ちろり。
伸ばした舌が箸でつまんだ牛タンに触れる。
それからじらすように舌を左右にずらしていく。牛タンの荒いようでなめらかな断面の触感を覚える。さらに舌を伸ばして牛タンをからめるとおもむろに口内に受け入れた。
出張先である福井行きの新幹線の道中、窓を流れる景色を横目に僕はこうして「遊び」をしている。
僕が一人で牛タンや刺身こんにゃくを食べる時に必ずといっていいほどする「遊び」だ。
前者は元々牛の舌だから、後者はどことなく触れ心地が人の舌に似ているからに過ぎない。畢竟するところ、ディープキスを模したものだ。
ふと目を右隣の座席に遣るが、僕より一世代若い、おそらく三十路手前ぐらいのスーツの青年はヘッドフォンを頭に掛けスマホのゲームに腐心している。この熱中具合だと私の奇行にも気付かないだろう。
いや、僕の「遊び」が暴かれてしまうかもしれないというスリルが「遊び」の楽しさを引き立ててくれるかもしれない。その緊張感を味わいたくて駅弁についつい牛タンを選んでしまう。
散々舌の上で弄んだ牛タンを改めて噛みしめその旨みも楽しみつつ到着までの時間を有意義に過ごすのが出張の楽しみだ。
尤もぼくにとっての最大の楽しみを思えばこの食事も本番の前の前戯に過ぎないのだが……遊び人としての自負がある以上前戯にさえ手を抜けば遊び人失格だ。
列車内のアナウンスが間もなく目的地の福井に着くことを伝えた頃を見計らって僕は「遊び」の締めに取り掛かることにした。
以前は到着直前に残った白飯を掻き込むだけだったのだが、出張先で厳選したご飯のお供をここぞとばかりに使うようにしている。
今回使うのは福井県が誇る曹洞宗の大本山の永平寺、そこの精進料理に使われる「ごまみそ」だ。使い切りができるようにスティックで小分けされたそれをご飯にかける。海苔の佃煮に似た黒色をしている。ところが、どこかあっさりした海苔の佃煮とは異なり、ねっとりとした食感をご飯に纏わせ、喉に絡みつく程の濃厚な甘味をもたらす。
口の中が甘ったるくなってきた頃に付け合せのしば漬けを食べると清涼感を覚えると共に塩味と甘味のメリハリが際立って益々美味だ。
ごまみそご飯をむせる限界まで我慢までかきこむ。が、まだ清涼剤のしば漬けを食べない。本来ならばこんな倒錯した食べ方をする者はいないだろうが、至福に浸る中で私のスイッチが入ってしまったようだ。自分で自分にお預けを食らわして一人じれる。一人芝居のお預けなど傍目では間抜けだろうが今やっていることはとどのつまり自慰と同じだ。しかし、自慰といえども「遊び」はとことん楽しまないと。
堪忍の末に遂にしば漬けを口に含む。ぽりっというしば漬けの歯ごたえとさわやかな塩味には爽快の一言に尽きる。
ごまみそだけでも一膳の主役となれる旨さだ。しかし、供給過多になれば主役と言えども飽きが来てしまうというもの。そこで本来ならば弁当の脇役でしかないしば漬けを活用することで互いを引き立てあうのだ。
この発見の至福の途中で無情にも目的地の福井に到着したというアナウンスが僕を現実に引き戻してしまった。乗り遅れないよう慌てて残りの白飯を掻き込み発車寸前の新幹線を飛び出す。
ごまみそご飯としば漬けが思った以上に僕を昂ぶらせたせいで、頭の中が仕事終わりの「本番」でいっぱいになってしまった。仕事の間はずっと行き場のない情欲を解放できずじらされることになってしまったが、焦らすのも焦らされるのも好きだ。どうにかなるだろう。
職務から解放されるまでの数時間を煩わしく思いつつも、僕は平静の仮面をかぶって改札口へと向かう人波に紛れ込んだ。
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旅はいい。中でも旅先で出会う人との交わりは良い。
その場限りの関係で済ませられる分、より情熱を持つことができ尚且つ後腐れることもない。これは僕が束縛することもされることも嫌いな人種であることに起因している。
僕が「遊び」を覚えたのは、否、覚えさせられたのは僕がまだ因数分解も覚えていない頃で、尻の青かった僕は当初自分の境遇を嘆いたものだったがその妙味を味わう内に気付けばもう引き返せないところまで落ちていった。
「遊び」に耽る自己嫌悪で苦しんでいた僕を救ってくれたのが旅だった。
旅で出会った人のおかげで僕が全てだと思っていた世界が如何に小さくて、僕の悩みがどんなに些細であるかと気付けた時、僕は救われた。
今ではサラリーマンの身分にとらわれ学生時代程には旅に行くことはできないが、出張も一種の旅と思って進んで赴いている。
一夜の出会いを求めるために──
福井紀行文
■■色出張飯 ~ごまみそテクニック~(完)
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そういえば、旅先で出会った行きずりの女を愛するのが流離の男の定型だが僕はその中でも異端であると自覚している。
僕は男が好きだ。
「遊び」とは即ち……ホモセックスのことだ。
福井紀行文
薔薇色出張飯 ~ごまみそテクニック~(本編に続く)
(本編あらすじ)
ハッテン場との噂で名高い僧侶たちの修行場に赴くサラリーマンK!
そこで絹を裂くような少年僧の悲鳴がKをゆさぶる! 少年僧の操を守るためK必殺の拾道が炸裂する!
「男は覚えさせるものじゃない、自分の意思で求めるものだ」