、力強く地面を蹴った。
蹴った瞬間だった。その一瞬に体を崩した。理由はマンホールの蓋だった。白線よりもさらに滑る金属の蓋を見落としていたのだ。重心は後ろにずれて、受け身もとれず手のひらから尻餅をついた。ショルダーバッグの肩紐が食い込んだ。体を起こしても、勢いよく射出されたスケートボードは戻ってこない。行方を探すと、まさに老爺に着弾する間際だった。避けてくれ、と願っても無駄だった。勢いそのままに老爺の向こう脛に激突する。ぺきりという音が響いた気もする。老爺が膝から崩れ落ちるさまが、白黒でゆっくりと視界に焼きついた。呻きは道路を挟んで明瞭に聞こえる。僕は動けなかった。捻挫したとおぼしき手首から痛みが伝わってくる。僕はまだ動けなかった。